第8話 そして僕は沼にはまった
次の日から僕は仕事が終わるとジムに直行し、マシントレーニング、貴島さんのスタジオプログラム、そして木澤さんとフリーウェイトと怒涛のスケジュールをこなしていた。
そんな生活を続けてもう3か月になる。
その間にもマーヤの自撮りを手伝い、サムエルにお互いの母国語を教えあったりと僕はジムライフをこれでもかと満喫していた。
ぽっこりと前に突き出していたお腹は少しずつボリュームダウンしていき、光の当たる角度によってはうっすらと割れ始めてすらいた。
そうなると僕はますますフィットネスにのめり込んだ。
動画投稿サイトを閲覧し、トレーニングフォームの研究。
貴島さんのスタジオプログラムのステップ&ダンスも上達してきた。
一番変わったのは食事だ。
これまではインスタントラーメンや外食が主だった僕の食生活は、自炊を中心としたものに変わっていた。
高たんぱく低脂質の食事内容を意識し、マーヤに料理の本やレシピアプリなども教えてもらった。
そして高強度のトレーニング。
僕は完全に沼にはまっていた。
そんな僕に影響されてか、サムエルも少しずつ一緒に筋トレを行うようになっていた。
元々大柄な彼はそもそもの筋力が強く、僕が目標として掲げたベンチプレス100㎏を初回にしてあっさりとクリアして見せた。
100㎏をクリアした後、少し嬉しそうにこちらの表情を伺った事を僕は見逃さない。
マーヤはマーヤでヒップアップに余念がないらしく、スクワットに対するモチベーションは日に日に増していくばかりであった。
インスタのフォロワー数もすごいことになっていた。
僕に影響されたわけではないが、貴島さんも好調だった。
彼女の明るいキャラクターとひたむきさが会員達の心を掴み、初級プログラムであるステップ&ダンス以外にもピラティスやヨガなどのプログラムも任されるようになっていた。
特に彼女が時折見せる柔軟性はジム内でも話題になり、彼女は一躍人気インストラクターの仲間入りを果たしていた。
そんな貴島さんはマーヤと気が合うらしく、休憩時間になるとしょっちゅう僕達4人の元にやってきた。
「タロさん、最近ダンスうまくなりましたよね。最初すごかったのに」
遠巻きに馬鹿にされたような気がするが、貴島さんに悪意はない。
彼女は無邪気な性格なのだ。
「今もすごいままじゃない?なんか動きがカクカクしてるし。今度動画撮らせてほしい」
完全に馬鹿にされているような気がするが、マーヤには少しが、完全に悪意がある。
彼女は素直な性格なのだ。
「そんな事言うならマーヤもスタジオ入ってみてよ。お手本見せてよ」
マーヤは結局一度もスタジオに参加していなかった。
いつも僕とサムエル、そして木澤さんをスタジオの外から見守っているだけで
ダンスはおろかヨガやピラティスなど、女性向けのプログラムですら参加しようとしない。
マーヤは少しため息をついた。
「踊ったりヨガしてる私を見たら、タロが私を我慢できなくなりそうだから嫌だ」
まさかの回答に貴島さんが笑った。
「え、タロさんそういう人なんですか?」
僕は慌てて否定したが、マーヤの悪ノリは止まらない。
「タロはね。結構スケベだよ。この前も貴島さんってなんであんなに柔らかいんだろうってうっとりして言うの。あまりのキモさに録音しとけばよかったって本気で後悔したもん」
貴島さんが真っ赤になって両手で自分の口元を隠し、僕に警戒した視線を向ける。
僕の持ち合わせている気持ち悪さが見透かされているようだ。
木澤さんも笑っている。
僕が狼狽えていると、さすがに同情してくれたのかサムエルが助け舟を出してくれた。
「ほんとうになんでそんなにやわらかいんですか?きじまさんすごい」
サムエルは本当に優しい。しかも紳士然としているので全くキモさがない。
貴島さんも冷静さを取り戻してくれたのか、すっと元の顔色に戻ってくれた。
「実は体操やってたんです。オリンピック目指してたんですよ」
オリンピック
突然貴島さんからでたスケール感満載のワードに僕達は完全に虚をつかれた。
普段気さくに話しかけてくれる彼女がどこか途方もない存在のように感じた。
「すごい」
マーヤが小声で称賛する。
「候補にもなれませんでしたけどね。目指してただけなんで全然すごくないですよ」
高校生の頃、僕はレスリング選手だった。
レスリングももちろんオリンピック種目に含まれるが、無名の選手だった僕にとってオリンピックは果てしなく遠い存在であり、目指すことすらおこがましいような遠い別世界での存在だった。
彼女はそのオリンピックを目指していたと言った。
きっと相当な選手であったのだろう。
彼女の言葉には彼女のこれまでの努力と、その人間性が凝縮しているかのような不思議な重みがあった。
「でもすごいよ。やっぱただものじゃないって思ってたんだ」
マーヤは感心したように貴島さんを誉め続ける。
「でも今は違う目標が出来たんです。ジムリーダーになってズンバをやるのが今の目標です」
貴島さんは少し照れながら自らの目標を語った。
このジムのスタッフ内には序列があり、ジムリーダーとはズンバなどの上級プログラムを担うスタッフに与えられる称号だった。
ジムリーダーはいわばこのジムの顔。
ナルカミスポーツジムでは青木さんという女性店長がそのポジションを担っている。
彼女はそのポジションを虎視眈々と狙っていた。
「貴島さんなら絶対行けるよ。私はスタジオ入らないけどタロ達を毎回参加させるからバッチバチに追い込んであげてね」
さらっと怖い事をいうマーヤ。
「ありがとうございます。では早速なんですけど夏のイベントに参加してもらえますか?」
彼女はポケットから一枚のチラシを取り出した。
そこにはよさこいソーラン祭り参加者募集のお知らせと表記されていた。
「毎年うちのジムでチームを作って参加してるんです。練習は毎週3回。お揃いの法被を着て皆で踊るんですよ。私も参加します。」
よさこいソーラン祭り。
確かに毎年そんなイベントが市内で開催されていた記憶がある。
割と大きなイベントだ。
そのイベントに演者として参加しろという事なのか。
確かに楽しそうだが、チームという言葉に少し気後れして僕は黙り込んでしまった。
マーヤとサムエルもあまり積極的な印象は持たなかったらしく、口を閉ざしている。
静寂を破るように突然木澤さんがまさかの一言を発した。
「俺、毎年でてるで。今年もでるよ」
その言葉をきっかけにマーヤが高らかに宣言した。
「タロとサムエルもでます。」
僕はナルカミよさこいチームの一員になった。
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