第10話 ズンバとの確執①
「ズンバ」とは正確にはエクササイズの事を指す。
1990年代コロンビア。
一人のエアロビインストラクターがエアロビ用の音楽カセットを忘れてしまった。
慌てたインストラクターはカバンの中に入っていたお気に入りのカセットを使って即興の振付を行った。
即興であったことから、インストラクターは参加者達に指示を飛ばすことはできなかった。
インストラクターは終始無言を貫いた。
無言で踊るインストラクターに導かれるように参加者達は踊り始めた。
そこにはかつてない熱狂が生まれていた。
これがズンバの起源とされている。
ズンバはエクササイズ界に革命を起こした。
今や世界中で愛されるエクササイズの一つになっている。
そのエクササイズには決まった形がない。ラテンやアフリカンなどがポピュラーではあるが、選ぶ音楽やダンスは言ってしまえばなんでもいい。
エクササイズ中はインストラクターは一切声を発しない。
全てが自由。
それゆえ難しい。
人間の持つ根源的な喜びを表現するエクササイズ。それこそがズンバなのだ。
ナルカミスポーツジムのズンバプログラムは人気№1のプログラムだ。
エクササイズの特性上、担当するインストラクターには高いスキルとセンス、経験が要求される。
それゆえ彼らはここではジムリーダーと呼称されている。
つまりズンバを任せられる、という事はナルカミスポーツジムスタッフにとって最高の栄誉なのだ。
ズンバは参加者達にとってもその難易度が高く、敬遠する者も多い。
僕もその中の一人だった。
これまで只の一度もズンバには参加したことがない。
今回のイベント用の演舞も
去年と同じ、ソーラン節、ズンバ、ラインダンスの順番で構成される予定らしい。
ソーラン節はなんとなく自分でも習得できそうだし、ラインダンスはステップ&ダンスで経験したことがある。
しかしズンバは別だ。
確実に今のままではダメだ。
イベント用の練習だけでこのズンバをマスターできる程、僕のダンスセンスは高くない。
僕は自分でも血の気が引くのをしっかりと感じた。
映像が終わり、青木さんが今年は難易度を少し上げるとも宣言している。
今からでも遅くない。辞退しようか。
しかし、貴島さんやサムエル達の手前、今さら後戻りはできない。
ならば僕にできることは一つだけ。
明日からズンバプログラムにも参加する、ただそれだけだった。
翌日の就労後、僕はいつものようにジムに向かった。
今日からズンバに挑戦する。ジム用のウェアは念のため2着だ。
まずはもはや恒例となっている、サーヤ達との合同トレーニング。
この頃には木澤さんに頼らずともフリーウェイトも十分にこなせるようになっていた。
よさこいソーラン祭りに参加することになってもあくまで僕のベースは体作り。
僕の肉体鍛練への情熱はいささかも衰えることはなかった。
扱う重量も日毎に順調に増加し、トレーニング自体のボリュームも上昇曲線を描き続けていた。
それに応じて体も変わる。
自分の体に微かに感じる筋肥大は日々の鍛練と食事改善の効果を十分に物語ってくれていた。
そしていよいよズンバプログラムの時間がやってきた。
意を決した僕は少し緊張しながらスタジオに入って行った。
当然のように同行してくれるサムエルの存在が心強い。
木澤さんはズンバが大好きでプログラムには毎回参加しており、その腕前はかなりのものであるらしかった。
僕は遠慮がちにスタジオの一番端っこに陣取り、参加者達を見渡してみた。
やはりズンバプログラムは人気らしく、広いスタジオ内に所狭しと多くの人々が押し掛けていた。
皆、それぞれ体をほぐしている。
よさこいメンバー達はやはり、というかほぼ全員が参加していた。
なんとなく空気が重い。
いつも参加している貴島さんのプログラムの和気あいあいとした雰囲気とは違う、どこか殺伐とした不思議な緊張感がスタジオ内に漂っていた。
僕は不安になって所在なさげにサムエルに声をかけた。
「なんか、いつもと違うね。大丈夫かな」
サムエルは笑顔を絶やさない。
「だいじょうぶ。たのしい」
木澤さんにも助けを求めたかったが、彼は僕達とは遠く離れた、最前列の真ん中で仁王立ちしていたのでそれは不可能だった。
スタジオ最前列の壁は全ての鏡張りとなっており、余裕たっぷりの木澤さんの顔がよく見える。
まるで見知らぬ異国の地に突然放り込まれたような心境だ。
10年前に日本にやって来た時のサムエルも同じだったのだろうか。
スタジオの外ではマーヤがこちらをぼんやりと眺めていた。
ややあってズンバ担当ジムリーダー、青木さんがスタジオに姿を見せた。
音響にスイッチを入れ音楽が流れ始める。ラテン系のアップテンポなリズムが僕の鼓膜を揺らす。
こちらと対面する青木さんには静かな迫力があった。
彼女は右腕をあげ、人差し指をたてるポーズをとった。
そして次の瞬間、突然踊り始めた。
ワンテンポ遅れて集団が彼女の動きをトレースして同じように踊る。
僕も慌てて体を動かした。
曲調は次第に激しくなり、それに比例して青木さんの動作もダイナミックになっていった。
集団の動きもそれに呼応する。
不思議な空間だった。入室してから青木さんは一言も声を発していない。
ハンドサインとダンスだけで僕達を導いていく。
僕はこのジムに最初にやって来た夜の事を思い出した。
これだ。
日々感じていた虚無感、焦り、怠惰な自分への憤り、孤独感。
それら全てを変える何かがここにはあるのではないか。
そう直感したのはこのズンバを見た瞬間ではなかったか。
全ての人がただ無言で、時に間違え、時に立ち止まりながらも一心不乱に踊り続ける。
その姿に美しさを感じたからではなかったのか。
生きている。
その素晴らしさを体現するようなリズムを、僕は夢中で追いかけていった。
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