第44話

 放課後になると、俺はまっさきに帰り支度を始めた。

 このあと教室では文化祭の話し合いやら準備があるらしいが、俺はいなくても何も問題はない。

 席を立とうとすると、同じくカバンを担いだやつが前から近づいてきた。

 

「なあ、今日ほんとに行かね? 観戦だけでも」


 スマ彦だ。観戦というのは例の姫ロワというやつの話。昨日から人の顔を見るたびにずっとこんな調子だ。


「しつけえな、行かないっていってんだろ」

「姫も来るっぽくてさ、みんなテンション上がってるらしいんだよ」 


 最後まで聞かずに、俺は席を立って教室を出た。まだ人の少ない廊下を足早に進む。それでもまだ、「なあ、おい」と背後をついてくる気配がする。

 いい加減にキレそうだ。俺は足を止めて振り返ると、睨みつけながらいった。

 

「だからなんなんだよ、てかお前はなにがしたいの? そんなことして」


 そもそもの行動原理がわからない。そんなことしてなんの得があるのか、意味があるのか。

 意外な返しだったのか、スマ彦は目をそらして口ごもった。しかしすぐに意を決したように、


「それはお前、あれだよその……オレは、も、モテたいんだよ」

「は?」

「ほらこう、裏事情に詳しくてさ、危ないことにもちょっと顔突っ込んじゃってるふうな?」


 真剣な顔で言われた。

 盛大にため息が漏れて、肩の力が抜ける。本当にそれだけらしかった。バカはバカなのだが、やっぱりどこか憎みきれない部分がある。

 

「お前さぁ……バカだろ」

「なに? オレもあいつらと同類と思ってた? まあ一応下手に出てやってるけど、オレもさ、さすがにどうかと思ってるよ? ああいうの」


 ごちゃごちゃと弁解を始めた。

 話半分に聞き流しながら、ふたたび歩き出す。スマ彦はぴったり横をくっついてくる。

 

「なあ、こうなったら白馬の王子様路線で行くか。ここで姫を助けに行ったら、絶対惚れられるだろ」

「はあ?」

「だってよ、あんなゴリラと姫が付き合います、ってなったらさすがに胸糞じゃね? あいつミキちゃんの処女奪ったとかって吹いて回りそうだし……そういうの絶対聞きたくないんだが」


 それはない……と思いたいが、男子便所で叫んでるぐらいだからやりかねない。

 不愉快極まりないが、得てして行動したもんがちみたいなところはある。

 いずれにせよいつかは誰かとそうなる運命だ。仮にその相手が俺だったとしても、こいつは文句言うだろう。 


「それかさ、今から増田とかにチクって現場に特攻させて、全員処分してもらうとか」

「おーいいじゃんそれ、やれやれ」

「でもチクったのバレたら絶対後で殺されるじゃん? だからナイトも一緒に増田のとこ行こうぜ。そんときは守ってくれよ」

「は? 巻き込むなよ、俺は行かねえっつうの」


 そう言うと、スマ彦は急に俺の前に回りこんで立ちふさがった。

 今度は珍しく神妙な顔をしている。初めて見るような表情だ。


「なんだよ?」

「お前さ、そんなやつだったっけ? なんかテンション下がるわ」

「は? なんだと思ってたんだよ、もとからそんなやつだろ」

「いやもっと尖ってただろ、やばそうな先輩にケンカ売ったりしてたじゃん。消火器ぶちまけたのも、ぶっちゃけオレはかっけーと思ったけど」


 今になって何を言い出すのかと思えば。そのときは人のこと、さんざん面白がってネタにしていたくせに。

 俺は視線をそむけながら言う。

 

「それはただのアホだろ。そんなことより俺は今日お楽しみなんだよ。引き止めんなよ」

「は? なんだよそれ」


 顔をしかめるスマ彦を強引に押しのけた。一段とばしに階段を降りていく。

 背中から罵るような声が降ってきたが、俺は振り向きもしなかった。

 




 まばらな生徒たちの影に混じって校門を出る。

 外でユキと落ち合った俺は、まっすぐ家への道のりを歩いていた。

 チャリを押しながら、ユキの歩調に合わせる。焦らず急がず、いつにもましてゆっくりなペース。


 ユキはというと、少しだけ様子が変だった。

 いつもは放っておいてもべらべらしゃべりだすのに、今は元気がないというか、やけにおとなしい。俺は隣を歩くユキに声をかける。


「どした? なんかおとなしくない?」

「ん……ほら、ナイトくんから誘ってくれるのって、初めてだし……」

「あれ、もしかして緊張してんの?」


 脇腹をつついてやると、ユキはびくりと体を硬直させ、面白いように顔を赤らめた。べしべしと俺の肩を叩いたあと、またおとなしくなる。しばらくして、

 

「……あ、あのね。乱暴なのはだめだからね? ちゃんと優しくね?」

「わかってるって。じっくりねっとり優しくするから」

「ヘンタイオヤジじゃん」


 いつもの軽口が返ってくる。少し調子が戻ってきたらしい。

 ユキは不思議そうに首を傾げてくる。


「でもあれだけ拒んでたのに、どうしたのかな急に?」

「別に。なんかもう、どーでもいっかなって」

「どーでもいいって言うな。どーでもいいってなによ」

「やっとユキのかわいさに気づいた」

「遅いねぇ、タイムラグすごいねぇ~。にしても、やっとわたしと付き合う気になったんだね」

「いや付き合うとは言ってないけど。とりあえずやってから考えようかと」

「は? サイテーなんですけど?」

「大人はいちいち付き合ってくださいとか言わないんだろ?」

「は~? ガキがなに言ってるの~?」

 

 たわいもないつものやりとりだ。けれどこうしていると、ずいぶん気が紛れる。今はとにかく一緒にいてほしい気分だった。一人でいると、考えがおかしな方へおかしな方へ向かう。


「別にそういうことしなくてもいいけどさ。たまにはお姉さんに甘えたいなって」

「あ、そう? お姉さんにかわいがられたい? その場合はわたしの言うこと全部聞くんだよ?」

「おっぱい吸いたい」

「やる気じゃん。どういうプレイする気?」


 そんな会話を繰り返しながら、歩道を進んでいく。前にも後ろにもちらほら同じ学校の制服が歩いていて、なんだあのバカップルは、とか思われているかも。

 でもまあ、それも悪くない。

 

 しばらくして、十字路の赤信号で立ち止まった。

 斜め前の横断歩道を、小学生らしき子どもたちが手を上げながら歩いていく。

この時間に見かけるのは珍しい。課外授業かなにかだろうか。


「みんな偉いねぇ」

 

 隣でユキの声がした。聞こえていないわけではなかったが、俺は相槌すら打たなかった。

 子どもたちが横断歩道を渡っていくさまを、ただ眺めていた。黄色い帽子を被っていて、背丈は大小でこぼこだった。少し蛇行しながらも、きちんと白い線の上を進んでいく。

 俺はその列から、いつしか目が離せなくなっていた。

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