村の日々
ザザ…ン……ザァ…
定期的に寄せては返す波の音に集中してボゥっとしていれば遠くから父の声が聞こえてくる。
目を開けば真っ赤な夕陽が海に溶けていくところであった。
ゆっくりと立ち上がり、尻についた砂を軽く叩いて落とすと草履を履かずにそのまま手に持って父の方へ歩いていく。
海風がだいぶん冷たかったせいか手足は冷たくなっていて、急に寒さを感じてぶるりと身震いをした。あぁ、今年ももうすぐ冬が来るなぁ。
父の元へ辿り着けばそのまま歩き出す父の背中を追いかける。爪の間に入ってしまった砂がちくちくして擽ったかった。
「何してたんだ?」
父が振り向くことなく、けれども今日は一体息子がどんなことしてたのか。また突拍子もない面白い話を期待した声で聞いてきた。自分には全くそんな自覚はないがボクのやることは突拍子もなくていつも聞くのが楽しみらしい。父はボクを迎えに来た時は決まって帰り道でその話を聞かせろと言い、夕飯の時に母に面白おかしくそれを聞かせては母を笑わせていた。
ボクはというと、そんなに面白かったのかしらと首を傾げながら母にも詳しく語って聞かせてやり、夕飯に出てきた汁をズズと啜るのであった。
「海岸の砂の粒がいくつあるのか数えてたよ。」
「また今回も途方もない事してるなぁ。一体いくつあったんだ?」
「まだかぞえ終わっていないけれどきっと百はあるぜ、きっと!」
自信満々にそう答えると父はクツクツと喉の奥で笑い声を噛み締めながらそりゃあ沢山だなァと言い、少し雑にボクの頭に手を置きそのまま撫ぜる。
「よし、家まで走るぞ!競争だからな!」
よぅいどんとばかりに父はそんな宣言をして唐突に全速力で走り始めた。ボクはというと突然の父の大きな声にびっくりして「へ…」と間抜けな声を出し、一拍遅れてズルいッ!と抗議をたてながらジャリジャリで砂まみれの裸足のまま草履を片手に走り出した。
父は大人気なく全速力で走っていて、まだ八つの子供であるボクの足では到底追いつくことなどできないだろう。そのうちぽつりぽつりと家が増えていき、あっという間に村へ着いた。通りすがりにボクと父が追いかけっこしているのを見て村の人たちは、「頑張れー」だの「元気だなぁ」だの微笑ましそうにこちらを見ながら声をかけてきたが、父を追いかけるのに夢中なボクはそれには応えずハァハァと息を切らし心臓をバクバクと脈打たせながら駆けていくのであった。
次の日の朝。
結局追いかけっこには勝てなくて不貞腐れて夕飯も食べずに寝てしまったせいか、目が覚めるとお腹がぐぅっと鳴った。母が朝ご飯を作っている最中であろうか、台所の方から味噌汁の良い匂いが漂ってくる。
木枯らしが吹くようになった季節の朝はなかなかに寒くてほんの少し身を起こした時に布団に入り込んだ外気にヒャッとなってまた布団の中に頭ごと逆戻りした。そのまま自分の体温で温まった布団に守られながらぬくぬくと二度寝へ移行しようとしたところで己の腹から抗議の音が聞こえてくる。ゔぅ〜と唸り声をあげ、ひっくり返った芋虫のような動きでうぞうぞとしながら布団から顔だけ出すと厨の方にいた母と目が合った。母はそのまま手拭いで手を拭きながらこちらへ寄ってくると、にやにやとイタズラっぽい顔で笑いながら、
「弥四郎さんはまだ起きてこないのかしら?せっかく美味しいお味噌汁ができたのだけど、お父さんと二人で全部飲んでしまおうかしら?」
と言いながら枕元にしゃがんでボクの顔を覗き込む。真に受けたボクが全部飲まれては大変だと慌てて布団から這い出たところで母に後ろから抱き込まれた。
「ふふ、やっと起きてきた。お寝坊さんは顔を洗ってらっしゃい。」
ボクをぎゅっと抱きしめてうりうりとほっぺを突きながらそう言うと母はそのまま立ち上がってまた厨の方へ戻っていく。
急いで布団を畳んで仕舞い、そこらにあった手拭いを引っ掴んで家の裏の方にある雨水を溜めている水がめの方へ走っていった。乱暴にゴシゴシと顔を拭っていれば後ろから同じように顔を洗いに来たらしい父が、
「そんなに乱暴に擦ったら痛いだろう。」
とボクの持っていた手拭いを取り、水に浸して絞ると優しく拭いてくれた。その後自分も洗顔を済ませた父に脇の下に手を入れられ、よっと言って持ち上げられながら家の中に運び込まれる。ぷらーんと首を掴まれた猫のごとく大人しく運ばれて家に入れば朝食の用意が済んでおり、ぷらーんとしているボクを見て母があらあらと言いながら笑って白米をよそっている。朝食の匂いを嗅いで腹からまたグギュルル…と盛大な音を鳴らしたボクを朝食の前に下ろして父も母も自分の食事の前に座った。三人で揃っていただきます!と元気よく挨拶をして箸をとる。
今日の献立は焼き魚と根菜の煮物とわかめの味噌汁だった。
魚の身を解して口に運べば、塩味の効いた身がほろほろと口の中で崩れていき思わず頬が落ちそうになるほどうまい。母の作る料理は何を食べても本当においしいのだ。
「おかわり!」空になった茶碗を差し出してニカッと笑いながら言えば、はいはいと笑顔で受け取った母にご飯を盛り付けてくれる。
「今日はどうするんだ?」
「えぇとね、お千ちゃんと山に行って木の実を取ってくる!」
「もう冬になるっていうのに相変わらずだなぁ……。」
呆れたように言った父は苦笑していたが、ボクが目を輝かせながら興奮気味に話すのを聞くとしょうがない奴めとでも言いたげに頭を撫でてから、「気をつけて行ってこい。」と言ってくれた。
「うん!行ってくる!!」
そう言って元気いっぱいに返事をしたボクはそのままご飯を口にかき込んでいく。その様子を見て母はニコニコと楽しそうにしていた。
ごちそうさまをして食器を流し台へ持っていき、玄関で草履を履いていると父が見送りに来てくれる。
「あんまり遅くなるんじゃないぞ。」
そう言って心配そうな顔をした父に、ボクは任せておけと言わんばかりに胸を張って腕を組みながら大きく一つうなずくと、父は仕方なさそうに微笑んで「行ってらっしゃい。」と見送ってくれる。
「いってきまぁす!!!」
そう言って家を飛び出した。お千ちゃんの家に向かうとちょうど彼女は家から出てくるところであり、こちらに気づくとにこやかに手を振ってくれていた。
彼女の元へ着くなり早速と言わんばかりに彼女の手を取り二人して元気よく山の方へ続く村の抜け道を駆けていく。
山の中を走り回って夢中で木の実を集めていたのだがしばらくすると小雨が降ってきた。すぐに本降りになってあっという間にびしょ濡れになって二人してアハアハ笑いながら大きな木の根元に避難して雨宿りをすることにする。
「あーあ、降ってきちまったね。」
服が体に張り付いて気持ち悪いが、雨の勢いはどんどん強くなるばかりなので仕方なくこのまま待つことになった。父に行き先を伝えてきたからきっと迎えにきてくれることだろう。
もう冬がすぐそこまで来ているこの時期に雨に濡れたボクらは最初こそ笑っていたけれど、どんどん奪われる体温に口数も少なくなっていく。
「やしろー、大丈夫?もっとこっちに寄っといで。」
お千ちゃんが手招きし、二人で体をくっつけて暖を取った。好きな子(一つ上の彼女はボクの初恋の人なのだ)とくっついているなんて普段だったら顔を赤くしてはわわ…としているところだが、今はそんな場合ではなかった。
ポツリポツリと話をしていたボクらだったが、ついに限界を迎えたらしくお互い無言になりただひたすら寒さに耐えていた。どのくらいそうして震えていただろうか。意識も朦朧としてきた頃、不意にざあざあと降る雨音以外の音が聞こえてきてそちらの方を見れば、傘をさして立っている人の足元が見えた。
その人はボクらの姿を見ると少し慌てたようにザリザリという足音を立てながら寄ってきて、脱いだ羽織で包み込んだ。
「あー…、お取込み中?」
ボソボソとした低い声が頭の上から聞こえる。聞き覚えのある声に意識を向けるが視界は既に霞んでいて、ぼうっとした頭ではよく分からなかった。包まれた温もりにしだいに瞼が重くなっていき、ボクらはそのまま意識を手放した。
次に目を覚ました時には布団の中に居て、横には同じ布団で眠るお千ちゃんが見えた。体を起こそうとすると、くらんと眩暈がしてそのまま後ろに倒れ込む。頭はふわふわしていたが足元から何かが這ってくるようなゾワゾワした気持ち悪さがあった。自分がどうしてここにいるのかてんで分からないが、お千ちゃんと山に行って雨に降られたことまでは覚えていた。
ガラガラ……ザ…ジャリ……
頭の上から戸が開く音と誰かが入ってくる音が聞こえてきた。重い頭をなんとか持ち上げて戸の方へ目をやると、ポタポタと垂れる雫を払いながら傘を畳む人物が目に入った。
「しーくん。」
その人物の名前を呼ぶと彼は傘を立てかけて左足を引き摺りながら布団が敷かれている場所まで寄ってきた。寝転がったまま見上げると随分高い位置に顔があって、光の加減で表情は全く見ることができない。彼はそのまま布団を通り過ぎると後ろの方でガサガサと何かを取り出して今度は枕元へどかっと胡座をかいて座った。
「なに…駆け落ちでもすんの……」
彼は目線を合わせるとボソボソと覇気の感じられない空気の抜けたような喋り方でそう問う。彼は話す時必ず目を見てくるのだった。それでいて目線を合わせるためにしゃがむなんて事はしてくれず上からじぃっと見下ろしてくるので、初めの頃はこのお兄さんがとんでもなく怖くてビクビクしたものだが、今ではそれにも慣れた。
「かけおちってなに?」
「あ、知らねんならい。」
そう言って彼は意味を教えてくれなかった。
「えぇ…教えてよぅ。」
「…………。」
「ねぇ。」
「…………。」
「教えてよー。」
「…………。」
「しーくん!」
「………………うっせ。」
口に何かを放り込まれた。なんだと舌先で転がしてみるとほんのりと甘くて硬い粒がカラコロと音を立てて歯に当たり、それが金平糖だと分かった。
ちいさなそれはくらくらした頭の中にすうっと優しく溶けていくようでとても美味しい。
「ね、もいっこ。」
着物の裾を軽く引っ張りながら強請ると、いつもの「厚かまし…」という言葉と共におでこをピンと弾かれた。
「あでっ。」
「それ食って寝ろ……クソガキ。」
そういうと口の中に金平糖が放り込まれ、彼のゴツゴツと骨張った大きな手が顔を覆った。視界が塞がれたのと少しだけ冷たくて気持ちのいい人の温度に頭がふわふわとしていたボクはあっという間に夢の中へ旅立っていく。
口の中に広がる甘い金平糖にしい君と出会った時のことを少し思い出していた。
神様の日記 長篠 和ノ @ngsn_3
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