25. 決別

 明けて金曜日。古庄こしょうはすっかりいつも通りに戻っていて、やかましかった。

「昨日のパフェ超ヤバかったよねー」

「ねー」

「てか英語の課題やった?」

「は? なにそれ。知らないんだけど」

「あーあ、かえで終わったわ。2日続けて怒られるんじゃね」

「いやいや、嘘。まじ?」


 古庄があわてて机の中をあさる。奥底から取り出したプリントはぐちゃぐちゃだった。

「うわ、ボロボロじゃん」

「今からやって間に合うかな?」

「量的に無理じゃね?」

「はーもー最悪……ねえ真希奈まきな、ちょっと相談なんだけど、宿題見せてくれない?」

「えっ? えっと……」

 甲斐かいのことだ。また「宿題は自分でやらなきゃ身に付かない」とか考えているのだろう。


 昨日の昼休みににた居心地いごこちの悪い無言の間が生まれる。

「ちょっと、なんで真希奈ちゃんなのさ。うちらの解答じゃ不服ってわけ?」

 沈黙を嫌った1人がわざと明るい調子でおどける。

「いやだってあんた字汚いじゃん」

「うっわひどすぎ」

「あっ、あの、これプリント」

 その間に甲斐は自分のプリントを取り出して古庄の机に置いた。


「いいの?」

「うん。合ってるかわかんないけど、使って……」

「さっき微妙な感じだったから見せてくれないのかと思った」

「いや、あれはその……宿題持ってきたかなってちょっと考えてて」

「ふーん。まあなんでもいいよ。ありがと」

 甲斐の不出来な言い訳にあきれた様子の古庄だったが、それ以上追求することはなかった。とりあえずはプリントを写すという作業が優先ということだろう。


 昨日の出来事も相まって甲斐と古庄の関係性が少しずつ、変容してきているように思えた。



 ———————————————————————————————



 その放課後、甲斐は初めて文芸部室を訪ねた時と同じくらいよそよそしい態度でやってきた。

「おじゃまします」

 この前、椎菜しいな先輩がもたれかかったせいか、扉の立て付けは今まで以上に最悪なものになっていて、甲斐は最初の頃よりも開けるのに苦労していた。

 俺はそれを助けることもせず、じっと座って彼女の入室を待っていた。今までだって何度も開けてきた扉だ。今更わざわざ手伝いに行くのは逆に不自然なはずだ。


「お待たせしました」

「いや、こっちこそ他の部員が帰るまで待っててもらったわけだからおあいこでしょ」

「今日は楓ちゃんたちも寄り道しないみたいだったから助かったよ」

「寄り道に誘われてたらなんて答えるつもりだったんだよ」

 いつもは思うだけで口にしないことまで今日は言葉にしてしまう。


「えっ……いや、それは……考えてなかったけど……」

「昨日の昼休みもそうだけど、下手に考えて微妙な空気作るくらいなら素直に本音言うか割り切って嘘つくかしたらどうだよ。そうやって今まさに都合の良い発言考えてますって透けて見えるから古庄とも微妙な感じになってるんだろ」

「それは……そうだけど……」

「この前までそんなにぎこちなくなかったでしょ。話題の問題ってのもあるかもしれないけど、何かあったの?」

「だって、ほら、うまくやらないといけないから」

 うまくやらないといけないという甲斐の言葉が引っかかる。つい最近同じことを甲斐が言っていた気がする。


「うまくやるってさ、甲斐らしくないじゃん。どうしたんだよ」

赤嶺あかみねくんが……」

「俺?」

 なんでここで俺の名前が出てくるというのか。まさか土曜日に俺から責められたことを引きずっている?

「早く楓ちゃんと仲良くなって大丈夫ってところ見せないと赤嶺くんが1人に戻れないでしょ」

 ああそうか。土曜日、気まずい空気の中で甲斐が話していたことを思い出す。まさかあれが本気だったとは夢にも思わなかった。


 甲斐は根本的に勘違いしている。俺は1人に戻りたいが、だからといって甲斐からほどこしを受けるつもりはない。

 そもそも、それでこうして無駄にヤキモキさせられたんじゃ本末転倒だ。


「あの時言ったよね。俺のことは気にしないでって」

「でも……」

 甲斐の煮え切らない態度に腹が立つ。

「そんなに俺のためにって思うなら自分の思いとか気にせず同調すればいいんじゃないの?」

「それは嫌だよ」

「じゃあ俺のことなんて気にせず言いたいようにいえばいいじゃん。ていうか、俺のためとかそういうのなかったら甲斐の発言は何か変わったの? うまくいかない理由を俺のためってことにして押し付けられても困るんだけど」

「そういうのじゃない! そうじゃないの……」


 甲斐は今にも泣き出しそうな顔をおおいながら声を絞り出す。

 それを見て可哀想だと思ったが、俺の感情とは無関係に言葉は止まらない。

 むしろどんどん強くなる語気がしんとした部室では収まり切らず、廊下まで漏れ出していたに違いない。


「だいたい、今日の宿題もそうだし、連日の買い食いもだけど、あれって本当に甲斐が目指してた友達の関係性なの? 最初に言ってた一方的な関係性になってるんじゃない? こんな苦労してまで付き合う価値が古庄にあるの?」

「価値って……そんな言い方しないでよ。そんなことない。そんなことないから! 寄り道も本当に楽しいし、宿題も今日はたまたまだよ。楓ちゃん、行きたい大学あるからってよく勉強を教えてるけど、サボりたいから宿題忘れるとかそういうことする子じゃない! 楓ちゃんのこと何にも知らないのにそんなひどいこと言わないでよ……」


「じゃあ、どうすんのさ? いちいちうだうだ悩んで変な空気出してさ。自分曲げてびへつらうか、我を通して1人に戻るかの2択なんじゃないの?」

 本当はもっと選択肢があるはずなのに、冷静じゃない俺たちは目の前の2つしか選べなかった。

「違うってば。楓ちゃんはそんな人じゃない」

「俺からはそうは見えないけどね。だいたい、それをいうなら甲斐だって古庄のことどれだけ知ってるんだよ。自分の意見も言えないような関係性で、言いたいことも言えない仲なのにどれだけわかった気になってるんだよ」


「それは……っ……どうせ私には人の気持ちなんてわからないし、うまくなんてやれないよ。でも側から見ただけでそこまで知ったふうに人のこと悪く言っちゃうくらいなら何もわかんなくていいよ!」

「嫌味はスラスラと出てくるんだから笑えるよ。本当に甲斐は見る目なさすぎるな。なんたって友達作りの相談を知ったふうなことを偉そうに言うだけの俺みたいなやつにしちゃうんだから。迷惑かけるだけかけて最後にそれかよ。本当に無駄な1ヶ月だったわ」

 俺の言葉を受けて甲斐はハッと冷静さを取り戻す。と言うよりはやらかしたことを自覚したようだった。

 やらかしたのはお互い様だが。

「あっ……その言い過ぎた。ごめん」

「いや、もういいよ。それくらい悩まず素直に気持ち伝えたらいいんじゃないの? そうすれば古庄の本性も見えるよ」

「ごめんなさい。ごめんなさい」


 俺は無視してかばんに本をしまう。

「もう帰る。鍵閉めるから出てって」

「えっ……」

「早く」

 甲斐は緩慢な動きで支度をすると部室から出た。俺は鍵を閉めると甲斐に別れの挨拶をする。


「それじゃあ」

「あっ……待って」

 俺は甲斐呼びかけを無視して職員室に向かった。

 こんな最悪な気持ちは中学以来だ。

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