24. 怒りの矛先

 甲斐かいは火曜日に続いて水曜日も古庄こしょうたちと放課後遊びに出かけていた。俺はそれを横目で追ってから文芸部へ向かう生活を続ける。もう甲斐と放課後に集まることもない。

 クラスでの様子を観察するに彼女たちの関係性は良好に見えた。やり取り全てを見ているわけではないが、聞こえる限りは特に上下関係みたいなものもなく、当たりさわりのない会話を繰り広げている。まだ時折ときおりぎこちなさが残る甲斐だが、それを気に留めない程度には古庄たちがおおらかもしくはがさつだった。甲斐が俺と完全に関係をつ日は遠くなさそうだ。


 そう思っていたのに……

 事件は木曜日に起きた。


「おい日直は誰だ!」

 中年男性の野太い叫び声がする。教壇の目の前に位置する甲斐や古庄は驚いて身をすくませた。声の主は現代文教師の竹本たけもと。黒板には前の授業で板書された数式がいまだ残ったまま。日直が授業開始までに黒板をきれいにしておかなかったことに大層ご立腹りっぷくだ。


「あ……あたしです」

 日直である古庄は怯えながら右手を上げた。

「古庄! お前なあ、授業が始まるってのにぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋ってばっかりで、そういうのは自分の仕事をこなしてからだろ! お前のせいで授業の時間がどんどん減ってってみんなに迷惑かけてるんだぞ! 高校生になってそんなこともわからないのか! ほらさっさと黒板消せ!」

 竹本のまくし立てるような怒号に古庄は目をうるませている。


「さっさとやらんか!」

 竹本が黒板を殴りつける。チョークの白い粉が舞う。

 今時こんなにも感情的に怒鳴りつけて、ハラスメントという言葉を知らないのか。あるいはこの教師、直接手を出さなければセーフと思っているのだろうか。怒声も嫌味も止まらない。

 それを背中で受けながらさらし者のように古庄は黒板を消させられていた。

 まあ仕事をこなさずにいたのは間違いなく古庄の落ち度だが、それにしたって竹本も言い過ぎだ。聞いているこちらの気分が悪くなってしまう。


 そう感じていたのは古庄自身も同じだったようだ。


 その日の昼休み、古庄の口からは竹本の悪口が止まらなかった。

「あんなにいう必要ないじゃんかね。目の前にいるんだから声量考えろっての。お前の声の方が他のクラスにも迷惑だって」

「ほんと、かえでの言う通りだよ。まじで騒音だったわ」

「ていうか、あたしを怒ってる時間が1番無駄だから。竹本が黙って黒板消して授業始めてればそれが1番みんなの時間奪わないから。マジで意味わかんないわ」

「それな。ってかあいつ授業もわかりにくいよね」

「わかる。何言ってるか全然わかんない。筆者の気持ち考える前に生徒の気持ち考えてみろって感じだよ。真希奈まきなもそう思うよね?」

「えっ? えー……わたし……わたしはそのー、うん。よくわからない……かな?」


 その問いかけはYes以外の回答を求めていなかった。しかし甲斐は答えを間違えた。


「え? ちょっと真希奈あたしの話聞いてくれてなかったの? ショックなんだけど」

 口調は一見軽そうだが、言葉は冷たかった。

「いや、そういうことでは決してなくて……」

「じゃあどういうことなのよ」

「あのー、うーんと、それは……」

「あーまあいいよ。真希奈はいい子ちゃんだからね。怒られるあたしの気持ちなんてわかんないよね」

「違うよ」

「いいっていいって。あーもう本当にあのクソジジイ腹たつなー」


 古庄がそれ以上、甲斐を問い詰めることはなかった。

 甲斐はホッとした様子で止まっていたはしを動かし始めた。俺の席から表情まではわからなかったが、心なしか後ろ姿はしょんぼりしているように見えた。


 それにしたって要領ようりょうが悪すぎる。ああいう時は深く考えずに話に乗っておけば良い。そうすれば古庄の溜飲りゅういんも下がるだろうに。

 どうせ甲斐のことだから「人の悪口は言っちゃダメだ」とか「竹本先生は教えるのが上手な良い先生だから」とか思っているのだろう。


 かつて甲斐に友達とは利害関係だといた。

 今の甲斐が古庄たちから、望んでいた学校生活という利益を受け取っているのならば甲斐も何かを返さなくてはならない。それができないなら俺のようにコミュニティから外れて、はみ出しものとして生きていく必要がある。


 どっちつかずが1番危険だ。曖昧あいまいな態度をとっていると、そのうち攻撃の対象が甲斐に移ってしまいかねない。かつての俺のようが、真面目な良い子の椅子を”そいつ”に利用されていじめの対象という誰も座りたがらない椅子に座らされたように。


「ほんとイラつくわー」

「こういう時はやっぱ甘いものでしょ」

「じゃあ今日も行っちゃう?」

 古庄たちの会話はストレス発散の買い食いに移っていた。これで4日連続と考えると月の小遣いがいくらなのか気になる。何をしているのか知らないが甲斐の話を聞いていた限り、そんなに安くはないカフェによく出入りしているみたいだった。


「真希奈も行くよね?」

「えっと……うん、行くよ」

「もしかしてあんま乗り気じゃない?」

「いやいや、そういうわけじゃなくてお金が今月ピンチで」

 土曜日に俺と遊びに出かけていなければもう少し余裕も違っていたと思うと申し訳ない。しかし、こうも毎日買い食いをするとは古庄たちの家は金持ちなのか?


 まあそれは良いとしてどうせ行くならあんな反応するべきじゃない。もっと乗り気な感じをだした方が良い。でなきゃ周りの人間に、金を言い訳に行きたくないのを誤魔化ごまかしたやつとして見られてしまう。

 逆に本当にお金がなくて行きたくないなら最初から正直に伝えてはっきり断った方がまだいくらか心象がいいだろう。

 それにしたって今日の甲斐は煮え切らない反応ばかりだ。この間、俺と遊んだ時はもっとスムーズに言葉が出ていた気がする。古庄と話す時の甲斐に俺は違和感を覚えた。


 結局、甲斐はこの日の放課後も古庄たちと教室を出ていった。


 流石にこんなボロボロな姿を見せられては放っておけない。というよりは、うまくやってくれないといつまで経っても俺は甲斐との縁を断ち切ることができない。

 その夜、俺は連絡先を交換してから初めて、自発的に甲斐へ連絡した。


『明日の放課後、時間もらえる?』

 

 放課後、甲斐と過ごすのはこれが最後になるはずだ。

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