第8話 ズイズイ空風さん

 約束の時間。俺は車を駐車場に停めて店前に行くと、既に空風さんは水色長袖パーカーに白のロングスカート姿で待っていた。そのたたずまいは、どんな男性を恋に落としてしまう一枚絵のようだった。

 大人びた綺麗さに一瞬足が止まりかけたところに、空風さんがこちらに気が付き、微笑みながら手を振ってきたので、反射的に返してなんとか平静さを保つ。

 

 「は、早いね空風さん。まだ十分前なんだけど」

 『はい! 押野先輩とラーメン食べるのがとても楽しみでしたので!』

 「んっ!? 」


 息が詰まった俺を不思議そうに覗きこんでくる。無自覚なのか? 魔性の女なのこの人? 

 落ち着け。ラーメンが楽しみだっただけだ。俺がメインな訳じゃないんだ。そもそもこれはデートじゃないんだ。

 これは勘違いする人が出てきても不思議じゃないわ。

 無自覚に人に好きを芽生えさせる能力を持っている。 

 まるでミウミウだな。

 思い出せ、ミウミウの愛おしさを! 可愛さを! 

 我が最強の推しの思い出すことで感情を収めた俺は、空風さんがこちらを全体的に眺めていることに気が付く。


 「えーと。空風さん? 何か変な所でも?」

 

 そう聞くと、空風さんは首を振りながらタブレットに書き込んで見せてくる。


 『先輩の私服ってとっても大人っぽくてカッコいいと思って!』

 「ヒュ………」

 『先輩!?』

 「あ。あぁ、悪い。言われ慣れてないから心肺停止しかけた」

 『生きて…蘇生いります?』

 「大丈夫。肉体を再構築したわ」

 

 ……この流れ。ミウミウの配信でいつもやってるな。

 ついに現実でも自然に出るようになってしまったか。

 ……この空風さんの返し…。

 

 店から顔見知りの赤髪の女店員が出てくる。


 「お、らっしゃーいませ! 今日は………え。彼女? 」

 「ちがいます! 職場の後輩ですよ!」  

 「ですよね。高理江たかりえちゃんもそう思いました。」

 「店変える前に席に案内した方が良いですよ」

 「二名様ごあんなーい!!」

 

 物凄い切り替えの早さで、女店員は俺たちを席に案内する。俺たちのやり取りを横からポカンと眺めていた空風さんが誤解を招かぬように補足しよう。

 

 「あの店員は仲いいとかじゃなくて、うちで働いてた元上司、高理江たかりえさんだ」

 『えっ!?』

 「セクハラ発言で窓際部署送りになった挙句に宝くじを当てて、その瞬間に自主退社してラーメン屋に転がり込んだ人だ」

 『経歴がおかしいことに!?』


 テーブル席に案内された俺たちの前に、高理江たかりえは何も頼んでないのに伝票を置いていく。


 「ましろんはいつものとして、げきかわ後輩ちゃんは? 麺とか油とかどする?ライスいる? トッピングはほうれん草味玉メンマチャーシュー3枚はデフォだけど。」

 

 空風はサラサラとタブレットに文字を書き、それを高理江は不思議そうに眺める。

 すっかりこの日常に慣れてたけど、初めて見た人は不思議に思うだろう。

 声が出せないことを高理江に言ってもいいのか迷っている間に、空風さんはタブレットを見せ終えていた。

 高理江は文字をふむふむと読んだ後、ウインクしながらオッケーサインを作る。

 

 「味噌ラーメン2丁入りましたぁ! どっちも麺半ライスにデフォトピで~同じ組み合わせで仲いいねぇ!」


 今時そういうのもセクハラなんですよ? そんなんだから窓際の高理江って呼ばれるんですよ。

 元気な窓際店員は、次々と入ってくるお客の相手をこなしていく。

 

 『明るい人ですね』

 「変人なだけだよ。…ラーメン屋って結構来るの?」

 『はい! 結構好きですよ! でも引っ越してきてから初めてのラーメンです』

 「へぇ。一人で?」 

 『はい。 先輩も外食とか結構するんですか?』

 「まぁね。情けないことにこの歳で料理は家ではほぼしないし。妹がいるときは妹が作るんだけど。それ以外は、外食かな。缶詰とご飯とか買ってきたおかずレンチンもたまにするけど、外食って楽なんだよね」 


 空風さんがなるほど、といった様子で頷きを繰り返す。


 『分かります。私も時間が無かったり疲れてると外食だったりマックをデリバリーで頼んだりしちゃいます』

 「へぇ。空風さん完璧だから基本自炊かと思ってた」

 『私こうみえて、食事とか不定期なんですよ?』

 

 ちょっと親近感がわく。

 彼氏か夫に料理を振舞ってる良カノ良妻イメージはすぐに出来るけど、一人でラーメン屋に行っているイメージがぴんと来なかったのだ。

 そういえば、ミウミウもこの前耐久配信でマックを頼んでたな。

 ……家に帰るとエプロン姿のミウミウが出迎えてくれて――



 『おかえり、ダーリン。お風呂にするご飯にする?  』

 「あぁ、みうみうにするよ…」

 『もう……選択肢に入れてないよ? いいよ。ぎゅー、しよ?』


 

 「味噌ラーメン2丁お待ち!! ……ましろん?」

 「…………はっ!?」

 

 ミウミウの腕の中に入ろうとした瞬間、ラーメンの香りで現実へと引き戻される。

 何の話だったっけな。

 

 『先輩、またミウミウのこと考えてましたね?』

 「なん…だと。どうして」

 『先輩がニヤニヤしてるときは、大体ミウミウのことって思ってます』


 空風さんは俺の反応を楽しむように微笑む。

 

 「悪かったですね! ほら食べるよ!」

 『はい! いただきます』


 空風さんはタブレットを机に置き、手を合わせ、スープを軽く飲んだ後に麺をスルスルとすすり始める。

 そして、なんとも幸せそうな顔でこちらに向き直った。純粋で子どものように喜ぶ姿にこっちまでほっこりして笑みがこぼれる。

 

 「あーその反応で言いたいことは分かったから、タブ触る前にいっぱい食べなー。感想は後で聞くよ」

 

 いっぱい食べる君が好き、とはよく言うが。これが誰が見ても可愛いじゃないか。

 教えたかいがあるってものだ。

 後輩の新たな可愛らしい表情が見れたことで、俺もラーメンをすする。うん、美味い。高理江も相手してでもお釣りがくる美味さだ。

 

 「はぁ、ましろんの後輩くっそかわいい。うちで働かない? いい香りするし」

 「春に来たばっかの子を、辞めた社員が引き抜かないでくれません?」

 「お前に託す…可愛い後輩をお前が守るんだぞ」

 「なんであなたから託されたみたいになってんですか」

 

 絶妙なタイミングで水を入れに来た高理江は、ふと空風さんに向き直る。


 「あ、後輩ちゃんは、彼氏とか旦那いるの?」

 「ぶふっ!? なに聞いてんすか?!」

 「いや、こんなに可愛いならいてもおかしくないでしょ」


 しばらく硬直した空風さんは、珍しくタブレットの手を止めたのち、苦笑しながら首を振る。


 「えぇぇ!? マジ? うちなら放っておかないよ?こんなかわいい子」

 「いいから他のとこ接客いけ!」

 

 高理江を追い払った後、俺たちは暫く無言で、ラーメンをすすった。

 ………反応からして触れない方が良い話題かもしれない。

 誰しも、触れてほしくない話題はある。そこに突っ込んで傷つけたくはない。


 あっという間に二人のどんぶりの中からラーメンが無くなり、同時に水を飲んで一息をつく。

 時刻は12時近くとあってか店内は大分混んできた。早々に席を回した方が店にとっては嬉しいだろう。

 

 「じゃ、そろそろ出ようか」

 「はい! 」


 俺は伝票をレジに持っていき、千円札を二枚出す。

 空風さんが鞄からお財布を取り出し、伝票を確認しようとしたので、その手を制止する。


 「あーいいよいーいー。ここは俺が出すから」

 

 空風さんは首を振りながらタブレットを書き込み始める。きっと反論でも書いているのだ。

 だが、先輩として誘った以上。ここで引いては先輩の名が廃る!

 あとSNSでミウミウにこの事実を報告してカッコイイ男って思われたい!


 「高理江会計終わりだな!?」

 「はい毎度~じゃあお二人さん客いっぱいなのでまたね~」


 その意図を察してかどうかは知らないが、高理江はすばやく会計を済ませると、俺たちの背中をポンと押した。

 ……おそらく俺の見栄も読み取っていたのだろう。机には味噌ラーメン二人分の料金が書いてある伝票が俺寄りに置いてあった。

 

 追い出されるように店を出た俺たちは、顔を見合わせる。

 僅かに不満げな空風さんはタブレットに文字を高速で打ち込み、こちらにずいっと見せてくる。

 

 『次は絶対払います』

 「えーと…これはほら、俺の方がやっぱり先輩だし、お昼付き合ってもらったし、いつもちゃんと仕事頑張ってもらってるから…」

 『次のご飯のときは! 絶対私が払いますから!』

 「お、おう。わ、分かりました」


 なおもズイズイ迫ってくる空風さんから一歩引いておれが頷く。

 怒らせちゃった? でもこういうのって奢るのが正しいんじゃないの? 教えてミウミウ!

 空風さんはタブレットに文字を打ち込み終え、こちらに見せながら微笑む。


 『でも、そういう優しいところ素敵ですよ。』

 「………あ、うん。どうも」


 顔に熱が灯り始めたので、目をそらすように時計を見る。

 ……そういう男性キラーは控えた方が良いですよ。そういうところ、似てる気がするなぁ。

 僅かに空風さんとミウミウが重なりかけたところで、文章が書きかえられる。


『ラーメンとっても美味しかったです! 今度またどこか食べに行きましょう! その時は私が払います!』

「はいはい。次行くときね……つ、ぎ」


 あれ、いつの間にかまた一緒にご飯いくことになってない?

 大丈夫? そろそろ空風さん親衛隊に俺刺されない? 対女性スキルは持ち合わせて無いぞ、助けてミウミウ。

  

 

 

 

 

 

 

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