04. 機械は涙を流さない

 時計の針はゆっくりだが確実に動いていく。それに引きえ手元の本は相変わらず数ページしか進んでいなかった。時刻は18時10分。図書室が閉まるまで残り20分だ。あと少しでこの退屈な時間も終わって家に帰ってゲームができる。せめてあと3ページくらい読み進めておくか。時計をながめていた視線を再び本に戻す。


赤嶺あかみねくん、ちょっと早いけど片付け始めてもいいかな?」

 気合を入れ直した矢先にこんなことを言い始めるのだから、やはりこいつとは相性が悪いのかもしれない。

「別にかまわないけど……」

 どうして? と聞こうと思ってやめた。聞くのが自然なコミュニケーションなのだろうが、理由は気にならないし聞いたことによって発生する御手洗みたらいとの会話そのものが億劫おっくうだった。


「塾に行かなきゃいけなくて」

 御手洗は聞いてもいないのに答えてくれた。とても俺と話したい話題とは思えないし、彼にとっての適当なコミュニケーションとして理由もえるべきと考えたのだろう。どうやら御手洗も椎菜先輩と同じ塾に通っているらしい。時間が違うのは学年の違いからだろうか。


 それから俺たちは今日返却された本を本棚に戻す作業を始めた。図書委員の仕事は、2人1組で本の貸し出し対応や返却された本を戻すことだ。日々持ち回りで行う定常業務ていじょうぎょうむ月毎つきごとに曜日と時間がシャッフルされる。今月は月曜日の後半、俺と御手洗のペアだ。それとは別に推薦図書すいせんとしょの紹介文を書いたり、定期的な図書通信の刊行かんこうも行なっているが、そういう面倒な仕事をする人間はこうした定常業務が免除めんじょされる。


 仕事をテキパキとこなしながら御手洗は、連休にあった塾の集中講義が1度延期になったからその埋め合わせがあるという椎菜先輩からも聞いた内容や、連休明けだから返却された本の数が多いねとか、望んでもいないのに俺との空白を埋めようとしてきた。

 俺は適当に相槌あいづちを打ちながら、晩御飯の献立とか、どのゲームをプレイするかといった今晩の過ごし方を考えていた。話すこと自体は御手洗自身の自由だから止めるつもりはないが、返事までは期待されても困る。沈黙は金だ。


『みなさん、今日も1日お疲れ様でした。もうすぐ完全下校時刻になります。部活や委員会の方は、片付けを始めてください』


 18時30分になって放送部の校内放送が流れた。

 部活をしているような人たちはこれからクールダウンや片付けをして、19時には校内から出ていかなくてはならない。俺たちも本来であればこれから片付けを始めるはずだったが、今日は早めに始めたおかげで残る本もわずかになっていた。


「御手洗くん、帰っていいよ」

「え?」

「18時半には学校を出たいって言ってたよね?」

 先ほど聞き流していた会話の中でそんなことを言っていたような気がする。

「いいの? まだ本残ってるのに」

「あと少しだし、これくらいなら俺1人でもすぐ終わるよ。塾の方も遅刻したらまずいだろ?」

 それに、この20分の仕事量を考えると御手洗の方がはるかに多くの本をたなに戻していた。早く帰りたい当の本人だから当然ではあるが、それで俺とあいつの仕事量に差が出て来るのは納得できなかった。

「悪いね。ありがとう」

 御手洗はじゃあまた、と手を振りながら図書準備室に消えていった。



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 それからダラダラとたっぷり20分かけて10冊の本を棚に戻す。

 そうこうしているうちに、図書室にいた生徒たちも全員帰ってしまったようで、物音ひとつしなくなっていた。ポケットから図書室の鍵を取り出しながら念のために図書室を一周すると、図書室の最奥に”彼女”はいた。

 本棚にさえぎられて死角になったスペース、遮光しゃこうカーテンの目の前で光も届きにくい薄暗い空間、”機械仕掛きかいじかけの乙女”こと甲斐かい真希奈まきなはその場所で静かに本を読んでいた。


 その姿はずいぶんさまになっていた。耳をすませばページをめくる音が聞こえてくるが、規則的で手の動作も必要最小限だから精巧せいこうなカラクリのようだ。”機械仕掛け”と最初に名付けた人間ももしかしたら本を読む彼女を見たのかもしれない。

 成績トップの彼女は日頃から校内放送も聞こえないほど集中して1人静かに勉強をしているのだろうか。そう考えると声をかけるのがはばかられる。そもそも、あんな美人と会話するなんて相当なプレッシャーだし、ここで粗相そそうをしようものなら明日から俺の席がなくなっているかもしれない。彼女は誰ともつるまないが、誰にでも影響を与えられる孤高の椅子に座る人だ。


 全く気乗りはしないが、このまま時計の針がもう1周するのを待っていられるほど気は長くない。

 意を決して甲斐の隣まで近づくことにした。御手洗みたいな忍足しのびあしではなく、すぐにでも気がついてもらえるようにわざとらしくスリッパをパカパカと踏みつけながら歩く。


 ようやく俺の存在に気がついてくれた甲斐は顔を上げて俺を見ると、とても人間味のある反応を見せた。

「え? ええ? なんですか? あっ、時間! えっ、あっ」

 迫り来る俺が薄気味うすきみ悪かったのか、あまりの狼狽うろたえっぷりに申し訳ない気持ちになる。それにしても機械仕掛けとはかけ離れた人としか思えない反応は俺にとっても予想外だった。もし仮に彼女が本当に機械仕掛けなら、それは大層複雑な仕組みで作られた人類の叡智えいちの結晶かもしれない。


「えーっと、そう、下校時刻だから、申し訳ないんだけど片付けてもらっていいかな?」

 相変わらずあたふたする甲斐は手に持っていた本を隠すように閉じると急いでかばんを持って立ち上がる。

 その拍子ひょうしに、積まれていた本が鞄にぶつかってバサバサと床にぶちまけられた。

「あっ、やば」


 甲斐が落とした本を拾おうとする。俺もそれを手伝おうとしゃがむ。

 当然だ。ここで無視するような失態しったいを犯すほど、演技力にとぼしくはない。伊達だてに1年間文学少年やっちゃいない。

 しかし、今日この場に限っては無視をするべきだったのだ。

 

 俺が拾おうとした本の表紙には『実践! 人付き合いがうまくいく30のコツ』と書かれていた。

 他の本も『相互理解のススメ』とか『自己理解から始める他者理解』とか、人付き合いに関するハウツー本や自己啓発本だらけだった。

 なんでこんな本が高校の図書室にあるんだよ。


 機械が人の心を知ろうとして勉強をしているのならある意味ドラマチックかもしれないが、甲斐真紀奈は通称は”機械仕掛け”でも正真正銘しょうしんしょうめいの血が通った人間なのだ。おそらく。

 だからこそ、この光景こうけいを俺は見るべきではなかったし、甲斐も知られたくはなかっただろう。

 今からでも見なかったことにしたい。それは無理でもせめて何も気にしていない。無関心ですよと甲斐に伝えたい。


 そんな俺の思いとは裏腹に、甲斐は顔を真っ赤にして俺を見つめていた。

 状況が違えば、片思いの相手に告白しようとしている健気けなげな女の子にも見えなくないのだが、この状況ではそんな現実逃避さえ許されない。

「見たよね?」

「……見た」

「そっか……」


 彼女の表情は焦りから悲しみ、諦めへとうつろいゆく。

 こんなに色んな表情ができることを俺は知らなかった。そもそも知ろうとしていなかったが。

 だとしたら、クラスメートはどうなのだろうか。彼ら彼女らは甲斐が見せる喜怒哀楽を知っているのだろうか。俺も今の所、哀の表情しか知らないが、みんな知らないからこそ”機械仕掛け”なんて呼んでいるんじゃないだろうか。


 そしてここに散らばっている本たちが、甲斐はそれを望んでいないことを教えてくれる。きっと甲斐はクラスに馴染なじんで仲間と楽しい学生生活を送りたいのだ。

 俺みたいに自ら距離を取っているわけではない。わかり合いたくてもわかり合えなくて、自然と生まれた距離はどんどん離れていって、必死に近づきたいともがいているのかもしれない。孤高のしかし気高けだかい彼女の椅子はきっと想像した座り心地ではないのだろう。


「赤嶺くん!」

 甲斐の声に現実へ引き戻される。

「あー、俺、別に気にしてないし、ここで見たことを誰かに言うつもりもないから。安心して」

 俺の言葉に甲斐が表情を変えることはなかった。

「ありがとう。誰にも言わないで欲しいって言うのはその通りなんだけど……もうひとつお願いがあるの」

 緊張した面持おももちで、彼女は強くこちらを見つめる。場所が校舎裏ならきっと告白だし、河川敷かせんじきなら決闘けっとうの始まりかもしれない。それくらい、甲斐の表情には気迫がこもっていた。


「お願いがあって」

 嫌だ、聞きたくない。


「私、人の気持ちがわからないの……」

 聞けばきっと同情してしまう。関われば自分の立場がこの椅子が脅かされかねなくなってしまう。


「でも友達が欲しくて……けどやっぱり気持ちがわからなくて……だから人の気持ちを理解する方法を私に教えてください!」

 結局、甲斐の言葉をさえぎすべを俺は持ち合わせていなかった。

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