第6話 厄介オタク先輩
駅近くのお洒落な居酒屋で、新社員が改めて自己紹介と挨拶を終えると、
「皆さん、入社おめでとうございます。
皆さんを新しい仲間としてお迎えすることができ、本当に嬉しく思っています。
バイタリティー、そしてパワーに溢れている皆さんは、既に仕事で活躍してくださっており、私たちとしても非常に心強く感じております。
今後も遠慮なく先輩たちに訊いて、ともに明るく楽しい職場にしていきましょう。
皆さんの活躍を心より期待しています。
…堅苦しい挨拶はここまでに。それでは皆様。お手元にグラスをご用意ください!」
ちなみにミウミウは今日配信はないので俺も来ている。
更に言えば、別に酒自体は嫌いじゃない。ミウミウの配信のときにもよくアルコールを摂取している。
新社会人も中途採用の人たちもお酒のグラスを持つ。空風さんに事前にお酒を飲めるか聞いたが、意外にも結構好きらしい。
俺が何となく向かいに座る空風さんを見ていると、こちらの視線に気が付いた彼女は微笑みながらグラスを持った。
「それでは…かんぱーーい!」
「「「「「かんぱーーーーい!!!!」」」」」
店長の掛け声と同時に社員がグラスを掲げた。
俺は、隣同士に座る者たちと軽くあいさつしながら生ビールを半分ほど飲む。
某感染症の拡大という社会情勢を鑑みて、これまで強く自粛されてきたせいか、皆楽しそうに酒と談笑を弾ませている。
俺はというと、酒を飲みながら黙々と並べられた料理に手を出す。こういう時どんな会話をすればいいのかいまいち分からない。
ふと皿一枚分食べ終えたところに、肩に酒臭い体が寄りかかってくる。
「おぉぉい。オッシー飲んでるかぁ? お前の歓迎会も出来てねぇんだからそれも兼ねてんだからなぁ? 」
「……伊野さん。出来上がるの早すぎません?」
「ゼロ次会でちょっとな」
酔っ払い上司が悪しき風習で真っ赤に顔を染めながら、空いたグラスにビールを注いでくる。オッシーと呼んでくるときは完全に仕事モードが解除されている証拠だ。
「相変わらずオッシー酒強いなぁ」
「むしろ伊野さんはほどほどにしてくださいよ? 前二人で飲んだ時タクシーに押し込むの大変だったんですから」
「お前がクロリちゃんだったらビンタされながら押し込まれるのも歓迎なんだけどな」
「伊野さんとミウミウが入れ替わらないかなって日々思ってる話します?」
Ⅴオタ二人は、歓迎会だというのに、推し談議に華を咲かせる。だってオタクが揃ったら話すことってオタク的話題になりますよそりゃあ。
「その推し気。練り上げられている。至高の領域に近い。お前もホロ箱推しにならないか?」
「ならない。確かに俺はホロも見たしなんならⅤ四天王も見てきてます。だが最推しはかぜのミウただ一人。それは未来永劫変わることは無い。
ミウミウだからこそ、堪らなく愛おしく、尊いのです」
「そうか。推しにならないのなら殺……おっ来たなぁ? 」
伊野さんが会話を切ると、二人の男女がお辞儀をしながらビール瓶を持ってきた。空風さんと、それと伊野さんが教育係として担当している新社員の青年だ。
確か、
空風さんは瓶をテーブルに置いた後、いつものタブレットを見せてくる。
『お疲れ様です! 押野先輩! ビールお注ぎしてもよろしいですか?』
「ありがとね。でも無理しなくてもいいからね? 特に声出せないと断りにくいと思うけど、無理して飲まなくてもいいし、俺と伊野さんには特に気を遣わなくていいから」
「おい。お前は遣え。ミウ狂い」
「純粋に好きなだけですが?」
再びヒートアップしかけた俺たちのグラスにそれぞれビールが注がれる。
根本くんは、苦笑しながら伊野さんに並々と注いで口を開いた。
「伊野さんと押野さんって本当に仲いいですよねー。俺たちも見習いたいですよ。ね、空風さん!」
根本くんに話を振られた空風さんは素早く文字を書き込み、微笑む。
『はい。 皆さんともっと仲良く出来たらと思っています!』
可愛らしい笑顔に伊野さんはデレデレしかけながら、根本くんのグラスにも酒を注ぐ。
「根本ー。お前の方が年下とはいえ、配属同期なんだから、空風さんをしっかり支えてやれよー? こんなに可愛い女性なんだから。俺たちみたいな紳士が守ってやるんだ。」
「勿論です!」
近頃は可愛いっていうだけでセクハラなどと言われかねないが、幸い空風さんは引く様子はなく、タブレットで
『よろしくね。根本くん!』
と打つもんだから、根本君も顔を赤くしながらデレ始める。
お前ら揃いも揃って………確かに客観的に見て空風さんは、可愛いとは思うが。
隣にちょこんと座る空風さんを改めてみる。
照明に照らされ光が反射する茶髪は、普段から手入れをしているのが感じ取れる。
心が落ち着くようなふんわりと優しい香りを纏っており、大抵の男性はこれだけで相当ドキドキするだろう。
普段の仕事っぷりも見てきているだけあって、相当可愛い部類に入るのは間違いないと断定できる。女性経験は無いけど。うん。
ふと空風さんのグラスを見ると、一滴も残ってないからっぽ。
心なしか、空風さんが俺の近くにあるビール瓶を見つめている気がする。
「………あー。飲む?」
空風さんは目を輝かせると、タブレットを触るより先にぶんぶんと頷く。
……さっき向かいの席でメッチャ飲んで無かったっけ。
ちらりと空風さんが座っていた席を見ると、その近くには7本ほどの瓶が開いていた。
「空風さん、もしかして、酒豪?」
『いえ、少し他の人よりは強いかもしれませんが』
「あちらの席の瓶は…」
『20本までは少しだと思います』
「酒風さん…さす風じゃん……」
『空風ですよ!?』
「配信だったら驚いたスパチャしてた」
『そんなことで投げないでください!』
「実は俺の家には、スパチャはクレカ限度までって先祖代々の家訓があってだな」
『駄目だこの先輩のお財布事情。早くなんとかしないと…』
空風さんもお酒が入ってるのか、ノリノリで戯言についてきてくれた。
しばらく空風さんと話を弾ませていると、いつの間にか隣には伊野さんではなく、根本くんが座っており、空になりかけた俺のグラスに酒を注いでいた。
「あれ、伊野さんは?」
「はい! 伊野さんは茅原店長にお酒を注いでくるといってました!」
「あ、りょうかーい根本くんもお酒ありがとうね。でもほんと気を遣わなくていいから」
「いえいえ。押野先輩がとても素晴らしい先輩ってことはよく空風さんから聞いていたので、一度きちんと話して見たかったんです!」
空風さんは突然むせ、口に運んでいたお酒が少しテーブルに飛んだ。その顔は少しだけ紅い。
「大丈夫?! お水のみなお水!」
俺は水を空風さんに渡すと、それを一飲みしてホッとした表情となった。
『すみません。根本くん、そのことは別に言わなくても』
「いえいえ! ここだけの話、同期でご飯食べてるときって結構仕事の愚痴とか出るじゃないですか。
でも空風さんは、押野先輩にこんなに丁寧に教わったとか、こんなふうに気を遣ってくれるとかそれはもう楽しそうに話してくれるんです。」
空風さんはスッと立ち上がると、ビール瓶を根本君の口にダイレクトに突っ込んだ!
「空風さん死んじゃう! 根本くん死んじゃうから!」
耳まで赤くなった空風さんは、タブレットで顔を覆う。
瓶を引っこ抜いた根本くんは、空風さんに怒ることなく、親指を立てて歯を見せる。
「自分! 元空手部で頑強なので!」
「そういう問題?」
『ごめんね、すごく恥ずかして』
「いやいや俺こそごめん! 気遣いが足りなかったよ。ごめんね」
そう頬をポリポリかいていた根本君から、ふと爽やかスマイルが消え、真面目な顔で俺の顔を伺った。
「……押野先輩。空風さんをこれからもよろしくお願いします。それと、聞きにくいのですがその……先輩の押野さんは……お付き合いしてたり?」
「……なんて?」
なにいってんだこいつ。Z世代は恋愛脳なのか?
……いや、なるほど。こいつ、空風さんが好きなんだな? まぁ確かに可愛い綺麗仕事もできる上に性格は誰にでも優しい愛される空風さんが同期ならこの短期間で好きになっても仕方ないか。
故に、俺はそれを踏まえたうえで、スマホを開いた。
「俺の回答より『かぜのミウ』の配信を見ろ。飛ぶぞ? 」
「……なんですかこれ。アニメキャラ? 自分アニメは少ししか」
「違う。ここに俺の全てがある」
「はい?」
語るしかあるまい。
いやこれは布教だ。Vの世界の素晴らしさを、この若造に。
狭き世界しか知らぬ男に、もう一つの楽園の片鱗をみせようか!!!!
体のスイッチが社会人としての俺から、リスナーとしての俺に切り替わりかけた時、隣からタブレットが差し込まれた。
『私たちはそういう関係じゃないよ! 仕事の先輩として尊敬できるって感じだし、押野先輩はVtuberの人が好きだから! 』
「そうだぞ根本。俺はVtuber、かぜのミウを心から愛し、身を焦がす男。空風さんは完璧な女性だが、それはそれとして俺の心はミウミウワールドにあるのだ。あと俺みたいな駄目野郎と空風さんが釣り合う訳ないだろ。失礼なことを言うな」
根本は、なるほどと頷いて続ける。
「………えーと、つまり、押野先輩は、空風さんと恋愛対象として見てる訳じゃなく、そのアニメキャラのオタクなんですね?」
「アニメキャラではない。Vtuberね。 そのなかでもミウミウガチ恋勢だ。少しだけ語るけどいいな?」
「はい! 是非」
語っていくうちに、根本くんの表情はワクワクから苦笑、そして、帰りたいと変わっていったのは言うまでもない。
おう、そのみんな大体その反応だ。恥じることは無い。俺だって興味ない話題を延々とされるのは嫌だ。
ちなみに空風さんはその間、俺と付き合ってるかどうかの話を引きずっているのか途中から顔をタブレットで覆っていた。
なので、本当に少しだけ語り終えると、根本くんは疲れた様子で立ち上がった。
「先輩が凄くその人を好きなのが分かりました、ご教授ありがとうございました。それでは…自分たちは、ちょっと他の場所に回ってきますので……いこう空風さん」
『はい! 失礼します。押野先輩』
「二人とも、酒は無理すんなよー?」
二人がお辞儀をして席から離れると、伊野さんがそのタイミングを見計らったように、自分の席に座る。
「なぁ押野、人生の先輩として教えてやろう」
「なんすか?」
「相手にとって興味のない話を延々としてるお前、はっきりいえば、キモイし関わりたくない上司だぞ」
「………………うす。気を付けます」
反論の余地がない完全な正論で殴られた。
自粛から解放された飲み会の席で俺は、現実での厄介布教を自粛しようと決めて酒をあおった。
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