番外編62 万物は相克し、相生する
そろそろ日が長くなって来た梅雨入りしたばかりの夕方。
「今日はもう雨は降らなさそう」と話しながら
「たすけ…け…けんか…とめ…」
「…刃物…もって…」
「いけの…トコ…」
息を切らして必死で言い募る。
「池の側で刃物持った男が喧嘩してるってこと?」
大丈夫?と茜が背中をさすりながらそう訊いてみると、女の子たちは首を縦に振った。クラッと眩暈がしそうな程に激しく。
「警察呼べばいいんじゃねぇの?」
「…か…っぷるで……いえ…じっかも…」
「カップルで家も実家も知ってるから後が怖いってこと?それこそ、さっさと片を付けねぇとエスカレートする一方で危ねぇっつーの」
「ったく」と英樹はぼやきつつ茜の肩をぽんっと叩いてから池の方へと走った。
意味は「警察と救急車を呼んどいて」である。とうに通報してるかもしれないが、複数通報があった方が緊急性が高いと判断されるだろう。
池の側という大まかな言葉でもすぐに方向が分かったのは、騒いでる声が聞こえたからだ。
刃物は色んなナイフが規制されているので大型のカッター程度かと思っていたが――――鉈だった!
菜切り包丁を長くしたような枝払いによく使われる一般的な長方形の鉈だが、アウトドアをしない人には馴染みがないかもしれない。
その鉈を持つのは筋肉隆々の男。
なるほど、女子が泡食って走って来るワケだ。
男は今は鉈を振り回してはいないが、手に所持している。明るい色の髪が束になって地面に落ちてる所からすると、鉈で切られたらしい。
周囲に集まってきている人たちに目撃者がいるのなら暴行罪は成立だ。
先に駆け付けている男たちも手を出しかねてるのは、頭を抱えて丸くなっている女を男が蹴りながら罵ってるからだろう。
いつ、鉈を使うか分からない。それでも、言葉で説得を試みてはいた。
……あいにくと、鉈男はまったく聞いてなさそうだが。
さすがに得物がないと周囲に怪我人が出る確率が高くなる。
英樹は周囲を見回すが、細い枝ぐらいしかないし、使えそうな何かを持ってる奴もいない。
ベルトは多少使えるが、正確にコントロールするのは難しいので安全に鉈を手放させる、とは行かない。投石は関係ない人たちが怪我しそうだ。
「英樹君!」
そこに茜が走って来て、状況を見るなり荷物から特殊警棒を出し、英樹に渡してくれた。以前に怪我させられたことがあるので、護身用に持っているのである。
英樹は特殊警棒を振り、ジャキッと長さを伸ばすと、手振りで野次馬連中を下がらせた。
説得していた連中が黙ると鉈男も不審に思って周囲を見渡したが、英樹はその前に一気に距離を詰め、鉈を持つ男の右手首に特殊警棒を振り下ろす!
骨が折れる手応えを感じながら、落ちた鉈の柄を手の届かない所へと蹴り、続いて男の足も払って投げ飛ばした。
筋肉隆々なのは伊達じゃないらしく、鉈男は何か心得があるようで受け身を取ったが、英樹はすぐに顎をかすめるように殴って脳震盪を起こさせる。鉈男は立っていられず、地面に這った。
身構えるまで待ってやるのはショーやスポーツとしての格闘技だけだ。
「待てっ!動かすな!内蔵をやられてるかもしれねぇ」
うずくまったままの被害者の女に駆け寄ろうとしていた連中に、英樹はすかさず注意する。
既に意識がないし、横腹を蹴られてたので少なくともアバラはイカレてるだろう。意外と簡単に折れるのがアバラだ。内臓に刺さるとマズイ。
それで、もっともだと思った連中が医学部の人を探し出したが、校舎が離れてるのであいにくといなかった。
しかし、ボーイスカウトや消防署の救急講習でも受けたことがある奴はいたので、気道を確保し呼吸してるのは確かめた。
それから全身の怪我の具合を確かめ、腫れてる所にはミネラルウォーターで濡らしたタオルを当て、汚れを拭い、といった出来る限りの手当てを始める。
衣服を緩めたり、服の下の怪我の具合は男じゃちょっと…な辺りは助けを求めに来た女子たちが請け負った。
「誰かガムテープか紐かロープ、持ってねぇ?」
さて、続いて鉈男の方だが、何十分も脳震盪は続かない。続けば重体になってしまうので、その辺は手加減してあるのだ。
間接を外すのもうるさいだろうし、さすがに過剰防衛になる。捕縛が一番穏便だろう。
「ガムテープ以外は持ち歩いてる人の方が稀だと思うよ」
茜がツッコミを入れる。
それは確かに。
車になら何かあった時のために積んでる人が多いだろうが、駐車場は遠く、ここからならコンビニの方が遥かに近い。ついでに保冷材や氷も買い出すか、と言っていた所に警察が到着した。
他の人たちもとっくに通報していたのだろう。
割と最初から見てた、立ち会ってしまった人たち、被害者の女の友人の話を総合すると、
どんどん束縛が酷く暴力的にもなって来た男に嫌気が差した女が昼に別れ話をした。
その時、男は素直に引き下がったのでホッとしてたのだが、女が帰ろうとした所、男が鉈を持って待ち構えていたらしい。男の趣味は山登りや釣りやキャンプといったアウトドアなので、そういった道具も色々持ってるそうだ。
「…マジキチだな…」
英樹の感想は誰もが同感だろう。
「鉈でどうしようとしたのか考えると怖いんだけど~」
茜がその辺にツッコミを入れる。
「指の一本二本程度じゃなく、手足の一本二本?」
普通に考えるとその辺だ。
「やーん、言わないで~」
薄々察しは付いていても、茜は突き付けて欲しくないらしい。ホラーだけじゃなく、そういったサイコ系怖い話も苦手だった。
「ま、何にしろ刃渡り二十センチ以上の鉈を持ち出しといて殺意がなかったという証明が出来るワケがなく、少なく見繕ってもしばらく入院する程の怪我してるから余裕で殺人未遂だな。執行猶予なし、五年以上の懲役」
被害者の女の状態を改めて見て「しまった、うっかり去勢しとくんだった」と英樹はちょっと後悔した。止めるのが先決だったとはいえ、これだけ酷ければ余裕で正当防衛だったのに。
鉈による傷は浅手だが、手足にあり、よけたから浅手になったような感じだ。髪はザンバラに切られ、顔も殴られたらしく、既に腫れて来ている。
やがて、救急車のサイレンの音が近付いて来たが、車両は近くまで入れないので結構な距離を担架で運ばなければならない。
天気があまりよくないせいもあって暗くなって来たので、手分けして照明を集めた。体育会系クラブには必ず常備してあるハズなので、既に取りに行ってる体育会系クラブ、サークルの連中もいる。
救急隊員が到着する頃には照明が間に合い、ずれないよう応急処置をしてから担架にソッと乗せた。
しかし、被害者の女の骨折はかなりヤバイ所が折れてるか、内蔵もやられてるらしく、かなり顔色が悪い。意識のないまま血を吐く。
ここでは救命処置は出来ないので、ソッと運ぶしかない。
自然と役割分担が出来、先導する者、被害者の女の知る限りの情報を救急隊員に伝える者、足元を照らす者、と協力して救急車まで付き添う。
英樹は鉈男をねじ伏せた当事者だけに事情聴取も現場検証もあるし、万が一のためにも残っていた。
警察と顔見知り特権で詳しい事情聴取は明日に回してもらえるので、夕食は遅れる程度で大丈夫だろう。
被害者が救急車で運ばれて行き、野次馬も少なくなった所で警官が鉈男に声をかけた。脳震盪からはほぼ復活している。
右手首は折れてるから、と肘の上で拘束するように縄で縛ってあったのだが、英樹を見るなり。鉈男はそのまま突進して来た!
腰紐も付けてあってちゃんと警官が持ってたのだが、ラグビーでもやってたのか、鍛えているのか、警官を引きずっている。
ヤバイ!ともう一人の警官が加勢して押さえ付けたので、英樹は何もしなくてよかった。
鉈男は興奮状態で何言ってるか分からないが、どうやら、被害者の女はミキという名前で、英樹はその新しい彼氏だと間違われたらしい。
「止めに入っただけのただの通りすがりだっつーの。それより、あんた、何で彼女を殺したかったワケ?自分の物にならないならいっそ?」
「殺そうと思ってないっ!別れるって言うからどこにも行けないようにしたかっただけだ!何で警察がいるんだ?ただの痴話喧嘩なのにっ!民事不介入だろ!」
「いえいえ、全然違います。殺人未遂での現行犯逮捕です。刑事事件です。刃渡り二十センチを越える鉈を振り回して殺意がないとは誰も考えませんよ。どこにも行けないように、とはどういった風にですか?」
押さえ付けていた鉈男を地面に座らせながら、警官がそう訊いた。名前や住所の本人確認は後でいい、という判断か。サークルやゼミが同じ奴もいたので、他の警官がそちらからも話を聞いていた。
「…殺人未遂?誰が?ミキは?」
「被害者の女性なら救急車で運ばれた所ですが、重傷ですよ。覚えてないんですか?あなたが蹴ったり殴ったり鉈を振り回してたりしてたのを見ていた目撃者はたくさんいますが」
「……あいつが別れるなんて言うからっ!あいつが悪いんだっ!どんどんオレの言うことを利かなくなって生意気でっ…」
くだらない繰り言をくどくどと言い出す。やはり、キチガイだ。
どんなキチガイな妄想でも我慢強く聞いて書き留めなければならない警官は、しみじみと大変だなぁ、と英樹は同情した。
******
鉈男にやられた被害者の女、水谷ミキは分かりにくい所にも内臓損傷があって、一時期は出血多量で危なかったものの、何とか処置が間に合って持ち直した。
他にも以前に付いたアザや擦過傷があり、性的暴行同然のかなり酷い扱いをされていたので友達にも相談していたらしい。
離れて暮らしてる親には心配かけたくなくてさすがに言えなかったようだが、いきなり警察から電話が来て、命に関わる程の大怪我した娘と対面する方が親不孝だろう。
そして、もう少し危害を加えられたら確実に三途の川を渡っていたので、娘の容態が落ち着いたら助けた人たちに菓子折持ってお礼を言いに来る気持ちは分かる。
―――分かるのだが。
「…何も長いとは言えないお昼時に来なくてもさ…」
昼休みに入るとすぐ学内放送で呼び出されたらボヤきたくなるもので。
学校が終わってからではダメなのか。
大学生の大半は放課後はバイトがあるものだが、それならそれでこちらの都合に合わせた日にするとか、改まったお礼は必要ない人と分けるとか。
構内で起きた事件だし、事情聴取の関係上、講義に出られなくなる人もいるので、学校側には関わった人は報告してある。
茜がたらたらと歩いていたからなのか、講義が終わるのが早かったのか、面倒なことはさっさと終わらせたいのか、指定された第二会議室へと行くと、既に昨日見かけた顔の大半は揃っていた。
英樹ももう来てて、被害者の両親…水谷夫妻から丁寧にお礼を言われていた。
――いや、訂正しよう。
「お礼に食事でも」とか「娘が落ち着いた頃には是非お見舞いに」とかしつこく熱心に誘われていた。強い上に超イケメン、法学部となれば娘の彼氏に狙いたくなるものかもしれないが、お礼に来たんじゃないのかと言いたい。いや、言おう。
黙って言わせて置く英樹じゃないのだが、口を挟む隙を与えない程のマシンガントークと内容に、会話する気力もなくしているのだろう。
茜は人混みをかきわけて英樹の隣に行く。
「こんにちは。初めまして。嵯峨英樹の婚約者の川瀬茜と申します。恩をアダで返すのがそちらの地方の流儀ですか?あなた方が思っているより、真面目な学生は忙しいんです。こちらの都合も考えてくれませんし、娘さんもまだまだ心配な状況なのに、他人の婚約者を狙ってる場合ですか?どうしてそんなに恥知らずなんです?自分勝手さでは加害者の鉈男とある意味同類だから、娘さんがひっかかったのかもしれませんね」
何となくそんな風にも思える。慣れてるからミキは中々おかしいとは気付かなかったんじゃないか、と。
さすがに気まずそうに黙った水谷夫妻に、英樹がようやく口を開く。
「それが正解みてぇだな。いわゆる毒親ってヤツでさ。何でこっちが不快な思いをしなきゃならねぇんだよ。あんたらからのお礼なんざいらねぇから二度と近寄るな。警告を破った場合、遠慮なく民事で訴えてやるからそのつもりで」
刑事告訴の迷惑防止条例違反では証拠不十分だが、民事訴訟は争いの仲裁なので何の案件でも訴訟出来る。
「娘さんは怪我だけじゃなく、元彼氏に殺されかけた精神的ショックも大きいと思いますが、あなた方にはそういったことを考える思いやりもないようですね。可哀想に」
娘の容態が落ち着いたら次は加害者にちゃんと罪を償ってもらえるよう、弁護士の手配に奔走するのではないだろうか、普通は。被害者の親が大変なのは誰だって分かるので、大学経由でのお礼程度で十分なのに。
娘可愛さに動転してる、とはちょっと思えない計算高さだ。
水谷夫妻は今度は黙らず、その「その言い方は何だ。最近の若い子は…」だの「ちゃんと考えてるわよ。あなたなんかに心配してもらわなくても結構」だの微妙に論点をズラしたマシンガントークをかまし出したが、さっくり無視して茜は英樹と共に第二会議室を出た。
他の被害者のミキを助ける協力した人たちもバカらしくなったらしく、次々と出て行き、仲介した大学側立会人の事務長がおろおろしていた。仕切りもせず、仲裁もせず、大学側上層部にお窺いもしない無能さだ。
「娘も同類だったらやり切れないね~」
廊下を歩きながら茜はついぼやく。
「まぁ、それならそれでいいって。命さえあれば、この先誰かを助けることだってあるだろうし」
「…英樹君、ああいったアホ親に遭遇するのも初めてじゃないんだ?」
達観し過ぎてる。英樹は基本的には優しい男なので、誰かを助ける機会など腐る程あるのだろう。
「あいにくと。でも、自ら助けようと動く奴らがいる限り、まだまだ捨てたモンじゃねぇよ」
「被害者は知らない人で刃渡りの長い鉈を持ってるムキムキな男相手に、リスクを度外視で取り押さえようとする人はもっと少ないだろうけどね。さすがに止めるべきかと一瞬迷ったけど、特殊警棒があったしね。でも、ああいった狂人は思わぬ力が出ることもあるから、英樹君に怪我がなくて本当によかったよ」
英樹が事情聴取に行ってる間、茜は約束通りにアップルパイとアイスを作ったものの、濃過ぎる日に精神的にも疲れたのでとっとと寝てしまい、ロクに話してなかった。同棲していても。
「鉈男はレスリングと柔道をやってたそうだけど、何でもありな喧嘩の場数を踏んでると早々遅れを取らねぇって。相手の力量が読めるからおれだけでヤバけりゃ他の方法を考えてるし」
「うん、その辺も考えた。サッカーのゴールネットや車載の荷物ネットが使えないかとか、だったら消火器は、とかって」
「消火器はこっちの視界も奪われちまうし、人も多い時は使わねぇ方がいいって。逃げる時は有効だけどな。ま、優先順位を間違えることだけはねぇから安心しろって」
「自分の身の安全が優先?」
「いや、茜が最優先」
「…ああ、そう」
廊下を歩きながらサラッと言うな、と茜は苦笑するしかない。英樹の場合は本心としか思えないので。自分も大事にして欲しいので苦笑、だ。
お昼を食べる場所はホールやラウンジだと派手な事件があった昨日今日でウザイことになりそうなので却下。
梅雨入りして小雨が降る天気なので外にも行けず、飲食可の空き教室で食べることにした。
******
【どこが『へいわなくに』なの?】
シヴァ(本名・英樹)、アカネ(本名・茜)の記憶から作った映像なので、視点が少々混じっているが、この方が分かり易い。
「だから、おれたちの周囲は例外だったんだって。トラブル巻き込まれ体質でもあり」
「シヴァが目立つから、名を上げたい連中に絡まれたり、憂さ晴らしに攻撃されたり、理不尽なトラブルに巻き込まれることもたくさんあったんだよ。でも、この鉈男事件は特に酷かったよねぇ。精神鑑定でひっかかって、かなり減軽されちゃったし」
「法律はそういった所が融通利かねぇんだよな。ま、頭のおかしい奴は更に罪を重ねていずれ自滅するけど。判例でも歴史でも無茶苦茶ある」
「そういった所でバランスが取れてるのかもね」
【はんれい?】
「裁判の先例のこと。今までの裁判の結論のこと。…あーデュークには裁判自体がよく分からねぇか。こっちにはねぇし。賞金首の盗賊は縛り首だろ?でも、賞金首になったのは誰かにハメられた場合もあるワケで、そういった事情を考慮して処罰を決めましょう、というのが裁判」
【なんとなくわかった~。でも、こっちには『さいばん』はないから、ハメられたばあいでもそのまま?】
「そのまま。変に同情すると一緒に処分されるだけ、という事例がたくさんあるからな」
「そもそも、法律は一応あっても、守られないことも多いんだよ。だから、力を持ってる人が正義!助けたい人がいるのならこっそり完璧にね!」
そう言い切ってしまっていいのか、と元法律職だったシヴァはアカネの言い草に苦笑するしかない。
【わかった!】
子供グリフォンのデュークには単純明快の方が分かり易かった。
いや、魔物が法律を理解する必要は……従魔であるからには理解している方が望ましいのか。
まぁ、デュークは元々賢いので好きなだけ勉強してもらおう。
『万物は
どの世界でもこれは同じだった。
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