第二惑星 『桜の嵐がやってくる』

1-新学期・『意之外高校』二年四組の教室にて-


「まっさかウチの学校はクラス替えが無いとは…」

 学年が上がった後の登校初日。俺は改めて驚いていた。

 入学当初から噂では聞いていたものの、この学校には「クラス替え」という概念が存在しない。代わりと言っては何だが、「組番替え」というものが存在する。

 要するに「〇組」の部分が変わるだけである。

「ま、楽だしいいか」

 そんなことを考えつつ、俺は新しい教室のドアに貼られている、これからの座席を確認する。

 その時である。

「あら、悟くんじゃない」

「お、その声は」

 俺は振り返りながら返事をする。

「数週間ぶりね」

 ニコッと笑いかけて来た彼女。身長は一五五センチ位と言ったところだろうか。ボブヘアが様になっているその人物は桜崎 未央(さくらざき みおう)と言い、俺の古くからの幼馴染である。小学校に上がる前から知っている為、非常に長い付き合いである。

「え~と、私はココの席ね…悟君は…」

 などと未央が自分の席を探していると、後ろからもう一人やって来た。

「あら、ここのクラス?」

「え、ええ…そうですけど」

 俺は声のする方に顔を向けながら返事をした。

「よかった! 私、今日からこの学校に新任として入った『黒崎 礼子(くろさき れいこ)』って言うの。ここ、二年四組の副担任になったから部屋の確認をしに来たの」

 …俺はぶっ倒れそうだった。

 ものすごい、きれいな人だった。

 恐らく地毛であるであろう、その金髪はしっかりと手入れされており、ぱっと見ただけでもサラサラなのがわかる。

「く、黒崎先生…その、めっちゃ綺麗です!」

「あら、ありがとう! でもね、女は綺麗だけじゃいけないのよ…これを見なさい!」

 そういうと礼子先生はおもむろに自身の服をすこし上げた。

「! こ、これは…」

 その美しい全身を支える中心である腹部には、しっかりと鍛えられた証である「シックスパック」が存在していた。

 聞けば礼子先生が担当する科目は体育だそうだ。

「それにしても、この鍛えられた腹筋…触ってもヨロシくて…?」

「私は全然かまわないわ!」

「では…」

 と言ったところで、先生が俺の身体を反対方向にクルリと回転させる。

「『私は』全然かまわない…っていう意味、分かってくれた?」

 その視線の先には、満面の笑みを浮かべ、これから何かの動作を行おうとする未央の姿があった。

「ア…その、未央…これはだな! 先生から許可が下りたから後学の為にも、文献を広げるというかドゥオアハァァァ!」

「このドスケベ浮気男!」

 その女性から出たとは思えぬ、ドスの利いた声を認識した時には既にアッパーカットを喰らい、天井に頭を打ち付け跳ね返って地面に激突した後である。

 そう、俺と未央はちゃんと付き合っているのである。

「お~お~…おめえら朝からやってんじゃねえか」

 俺らのやり取りの一部始終をちゃっかりと見ていたのは、『天堂商店』の一人娘である天堂亜希子であった。

「あら、天堂さんお久しぶりね!」

「おう、未央。久しぶりだな」

 亜希子は軽く手を上げ、自分の座席を確認する。

「ふ~ん…今学期は未央の隣か…」

「そういや相変わらずスカート履かないのね、亜希子ちゃん」

「アンガイにゃあ関係ねぇだろ、俺の癖なんか」

 ようやく起き上がった俺に軽く平手打ちをしてきた。

「先教室ン中入ってるぜ」

 そう言うと、彼女は自分の席にドカッと座り込んで目を閉じた。

 相変わらず彼女は男子生徒用の学ランを着ているが、俺たちにとってその光景はごく自然の事である。

 俺たちにとっては。

「今の子…誰!?」

 なにかものすごい不思議そうな顔で言うのは、亜希子のことを初めて見る礼子先生だった。

「ものすごい男気溢れる子だったけど…」

 その瞬間、俺と未央は固まってしまった。

 同時に教室の中からガタンという音が聞こえる。

「じ、実はあの…天堂亜希子はですね…」

「ん? 天堂君がどうしたの?」

 前のめりな興味が俺の言葉をかき消す。

「ああっ…終わる…」

 数週間ぶりの亜希子の空気感に、珍しく未央も手助けできないようだ。

 ツカツカと教室の中から足音がする。

 未だ気付いてない礼子先生は、在ろうことか自分から教室に入っていった。

「ねえ、天堂君…」

「…なんだ」

 二人が教壇付近でかち合う。

「おめえ…誰だか知らねえが、さっきから聞いてりゃ散々言ってくれてたなぁ…」

 亜希子がボキボキと指を鳴らす。

「貴方…まさか…」

 緊張が走る。次の一言で、礼子先生がどうなるかが決まってしまう。

 …未央、どうにかならんのか…?

 …無理よ! 流石の私でも天堂さんの力は抑えられないわ!

 …やっぱダメか…

 …っていうか私を怪力女扱いしてないかしら、悟君。

 …違うのガッ!

 ……フンッ!

 小声でやり取りしている最中、ついに礼子先生が口を開いた。

 いや、口よりも先に手が動いていた。

 ペタリ。

 キュウ。 

「あらあら、やっぱり男の子じゃないのね」

「ナッ! おおお、お前…なにしてんだぁ!」

 何と先生は亜希子の性別を聞くのではなく物理的に確認したのだ。

 突然の行動に、既に若干構えていた亜希子は、どんどん赤くなる顔を隠すかのように、礼子先生に殴りかかった。

「ふざけんじゃねぇ!」

 その剛速球を投げるかのような素早い右ストレートが先生に向けられる。

 もう彼女の顔に当たる。

 その瞬間。

「成程~」

 俺達が目にしたのは、その豪速を涼しい顔で受け止めていた先生だった。

「いい腕、してるね」

「クッ…テメエ…」

 右手は亜希子の胸に添え、左手は顔の前でストレートを受け止めていた礼子先生のその恰好は、まさしく『変態のカンフー』そのものだった。

「おめえが強えぇのは分かった…だからよ…」

 亜希子の身体が震える。

「その手ぇいい加減どかしやがれぇ!」

 亜希子の蹴りが見事にシックスパックの腹に直撃する。

 これには流石に礼子さんも予想していなかったようだ。

「あーれー!」

 その蹴りに耐え切れず吹き飛ばされた礼子先生は、俺らの教室のドアを突き破り、廊下の窓からグラウンドにぶっ飛ばされた。

「…ち、ちょっと亜希子ちゃん! あれ、今日から入った新任の先生だよ!」

「…アッ!? おい! 何でそういう事言わねえんだ!」

 流石の亜希子でも一気に顔が青ざめる。

「普通ああいう事はせんのじゃい!」

 俺も流石に突っ込んでしまう。

「まさか俺の事を全く知らねぇ人間だったとは…」

「そこじゃなくてねぇ!」

 ズレたベクトルを持つ彼女を注意していたその時である。

 バリバリ…ドン。

 何か変な音がする。

 俺たちはその音の方向を見て驚愕した。

「中々面白いクラスじゃない…!」

 少し流血があるものの、不敵な笑みを浮かべながら礼子さんが割れた窓から教室に戻って来た。

「お、俺より野蛮なんじゃねぇかコイツ…」

 そう思っても仕方ないだろう。

 ここは二階である。

「私、そう言う強い子好きよ! さあ、かかって来なさい! 漢気溢れる…男より男な天堂さん!」

「…だからなぁ…」

 ―俺は男じゃねぇ〜〜〜〜っ!

 …新学期早々、我々のクラスに熱血変態教師が加わることになった。 



2-新学期、朝のショートホームルームにて-



「と、という訳で…一年の学期末で退職した副任の代わりに、新しく俺らのクラスに加入してくれた黒崎礼子先生だ! 皆とは主に体育の授業で会うことになるだろう!」

 俺らの担任に紹介されながら、礼子先生は紹介されていた。

「新任の黒崎礼子です! よろしく!」

 ―元気のいい先生だな〜。

 ―けどなんで包帯巻いてんだ?

 ―病弱なのかしら…。

 ―ま、いいじゃん。むさ苦しい担任とは違って明るそうだし。

「どういう意味だお前ら!」

 ヒソヒソ聞こえてくる声に、担任は怒鳴り散らす。

「お前ら、綺麗な先生が来たからってうつつを抜かすなよ!」

 ―うつつを抜かすのは先生の方じゃないですかー?

 ―そーだそーだ!

「だまらっしゃい! お前らは体育の授業で会うんだぞ! 何か酷いことをしたら絶対に許さんからな!」

 生徒のヤジに負けじと対抗していた。

「それならまだいいんだけどな…」

 そんな光景をよそに、礼子さんの正体を知っている俺は思わず声を漏らしてしまう。

「それ、どーゆー事なの」

 その俺の声に疑問を投げかけてくる男が一人。

俺の隣に座る夏野ヒサシ(なつの ひさし)だ。この学校で友人になった人物で、おそらく俺の周りで唯一の常識人だろう。

「あのな、あの人あんなに綺麗に見えて実はかなりの熱血変態教師なんだ」

「ほう。なんで?」

「今朝、亜希子を弄るために彼女の胸を触った」

「…本当か?」

「ああ。だから包帯で頭とか覆ってるんだ。しかもそれだけじゃなく、『格闘バカ』だ」

「なるほどなぁ…」

 などとヒサシと話していた時である。

 教団の上に立つ礼子先生が何かゴソゴソと服を直し始めている…ように見えた。

 見えただけである。

「さあ! みんなにはこれを見てほしい!」

 その声と共に彼女はまたしても、自分の腹筋を見せて来たのだ。

 ―えっ!

 ―す、すごい筋肉…

 ―女だけども、惚れちゃうわ…!

「はぁ〜…成程、ありゃ確かにバカっぽそうだわ」

 ニコニコしながら自分の腹筋を魅せてくるその姿勢に、ヒサシも何となく気付いたようだ。

「な?」

「でもよ、サトル」

「なんだ」

「ああいうのが一番そそるんだよな」

「え…」

 何となく話していた俺は思わずヒサシの顔を見る。

 …ヒサシが良くない時の顔をしている。

 …でもまぁ、言いたいことは確かに分かる。

 ぱっと見はナイスな見た目をしているが、いざ脱ぐとそこにはしっかりと鍛え上げられたボディが隠れている。それは女性らしさから逸脱しない、素晴らしい比率で仕上げられているのだ。

 …分からんでもないぞ、ヒサシ。

「せ、先生…ちょっと…」

 このクラスの中で一番怯んでいたのは俺らの担任―冬場ゴウセツ(ふゆのば ごうせつ)に他ならない。

「あら、ゴウセツ先生どうしたんですか? あ、この筋肉触りたい! どうぞどうぞ」

 そう言うと礼子先生は強引にゴウセツの腕を掴み(恐らくこの時点で無理に引っ張った為、彼の左腕は捻れている)、ニコニコな表情で強引に触らせていた。

「あ、ぁぁ! す、凄いですね! あははは!」

 彼女の顔を見るに、自分の腕力の凄さと、ゴウセツの油汗に気付いていない。

「あら、そんなに褒めてくれるなんで嬉しいです! 有難うございますゴウセツ先生!」

 ブンブンとゴウセツの手を握り、感謝の握手をしている。ハンドシェイクに近い。

 ダンダンダンダン! バンバンバンバン!

 ゴウセツがどうなっているかは言うまでもない。

「…野蛮な女だぜ…」

 前の席に居た亜希子の声がした。

「あれ、ゴウセツ先生…? 伸びちゃってる…」

「が…ガハ……」

 ようやく彼女がゴウセツの状態に気づいた時、彼はすでに失神していた。

「あらら…どうしよう…とりあえず端に置いておこう…」

 そう言いながら彼女は教室の隅に、伸びている男を一人立てかけておいた。

「と、兎に角…私が今度から副任なので、みんな気軽に声かけてね〜!」

 何事もなかったように振る舞っていたその彼女の目の前の全員が、無言で聴いていた。


           *


「…え、ええと…」

「あ、ゴウセツが起きた」

 先程の出来事から二十分ほど。

 一通りの説明を行った礼子先生は一限の授業があるからと、さっさと何処かへ行ってしまったのだ。

「あれ、お前たち…黒崎先生は…」

「もう一限の授業に行きましたけど」

 ヒサシが答えた。

「あ、ああ…そうか…じゃあ、俺たちも授業を始めるぞ…」

 あんまりな出来事に、もっと他に言うことがある筈なのに特に何も言わずにゴウセツは授業をスタートさせた。

 この時間帯は日本史であり、ゴウセツの担当する科目であった。

「じゃあ、始めるぞ。一年の末は鎌倉時代の最初の部分だけ齧ったからその辺からだな」

 傷口に絆創膏を貼りながら彼は言い、五分ほど遅れてやっと授業が始まろうとした。

 その時である。

 ………!

 ……………〜!

 何かが聞こえた気がした。

 多分気のせいだろう。

 ……ルー!

 ……トルー!

 …どうやら気のせいではないらしい。が、「トル」ってなんだ…?

 サトル〜〜〜!

 …サトル〜!って、なんだ。

 俺の…名前…?

「サトル〜〜〜〜! 新しい商品持って来ただワイさ〜〜〜!」

 その軽快な声は、俺たちのクラスの、窓の外から聞こえて来た。

 そしてその声の主はガラスを突き破り…。

「ガハァ!」

 ゴウセツめがけて突進した。

「なっ…! コズミ…!」

「探しただワイさよ、サトル! ママから聞いてやっとこの場所に居るって知って急いで持って来ただワイさ!」

 超特急で飛んで来たのか、少し汗だくな彼女。

 それは紛れもなく俺の家に居候している「コズミカ=エントロピー」その人に他ならなかった。

「だ、誰だキミは…!?」

 吹っ飛ばされたのにも関わらず、瞬間的なアドレナリンが放出されていたゴウセツは、誰よりも早くコズミに声を掛けた。

「悟のパートナーだワイさ!」

 ニッコリと笑い、俺の方に近づいてくる。

 ―な、何だあの子…

 ―浮いてるわよ!

 ―なんか荷物持ってるし、作業着や帽子着けてるけど、宅急便屋か…?

「あのな、コイツはだな…」

 全員の視線が俺に集まっている。何とか弁解せねば。

「悟…お前…こんな可愛い子を…」

「ひ、ヒサシ…?」

「二股かけていたなんて…」

 その言葉で俺はハッとする。

 先程コズミは『俺のパートナー』と発言をしていた。そして今、俺はヒサシに「二股をかけていたなんて!」と、誤解をされている。

 他人の目から見ておれはそう見られている。

 つまり。

 他人が俺の状況を聞いた時。

 俺はコズミと未央に手をかけていることになる。

「サトル〜! これ見て欲しいんだワイさ!」

 そんな焦りもつゆ知らず、すっ飛んで来たコズミは俺の肩に『肩車』をするような形でふっついてくる。

「父さんがぜひ試して欲しいって持って来たやつなんだワイさ! 『人間対応・見えるクン』! この眼鏡をかけるだけで、相手の気分や感情を読み取ることができるんだワイさよ〜!」

「バカッ! 今それどころじゃあ…!」

 俺は強引にコズミに眼鏡をかけさせられる。

 するとどうだろう。少し紫がかったガラスの先にはクラスにいる全員の頭上付近に大雑把な感情の情報やバイタルが表示されている。

 …勿論、未央のモノも。

「血圧上昇…心拍数も…そして、ノルアドレナリン数値………」

「見えただワイか?」

「ああ…見えたわ…これから俺の顔がひしゃげる未来が…」

 どんどんと数値が上がる人間が一人。

 その数値の上昇と共に、俺のほうへと近付いてきた。

「悟くん」

「……何でしょうか…」

「ちょっと、目を瞑ってて」

「はい…」


 次に目を覚ました時、何故か正午を回り、昼食前のザワメキがうっすらと聞こえる保健室のベッドの上だった。


3-昼過ぎ。食堂にて-



「全部話は聞いたぞ」

「はぁ」

 目が覚め、手当てをしてもらった俺は、ヒサシ・未央・亜希子と食堂で合流し、昼飯を食べていた。

 ウチの学校は食券買うことで、弁当を持って来ずともご飯が食べられるようになっているのだ。

「オメェのために取っておいたぞ、これ」

「おっ、サンキュー!」

 今日は俺の好きな冷たいうどんが出される日であり、保健室で寝ていた俺の代わりに、亜希子が定食を確保してくれていたのだ。

「そういやヒサシ、何の話を聞いたんだ?」

 目の前の飯に気が行くあまり、忘れていた。

「何ってお前…一つしかないだろ。あの宇宙人の事だよ」

「…」

 俺は黙って麺を啜る。

「しらばっくれたってダメだぜ〜? 亜希子にも聞いたし」

「…言ったのか」

「あんな事あって言わねぇ方がおかしいだろ」

 確かに。

「それに、ほら」

 そう言いながら後ろを指差す。

 亜希子の丁度後ろの席に座っているその人物。

 言うまでもないだろう。

「本人がベラベラ喋ってたぜ」

「ふぇ?」

 指を刺された張本人もまた、俺と同じメニューを食っている最中であった。

「コズミ! まだ居たのか」

「いちゃ悪いんだワイさか?」

「あぁ、ダメだ。お前は部外者だ」

 コイツのせいで未央との間に誤解も生じたのだ。

「そんな冷たくしなくたっていいじゃない。別に変なことしてるわけじゃないんだし」

 そう言うのは先にご飯を済ませていた未央である。

「お父さんのお仕事のお手伝いをしてるなんて、偉いわ」

「フフン、そうだワイさ」

 な〜にがフフンだ。

 そう思いながら俺は残りの麺を食べ尽くした。

「で、コズミ」

「なんだワイさ」

「お前の用事はあの眼鏡だけだったんか」

 あの眼鏡とは、俺が気絶する直前に無理やりつけさせられた『人間対応・見えるクン』の事である。

「そうだワイさ。あれの評価が欲しかっただワイさ」

「評価ァ? あんなもんいらん!」

「え〜どうして」

 宙に浮き、俺のすぐ横でフヨフヨしながら彼女は言う。

「人が怒ってる数値が見れる事の何が楽しいんじゃ!」

「それだけじゃないのに〜」

 そう言いながら、予備の眼鏡をかけてコズミは言う。

「例えばどんな利用法があるの?」

「えーと…ミオウ、よく気付いてくれただワイさ!」

 素朴な質問をした未央に、ビシッと指を挿して説明をし始める。

「心拍数等の変化…即ちその人が感じた精神的な負荷なども分かるこの眼鏡を使えば、気になるあの子にアタックをかけた時にドキドキしてるかどうかも確認できちゃうのだワイさ!」

 空中で胡座をかき、クイッと眼鏡を動かし、饒舌に話す。

「ほー、成程。じゃあ二人きりで話してる時にそいつをつけてれば相手が気があるかどうかが分かるわけか」

 そう言うヒサシはジャンプし、油断していたコズミからヒョイとメガネを強奪した。

「ぁっ! 勝手にとるなだワイさ!」

「い〜じゃない。レビュワーが増えるわけだし!」

 ニコニコしながら、そのメガネの効果を実感していた。

「そうだ、悟」

「なんだ」

「何でお前、この子を家に居候させたんだ?」

 唐突な質問に俺はビックリする。

「何でって、そりゃあ」

「アタシが気になってたからだワイさ!」

 ドキッ。

「変な言い方するな! 元はと言えば俺はAIロボットが欲しくて…」

「でもお前、『どれよりも気になったから』って言って俺の店から持ってったよな?」

 ギクッ。

 こいつら、鎌かけて来やがった。

「亜希子ちゃんも変なこと言わないでよ、ね? ね?」

 俺は焦りを隠すように亜希子に言う。

「いーや、俺はその日ちゃんと見たんだからな。なんせ元々俺の店に不審者としてコイツは上がり込んでいたのを、アンガイが見つけたんだ」

「えっ、そうなの?」

「そうだぜ、未央。そしたらアンガイが『探究心の方が重要』ミテェな事言ってたの、俺は覚えてるからな」

 ギクッ。

 その光景を見ていたヒサシが一言。

「おーおー、数値がブレてるブレてる。俺これ買っていいかな?」

「ほんとだワイさか!?」

「いくらぐらいよ」

「二千五百円だワイさ」

「ちっと高いけど…明日持ってくるわ〜」

 若干ぼったくりな値段な気もするが、それ以上にこの眼鏡が最悪なやつの手に渡ってしまった。

「ねえ、悟くん…」

「は、ハイ!」

 急にマジマジと未央に見られる。

「………」

「……どう、ヒサシくん?」

「ふむ、確かに変動は見られる」

 何故かほっと一息をつく未央。

「ふう、良かった…」

「もしかして、俺が好きじゃないと思ったのか」

「ええ」

 思わず俺はずっこけてしまう。

「あのなぁ!」

 反論をしようとしたその時である。

「ふーん…」

 一人面白くなさそうな顔をしている奴がいる。

 この宙に浮いているヤツだ。

「でもアタシとも、お得意様…パートナーだワイさよね、サトル?」

 ニヤニヤと含み笑いをしながら、俺にぴたりと後ろから、宙に浮いたままハグをして来た。

「なによそれ!」

 机をダンと叩き、未央が怒る。

「アタシの方が付き合い長いのに! そうよね、悟くん!」

「あ、ああ! 俺は未央との方が長いし、ちゃんと好き…」

「でもアタシは同棲してるだワイさよ〜?」

いよいよ本格的にコズミが挑発的になる。

「おうおう、面白くなって来てるじゃねぇか」

「亜希子ちゃん、俺らは三つぐらい座席離れて見てよう」

「おう、そうだな。どうせ負傷しそうな気がするし、触らぬ神に何とやらってやつでい」

 遠巻きに見ていた二人は更に遠くに離れる。

 元はと言えばヒサシと亜希子が鎌かけ始めたのが発端なのに、なんてズル賢い奴らなのだろうか。

「悟くん…!」

「あーあー、ドンドンお怒りメーターが上昇しとる」

「呑気に言ってる場合か! おい、コズミ、離れてくれ!」

「いやだワイさ〜! こんな楽しい時間、逃す訳にはいかないだワイさ〜!」

 完全に遊んでいやがる。

 その俺を抱きしめる腕はもうすでに半ばロックをかけているような状態だった。

「悟くん!!」

 彼女の目が点になっている。

 その表現が今の彼女を表すのに一番適しているであろう。

 眼鏡をつけていずとも、怒りの熱と圧がすぐそこに来ている。

「いけ〜! やれだワイさ〜!」

「ばか! コズミ! これはプロレスごっこではなく今後の俺の人生がドゥオアハァァァァァァァァァァ!!!」

 後ろからロックをかけられた俺は逃げる術もなく、我を忘れ、食堂の俺らが使用していた長机を持ち上げた未央は、それを俺に思い切りぶつけて来た。

 ぶつかる瞬間、ロックが解除された俺はクッションが存在しなくなり、壁を突き破り青空に天高く吹き飛ばされていった。

 …俺はこの世界がシリアスな世界でない事を心底嬉しく思った。


           *


「帰りのショートホームルームだが…天堂、安貝はまた休みか」

「保健室で寝ています。今度はぼきぼきに骨が折れているそうで」



4-夕方、安貝家・悟の部屋にて-



『あ、そーなの! 良かった良かった! 早速売れたの!』

 俺が自室で最初に見た光景。それは、俺のベッドに座り、スマホのような通信端末を使い喋るコズミと、その画面に映るコズミの親父の姿だった。

「うん! サトルのお陰で二個も売れたんだワイさよー!」

 コズミは嬉しそうに言う。おそらく昼の出来事の話だろう。

「何がお陰だい! ぼったくりのような値段つけやがって」

 俺は拗ねながら二人の会話を聞く。

 この親にしてこの子ありと言ったところだろうか。ヒサシが購入した分だけではなく、俺が一瞬だけしかかけず、未央によって粉砕された眼鏡代もシレッと請求してきた。

 お陰様で今週分のお金はパーである。

『やっぱ息子殿のどこに置いて正解だったな! 前に作った『こわせん銃』も、息子殿がウチに打ってくれた事で、美容グッズとして利用できると思ってな。製造会社に要望出してみて、少し改良して売ってみたら大儲け! 息子殿には感謝しても仕切れんだワイさ! ガッハッハ!』

 どうやらあれ以降、昔のすらっとした体型に戻ったコズミの父は街で女性に声をかけられることが多くなったらしい。

「そりゃどーも…」

 俺は適当に返事をする。

『そうだ! そんな息子殿に一つお話があるんだワイさけども』

「なんですか…もう今週分のお金はコズミに全部取られたんでお買い物はできないんですよ」

 またどうせ商談の話だろう。

 そう思っていた。

『いやいや、商談ではなくてな! …いや、ある意味これも商談ともみれるのか…? まぁいい』

「そんな勿体ぶらないでくださいよ」

 正直このまま通信機器の電源を切りたい。

『そうか! じゃあ言うぞ…』

「…」

『コズミを息子殿にやる! 結婚結婚!』

 …結婚ねぇ。

 …結婚?

 …ちょっと待った。

 …けっこん…。

「どうしてそうなるんじゃ!」

 一分ほどの静寂の後、漸く俺は突っ込むことができた。

『というのも、息子殿が帰ってくる前からコズミと話してたんだがな。どうやらコズミは地球が楽しいとのことだワイさ』

「…そうなのか?」

「ウン!」

 彼女は笑顔で縦に首をブンブンと振っている。

『けど本来、ウチがコズミを地球に置いたのは『エントロピー商事』の娘の何恥じぬような、仕事が出来る娘になって欲しい為の『社会科見学』的な意味で送ったんだワイさ』

「ふむ。…だとすると、一定の成果が得られてしまえば、地球にいる意味が無くなると…だから俺の嫁にさせる事で地球に置こうと…」

『そう言うことだワイさ! 流石息子殿、わかってるだワイさ!』

 だからこれを商談と表現しようとしていたのか。

『ビジネスも恋も原理は同じ! 相手にアピールして、好かれて、初めて成長できるんだワイさ。つまり、異星人である息子殿と結婚することは、ケイオス系の住民からすれば、地球という超魅力的な大企業への営業機会と言うビッグチャンスなんだワイさ!』

 魅力的な他企業に売り込み、仲良くする事で自社の成長を試みる…。

 魅力的な相手に自分をアピールし、仲良くする事で愛を育む…。

 恋もビジネスも原理は同じとはよく言ったものである。

「ま、言いたいことはわかるが…残念ながら俺には好きな人がいる」

『ウチのコズミのことだワイさか!?』

「ちがうわ! …コズミはもう分かってるよな」

「えーと…あ、ミオウだワイさね?」

 ポンとグーでもう片方の掌をポンと叩きながら言う。

「そーだ。だから残念ながら付き合うことはできん。だからキッパリ諦めて…」

 その時である。

『面白いだワイさ!』

「へっ?」

 電話越しに聞こえてくるその意外な回答に、俺は聞き返す。

『ウチも若い頃は一途なケイオス人だった…。けれども周りからはイケメンお兄様のあだ名で知れ渡っており、常に女性が誘惑してきた…。しかしその有象無象の中に、一人。たった一人、ウチが好きだった人以上に魅力を売り込んだ女の人がいたんだワイさ! それが今の妻なんだワイさ…』

「なんだその自惚れた話は」

『だからこそ! だからこそ! 息子殿の悩まし〜い気持ちもわかる!』

 絶対解っとらんぞ。こいつは。

『その大きな壁をぶち破り、コズミを成長させたい! だからウチは諦めないだワイさ! 息子殿とウチのコズミが結婚できるように、コズミのサポートをしていくだワイさ!』

 話が飛躍してきた。

 というかそれはただの親父の願望ではないか。

「勝手にしてくれ…というかそれは親父の希望ではないか! コズミの気持ちはどうなっとるんじゃ」

「アタシは、地球の魅力を教えてくれるサトルが好きだワイさよ」

 ニッコリと、ストレートに『スキ』と言われて思わずドキッとする。

 …しかし、俺には未央という女性がいる。彼女こそが、小さい頃から付き合ってきた、俺の中で大事な存在なのだから。

 ―サトル〜! 未央ちゃんがきてるわよ〜! 全く返事がないわね…ささ、どうぞ。多分上にいるから会いに行ってあげて!

 ―あ、お邪魔します。

「あ、サトル…顔赤くなってるだワイさ〜! もしかして今のスキだけでドキドキしたんだワイさか〜?」

『息子殿も可愛いところあるんだワイさな! ガッハッハ!』

「ええいうるさい! さよーなら!」

 バタンと通信機器の蓋を閉じて会話を強制終了させる。

 ―おーい! 悟くん、いないの〜? 未央なんだけど〜!

「いきなり親の目の前でスキ〜! なんて言ってる娘がいる光景なんざ、こっちが恥ずかしくなるわ!」

「もしかして、ミオウはこんな事言ってくれなかったんじゃないだワイさ〜? アタシならいっぱい言ってあげるだワイさよ〜?」

「ええい、うるさい! お前の営業はマルチ商法なんじゃ!」

 ガチャリ。

「悟くん、これ忘れ物なんだけど…」

「俺と結婚するならまず俺の興味を未央から逸らすことに成功してからにせい!」

「えっ……」

 ……。

 ……。

 ……。

 どこから、聞いていたんだろう。

「あら…ミオウだワイさ…」

 流石の宇宙人娘もなんとなく察したのだろうか。

「…結婚…?」

「……え、ええ! そうだワイさ! アタシが地球にいる為にはサトルと結婚するしかないんだワイさ!」

 全く察してなかった。

「ど、どういう事よ! やっぱり同棲なんて怪しいと思ったのよ! 悟くん! どういう事なの!」

 …ま、待ってくれ……未央。

 …と、言いたいところであったが俺は今、猛烈に彼女の剛腕ビンタを喰らっている。

「あ、あのにゃ、みほふ……」

「言い訳無用! こんな突然出てきた宇宙人娘に渡すもんですか!」

「でもさっきアタシが『スキ』って言ったら顔赤くしてたワイさ」

 よ、余計なことを言うな…。

 とは、とっさに言えない。

 顔が腫れているので。

「な! 悟くんの浮気者! 突発宇宙娘に気を取られるなんて!」

「い、いたい! いたい! やめて!」

 俺は更にグーでとどめのパンチを喰らう。

「サトルに対する愛の注ぎ方が雑なんじゃないんだワイさか〜?」

「な、なにを! 悟くんは絶対に渡さないんだから! ね、悟くん!」

 …。

「返事しなさいよ!」

 今のビンタで俺は意識が戻る。

「返事は!」

「へっ!? は、ハイ…」

 訳もわからず返事を取り敢えずする。

 その瞬間である。

「ダワハァァァァァ!」

「そんなに軽々しく返事するなだワイさ!」

 俺は遠い彼方へと吹き飛ばされる勢いで、謎の蹴りを喰らう。

 おそらくコズミの『ケイオスキック』…サイコキネシスの蹴りだろう。

 そこからの記憶は、ない。


           *


「悟、起きた?」

「…ん。か、母さん…?」

 何故か一階の和室に敷かれた布団で目が覚める。

「あなた、まさか二股かけてたなんて…」

 …?

「二股…?」

「ええ、コズミちゃんと未央ちゃんに…」

「ちがうわ。あれはコズミが勝手に…」

「でも母さんも頑張るわ」

「…?」

 寝起きの俺は終始ぼーっとしながら話を聞いていた。

「私だって学生の頃、意中の男子生徒に猛烈なアピールをしたのよ…負けたけど」

「なんの話だ」

「だから分かるわ! あの二人のことも! でも悟。決定権はあなたにあるの。二股なんて、そんな焦らしちゃダメよ! 二人ともメラメラになっちゃってるじゃない!」

 …だから一体なんの話なんだ。

「母さんはなにも手助けしてやれないけど、いつかはちゃんと、必ず答えを出すのよ! それが元乙女からの、女側からの意見…」

 …寝たふりをしよう。

「私はあまり物。今の父さんのことも嫌いではないけど、やはり歴代で並べると第十位ぐらい…安い月給でなんとかかんとかやってもらってるけども…あれがどうしてこうなって…」

 俺には何にも聞こえない。聞こえないのだ。

 片方の父には『複数対一』の一人側を教えられ。

 自身の親からは複数側を教えられる。

 当の本人、俺の周りというと…。

 幼馴染には浮気者扱い。

 変な宇宙人からは結婚催促。

 …誰か解ってくれる人はいるのだろうか。

 これからを想像して絶望していた、そんな時である。

 ある一通の通知が俺のスマホに届く。

「父さんからだ…」

 俺が寝ている和室のすぐ隣の、食事をする部屋にいる父さんからのメッセージだった。

「直接言えば良いのに…」

 布団の中でゴソゴソと、その通知を見る。

 ―頑張れ。父さんはいつでもお前の味方になるぞ―

「と、父さん…」

 ひょこっと布団から顔を出し、父さんの方をみる。

 テレビを見ていた父さんは、俺が見ていたことに気付いた。

「…」

 また無言でテレビの方を見る。

 しかし、その彼の指は俺にサムズアップを向けていたのだ。


 …俺とは違うが、人生のなんらかにおけるプロなのだろう。俺は直感で理解をした。

 父さん、俺は頑張ります。

 自惚れイケメン貿易マンや遠距離攻撃宇宙娘に負けない、そして幼馴染の暴行や漢女のパワーにも耐えてハッピーな結末を迎える為に。

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