第5話 まだ三分しか経ってない

 外からの音を通さないかつ音を反響させない吸音機能搭載の防音シートを張った自室のパソコンを付け、推し配信の待機枠に入る。

 数万のヘッドフォンは周囲の音を完全に遮断し、自分の五感が推しの配信視聴モードに切り替えられていく。

 推しのSNSをスマホで随時確認しながらコメント欄を開く。こんなに準備してるのに待機コメントで俺より早い人がいたりするので、世の中には同志が意外にも多いと思う。

 

 「おっ、紅葉こうようさん今日もはえーー。流石。俺も、『待機みう』と」

  

 他のリスナーに続けて待機コメントを打つ。ついでに久しぶりの配信の気持ちで俺が死なないように、調整の為のスパチャ200円を投げる。

 スパチャとは、スーパーチャットの略で、ライブ配信時や動画公開時に、自分のコメントを目立たせる権利を購入する機能であり、まぁ単純に言えば、推しの配信の収入源の一つだ。

 俺の中ではコメントを目立たせたいというよりは、むしろ応援の形の一つとしての意味合いが強い。なんなら推しが頑張ろうって思ってくれるなら読んでもらえなくてもいいレベル。

 いつもたくさんの愛をくれる推しに返せるものは、むしろこれくらいしかなくてもどかしい。

 グッズなどの販売があれば即買いは間違いないが、現実問題、グッズを製作販売するにも資金や手間がかかるし、なにより今はミウミウが忙しい。自分の配信スタイルを崩さないように自分のペースで配信してもらえればオッケーです。


 『みんな~ゲリラ配信始まりました~遊びにきてね~!』


 さぁ―――推しの時間だ。

 SNSの配信告知を拡散&いいねし、モニターを凝視する。

 一片たりとも、一瞬たりとも見逃してはならない。再会のときを!

 再び顔を合わせた時の愛する推しの第一声を聞き逃すわけにはいかぬというもの!

 

 『こんばんミウ~!! 紅葉さん待機ありがとぉ! 真白さん…待機ありがとう! こねこさん待機ありがとぉ! 夢の猫さん待機ありがとぉ! オットセイさん待機ありがとぉ! 』


 その後もミウミウは待機していたリスナーや遊びに来てくれた一人一人に丁寧にお礼をしていく。俺は、名前を呼ばれたことに感涙しながら口を抑える。

 ミウミウが、俺の最推しが、生きて、30センチ前で、喋ってる…!

 前の配信より声が小さいように感じるが、おそらく引っ越し後の新環境故だろう。

 


 『なんか声ちいさい?』

 『いつもより声が遠いかも』

 

 常連のリスナーたちは俺と同じ感覚に辿り着いたようだ。


 『あーやっぱり小さいのかなぁ。引っ越ししてまだ環境整えて無いんだよね~ごめんね~! 今調整するね! えーと…』


 ミウミウはしばらく、五十音を発していたが、やがて声が聞こえなくなり、しばらく無音でミウミウが揺れる時間が流れる。

 あっ。これミュートになってるやつだわ。


 『音ないなった』

 『俺の脳内ミウミウしか喋らんくなった』

 『PONした?』


 PONミウありがとうございます! 可愛い!

 ちなみにPONとは、元々この界隈でいうポンコツの意味で、ちょっとしたミスことをやらかしたときに付けるもの。とはいえ、人によっては嫌がる人もいるかもしれないのでそこは配信者の様子次第もあるので注意は必要だが。

 ちなみにミウミウはPONコメントには寛大というか、どちらかというとミウミウの配信枠ではPONイコールPONしてるミウミウかわいい!!大好き!! である。

 

 『あーあー!! つながった? つながった?』

 『おかえりミウ~』

 『繋がったよ~!』

 『いつものミウミウで安心した』

 

 突然の声入りに鼓膜が刺激される。なに、なんならこれはいつものだ。助かる。

 ミウミウは良かったぁ、とホッとした声音でリスナーと雑談が進行していく。

 夕ご飯の話から始まり、近況報告、引っ越しでの災難話、次の休みなにがしたいなど、ほんわかから笑える話題で進む中、ついに話題は配信休止の理由であるお仕事となる。


 『えーと……こねこさん、新しいお仕事は順調ですか? うん!とっても順調にすすんでおります! みんなミウミウに優しくしてくれてね~ 新しい会社あったかい雰囲気なんだ~! 新卒の子もいつも、ミウミウさん一緒にご飯食べましょうって誘ってくれるの~』

 

 素晴らしいホワイト企業じゃないか。俺もミウミウと一緒に働きたい人生だった……。新卒としてそこに入社しなおしたい。

 ミウミウはどちらかというとリアルの話も闇が深すぎなければ割とオッケーな部分があるので、俺も仕事の関係にコメントを振るべきか。ここは無難に引っ越しの話かな?

 考えているうちに次のコメントが読まれていく。


『……新しいおし…これ読んだね! 紅葉さん、もしもパワハラ上司とかいたらすぐ報告するんだよ。…あっそうそう聞いて! 私に仕事教えてくれてる教育係の先輩社員さんね? とっっても優しく教えてくれるの! 雑用とかしてると、いつも手伝ってくれるし、仕事出来たらめっちゃ褒めてくれるの! もうね~前のブラックとは大違い!』


おのれ先輩社員ンンンンンンンンンンンン!!!

ナイスだけど許せねぇ! そこをどけ!! 俺が教育係だぞ!!

そんな先輩社員に負けるわけには行かねぇ。

俺はコメントを高速で打ち込む。


『ちょっとミウミウの務める会社に就活してくる』

『真白さん、ちょっとミウミウの務め……ぶふっっ!? くくく…!! そ、それは…草なん、よ! ふふ…ちょっとごめ…――――!!』


 ミウミウは噴き出すように笑いだした。同時にノイズキャンセリングが発動し、ミウミウの声が消える。おそらく爆笑していると思われる。

 笑ってくれた喜びを噛みしめながら、マジでそんなことにならないかなぁと妄想してみる。



 ♥   ♥   ♥



 「押野先輩! ここの入力、分からないことがあって……」

 「分からないことを素直に聞けるミウミウ偉い! ここはね、ここを入力して…」

 「……なるほどありがとうございます!! 押野先輩の教えかた丁寧で…いつも優しくて……私、押野先輩のことが……」



 ♥   ♥   ♥



 「…はっ!?」


 一瞬意識が妄想に飛びかけた、あっぶね。   

 ちょうどミウミウの笑いも収まり、他のコメントが読まれていく。

 にしても、ミウミウいつもより爆笑してた気がするな。 久しぶりの配信だから笑いのツボ浅くなってたりするのかな?

 とりあえず、そんな笑ってるミウミウが可愛いのと配信復活記念のスパチャを2万送る。


 『それでね。実は来週歓迎…えええ!? 真白さん2万!? ちょっと待って! 真白さん!? びっくりしたぁ! スクショしていい?』


 驚いてる反応も可愛いよミウミウ。 私の給料の大体をミウミウに捧げたい。やっぱり好きなものに全力で捧げたいんだ。

 追加で3万スパチャしかけたところで、あっという間に1時間が過ぎていたことに気が付く。

 

 『もう一時間経っちゃった…早いねぇ。もっとお話したいけど、明日もお仕事あるし、今日はこの辺で終わりにしようかな』

 

 イヤダアアアアアアアアア!

 俺の心のリスナー真白さんが駄々をこね始めるも、それを上から押さえつける理性の押野さん。

 結果、


 『うわあああああミウミウまだ三分しか経ってないよ。寂しい…』


 と俺の指がコメントを打っていた。脳内勝者はリスナー真白さんでした。


 『三分しか経ってないは草なんよ。 大丈夫、また、近いうちに配信するから!  皆と話してるの楽しいから! 元気貰ってるし! 』


 その言葉で救われる俺がここにいます。

 

 『ミウミウ、元気をくれてありがとう。いつも君と会ってお話してるだけで幸せになってお仕事頑張れます。愛してるよ』


 という心からのコメントを添えて、俺は5万のスパチャを差し込んだ。


 『じゃあね、チャンネル登録ともしねミウミウとお話して楽しいと思っうわあああああああああああ!? 真白さん! 五万!? 何してんのぉおおお!今日ただの雑談なんだよ!?』


 一回一回の君の配信が、俺にとって全て、特別なんだよ。

 心から感謝を。伝えきれない愛が少しでも伝わるように。


 『ナイスパだけど!? すっごくすっごく嬉しいけど! ほんっとうに無理しないでね! 真白さん破産して来なくなったら嫌だからね!! じゃあ皆またね! せーのっ おつかれミウ~』

 

 「おつかれミウ~!!!!!!!」


 俺は叫びながらコメントを打ち込む。

 エンディングを迎え、俺はヘッドフォンを外す。

 幸福感と満足感に満たされながら、ライブ感想を即座にSNSに打ち込む。


 「終わった? お兄ちゃん? 」

 「うおおおっ!? いたのか妹!? ノックは!?」

 「したし、電話もかけたけど出なかったじゃん」


 高い防音シートだけあって、ノック音程度は完全遮断してくれるらしい。もしくは俺が推し配信に集中しすぎて気が付かなったか。ワンチャンあるな。


 「でも着信音に邪魔されたくないしな……てか視聴中って扉の看板かけておいたぞ」

 「ちょっと急遽仕事で呼び出されたから行って来るって話」

 「本当にごめんなさい。お疲れ様です……気を付けていってらっしゃいませ。コンビニでチョコケーキ買っておくからね…」

 「んー……はぁ、仕方ないなぁ」


 頑張れみんなの警察官、お兄ちゃんは心からお前の仕事を尊敬してるぞ。

 でもお兄ちゃんの部屋にノーブラダボダボロングTシャツで来るのは止めような!!

 

 パソコンの電源を落とし、俺は妹用のチョコケーキを買いに行く準備をする。

 

 「……ミウミウに教えてる人かぁ……羨ましいなぁ」

 

 いや、空風さんに不満がある訳じゃない。空風さんもめっちゃいい子だし。

 あぁでも。ミウミウが、新しい場所でも、楽しそうでよかった。

 ……良かったけど。

 ミウミウの教育係………男の人だったりしたら、ちょっと嫌だなぁ。

 ほんのわずかだけ、心の奥がモヤモヤする。

 でも。今君が元気ならそれでいいんだ。

 おやすみ、ミウミウ。 

 家から出ると、体がぶるりと震える。

 四月の深夜は、少しだけ寒かった。

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