03. 図書室ではお静かに

 財津ざいつとの約束をたすため真剣に本を読み始めたものの、10分もすれば集中力は切れてしまった。

 黙々もくもくと本を読み続ける財津の邪魔じゃまをするわけにもいかず、再び本に視線を落としては、すぐに顔を上げてちらちらと時計に目をやる。適当な理由をつけて帰ってしまいたいところだったが、今日はこの後に委員会の仕事をひかえているからそうもいかない。


「先輩、時間……大丈夫ですか?」

 しきりに時計を確認する俺の様子ようすに気がついた財津がいかけてきた。

「ああ、そろそろ行かないとかな」

 本当なら委員会の時間まで余裕はあったが、このままここで本を読むのはとてもえられなかった。まさかここまで集中力がないとはわれながら情けない限りだ。


「それじゃ、私も行きます」

 本をかばんにしまって立ち上がった俺をうように、財津も帰り支度じたくを始めた。

「もう帰るの?」

「いえ、あの、本を借りに図書館へ……えっと、さっきの先輩の本を」

「ああ、そういうことね」


「そ、それじゃあ、私は部室のかぎ職員室しょくいんしつに返してから行きます……先輩、お仕事頑張ってください」

 部室の前でそれだけげると、俺の返事を待たずに財津は廊下ろうかを走って行ってしまった。ける速度そくどは意外とはやく、このしずかな廊下につかわしくないドタバタとした音がひびく。

 よほど本の感想をかたり合うのが楽しみらしい。それが彼女ののぞむ文芸部なのだろう。だとすれば、やはりここはそういう場所ではない。たった一度だけ彼女の夢を叶えることは本当に良いことなのだろうか。

 俺は部室のとびらを確かめるように引いてみたが、鍵はしっかりとかかっていてけっして開くことはなかった。



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 図書としょ準備室じゅんびしつに入ると机の上にはリュックが2つ並んで置かれていた。


 俺はリュックのはすかいに鞄を置いて図書室とつながる扉の窓をのぞく。

 扉をかこうように設置されているカウンターでは女子生徒2人がぺちゃくちゃと楽しそうに笑っていた。図書室はいつも通り人がほとんどいないが、まばらにこしけている生徒たちの何人かは迷惑めいわくそうにカウンターをにらんでいる。

 彼女たちは自分がどう見られているかが気にならないらしい。

 あるいは考えたこともないのか。


「あれは良くないね」

 突然とつぜん背後はいごから声がして俺は声にならないさけびと共に扉に足をぶつけてしまった。

「ああごめん、驚いた?」

 後ろに立っている男は俺より少しだけ目線が高く、短く切り揃えた髪をワックスでととのえている。顔立ちも悪くないし、細身ほそみだが頼りなさはなくむしろ自信があふれ出ているようにさえ見える。

「うん……まあ……そうだね」

 驚いた? じゃないだろ。音も立てずに人の背後に忍び寄るなんて趣味が悪すぎる。そもそもこいつとはあまり性格が合わないというか、相性が悪い気がする。それもあいまってみ上げる不快感ふかいかんを俺はなんとか押し殺す。


「本当にごめんね。悪気はないんだ。ちょっと注意してくるよ」

 そいつ、御手洗みたらい孝光たかみつは俺のとなりをスッとくと図書室へ入って、そのまま女子生徒たちと会話を始めた。

 御手洗はいわゆるクラスの人気者だ。部活には属していないが広い交友関係を持っているが、けして誰かにびるようなことはしない。むしろ間違っていることに対しては真正面から違うという強さがあって、今だってそれを披露ひろうしているところだ。

 そういうところがなんとなく嫌いだ。


 一部始終いちぶしじゅうを見る気にはなれなかったので俺は扉から離れて壁に貼られていた推薦すいせん図書の紹介文を眺める。


 俺がプリントの左上から右下まで斜めに2往復する頃に女子生徒2人は図書準備室へ入ってきた。

 2人はどこかバツが悪そうにこちらを見ることもせず、リュックを背負うと小声で挨拶あいさつしながらそそくさと図書準備室を出て行った。

「まだ交代まで5分あるのに」

 俺はかべにかけられた時計の時刻を見てぼやく。

 面倒だが仕方ない。2人が出て行ったことを知っていながら時間前だからと杓子定規しゃくしじょうぎ待機たいきするのも気が引けるので俺は図書室へ入って御手洗の隣に座った。


「まだ5分前だからゆっくりしてていいのに」

 うるさい図書委員を注意してそのまま仕事を引き継いだであろう御手洗は、まるで自分にがあるかのように気遣きづかいを見せた。

「5分くらいなら誤差だよ」

 俺は御手洗の顔を見ることもせずに財津との約束の本をまた開く。


 本当に誤差だ。図書委員として貸し出しカウンターに座って本を読むのも、準備室で聞いたこともない本のあらすじをななめ読みするのもどちらにせよ俺にとっては退屈な時間だ。

 ならば5分前でも顔を見せた方が御手洗からの心象しんしょうもいいだろう。こいつからの評価を上げること自体には何の価値もないが、評価を下げることはどこの誰であってもけられるなら避けておきたい。


 御手洗との会話は続かず、俺は再び本を読み始めた。しかし、場所を変えたところで読んでいる本の内容は変わらない。ページを3つめくったところでまた飽きてついつい顔を上げてしまう。すると本棚のすみから財津がこちらに顔をのぞかせていた。目が合うとペコリと頭を下げてこちらに向かってくる。心なしか早足で、スリッパのパタパタという足音が立つ。それに気がつくとすぐに立ち止まって申し訳なさそうにこちらに頭を下げると、今度は必要以上にゆっくりと歩いてきた。


 財津の一部始終を微笑ほほえましくながめていたのに、隣から向けられる不快な視線がそれを相殺してくる。

「彼女?」

「そんなわけないでしょ。部活の後輩だよ」

「そんなわけないことないと思うけど……赤嶺あかみねくん何部だっけ?」

 いったいどこをどう見たら財津が俺の彼女に見えるのか。ちょっとしたしげな仕草を見せただけでれたれたの話に持っていくのは俺にも財津にも失礼だ。

「文芸部だよ」

「そっか」

 苛立いらだちが合わさったぶっきらぼうな返答に対する御手洗の相槌あいづちもそっけないものだった。


 やらかしたか?


 教室のはしで息をひそめる文学少年は御手洗のような優等生に盾突たてつきはしない。慌てて確認した御手洗の表情は実にさわやかな笑顔だった。

「お客さんだよ」

 そう言って御手洗が目で合図した先には財津がいた。


「すみません……お取り込み中でしたか……?」

「ああ、いや、全然。むしろ見ての通り暇だったから大丈夫だよ」

「よかった……」

 財津の言葉には心がこもっている気がする。なんとなくそう思う。


「これ、お願いします」

 財津が差し出したのは一冊の文庫本で、それは俺のお守り代わりの本と同じタイトルだ。

「本当に借りてくれるんだ」

「もちろんです! 先輩の読んでる本、私も興味があるので……」

 心がこもっているからこそ、彼女の言葉は素直に受け取れる。常に演じてその場しのぎ、つぎはぎだらけの言葉しか発しない俺にはもったいない。


 彼女の純粋じゅんすいな言葉に思わず口角が上がりそうになるが、御手洗にそれを見られるとまた揶揄からかわれるような気がしてぐっとえる。それでも嬉しいものは嬉しいから、御手洗に見えない左側だけ表情を緩めることにした。

「俺も財津と感想話せるの楽しみにしてるから」

 自然に生まれた半分だけの笑顔を顔全体へ広げていくが、笑顔の面積が広がるたびにどこか作り物じみていく気がした。貸し出し処理を終えて財津に本を渡す頃、俺の表情はすっかりその場で求められる笑顔に変えられてしまっていた。


「それじゃあ、お仕事頑張ってください」

 大事そうに本を抱いて図書室を出る財津を俺はぎこちなく見送った。


「文芸部って今の子以外にも部員は多いの?」

 あまりに自然と話題を戻すから、御手洗が何の話をしてきたのかすぐには理解できなかった。

「……部員。ああ、部員は今の後輩と先輩が一人ずつで3人だよ」

「そうなんだ。普段はどんな活動してるの?」

 多分俺の会話が下手だから、御手洗は色々と話を広げられるように質問をしてくれているのだろう。だけど俺にはそれが尋問を受けているように感じられて、ひどく居心地が悪かった。


「あまり話してるとさっきの後輩を注意した示しがつかないんじゃない?」

 つまらない事実陳列ちんれつに対してつまらない質問を重ねる生産性せいさんせいのない会話なんてしていられない。多少トゲがある言い方になってしまったが、場面を考えれば許容きょようされるんじゃないだろうか。


 御手洗も納得したように頷いた。

「ごめんな。じゃあここからは真面目にしっかり働くか」

 そうは言っても頑張るほどの仕事も真面目に働くような場面もこの空間には存在しない。

 ほとんど来ない貸し出し申請への対応と、下校時刻が来たら返却された本を棚に並べ直す作業。ただそれだけだ。

 俺は御手洗の言葉に返事はせず、本に再び目を落とした。


 それから、やはり無視は感じが悪い気がして首を一度だけ小さく上下させた。

 さっきまで読んでいたはずのページなのにその内容は全く記憶になく、数ページ前に戻っても話がつながらない気がした。ようやく見つけた見覚えのあるページは部室を出る前、最後に読んでいたページだった。


 これで周囲に文学少年だと思われているのだから面白い。乾いた笑いが出てくる。

 俺の演技力がよほど高いのか、周囲の人を見る目が節穴ふしあななのか。残念ながら後者だろう。

 世界はやはり、上部うわべだけなぞりあって回っているのだとよくわかる。


 下校時刻までまだ一時間もある。

 俺は図書室で過ごした時間を全て無かったことにするように、本のページを戻して読み始めた。

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