第2話 信玄西へ

 元亀四年二月、前年に三方ヶ原の戦いで徳川家康に勝利した武田信玄は、出陣したまま年を越し、三河国の野田城を攻略した。

 「これで家康は、挑んでは来んでしょう」

 武田家の筆頭重臣である山県昌景は信玄へ誇らしく言う。

 三方ヶ原で家康率いる徳川軍を打ち破り、野田城を攻略して三河における徳川家の支配力を削いだ。

 ここまで徳川家を叩いたのだ。

 家康が反撃する事はないだろうと。

 「これで心おきなく、信長を討てる」

 信玄は次の段階へ向かおうと決心する。

 武田信玄と織田信長は同盟関係にあったが、二年前に信長が起こした比叡山焼き討ちに信玄は怒る。

 信玄は戦国大名であると同時に、出家した僧でもある。

 仏教に帰依する身である信玄にとって、比叡山焼き討ちは許されざる事だった。

 更に信長との関係が悪化した足利義昭が、各地の諸将へ信長討伐を命じる文を送る。信玄はそれを受け取り、大義名分が立った事で信長との戦に臨んだ。

 その初手として、徳川家康を叩く事は成功した。

 今度は信長と直に戦う時が来たのだ。

 「すぐに陣容を整えよ、尾張へ向かう・・・ぐっ・・・」

 信玄は突然呻きながら深く俯く。上半身を折るような姿勢は誰の目にも異常が起きたと理解できる。

 「御館様、甲斐へ戻りましょう」

 昌景は信玄の倒れそうな身体を支え、帰ろうと言う。

 「そうはいかん・・・戻れば、二度目は無い・・・」

 信玄は身体を起こしながら、帰還を拒む。

 「御館様の身体は武田家の為にあります。どうかお考え直しを」

 昌景はそれでも説得する。

 「武田は四郎が・・・勝頼が、おるではないか。ワシはこの戦に・・・残る力を使い果たすのだ」

 信玄の目を昌景は見た。

 双眸に宿る気迫に、昌景はもはや異論を出せなくなった。

 「承知しました。信長を討ち果たすまで、戦しましょうぞ」

 昌景は信玄の最期を陣中で看取る決心をした。

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