三匹の狗
暗い和室。
時計は既に0時を指し示し、今頃御屋形様はお布団ですやすやと眠っている頃合いだろう。
正直言って、今すぐにここを出て御屋形様への部屋へと急行して今まで培ってきた忍者らしい隠密を用いて御屋形様の隣で抱き着きこっそり添い寝...もとい湯たんぽの代わりとして温めて差し上げたい....っ!
けれど、隣に居る狗遠も母上が居るように今はこの部屋から離れられないのだ。
これも一応、畜生道としての仕事の一つではあるからだ。
「それでは....話を始めましょうか。」
メガネをかけたショートカットの女性。
その表情は仏頂面でどこか冷たく、瞳には酷薄な光が宿っている。
白と黒が基調のメイド服のような意匠の和服を着た和装メイドは淡々とした口調で私たちに語り掛けてくる。
一条澪師匠!
御屋形様のお世話係であり、この『鎮守』の実務を担っている人。
そしてわたしや狗遠にとっては、御屋形様の狗として共に居る為の作法などを叩き込んでくれた師匠とも呼べる存在なのだ!
なんでも御屋形様のオムツを変えたことがある程に長い間仕えているらしく、わたしとしては師匠でもあることからも偏に頭が上がらない思いだな!
...狗遠は『態々そんなこと言う辺り、自慢に思ってそう』とか言うようにそうでもなさそうなのだが。
それに母上とは折り合いが悪そうで、ちょっと険悪な感じだ。
私としては尊敬する母上と師匠が仲が悪いのは、なんとも言えない気分だな....。
現に今、この部屋の雰囲気も凄く居づらい....。
うぅ....御屋形様ぁ....。
「ここ数週間の間に異常な降水量の増加に比例して、ここ近辺....特に山間部における魔の出現頻度が急増しています。均衡を保つ為にも、今以上に討って出る機会も増えることは予想に難くない。だからこそ貴女がたには戦いのみならず、今まで以上にお傍に居らっしゃるであろう若様の体調にも気を配るように。また若様が出れない今のような深夜などにおいては若様の走狗として率先して打って出るように。...良いですね?」
「...そのようなことは、貴女に言われずとも分かっています。寧ろ、今ここで問題にすべきことは別にあるでしょう。」
師匠がそう口にすると、母上は微かに眉根を顰める。
ひえ....あからさまに苛立ってる。
対して、師匠の方も何が面白いのやら口元に薄く笑みを浮かべてるし。
「今ここで別に問題にすべきこと....ですか?はてさて....実務を司っているこの私にすら気づいていないことがあろうとは。是非ともお教え願いたいものです。」
「わたくしから直に聞く前に、自分の胸に手を当ててよく考えてみては?」
「...随分と上から言いますね。はぁ...鎮守の実務を偏に担う身の上になって若様のお世話すら儘ならない身の上になったかと思えば、まさか子飼いの狗にまで軽んじられるようになるなんて....飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのことかしら...。」
「お生憎様、わたくし達は『鎮守』ではなく御屋形様個人の狗。貴女に傅く道理などない。...それは契約を取り行った貴女ならば分かっているでしょう?」
「えぇ。...それに私が飼うとすればもう少し利発そうな子を飼っていますから。子犬であれば躾けで何とか出来ても、成犬はどうにもしがたいというのは本当の事のようですね...ふふっ。」
師匠は私と狗遠に目を配った後に、母上を見てクスリと笑う。
すると、今度は母上の方も口元に手を当て目を細めて笑みを浮かべる。
「....哀れですね。『わたくし達』は御屋形様に見初められてお傍に侍ることを許された身。あぁ、貴女は.....。」
「...何を嗤っているのか知りませんが、私は若様が赤子の時からの仲...オムツを交換して差し上げたほどの仲です。心配して頂かなくても、けして切れる事のない絆という物がありますから。...母だの甘えろだのと若の周りに纏わりついているようですが、貴女は甘えられたことはないでしょう?今の若も精悍ですが、昔の若はそれはもう可愛くて可愛くて....同じ布団でギュッと抱き着いて、赤子のように胸に顔を擦りつけて来た時はもう....高校に行こうとすれば袖を引いて行かないで❤と言ってきたことは一度や二度ではありません。ご成長なされた今でも、瞳の奥でお姉ちゃん~❤と甘えた欲が垣間見えますし、やれやれ....ご当主としてしっかりして頂かなくては.....。」
「けれどそれは過去の話でしょう?...いえ、この話はこの辺で止めに致しましょうか。これ以上は見るに堪えないことは目に見えておりますから....。」
「キャンキャンとよく鳴く犬っころが...元気が良すぎるのも考え物。年をお考えになっては?」
母上と師匠は互いに笑みを浮かべて、対峙する。
されど、二人から発せられる重圧で部屋は息苦しい空気に包まれていた。
師匠は御屋形様との思い出を過去の事と切り捨てられて苛立ってるし、母上は母上で年齢を出されて青筋を立てている。
やっぱり母上と師匠は馬が合わないのだ....分かってはいたけど、この空気感正直キツイぞ....。
いつ衝突するか冷や冷やするほどの圧。
ううぅぅ...、なんでこんなことに.....。
このままではお互い睨み合ったまま、話が進まないのは自明。
だからこそ、今の空気感をなんとかしないと.....。
「.....」
重圧に冷や汗を搔きながらも逃げ場を探るように隣を見れば、狗遠は素知らぬ顔をしていた。
毎度毎度こうなのだ、狗遠は母上と師匠が衝突した時決まって素知らぬ素振りを決め込むのだ。
うぅぅ...卑怯だぞ、それ....たまにはそっちがなんとかしようとしてくれ......。
「は、母上!そのっ...いつまでもこうしているのは何ですし、そのっ...今ここで問題にすべきこととは一体何でしょうか....?」
二人の間に割って入るように母上に声を掛ける。
すると母上は発していた圧を少し緩めると、わたしに視線を向けた。
「...そうね、ありがとう結戌。では澪さん...言わせてもらいますが、どうにも貴女...最近御屋形様に『陰陽道』を指導していらっしゃるとお聞きしましたが、一体どういうおつもりなのですか?」
母上は目の前の師匠を睨みつける。
...確かに、それはわたしも気になっていた。
最近、御屋形様がよく執務をしている師匠に会いに行って陰陽道...特に符術を教わっているということ。
陰陽道...それは鎮守における陰陽師が使うとされる、魔を祓う為の力。
しかし言い方を変えれば戦う為の力だ。
それを御屋形様が学ぼうとしている....それがわたしたち畜生道には大きな意味を持っていた。
「どういうつもり...とは?私はただ御屋形様の意向に従っただけですが。」
「...御屋形様は鎮守の長です。鎮守の長として祓われる魔を見届ける役目を持つことは分かっておりますが...その際には御屋形様の剣たる我々が魔を討ち滅ぼすもの。やんごとなき身である御屋形様が魔に対して戦うなど危険すぎる....それなのに陰陽道という戦う為の力を教え込もうとするなどわたくしには徒に御屋形様が危険な目に合う可能性を高めてるように思えてなりません。貴女は、御屋形様が生まれた頃から仕えて来たのでしょう?だから問うているのです、...どういうおつもりかと。」
母上はまっすぐ師匠に視線を投げかける。
その視線を受けて、師匠は一度溜息を吐くと口を開く。
「鎮守として考えれば問題はありません。若の意向である以上は猶更です。...寧ろ、それを問題に上げるのであれば胸に手を当てて己を鑑みるべきなのは貴女がたの方では?」
「...なんですって?」
母上は眉根を顰める。
それはわたしも同じだ。
御屋形様が陰陽道を習い出したことにわたし達が関係あるがあるって...どういうことなんだ...?
戸惑うわたし達を他所に、師匠は容赦なくその言葉を口にする。
その言葉は突き刺さり、わたし達の心に根を張った。
「貴女がたは若の剣であり、魔と面と向かって戦うことが役目。だというのに、若は陰陽道という戦う力を求めた。それはつまり、貴女がたを力不足に思っていることの表れなのでは?」
◇
清々しい程の青空に、頬を撫でるそよ風。
爽やかな朝、僕は母屋の庭先に立っていた。
「...それでは、今日の講義を始めましょうか....若様。」
「あ、あぁ....うん。」
そして僕の傍らには僕の昔からのお世話係にして、今では鎮守の実務を担っている僕にとっては姉のような存在である一条澪が僕を見つめてメガネをクイッと上げた。
今は昼下がり。
丁度、澪の時間が空いたのもあって今日も陰陽道について色々教えてもらう...のだが。
「...なんですか?その反応は。わ~か~さ~まぁ~?」
「い、いや....今日はそのっ、どうしたんだ.....?」
怪訝な顔で前のめりになって僕に顔を寄せてくる澪。
けれど、僕はそんな澪から目を逸らした。
彼女に不満があるわけではない、問題は澪の今の恰好だ。
普段の白と黒が基調の和装メイド服や儀礼の時に身を包む巫女服でもない。
今にもボタンが弾けそうな程に胸の主張が激しく、開かれた胸元からは長い谷間が見える白いワイシャツ。
たっぷりとボリュームのあるお尻をこのまま収め切れるか不安になる程にパッツンパッツンに伸びきったタイトスカート。
そのタイトスカートから伸びる艶やかで健康的な太ももは、薄い黒のガーターストッキングに包まれて却ってむっちりと肉感的に見えていた。
元々彼女がメガネを付けていることも相まって、その出で立ちはまるでエロ動画などに出てくるタイプの男の欲望でイヤらしく歪められた女教師や女秘書のようだった。
そりゃ、直視できないよ。
近寄られて前のめりになられたら猶更。
ぶっちゃけ今日も頑張るぞと意気込んでいたら、いきなりこんな格好で来たので滅茶苦茶ビビった。
「なにって....これはまぁ、形から入った結果です。若が真面目に教えを乞うてくるのならそれに相応しい姿勢で私も臨まなくてはならないでしょう?だから、女教師の服装を今日は選んでみました。...しかし、よかったです。どうやら若はこの服装がいたくお気に召したご様子。...ですよね?わぁか?❤」
「べ、別に...っていうか、女教師の服装って...なにを参考にしたのか詳しく聞きたいんだけど....。」
「ふふっ、やっぱり興味津々ではないですか若。...けれど、なぜ若は私と目を合わせてくれないのでしょう....?ねぇ~若ぁ~?もしもぉ~し...あれれ、恥ずかしがっているんでしょうか....?...若ぁ~?澪は若に目を逸らされて寂しいです...若の可愛いお目目、見たいなぁ...❤」
クスクスと愉快そうに笑いながら、僕の顔を覗き込んで逸らした視線の先に回り込もうとする。
その様は、なんていうか....いやまぁそりゃ昔からの世話係だから当たり前なのだが、拗ねた子供に対してそれに付き合いつつも戯れようとするおねえさんといった感じの意地悪な微笑を浮かべていた。
澪はいつもこんな感じだ。
普段の佇まいは如何にもクールで、ともすれば冷徹にも見えるような美貌を持った女性。
鎮守として儀礼を行う時など仕事の場面ではなんともきっちりとしたクールで仕事の出来るお姉さんと言った印象を受けるだろう。
けれど、もっぱらそういう鎮守の仕事の絡まない時の彼女は...なんていうかこういう感じなのだ。
甘やかしてくれるっていうか...揶揄ってくるっていうか....。
それでいて仕事で疲れた時は、何故か年下である僕に対して駄々を捏ねるみたいなことやり出す。
....こう、なんとも心臓に悪い...というか、キャラの濃い感じのお姉さんである。
まぁ、僕にとっては姉のような存在でずっとお世話して来てくれたわけなので感謝しかないんだけどな。
それはそれとして正直、今の状況はまずい。
むず痒いというか照れくさいというか....それで思わずまた目を逸らしてしまう。
するとこれまたクスクスと澪は楽しそうに笑うと、また僕の視線の先に回り込もうとする。
なんだ....なんなんだこの時間は....!?
「わ。わわ、....わたしに、本いっぱい運ばせて、み...澪ちゃ....じ、自分は若くんとイチャつこうとしてる....や、やめてぇ~~~!こ、こんなのってないよぉ~~~!!」
するとこのよく分からないのに、何故だか気まずくむず痒い時間を切り裂くかのようにへなへなとしながらも、不平を訴える女性の声が響く。
声の方向に目を向けると、そこは庭先に面した母屋の縁側。
うず高く積み重ねられた陰陽道の文献とそれを積み上げる途中で疲れてしまったのか、一人の女性が本の山にもたれかかって顔だけ上げて涙目でこちらを見ていた。
全身を包み込むような長袖のゆったりとした黒ワンピースからはムチムチと肉付きの良い豊かな身体のラインが現れている。
肌は普段外に出ることもない故か色白でへにゃりと垂れた眉や目つきから温和そうな、敢えて悪い言い方をすれば頼りなさげな印象を受ける。
結構背が高く、着ている服のデザインや肌の白さも相まって夜に遠目から彼女が目に入った時には怪異で言う所の所謂八尺様の類かとガチビビりしたことがあるくらいだ。
....まぁ、世界観が世界観だけあってな。
二条和。
澪と同じく鎮守の運営を司る『御三家』の一角、二条家の女性。
彼女自身は澪が実務を担っているように鎮守が保管している文献などの管理を偏に担っており、それ故か普段は文献を保管している蔵書院に籠っていてほとんど出歩くことがないらしい。
いつも怯える小動物の如くおどおどしていてネガティブではあるけれど、温和で優しくそれでいて美人な女の人である。
....記憶が朧げだけど、前は結構元気な人だった覚えがあるんだけどな。
ちなみにもう一角の三条は10年前くらいから消息が掴めないらしい。
澪や和にそのことを聞いても問題ないとしか返答返ってこないし....この世界がもしかしたらNTRゲームの世界かもしれないという恐れがある以上、めちゃ不安である。
もしかして...物心付く前から始まってる....ってこと!?
そうではないって信じたいな....。
まぁ、何とはともあれ普段蔵書院に籠っている筈の和が何故居るのか?
それは澪が僕の陰陽道の講義を行う上で、蔵書の管理を行っている和に文献を引っ張り出すように要請したからに他ならない。
....とはいえ、同じ御三家で何か思う所があるのだろうか?
この量を運ぶのは大変そうだからと僕が手伝おうとしたら、『主にそのような雑用をさせるわけにはいきません。』や『あの子は普段蔵書院に引き籠っているのですから、これも良い運動です。』と止めてきた。
その結果がこのゼ―ヒューと荒い息を吐きながら文献の山にもたれかかっている和なわけだ。
「...これは必要な指導です。生徒が教師に対して目を合わせることが出来なければこれから何を教えても身にならない可能性が高いですから。」
「あ、あ、...う、ううう嘘だよぉぉ....!ぜったい....じ、自分の事しか考えてなかったもん...!そ、それに...こんな重いの持たせて...しんじゃうぅ.....こ、ここ、この前....澪ちゃんが仕事終わりに食べようとしてたお菓子食べたの、まだ根に持ってる....!こほっ...ごほっ....。」
「その程度で人間は死にません。それにこれは貴方の事を考えた上でのやらせていること。貴方はあまりにも運動しなさすぎです。前屈すらまともにできずに炎天下では5分も持たないなんて何の冗談ですか。そしてお菓子の件については違う物ですが詰め合わせセットを貴方の給与から天引きして頼みましたからもう気にしていません。えぇ、最終日になんとか時間見つけて並んで買ったプリンを、しかも寄りにもよって限定の味を全部食べられるなんてなんて豚のような意地汚さだなどとは思っていませんよ?」
「ひぅぅぅぅぅっ!ひ、ひどいぃぃ....!げ、限定なんて、知らなかったもん....た、確かにわたし悪いけど....で、でもぉ~~~~、わ、若くぅぅぅぅんん!」
「...なんでもいいですけど、隙あらば若に甘えるの辞めてもらえますか?貴方、若より年上でしょう?恥ずかしくないんですか?」
和はこちらに目を向けて、手を広げる。
うるうると潤んでいる瞳。
そんな必死な目を向けられたら、行かざるを得なかった。
「....若。」
「え、いや...でも....ほら、ここまで運ぶの頑張ってくれたのは事実だし...。」
「...そうですか、若がそう言うのなら私は異論はありません。」
ジト目でこちらを見つめてきた澪は、僕の答えを聞くと諦めたかのように視線を外す。
そんな澪に苦笑しながらも和の近くまで歩み寄ると、和は僕の腰に抱き着いて来た。
「え、えひ...えひひひ....わ、若くんやさしい.....あ、あ、あのっ、お姉ちゃん抱き着くの嫌だったら、嫌って言ってね....。」
「別に嫌じゃないよ....えーと、なんか色々あるみたいだけど...取り敢えず、ここまで沢山文献運んでくれてありがとうね。和、運動苦手って言ってたし...頑張ったでしょ?」
「う、うん...が、がんばった...で、でもねでもね、ご褒美とか、要らないよ...?わ、若くんに頑張ったねって言ってもらえて、満足....そ、そうだ...若くんも普段、頑張ってるよね...お、お姉ちゃんなにもしてあげられないけど...あ、そうだ....お、おおおお、おぱっ!おぱっ...ひゅー...い、言える...言える...おっぱ!おおお...!」
和はほにゃっと緩んだ表情で上目遣いでこちらを見てきたかと思えば、急に顔を真っ赤にしてあたふたとし始める。
何か言おうとして、どもってる感じ。
な、なんだ....?
「....盛り上がっている所申し訳ありませんが、私にも次の仕事までに時間がありませんのでその辺で。...分かりましたか、和。」
「あ...あうぅぅ...わ、わかった.....。」
すると、和は意気消沈した様子で俯いて僕を離す。
正直、可哀想に見えるが....けれど澪の隙間時間を僕の陰陽道の講義時間に割いてもらってるのも事実だ。
また今度、なんて言おうとしたのか聞いてみるか。
「...それでは、改めまして講義を始めましょうか。といっても、今回も前回と同様に符術による付与を行います。符術による付与において大事なこと、覚えていますか?」
メガネをクイッと上げて、澪は問うてくる。
それは勿論覚えている!
一応ちゃんと復習はしているんだ!
「霊体を捉えて、それに対してしっかりと狙いを定める事。」
「えぇ、正解です。大体の札は霊体を捉えて放つ際に目を離さなければ自動で追うように動くものです。そしてなによりも術者の資質に関係なく一定の効果が見込めます。支援においても攻撃においても初歩的でありながらも、最も効果的な一手と言えるでしょう。...専ら札自体にはそれほど複雑な術式を仕込めるわけではないので限界はありますが。」
そう言うと、彼女は胸の谷間から札を取り出す。
エロティックな光景に少しだけ目を背けると、澪は視線の先の一本の木を見つめてそのまま札を放った。
はらりと落ちゆく札、しかしまるで風に乗るかのように軌道を変えると真っ直ぐに木目掛けて飛んで行ってピタリと幹の表面に張り付く。
札は色々梵字っぽい紋様が書かれて分かりにくいが、どことなく真ん中には『湿潤』と書かれているように見えた。
その瞬間、段々と札を張ったところを中心にして幹の色が水を掛けられたかのように濃い茶色へと変色していった。
「...このように、様々な効果を付与できます。それではやってみましょう。以前お渡しした眼鏡は、ご用意しておりますね。」
「あ、うん....ちょっと待って....。」
言われるままにポケットから眼鏡ケースを取り出すと、それを開く。
中には珍しく竹製のフレームで出来たスクエアタイプのレンズのメガネ。
僕は目を閉じるとゆっくりと眼鏡をかける。
目を開けたまま掛けると、視界の変化に少し気持ち悪くなってしまうから。
眼鏡をしっかりと掛けると、ゆっくりと慣らすように目を開く。
すると、視界が....レンズの先に見える光景が先ほどとは違うことがよく分かる。
白、黒....。
見えるはずの青々とした木々も、茶けた土も...そして上を見上げれば爽やかに澄み渡った蒼い空も。
どれもがまるで色褪せたかのようにモノクロ。
それでありながら、木々や茂み....それらの物全てに共通して見える物。
青い、脈のような光....『霊体』が透けて見える。
このメガネは言うなれば補助輪だ。
本来、澪などの陰陽道に習熟している人間は感覚で物の霊体を捉えることが出来る。
されど、僕はそういう訓練を今まで積んできたわけではない。
そこでいち早く霊体を感覚で捉えることが出来るようにまずはこの視線を注視した物の霊体を映し出す眼鏡で慣らすというわけだ。
僕の望むことをいち早く実現する為と澪が言ってくれただけあって、このメガネを使い出して何とはなしに霊体っていうのを意識する瞬間が多くなった。
....まぁ、まだ肌で感じるというか感覚で捉えることは出来ていないのだけれど。
それに、このメガネ....長時間掛けてると目が痛くなるし、滅茶苦茶吐きそうになるんだけどな。
「どうですか?」
「...うん、大丈夫。いつでもやれるよ。」
「そうですか。では....どうぞ。」
そう言うと、澪は前のめりになる。
そしてずいっと胸を張った....まるで胸をこちらに差し出してくるかのように。
例えモノクロで、青白い光が体の中から芯のように見えていたとしても見えていることに変わりない。
寧ろモノクロチックになっている分、谷間の影とかが目立って余計に意識させられる。
...っていうか、もしかして...札はそこから取れってことか!?
「...何を照れているのですか?まったく...これは講義だというのに。若は頭の中が真っピンク思春期なのですね。」
「なっ....!なんて人聞きの悪い....それにそんな....っ、胸の谷間から札取れって...そっちの方がやらしいじゃん!そんなことされて面食らうに決まってるし...こ、こんなの当たり屋と一緒!頭の中真っピンクのなのは澪の方じゃないか!」
やれやれと言った様子でまるでこちらに非があって呆れているかのような態度を取る澪。
いや幾らなんでも酷すぎる。
そんな、谷間から...お、お札取れとかいきなりやられたら戸惑うに決まってるし...なによりこちとら17歳の健全な男子なんだ。
照れるに決まってる。
寧ろそちらが仕掛けてきたんだから頭の中真っピンクなのはそっちなんじゃ....?
「....はぁ、そうですか。若様は私の事を下のことしか考えてない脳内ピンクのエロ女だとおっしゃりたいのですね?」
「いや、別にそこまでは言って....。」
「いえ、御遠慮なさらずとも構いませんよ。若様がそうおっしゃるのなら私はきっと脳内ピンクのエロ女なのでしょうね。若様が私をそう定義付けたのなら間違いありません。これからは自己を紹介する際は脳内ピンクのエロ女と自己紹介させて頂きましょう。とっても恥ずかしいですが若様が言うのだから仕方ありません。ねぇ、そうでしょう若様?だからいっっつも私の身体をジロジロ見ているのでしょう?このエロ女...昔からデカいケツしやがって...って思っているのでしょう?若様....若?」
「う...うぅ.....。」
な、なんで僕が詰められてるんだよ....。
凄い剣幕で詰め寄ってくる澪。
その気迫に思わず後ずさってしまう。
「わ、わわっ、若くんを...い、いじめるなー!毎回..まいかっ....若くんに、セクハラ...やめろー...!こ、ここっ...こにょ...エロ女ぁー!」
「...。」
「ヒィッ!?」
後ろで和が顔を上げて声を出す。
すると、澪はそんな和を目を細めて見つめる。
するとすぐにビクンと身体を撥ねると、怯えて小動物が隠れるかのように本に突っ伏した。
「...なぁ、流石に睨むのは.....。」
「別に睨んでなど居ません。...ただ、若が居るとよく喋るなって思っただけです。」
流石に苦言を呈すると、澪は拗ねた子供の用にプイッと顔を逸らした。
いやはや、なんていうか....そういう所は子供っぽいんだなって思う。
なにはともあれ、札を手に取らないと始まらない。
僕は恐る恐る澪の胸元に手を伸ばす。
手を伸ばすのは、彼女の深く長い谷間。
正直見てると意識しちゃうので、目線を逸らす。
視界の隅で木の幹の中の霊体が青々と光っていた。
瞬間、手に感じるのはふよっとした柔らかい感触。
多分、胸に手が触れたのだろう。
そのままさらに腕を伸ばす。
「んっ....❤もっと奥です....。」
変な声出さないで欲しい....。
谷間を掻き分けるとほんのりと温い上に、ぽにょぷにょにょ...ぽるんっ❤って感じのやわっっこい感触が手を包み込む。
さらに、谷間の中はじっとりと湿っぽい....蒸れていたのだろうか?
いや、考えるな!
これ、気を抜くと絶対顔に出る....そうなったらまた澪がなんか言ってくるに決まっている!
頬が熱くなる。
けれど、なんとか考えないように努める。
正直言ってシチュエーションとしては滅茶苦茶エッチだし、このままだと反応しかねない。
速く取らないと.....!
手探りで胸を谷間の間をまさぐると、カサっと紙のような物が手に触れた。
来た!コレだ!!
その紙を掴んで、谷間から腕を引き抜いた。
そこから出てきたのは澪が扱っていたのと同じ『湿潤』と書かれているように見えるお札。
....なんか谷間から取り出したせいで、湿潤も変な意味に見えてくるな。
「お札...じっと見つめてどうか致しましたか?あ、お鼻に近づけるのはご遠慮下さい。蒸れた女の恥ずかしい臭い...するかもしれませんから。」
「今から投げるのに鼻に近づけたりしないよ!?」
僕がそう言うと、澪はその反応を楽しむようにクスクスと楽しそうに笑みを浮かべた。
ここぞとばかりにめちゃ揶揄ってくる....!
そんな澪を振り切るように、目の前の木へと視線を向けて対峙する。
しっかりとモノクロの木の内部で輝く青い霊体を見つめる。
これに投げるんだ。
これに投げる....これに投げる...これに投げる....っ!
青い霊体に狙いを定める。
自然とお札を握る手に力が籠る。
そのまま、お札を手から離した。
ふよふよと紙が落ちていくと思えば、まるで風に乗ったかのようにふわ~っと木の方向へと向かう。
お、いいぞ....。
そしてお札が木へとたどり着く....その瞬間、青い光がもう一つ増えた。
「御屋形様ーーーーーっ!ただいま、帰還したぞっ!ニンニンッ!!」
「ミ゜ッッ!!?」
ニュポッと木の影から、結衣が印を結んだ状態で現れる。
背後...母屋の縁側の方で変な声が聞こえたのも束の間、結衣が現れたのはお札の進行方向先である木の前。
そして今僕は...結衣をしっかりと見てしまっている。
それはつまり、札が狙う先が変わったという事で....。
「むっ、これはお札....ひゃっ!冷たっ....んっ......❤」
結衣にお札が張り付くと、段々と結衣の服全体の色が濃くなっていく。
彼女の肌にも水滴のような物が浮かび上がり始めて、髪はしんなりとし始める。
湿潤....その効果が張り付いた先の結戌に出たのだろう。
結衣は突然身体中が濡れて、湿気たことに驚いて変な声を出す。
ついにはポタポタと髪の先から水滴が垂れる姿は水も滴る良い女。
どこかインモラルな雰囲気を帯びていた....って見惚れてる場合じゃない!!
「わ、悪い!大丈夫か!?」
「だ、大丈夫だぞ御屋形様...ただびちょびちょになっただけで....お札ってこんなになるんだな....❤」
....なんだろ、なんかエッチっていうか結衣の言葉に違和感を覚える。
けれど、まぁそれよりも重要なのは問題があったわけではないということだ。
いや今結衣びっしょびしょなんだけど、何か健康上とかに被害が出てるわけでもなさそうだ。
...よくよく考えてみれば澪が少し前まで素人だった僕に危ない物握らせるわけないから当たり前か。
「...御屋形様が謝ることはありません。突如現れたのは彼女の方なのですから。...そうやって忍術を使って移動するのは構いませんが、今は陰陽道の講義中です。使っている札が大したものではないからよかったものを、殺傷力のあるお札だったらどうするつもりだったのですか?」
「し、師匠...そ、そうだな...ご、ごめんなさい....。」
「まったく....貴方にも年相応の落ち着きという物を持ってもらいたいものですね。」
澪がはぁ...と呆れたように溜息を吐きながら詰め寄ると、結衣は俯いて謝罪する。
結衣や久遠が来たばかりの頃に、色々と教えたのが澪だ。
だからこそ、頭が上がらないんだろうな....結衣に関しては澪のことを師匠とまで呼んでいるし。
「とにかく、お札を外してそこを退きなさい。まだ途中で.....少々お待ちを。」
澪は結衣に木の前から退くように言おうとするも、それを遮るように澪自身のスマホが鳴る。
すると、そのタイミングの悪さに澪は再度溜息を吐いて僕に一言告げると後ろを向いてスマホを耳に当てた。
そしてしばらくした後に、通話を辞めると振り返って僕を見つめる。
「...申し訳ありません、若様。すぐに持ち場に戻らなくてはならなくなりまして....せっかくのお時間なのですか...。」
「あぁ、行って良いよ。寧ろ、これ...陰陽道では初歩的なことなんでしょ?それで休憩時間だったのに時間取らせちゃってごめんね。」
「いえ、若様が成長なさって世話役も要らなくなって実務を担うようになった今日この頃。こうして若様とお話しできる機会はとても貴重ですから。...私としましては、こちらを優先したいのですが...そう言うわけにもいきませんからね。また、昼休憩の時にでも....そこならいつでも空いていますので。」
そう言って澪は歩き去っていく。
...鎮守の運営は実質澪が行っているような物。
色々とあるみたいだし、忙しいんだろうな。
また昼休みに来いって言ってたけど、あまり澪の休み時間を奪うのもな。
明日からはちょっと頻度とか考えるか....。
「そうだ!和は陰陽道とか分か....あれ、居ない。」
「む?和さんならさっきわたしが来た時に大急ぎでどこか行ったが....。」
母屋の縁側の方を向くと、さっきまで本の山に突っ伏していた和はそこには居ない。
えぇ?
どうしたんだろう...文献置きっぱなしだし。
和にも何か用があったんだろうか。
あの和があんな疲れ切っていた状況から大急ぎでどっか行ったらしいし。
「...まぁ、なんにせよお帰り。今日も霊場の哨戒か....大変だったね。」
「フッ...これが忍びとしてのわたしの役目....。お茶の子さいさいという奴だぞ!」
得意げになってしたり顔をする結衣。
その様子がちょっと可笑しかったが、こうして魔が集まりやすい霊場の様子を見に行ってくれたんだ。
偏に感謝の気持ちしかないな。
「それで、御屋形様は....お、陰陽道...の練習か?」
「ん?あぁ、うん。」
「そうか....!新しいことに挑戦する御屋形様凄い!カッコいいぞ!」
「お、おう....照れるな。でも、まだ初歩的なことしか教わってないんだけどね。」
凄い褒めてくる結衣にどこか居た堪れない気分になる。
なんていうか、まだそんな大層な事教わっていないし...そもそも補助輪付きみたいな物だしな。
だからこそ、そこまで大手を振るって褒められるほどでもないというか...なんか恥ずかしいな。
「そ、それはそうとして....最近のわたしの新・股噛流忍術どうだ!?とてもカッコよくて見ていて楽しい術になってると思うんだけど....。」
「え、あ...あぁ、うん。この前の爆発の奴とかも凄かったな。」
思い出すのは前に見た結衣の忍術。
正直、絨毯爆撃みたいだなとか忍びなのに見ていて楽しいってそれって忍術なのかな?とか思ったりはしたが、凄いことには違いない。
すると、結衣はコクコクと首を縦に振る。
「そうだろう、そうだろう!そ、それに....凧も改造してさらに高く飛べるようにするつもりだし...そうだ!久遠もより一層刀の稽古に励んでいるぞ!母上は言わずもがなだし.....それに.....。」
「...結衣、どうしたんだ?」
段々と声が小さくなっていく結衣。
自分の腕を抱いて、段々と視線が下へと下がっていく。
なんだか思い詰めているように見える。
心配だな....。
「それは...そのっ....あ~~~~!こういう感じ、わたしらしくないっ!こうやって色々遠回しにしようとするのは性に合わないぞっ!」
すると結衣は首を横にブンブンとまるで何かを振り払うように振ると、顔を上げて僕を真っ直ぐ見つめた。
「そのっ、御屋形様は!...な、なんで急に陰陽道の練習を始めたんだ....?」
「なぜ?何故って.....。」
言葉に詰まる。
そりゃ、本当の事言えるわけないし。
僕が転生してきたこの世界がもしかしたらNTRの世界かもしれないので、寝取られる感じの軟弱で受け身な何にもしない寝取られ男みたいにならないようにとか言ってもワケわかんないしな。
すると結衣は不安そうな、まるで捨てられた小動物のような目で僕の目を見つめてきた。
「わたし達は...御屋形様に拾われた。故に、今御屋形様の剣として魔と戦っている。だから...そのっ、それなのに自分で戦う力を身に着けようとするってことはあの...、わたしたちのこと...もう要らないのかなって.....い、いや!御屋形様がそんな酷い奴じゃないってのは分かってるんだ!分かってるんだけど...その....。」
言い淀む結衣。
だからさっき、急に自分達のことアピールし始めたのか。
....彼女達の家は一度なくなっている。
それを僕の家が拾い上げたことで、股噛家と名前が変わったが残り続けた。
そんな日からすでに10年経っている。
ここは....彼女達にとって居場所となっていたのだろう。
それは、偏に嬉しい。
嬉しいが...それ故に、僕は自分の軽率さを悔いた。
そりゃ僕の剣として戦闘を一身に担っていたのに、その主が戦闘訓練みたいなの受け出したら不安になるのも不思議ではない。
そんでもって、僕はそんなつもりはないのだ。
結衣たちはいつもよくやってくれてるし、立場としては僕の方が上だが...なんていうんだろう、姉?にちょっと近いくらいの気安い仲だと...まぁ僕は思っている。
なんていうか....ここまでこの鎮守を自分の居場所だと思っていてくれて、僕に尽くしてくれている相手にこんな不安そうな表情をさせてしまっている。
それも寝取られたくないから~みたいなクッソふわっふわな理由で。
僕は決して、そんな顔をして欲しくて陰陽道の教えを聞いたわけではない。
だからこそ、安心させないとな。
陰陽道の練習を始めたのは、別に寝取られたくないからってだけでもない。
もう一つ、目の前の女性に言える理由がある。
「要らないなんて思うわけない。僕はさ、形式上は鎮守の一番偉い人なのに何にも出来てないわけじゃん。ただ、戦っているみんなの後ろでただ見ているだけ。」
「そんなっ!わたしたちは御屋形様が居るからこそ戦えて......!」
「...結衣は、自分達のこと僕の剣だって言ってたけど....僕にとっては結衣も久遠も陽貴も10年間も一緒に居る大事な人....大切な人達だよ。だから、そんな人達が戦っている間に...何も出来ないっていうのは嫌だなって。だから、僕も何か役に立ちたいから....だから僕は陰陽道を澪に教えてもらってるんだ。」
「....御屋形様っ...。」
そう、それが僕が今こうしている理由。
微塵の偽りも、取り繕いもない。
僕はただ、昔から一緒に居た女の人が僕の為として戦っているのを...ただ黙って見ているのは嫌だなって思った。
ただそれだけだ。
仲良かった人に、好きで居てもらい続ける為に頑張る。
子供ですら分かる、当たり前の事だ。
結衣は僕の言葉を聞いて目を見開く。
そして頬を掻いて恥ずかしそうに眼を逸らした。
「そうか....そうだったな、御屋形様は。なんか...勝手に誤解してたのが恥ずかしいぞ.....っ!」
「いやまぁ...そう思われてもしょうがないっていうか...悪いな、不安にさせて。別に本人に言ったところで問題はないんだけど...ほら、なんか恥ずかしいじゃん?そういうの面と向かって言うのって。」
そうだ、よくよく考えれば張本人の一人なんだよな。
うわ....なんか、めちゃ恥ずかしいこと言っちゃってないか....?
うわぁ.....目ぇ合わせらんねぇ....。
何口走っちゃってんの僕!?浮足立ってたんかっっ!!?
「でも、わたしも....わたし達にとっても、御屋形様は大事な人....大切な人だぞ....❤」
照れくささ故に目を逸らした少年は気づかない。
彼女の瞳に宿る光に、熱が籠っていたことを。
そして今晩、何が起こるのかをも.....。
◇
寝苦しさから、段々と意識が覚醒していく。
外から名前の知らない虫の鳴き声が聞こえる中、寝返りを打とうとしたがそこで異変に気付く。
....身体が、動かない
指とかそこら辺の末端の方は動くが、寝返りどころか足も腕も微動だにしない。
...なんだぁ、金縛りかぁ?
別に金縛りになったからっていちいち怯えたりはしない。
金縛りっていうのは所謂睡眠マヒ。
深い眠りの時に脳だけ目覚めた時の現象で、科学的なのだ。
....いや、でもこの世界だったら純粋にオカルトで金縛りになっている可能性もあるのか。
まぁ、何はともあれこういうのは動けない身体をねじ伏せるつもりで無理やり動かそうとすればなんとかなるものだ。
そうと決まれば腕に力を込めて.....。
そう思った瞬間、フーーーーーっと左右から顔に熱い息がかかる。
まるで得物を前にした獣が吐くような熱っぽい息。
そして次の瞬間、ざらざらとした生暖かくて湿った感触が頬を這いまわる。
な、なんだ....やっ...やっぱり....魔なのか!?
で、でも....ここは鎮守の母屋、結界は貼ってあるはずで....。
自分が魔に寝込みを襲われているかもしれない。
そんな危機的状況に立っている可能性に全身から冷や汗を流しつつ、目は開くっぽいので恐る恐る薄目を開けた。
そこには.....。
「フーッ❤フーッ❤身体あつい....疼きがぁぁ....はぁぁぁ...❤あつくて死んじゃいそうだぞ...たすけて...たすけて...御屋形様ぁ....❤御屋形様はやさしいもん...❤わたしのこと、たすけてくれるよな....?❤❤」
「フーッフーッ❤ハフーッ❤顔の匂い、好き...❤はー、くんくん...❤わたしたち、我慢してた...❤契約だから...それなのに...❤わたしたちのために、頑張るとか....誘ってる...っっっ!❤頭に来た...舐めるだけじゃ、すまさない....はむっ....❤歯型一杯付けて、外出歩けないようにするっ...!マーキング...このオス、私の...私のっ...!❤ヴ...ヴフゥゥゥゥ....❤❤」
「はぁ...❤はぁ...❤申し訳ありません、御屋形様....わたくし、母として年長者として止めるべきなのに...❤御屋形様の心意気に年甲斐もなく、乙女がくすぐられ...❤男と女が無責任にむつみ合う為の用具を卑しくも箱ごと枕元に勝手に置いて...気分だけでも楽しもうとしてしまって....❤これも全て股噛の品性下劣な雌故の気質....どうかこのような狼藉を、お許しくださいませ...お許しくださいませぇ......❤」
そこには結衣に久遠、そして陽貴までもが顔を並べていた。
興奮を抑えるかのような荒く熱い息遣いに、真っ赤に紅潮した顔。
目は血走ってて完全にイッちゃっており、舌をベッ~~~と突き出して普段では考えられない程に下品で淫靡な顔付きで僕の顔面や首筋をベロベロと舐めていた。
右には結衣、左には久遠で上からまるで掛布団かのように陽貴が覆いかぶさっている。
腕はしっかりとホールドされており、足は両側から足を絡まれて動くことも出来ない。
金縛りの原因は彼女達だった。
なんだか彼女達の高い体温で暑苦しいし、全身にめちゃ柔らかい感触がするし....なによりも凄く良い匂いだ。
それら全てが脳に跡を付けても、なお僕が感じるのは恐ろしさだった。
だってそうじゃん!こんな正気じゃない目で顔並べて!
舌伸ばしてっ!僕の顔舐めてっ!!
結衣は必死に甘い声で僕に助けを求めて、久遠は極度に苛立ったかのような態度で獣のように熱い吐息を漏らす。
そして陽貴に至っては必死に許しを乞うてる始末だ。
こんなの、普通じゃない。
なんでこうなった!?いつから...どうやって!!?
なんでこんなことしてるの!?
わけわかんない....なんも分からん...!
ただただ三人の有無を言わさぬ圧や熱気を感じている。
起きたらこうなってて意味が分からなくて、それでいて僕の身体も熱くなってて怖かった。
唯一の救いは彼女達の首元の紋様が微かに光っていること。
それは彼女側から僕に襲い掛かったり等が出来ないように制限する契約の印。
どのような手段を持っても解除できず、唯一の手段は僕がその行為に許可を出すことだけ。
すると、不意にピタリと唇を執拗に舐めていた陽貴が動きを止める。
そして顔を近づけると、僕の鼻先で小さく声を発した。
「御屋形様.....貴方、起きてますよね....?❤」
背筋が凍った。
バレた。
冷たい汗が背中を流れ、なんでか息が詰まる。
捕食者を前にした小動物がピタリと動きを停止させる時、こんな気持ちなんだろうな。
なんとなくそう思った。
「御屋形様....本当か....?❤それじゃ、わたしのこと...たすけてくれるのか....っ❤❤」
「寝たフリ...してたの?...私たち、こんな苦しんでるのに...っっ❤御屋形様....!御屋形様....っ!!フーッ❤フーーーーーーッ❤❤」
他の二人も動きを止めて、僕の顔を見つめる。
けれど、段々と確信を持ったのか。
三人はゆっくりと、口元にニマァ~~~っと三日月のような笑みを浮かべていた....。
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