第1話 ナルカミスポーツジム

 はっきり言って僕は運動不足だ。

地方にある私立大学を卒業し、地元の医薬品を取り扱う中小企業に入社して早6年。

高校時代にレスリングで培った筋肉群は、日々の不摂生の賜物により贅肉群へとその組成を変化させていた。


決定的だったのは、先週の通勤途中の出来事だった。

営業先に向かうために渡った歩道橋を登る階段で

おじいさんに追い抜かされた。

一瞬なにが起こったのか理解出来なかったが

意外とプライドが高く人間が小さい僕は、彼に再び己の背中を披露するべく猛追を開始した。

しかし差は縮まる事もなく、僕のフィジカルとメンタルは完全に老人に敗北した。


その時、僕は初めて自分の運動不足を意識した。

このままではいけない。

そういえば学生時代より体重も10キロ増えている。

いわゆるぽっちゃり体型だ。

関連性に関してエビデンスはないが、もう長い期間恋人もいない。

そもそも、恋愛をする相手との出会いもないし

今の自分を女性にオススメするには、あまりにも僕という男の魅力は脆弱だ。

このままではやっぱりいけない。


何日も悩みに悩み僕の精神状態は割と厳しめの状態に陥っていた。


そんなある日の仕事帰り

ほんの気まぐれでいつもと違うルートで帰宅することにした。

まだ猛暑の名残りが色濃い9月。

僕は通勤手段である車のハンドルに力を入れた。

ほんの少しでも今の毎日に刺激が欲しかった。

仕事は可もなく不可もなく、極々安定。

プライベートに至ってはなんの波風もない。

要するに僕は退屈していたんだ。

どこにいても説明のつかない虚しさを感じていた。

それは孤独とも、疎外感とも言い換える事ができる感覚だった。


いつも直進する国道を今夜だけは一本逸れる。

それだけで急に見慣れない景色が広がり、少しだけ新鮮な気持ちになれた。


しばらくまっすぐ行くと何やら大きな建物が見えてきた。

その建物の前には小学生くらいなら運動会を開催できるくらいのサイズ感の駐車場が広がっている。

車も8割ほど停まっている。


この日の僕は、今思うと勇敢だった。

悪い言い方をすると向こう見ずだった。


のろのろと車を滑り込ませ建物の正体を確認した。


      ナルカミスポーツジム


看板にでかでかと青い文字で表記されているその文字を、僕はぼんやりと認識した。

自動ドアの向こうでは明るいライトの下で従業員らしきお揃いの青いポロシャツを着た若い男女と、ここの利用者であろう男性2人が何やら談笑している。


なるほどスポーツジムか。

自動ドアに一枚のポスターが貼られてある。

ポスターには

「さぁ行こう!」

の力強い文字と共に、引き締まったスタイルを惜しげもなく披露するスポーツウェア姿の女性の写真がプリントされていた。

そしてポスターには入会を募集していること

見学者も大歓迎であることが記されている。


この日の僕は、今思うと勇敢だった。

悪い言い方をすると向こう見ずだった。


気がつくと僕は車から降り、自動ドアの前まで歩いていた。

当たり前のようにドアが両サイドに開く。


ドアが開いたことに気がついた青いポロシャツの女性と視線があう。

今でもこの日の自分の心理状態をはっきり思い出すことはできない。

それでもその時の自分の衝動は克明に記憶している。

なにかはわからないけど、どこか不思議な期待感と得体の知れない使命感が僕を突き動かしていた。


「見学させていただきたいんですけど」


少しだけ声が裏返った。

青いポロシャツの女性が満面の笑顔で歓迎の言葉を返してくる。


「ありがとうございます。ようこそナルカミスポーツジムへ」


これが僕とナルカミスポーツジムとの出会いだった。

誓って言う。

最初は本当にそんなつもりはなかった。

それでも

この夜を境に、僕の人生は大きく動き出した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る