第45話
――子どもたちをかばうようにして、車の前に飛び出した。
ちょうど横断歩道の真ん中に差しかかるところだった。そのとき急に、子どもたちの列に、勢いよく車が滑り込んできた。近くを歩いていたよれよれの服を着たおっさんが、それに気づいて声を上げた。
想像もつかないはずだったのに、そんな光景が唐突に頭に浮かんだ。やけにリアルだった。まるでその場にいて、一部始終を見ていたかのようだった。
声を張り上げながら親父は走っていった。直後、鈍い衝撃音がして、跳ね飛ばされた人影が宙を舞った。アスファルトに打ち付けられ、壊れた人形のように曲がった体が、路肩に横たわった。それきり身じろぎもしなかった。
周りの景色が動きはじめた。
何事もなかったかのように子どもたちは横断歩道を渡り終えた。道路をバイクが走っていく。車が通り過ぎていく。
見覚えのある二人組が、向かい側から歩いてきた。母親と、この前紹介された彼氏さんだった。腕を組んで、楽しそうに談笑しながら、歩道を歩いていく。
地面に転がっているモノには、見向きもしなかった。立ち止まることなく、通り過ぎていく。
手を差し伸べるものは誰ひとりいなかった。そこにいるはずなのに、誰も気が付かない。気にも留めない。まるで存在ごと、世界から消えてなくなってしまったかのようだった。
俺だけが、倒れた親父を見ていた。
親父は俺に向かってなにか言ってくると思った。昔のように、偉そうに上から命令してくると思った。
けれど親父はぴくりとも動かなかった。何も言わなかった。
行くなとも、助けてくれとも。
それどころか横たわった背中は、俺のことなんて見てないで、置いていけ。放っておけ。そう言っているようだった。
「……ナイトくん? 青だよ?」
声がして、我に返った。
親父の姿なんてどこにもなかった。かわりにみんなが羨むような美少女が俺の顔をのぞきこんでいた。
そうだった。俺は帰る途中だった。これから家で彼女とお楽しみが待っている。こんなところで立ち止まっている場合じゃない。
俺はふたたび自転車を押して、目の前の横断歩道を渡った。ユキも隣をついてくる。歩調はもとに戻っていた。何事もなかったように歩いていく。
けれど数歩もいかないうちに、俺は立ち止まっていた。
「ちょっと俺、戻るわ」
一歩前にいるユキが、不思議そうな顔で振り返った。
「なに? どしたの?」
「いや、忘れ物」
俺はユキの顔を見ずにいった。
無言でハンドルを回そうとすると、ユキはすかさずいった。
「もしかして、ミキを助けに行くの?」
俺は答えなかった。かわりに、どうしてそう思ったのかきいた。
「なんでそう思った?」
「なんとなく。女の直感。だって、ナイトくんずっと変だもん」
俺は息をつくと、後ろ髪を軽く手で掻きむしった。
ユキには見抜かれているようだった。たしかに最近ずっとおかしい。いやもっと言ったら、停学明けてからか? あのバカ彦に言われたからってわけじゃないが、自分でもらしくないなって、そう思う。
にしても、ここで脈絡なくミキの名前が出るとは、さすが女の勘とやらは鋭い。
けれど惜しい。はずれだ。俺は言葉を選びながら言う。
「俺が家に行ったとき、言ってたろ。ミキは父親に殴られたお前を見て、怖くてしょうがなかったって。卑怯でずる賢いマネを、するしかなくて。だから本当は強いお前が、羨ましいんだって」
「それは……わかったけど。それが?」
これじゃダメか。
ユキが納得するようなミキを助けに行く理由って、他に何があるんだろうか。
「あとこうも言ってた。『ユキはぶたれて、私はぶたれなかった。それが分かれ道だったかも』って。ってことはもしかしたら、ミキがお前になってたかもしれない。お前がミキになってたかもしれない。だとしたらユキだけ助けて、ミキを助けないのはおかしいだろ?」
マジで俺、何言ってんだろうな。我ながら意味不明だった。
でもここはユキを説得するために、なんかそれっぽく言わねーとな。
「……うん、わかった。ミキを、守ってあげて」
ユキはうなずいた。
マジか。いまので通るのか。
「……って言ってほしいんでしょ?」
ユキの目はじっと俺を見上げていた。まるで俺の考えを見透かしているかのようだった。
「ほんとうは、ミキにとられたくない。ナイトくんがわたしよりミキのこと、好きになったらいや」
俺はとうとう吹き出した。
手を伸ばして、彼女の髪を優しく撫でていた。ごく自然に。
「ユキのそういうとこ、好きだよ」
心からそう思えた。それでこそユキだ。
取り繕ったきれいごとなんかよりも、汚くても彼女のように素直な方が、気持ちは伝わってくる。
だから俺も正直に言うことにした。
「お前には、本当のこと言うよ。こいつは俺が、俺の自己満のためにやることだ。大丈夫だよ、俺は自分のことしか考えられないクソガキだから。どっかの主人公みたいに誰かを助けるために自分を犠牲にするなんてことはしない。だからミキが一番になったりなんかしない」
ユキはぽかん、とした顔で聞いていた。
きっと理解できていない。理解してもらおうとも思ってない。理解しようがないだろう、なんせ俺自身が一番わけわからなくなってるんだから。
返事を待たずに俺はハンドルを巡らせ、チャリに飛び乗った。
後ろから何事かユキの声が聞こえたが、俺は振り返らずに、めいっぱいにペダルを踏み込んだ。
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