第4話 ペックフライとの戦い

 ナルカミスポーツジムに入会した翌日。

自宅のクローゼットから引っ張りだしたナイキのスポーツウェアと慌てて購入したシューズをリュックに詰め僕はジムに向かった。

今年で28歳になる僕は一人暮らしだ。実家は車で約30分離れた隣町にあり、両親が悠々自適に暮らしている。

今住んでいるアパートに暮らし始めてもう長い。

築15年の1LDK。家賃は6万円だ。彼女はいない。

そんな僕なので、仕事終わりの夜の時間はかなり自由度が高くジムに通う時間を捻出するのは何の苦労もなかった。


早速ジムに到着した。

受付で会員カードをリーダーに通し、僕のジム生活初日は始まった。

昨夜は一心不乱に踊るスタジオプログラムに衝撃を受けたが小心者の僕にはスタジオは敷居が高く、手始めにジムエリアでの筋トレから開始することにした。

ジムエリアにも大きく分けて4つのゾーンが存在する。

ストレッチを行うストレッチゾーン

ダンベルやバーベルなどを扱うフリーウェイトゾーン

多種多様な筋トレマシンが鎮座するマシンゾーン

そしてトレッドミルやバイクなどが並ぶカーディオゾーンだ。


こんな僕でも男の子。

やはりマッチョへの憧れは捨てきれていない。

でもフリーウェイトゾーンもなぜか自分には敷居が高い。

必然的に目下僕の活動エリアはマシンゾーンとなった。


マシントレーニングの利点は二つある。

一つ目は安全性。マシンでは決まった軌道でトレーニングを行うことができるので、対象部位にダイレクトに負荷を乗せることができる。

つまり、関節や他の筋肉群に負担をかけることが少なくなりケガなどのリスクを低下させることができる。安全性が高い。

二つ目は重量への挑戦が比較的容易であることだ。フリーウェイトでは重量設定を誤った場合みじめに潰れるか、それこそケガの危険性が常につきまとう。

その点マシンであれば重量への挑戦は心理的に容易だ。


一方、別の角度から考えると決まった軌道でしか動作を行わないためバランスを取る必要がなく、補助筋や全体的な出力の向上に関しては劇的な効果は見込めないのだが、初心者の僕には今の所関係ない。

ナルカミスポーツジムには20種類ほどのマシンがあり、どのマシンも初心者が扱いやすい一般的なものになっていた。


僕が最初に取り組んだのはペックフライと呼ばれる胸の筋肉を鍛えるマシンだった。

使い方や対象部位はマシンにプリントされている絵柄や文字でガイドされている。

早速ガイド通りに動作を開始する。

重量はスタック式になっており簡単に調整することができた。

しかし、そこはジム初心者。

自分でもなんとも不格好な動きだ。

試行錯誤を繰り返しながら僕はペックマシンに立ち向かった。

少しずつ胸に効いてきた気もする。でもそれ以上に腕が怠い。

このマシンは胸の筋肉の発達を促すために設計されたものではなかったのか。

なんだこのマシンは。

僕はこのペックフライという鉄の塊にいささかの疑問を感じながら使用後の除菌を行った。


次に僕はレッグエクステンションと呼ばれるマシンに挑戦した。

こちらは脚のトレーニングを目的としたマシンだ。

スタックピンは55キロのプレートに突き刺さっていた。

おそらく前の利用者がそのままにしていったのだろう。

なんとなく負けず嫌いな部分がでて、ピンの位置は動かさずにしておいた。

先ほど同様へこへこと不思議な動きでトレーニングを実施する。

脚の前側がチリチリと痛み出した。

重い。すさまじく重い。

僕の前の利用者の脚力は一体どうなってるんだ。

3回目の挙上で限界を迎えた僕の両脚を労わるように僕はこっそりピンの位置を20キロのプレートに差しなおした。情けない話だ。


たった2種目でこの疲労。

僕の考えは甘かったのかも知れない。

もはや息も絶え絶えだ。

僕の動作がよっぽど滑稽だったのか、フリーウェイトゾーンに陣取っていた昨夜のランボー氏がこちらに熱い視線を送っている。恥ずかしい。

その無機質なデザインがかわいいとすら感じていたマシン達が、僕の目にはどこか途方もないモンスターの群れのように見え始めていた。

しかし、へこたれても仕方ない。

僕はありったけの勇気を振り絞ってラットプルと名付けられたモンスターに立ち向かっていった。


トレーニング開始から1時間ほど経過した。

ジムエリア内のベンチに座りこみ、もはや立ち上がることも億劫になっていた僕にスタッフの貴島さんが話しかけてきた。


「うわっ!すごい汗ですね!大丈夫ですか?」

そんな。周りからわかるぐらい僕は汗だくなのか。

デオドラントスプレーを買ってくるんだった。


「初日からそこまで追い込めるなんてすごいです。アスリートですね」

違うんだ貴島さん、僕はただの運動不足のサラリーマン。

アスリートなんかじゃない。

しかも先ほどからフリーウェイトという密林に潜伏するランボーからなぜか監視されている。

少し気恥ずかしくなり、僕はなんとか笑顔を作りながら貴島さんにお礼を述べつつ帰宅する旨を伝えた。


明日からも頑張って!

残酷なエールを受けながら、僕はゆっくりと立ち上がった。

フラフラとジムエリアから立ち去ろうとすると、突然大きな壁のようなものにぶつかった。

すぐに誰かにぶつかったんだと理解した僕は慌てて謝罪しながら相手の方を見やった。

僕が壁だと感じた相手はまさしく壁だった。

いや正確は壁のように大きい男性だった。こんな大きい人間を間近で見るのは初めてだ。

しかも日本人ではない。彼の白い肌と美しい青い瞳で僕は確信した。

男性は笑顔を作り言葉を発した。

「ダイジョウブ。アリガトウ。」

右手でサムアップを作りながら彼はノシノシとジムエリアに向かっていった。


なんだこのジムは。

僕の記念すべきジムデビューはこんな感じで始まった。











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