第3話 切腹します
「……………」
『押野先輩、データ入力終わりました』
「
「いえ、これも押野先輩が丁寧に教えてくださるお陰です」
数日間教えて分かったことがある。
圧倒的仕事できるキャリアウーマンだ。書類のコピーなどの雑用は勿論、休憩中の別の社員さんにお茶を持っていったり、一度教えただけで、即座に覚えてくれる。
なにより、普通の会話が成立するほどにタブレットの入力が異次元に速い。音速の空風ちゃんである。
そもそも転職してきた子なので、後輩であるが歳は同じだ。
だが、当然というか。空風さんは、誰にも気立てが良く、明るく優しい。
それでいて、透き通るような、さらさらとしたグレージュの髪がなびくとフローラルな香りが漂い、客観的に見ても、可愛いと美しいを兼ね備えた女性だ。
推しがいなかったら、好意を抱いてしまっていたかもしれない。
だが、その世界線はない。もはや俺の体は、
――推しで出来ている。
空風さんは年の離れた新卒の子や、同じタイミングで転職入社した年上の同期、なんなら他の上司からも男女分け隔てなく高評価と人気を博し、もはや声が出せない問題は会社で働くという点では全く問題ないだろう。
教えることはもう何もないぞ空風さん。俺は老兵として推し過去配信を見るんだぜ…。
お昼の休憩部屋で、俺がミウミウの過去ゲーム配信をみていると、脳内で噂していた空風さんは、微笑みながらタブレットを見せてくる。
『隣、座っていいですか?』
「ん? あぁ。あれ、いつもの空風さんの同期ーずは?」
『それぞれ自分の教育担当の先輩とご飯に行きました』
「あー。そんな風習あったな……」
『風習ですか?』
多分、うちの会社だけの方針かもしれないが、新人教育係となった者は、約一カ月、親睦を深めるという意味で、一週間に一度以上は、昼ご飯をおごるという謎ルールがある。
まだお客さんの対応をしている
俺の場合はたまたま会社の意図通りに進んだが、実際のところ、このルールは新社員に厳しい面もあると思う。
反りが合わない人間なんてどう頑張っても存在する以上、必ずしも教育係と良好な関係を築ける訳じゃない。
いや、別に俺が空風さんと反りが合ってないわけではない。……はずだ。
「いや、うちの会社、教育係と新入社員が週一で一緒にご飯食べにいけって言うんだよ。まぁ破ったからって別に罰則あるわけでも無いけど」
空風さんは、タブレットの手が止まり、顔を下に向けている。
……………え? もしかして本当に嫌いなパターンこれ!?
スゥーーーーーーー
俺は息を吸い込みながら、空風さんの顔色をうかがう。
「あ、あーーーー! でも俺コンビニ弁当派だから! 無理しなくていいというかむしろ俺なんかより女性社員とかと言った方が会話に花も咲くと思いますし!!………って、えーと、おーーい?空風さん?」
よく見ると空風さんは、ミウミウの過去配信を流しているスマホ画面に向いている。彼女の顔は驚きで目が丸くなっている。
空風さんは俺とスマホ画面を交互に見た後、多少の仕事のトラブルも素早く対応、いつも笑顔の絶えない彼女からは想像もできない速度で飛びのいた。
まさか、そこまで嫌われていた?
……いや、この反応、スマホの画面から察するにあれだ。
教育係の先輩が、まさかキモオタだったなんて、というドン引きに違いない。
多分そう、経験上その反応は良くされてきた。
だがその目には、軽蔑などではなく、純粋なビックリマークが出ている気もした。
「あー…引いた? 俺、実はメッチャオタクでさ。なんかごめんねー。そういうの嫌いなタイプだったなら、会社では控えるよ」
すまないミウミウ。家に帰ったら6倍見ます。
俺は苦笑しながら、心の中では断腸の思いで配信視聴を止めかけると、空風さんは、首を激しく振って周囲にフローラルな香りを拡散し始めた。
心地よい香りが鼻腔をくすぐるなかで、空風さんは仕事の時よりも超高速で、タブレットに入力を始める。
『全然!とんでもありません! むしろありがとうございます!! 好きなことに熱心になれる人は素敵です! 』
「お、おぉぉ? かつてないほどぐいぐい来るね空風さん。というか、ありがとうって、否定に必死で日本語バグってない?」
空風さんは、ハッとした表情で、タブレット入力が僅かに途切れ、先ほどよりも落ち着いた速度で入力して見せてくる。
『すみません。実は、私も実はオタクでして。普段はそういうの隠してるのですが。特に今は、さきほど押野先輩が見ていたⅤtuberに関心があり、それで、驚いてしまいました』
「………なんて?」
落ち着け、もしかしたら、俺が思ってるⅤtuberと空風さんが思ってるⅤtuberの単語の意味が違うのかもしれない。
「空風さん、ちなみに聞くけどⅤtuberってのは、キャラクターの姿をかぶって配信する人たちのことであってる?」
『合ってます』
「合ってた!?」
『ちなみにホロリーブメンバーの配信と、さんじよじメンバーの配信は地味に見てます』
「しかも二大巨頭箱巡回済みだと!?」
………スゥーーーーーーーー(深く息を吸う音)
最高か? 俺は最強の新入社員担当を引き当ててしまったのか?
「空風さん」
空風さんは疑問符を頭に浮かべ、おそらくどうしましたか?と入力していたかもしれない。
だが、職場に入ってくれた数少ないⅤ推し。
であれば、であるのならば。
囲うしかない。逃しはしない。
さて――――推しを布教する時間だ。
「ミウミウの話をするとしよう」
空風さんは、俺をぎょっとした顔で見てくる。もはや引こうが知らん。
嫌悪感を抱かぬよう、それでいて推しについて語ることは、SNSで散々してきた!
……いや、SNSでの俺は多分ネット民が引くほど愛を語るだけの気持ち悪い奴かもしれない。
「空風さん。これからする話は、俺の人生史上後にも先にも表れない最推し『かぜのミウ』についてです。こいつ気持ち悪いと思ったら無視してかまわないし席を立ってくれ。」
しばらく空風さんは、顔を俯かせ、目を閉じた。
が、やがて何故か自分の頬をぺちんと叩くと、よしこい!と言わんばかりにムンと気合いをいれて、俺に向き直る。
その整った顔立ちを正面から受け、僅かにたじろいだ俺の心をすぐさま推しが整える。
「まず、ミウミウとの出会いは、某モンスター対戦育成ゲームでの、モンスター交換配信からだ」
『あっ、経緯から入るんですね』
「俺はあのとき、ただそのちょっとレアなモンスターが欲しい、あわよくばⅤから貰いたいというざっくりな理由で配信へと足を踏み入れた。
俺は目当てのモンスターを交換したわけなのだが少し見てるだけでも見抜いたね。このⅤさんは、リスナーに愛で接してくれるんだと。
語り尽くすには数年かかるから割愛するけど。配信を見ている中で、ミウミウ…あぁ、かぜのミウのことね。まずその優しさだね。リスナーひとりひとりへの愛が深いんだよ。リスナーのコメントにも丁寧に返してくれるし、自分が分からない話題も調べて一生懸命答えようとしてくれるし、いつもリスナーの事考えてくれてるなぁって肌で感じるね。しかもこっちがお話してると嬉しそうに返してくれるんだよ。もう反応が可愛くてもっとコメントしたいってなっちゃうんだよ。そもそもゲームも本当に楽しそうにやるんだよ。リスナーとの対戦の勝ったら嬉しそうに喜ぶし、負けても悔しそうに次やろ~ってリベンジ精神もあってあぁ真剣に遊んでるんだなぁってこっちもゲーム一緒にやりたいなぁって気持ちにさせてくれるんだわこれが。ミウミウのおかげで何個ゲームを始めたことか。あとこれが醍醐味の一つでもあるんだけど、ゲーム配信でも結構雑談をするタイプの子なんだけどね? それがまたリスナーとの距離も近いおかげか、他のリスナーさんも、他の枠では話さんような話題になったりするんだけどまたこれが面白い面白いこれはもうリスナーとの距離が近いならではって感じはするね。しかも線引きが絶妙でさ。闇が深くならない程度に保たれてることがほとんどだし。あとSNSやってるんだけど、ミウミウにリプしたりすると大体返信しっかり返してくれるし、なんなら話題にするだけで反応してくれたりするんだよ。これはもう推してる側としては喜びの極みだね。第一、声がいいんだわ。ミウミウは自信無いとは言うんだけど、俺からすれば天使の歌声を越えて来るね。優しさと一生懸命さが伝わってくるし、そもそも声が俺が好きだね。誰が何と言おうとうん。それにね、リスナーに大好きとかストレートで伝えてくれるんだよ。配信内外問わずね、これが恋ですわってときめいちゃうほどに好きになっちゃうんだわ。いやこれだけが原因になってる訳じゃなくてね? あとミウミウの方針も…」
好きな理由についての序盤を語り終えかけたところで、 ガタッッッ!! と隣で勢いよく空風さんが立ち上がる。
空風さんは耳まで真っ赤になった顔を
『すみません化粧室いってきます』
という文面が書かれたタブレットで覆うと、そのままこちらから顔を隠すように駆けて行ってしまった。
「……少し、熱が入りすぎたかな? 抑えたつもりが……」
すまない空風さん。そしてごめんなさいミウミウ。
布教に失敗したかもしれません。ついでに多分、仕事のできる後輩に嫌われたかもしれません。
切腹します。
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