第3話  見学!フィットネスワールド②

 目の前に広がっていたのはおとぎの国でもなければ、迫力満点の宇宙空間でもなかった。

ナルカミスポーツジムのジムエリアだ。

広大なスペースに規則正しく置かれた筋トレ用のマシンと、トレッドミルなどの有酸素マシン。

なにやら白いマットのみが敷かれたスペースもある。


ジムエリア内にいる会員さんは10数人ほど。

年齢層は比較的高めだろうか。男女比率は男性が優勢だ。

一人だけランボーのようなファッションの筋骨隆々な日焼け中年男性がいるが、その人以外は案外普通の体型の人たちばかりだった。

皆、それぞれフィットネスに勤しんでいる。


僕は今夜冒険をしている。

今までは知らなかった空想上だけのフィットネスジムという巨大ダンジョンに、素手で潜入しているのだ。

この冒険の水先案内人、受付スタッフの貴島さんに従えられ。


「それではジム内の説明をさせていただきますね。これまでどこか他のクラブやジムをご利用されたことはありますか?」

貴島さんによるチュートリアルの始まりだ。


「いいえ。本当に初めてです。かなり広いですね。

それにすごくキレイです。」


「うちのジムは県内でもかなり規模が大きいほうで、ありがたいことに会員さんの数もトップクラスなんです。スタッフもたくさんいて、皆さんに楽しく安全に運動していただくために色々頑張っているですよ。気に入っていただいて嬉しいです!」


なんという事だ。

なんの初期装備も持たず、仕事帰りのスーツのまま徒手空拳で乗り込んできたフィットネスレベル1の僕は、どうやら開始早々かなり無謀な戦いを挑んでいるらしい。

ここは県内有数のエリートジムなのか。

それにちょっと褒めただけでまだ気に入ったなんて一言も言っていない。

なんとも気の早い話だ。

でも貴島さんに関してはかなりの美人さんだと思う。

そういう意味ではかなり気に入っている。

僕は結構、気持ち悪いタイプの人間だ。


そんな貴島さんは、レベル1の僕に主なマシンの使い方を丁寧に教えてくれた。

小柄な貴島さんはどうやらパワータイプではないらしく、トレーニング器具のデモンストレーションは素人の僕にもわかるくらい危なっかしかった。


「そう言えば、学生時代になにかスポーツとかされてました?」


デモンストレーションで少し疲労が溜まったのか貴島さんが息を弾ませながら尋ねてきた。

ごく一般的なその質問は、彼女にとっては気軽なテーマだったのかも知れないが

僕にとっては少しだけ答えにくいものだった。

僕は少しだけ言葉に詰まった。

高校を卒業してから今日まで幾度この質問を受けたか。

僕はこの質問が嫌いだ。

そんな僕の回答はいつも同じだ。


「高校時代にレスリングをやっていました。」


格闘家の須藤元気選手に憧れ、レスリングに打ち込んだ3年間は僕の誇りだ。

僕はレスリングを愛し、自分に才能のなさについても折り合いはつけている。

それでもこの問答の度、僕の胸はきゅうっと締め付けられる。

その理由はもしかしたらくだらない事なのかも知れない。

でも僕にとってはあまり触れてほしくない思い出の呼び水になり得るものだった。

だから僕はいつもこの話題が出たときはすぐに別の話題を提案するようにしている。


「今日は人が多いほうなんですか?いつもこんな感じ?」


レスリングというニッチな競技出身者がよほど珍しかったのか

「レスリング!?」

と話題を広げようとする彼女の言葉を遮って、僕はこの施設の利用者状況について鋭く切り込んだ。


「ジムエリアの夜はいつもこんな感じですね。でも今からズンバの時間だから・・・」


彼女がちらっと目線を別の方向に向けた。

僕も同じように彼女の視線の先を目で追った。


すると何やら先ほどまではなかった行列ができている。

人数は30人はいるだろうか。

行列の先頭には大きな扉がそびえたっていた。その扉のむこうにはスタジオエリアと呼ばれる空間が広がっていた。

スタジオエリアとジムエリアの間を仕切る壁は透明になっており、中の様子を伺い見ることが出来る。

驚いたのはその行列の顔ぶれだ。

明らかに後期高齢者の男女ペアもいれば、若い女性の集団もいる。

先ほどまでジムエリアで汗を流していたランボーまでもがしっかりと並んでいる。


なんだこの行列は。

アイドルの握手会でも始まるのか。


僕はその行列にかなりの衝撃を覚えた。

全く違うタイプの人たちが、皆同じように並んでいる。

和気あいあいと談笑する女性たちとご高齢のおじいちゃんおばあちゃん。若い女性たち。

ましてやこんがりマッチョマンが何を目的にこの隊列を形成しているのか、僕は必死に考えた。

すると唐突にスタジオエリアの扉が開き、明らかにスポーティーで健康そうな女性が笑顔で飛び出してきた。

なにやら大きな声で行列を中に入れと扇動している。

彼女に導かれるように皆わらわらとスタジオエリアに入っていった。

集団は皆同じ方向をむいて規則正しい隊列を組んだ。

彼らの前面の壁は鏡貼りとなっており、その表情は鏡越しに僕からもよく見えた。


一体なにが始まるのか、僕は固唾をのんで成り行きを見守った。

先ほどのスポーティーな女性が集団と対面する形で仁王立ちしている。

やや間があって、静かに音楽が始まった。

その音楽にあわせて彼女は無言で踊り始めた。

ワンテンポあって、集団がその動きをトレースする形で一斉に踊り始める。

誰も言葉を発しない。

音楽のテンポが少しずつあがってきて、それに呼応するかのようにダンスも激しさを増していく。

僕はあっけにとられていた。

しかし目が離せない。

動きが激しくなるにつれ、だんだんテンポがずれる者がでてくる。

明らかに違う動きをしてしまう者もいる。

しかしやはり誰も言葉を発しない。

老若男女、様々な人々が一心不乱に踊り続けている。

笑顔の人もいる。苦悶の表情を浮かべる人もいる。


生きている。

そのすばらしさを祝福しあうように誰もが夢中で体を動かしている。

彼らの姿には形容し難い熱気があった


僕は美しいと思った。


「以上で施設のご紹介は全てとなります。いかがでしたか?」


「今日から入会します。」

言葉のキャッチボールとしては成立していなかったが、僕はナルカミスポーツジムの会員になることを宣言した。

このジムへの入会に、もはやなにひとつ迷いはなかった。

こうして僕は生まれて初めてフィットネスジムの会員になった。







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