番外編60 幕引き
*残酷表現あり、シリアスです。再掲載。
――――――――――――――――――――――――――――――
「ごめ……もう…だか…ら……」
途切れ途切れのかすれて
耳のいいエアじゃないと、聞き取れなかったことだろう。
そのぐらい小さな…荒い呼吸と混じりそうな、小さな小さな声。
かつての穏やかで心地の良い声は耳の奥に残っているのに、同じ人の声だとは到底思えなかった。
震える乾いた手を握ったまま、何を求められているのか分かっていても、エアは動けなかった。
「おねが……つら…い…エア……」
彼女の涙はもう枯れ果てていた。
所々変色し、ひび割れた皮膚から血がにじむ。
ふわっと薬草の青臭い香りに、
かつて豊かだった少しクセのある栗色の髪は艶をなくしてまばらになり、しなやかで柔らかかった身体もげっそりと肉が落ち、目は落ち窪み、骨に皮が張り付いているような状態だった。
青灰色の瞳も既にほとんど見えないのか、膜を張って白濁しており、ほんの少しだけしか意志の光を感じない。
体温も……かなり低い。ほんの少し温もりが感じられるだけだ。
もっと早く、適切な手当てをしていたのなら。
もっと早く、毒消しが効いていないことが判明していたのなら。
もっと早く、彼女への悪意に気付いていたのなら。
もっと早く、エアが異常に気付いていたのなら。
もっと早く……。
待って。待って欲しい。
まだ全然、恩を返せていない。
討伐メインのパーティではなく、一番年下の一番の新入りの
幸い、アイリスは食堂の住み込みで雇ってもらえたので、エアも住まわせてもらい、雑用を担当することで家賃にしてもらっていた。
そんな状況を知った近くの酒場の看板娘…ロミーナが雑用依頼をしてくれるようになったので、エアとアイリスはやっと何とか人並みの生活を送れるようになったのだ。
特にアイリスに関してはエアが至らない所のフォローもしてくれていて、アイリスも本当の姉のように慕っていた。
なのに、つい先日、ロミーナが誰かに毒を盛られ、治療師も薬師もロミーナの酒場の常連や近所の人たちも色々と手を尽くしていたが、ロミーナはみるみる衰弱して行き……この状態だった。
もう、見ているのが辛い、と離れて行き、教会に祈りに行く者。
毒を盛った加害者を捜索している警備兵に協力する者。
諦めず、上級毒消しや上級の体力回復ポーションに使う薬草を探しに行く者。
少しでもよくなれば、とアミュレットを作る者。
少しでも心地よく気持ちよく過ごせるように、と負担にならないような服を縫う者。
皆、自分の出来ることをやっていた。
それだけ、ロミーナは皆に慕われていた。
「エア……おねが…い……ごめ……」
もう少し、もう少しだけでも頑張って欲しい。
誰かが凄腕の治療師や回復術師を連れて来るかもしれない。
誰かがよく効くポーションを持って来るかもしれない。
そうじゃなくても、奇跡的に快方に向かうことだってあるハズだ。
先程、飲ませた薬湯がかなりよく効くことだってあるだろう。
だから、もう少し、もう少しだけでも頑張って欲しい。
それが長く苦しめることになるとは分かってはいても、ロミーナの望むことをエアは叶えたくない。
「らく…に……エア………エア…ガイ……ツ……」
ロミーナの意識は
一度だけ本名を教えたことがあった。
それから一度も呼ばなかったクセに、こんな時に……こんな時だけ!
「嫌だ」
エアは声に出して拒絶した。
「エア……たの……む…わ……ふぅ……っ…つら…くて……えあ…ぐっ……がほっ…コンッ…カッ…コッ…グッ……!!」
喉を引っかきたくても、もう動けないのだろう。
発作が起こったのか、太い血管の大半が浮き上がった。
「ググッ……エ……コンッ…カッ…コッ…グッ……!!」
もう、見ていられなかった。
もう、苦しませたくなかった。
でも、ロミーナの望みを叶えたくないのも本当で……。
―――――――――迷うな!―――――――――
かつての恩師の声が聞こえた気がした。
誰かに判断を
荒れ放題だった心の中が一瞬で澄んだ湖のように静まる。
エアは恩師にもらった短剣を鞘から抜く。
そして、ロミーナの心臓を一気に貫いた!
苦しそうな咳も荒い呼吸もやむ。
震えていた身体も震えが止まる。
握ったままの乾いたロミーナの手から、少しだけあった温もりがどんどん冷えて行く。
発作が起きていたのに、事切れた顔は不思議と穏やかで……。
伏せた瞼が口角が上がった少し開いた口元が……。
まるで微笑んでいるようだった。
『もう苦しくないわ、ありがとう』
声まで簡単に想像出来た。
「ロミーナ…っ!」
今度、苦しいのはエアの方だ。胸が締め付けられて。
ロミーナの薄くなってしまった胸の上から短剣を引き抜き、血を布で拭ってから鞘に納めた。
血もロクに残っていなかったらしく、驚く程、出血が少なかった。
エアはロミーナの両手を胸の上で組ませ、目元を手で覆い、薄く開いた目を閉じる。
どんどん体温が低くなっていた。
遅かれ早かれロミーナは死んでいた。
最期まで意識があった方が辛かったことだろう。
苦しみを長引かせず、ロミーナの望みを叶えた。
間違ってなかった。
エアは自分が出来ることをした。
そう思っていなければ、行動出来なかった。
見た目はどうあれ、もう二年程で成人する冒険者だ。
魔物も人間もとうに殺している。
他の誰がやるより、ロミーナを苦しませずに済んだことだろう。
死んだ人の魂はしばし休んだ後、また再びどこかで生まれ変わるという。
それが本当だったらどれだけいいだろう。
今度はもっと長く生きて幸せになって欲しい。
またどこかで会える。
だから、エアは泣かない。
******
後日。
魔物に噛みちぎられたボロボロの死体が街の近くで見付かった。
毒も受けていて損傷が酷く、性別も怪しいぐらいだったが、行方不明者と照合した所、死体はある店で働いていた女だった。
ロミーナの働く酒場に通っていた常連の男の別れた元妻で、未練があったこの女がロミーナに毒を盛ったらしい。
差し入れに少しずつ遅効性の毒を盛られていたため、何に毒が入っていたのかの発見が遅れていた。
警備隊でも目を付けていたのだが、証拠がないので捕まえられなかったのだ。
ある時、常連の元妻が行方不明になったことで家宅捜査した所、ロミーナに使った残りと思しき毒薬が発見されて犯人だと確定した。
犯人の元夫もいつの間にか行方不明になっているため、この男が断罪したのだろう、と推測された。
……
おそらく、証拠がないと動けない警備隊の代わりに、ロミーナを慕う人たちで断罪したのだろう。
エアがロミーナを殺したことは何の罪にも問われなかった。
誰が見ても助からない状況での殺人は法的にはグレーだ。
ロミーナは誰がどう見ても先は長くなく、少しでも楽に、と眠り薬は既に飲ませていた。痛みが強過ぎるようでほとんど効かなかっただけで。
エアだけがロミーナの側にいたのは、誰もが嫌がる役目を押し付けられた、というワケではない。見た目は十歳前後ぐらいの痩せたエアはロミーナにお世話になっていたので、最期ぐらいはゆっくり一緒に、というだけで。
エアは他の大人たちからの涙ながらの謝罪を何度も受けた。
辛いことを子供にさせてすまない、と。
今更?と思ったエアだが、黙って置いた。
余計なことを言わないことが、人間関係には時には必要だと、冒険者の先輩たちから教わっている。
ロミーナの遺体は、街の防壁のすぐ外、こういった時のために空けてある空き地で火葬にされた。
立ち会う人が多かったのは、ロミーナの人望のなせるワザだろう。
ボロ泣きするかに思えた妹のアイリスは、血がにじむ程、唇を噛み締めていた。悔しそうな表情で。
殺された
最期のお別れをそれぞれした後、火魔法が得意な者が数人で火葬に。
あっという間に灰に変わり、その灰は風魔法が得意な者が風に乗せて、天高く舞い上がった。
「お兄ちゃん、わたし、【鑑定】スキルを覚える。なるべく、早く」
「おう。頑張れ」
【鑑定】スキルがあれば、ロミーナの異常も詳しい症状も必要な薬草もすぐ分かったから、だろう。
しかし、覚えたいからと言ってスキルは簡単に覚えられるものではない。
【剣術】スキルの場合は、どれだけ素振りや模擬戦、魔物を斬らないとならないことか。だからこそ、スキルは「生える」と言う方が多い。努力に努力を重ね、その上に「生える」ので。
【鑑定】スキルの場合は、ほとんどあらゆる物を覚える勢いで知識を蓄え、詳細も勉強しないとならない。大半の人はあまりの大変さに挫折するが、根気と強い信念があれば【鑑定】スキルは生やせる。
スキルオーブは滅多に出回らず、出回る時はかなりの高額になるため、平民の【鑑定】スキル持ちはほとんどが自力で努力して覚えたケースだ。
だからこそ、【鑑定】スキル持ちは職に困らない。
コツコツ根気があるタイプは、どんな仕事でも役立つし、幅広い知識も当然、役立つからだ。
かろうじて読み書き出来る程度で本に触れる機会も中々ないアイリスには、様々な情報に触れる機会も少ない。【鑑定】スキルを生やすのは普通よりもかなり難しく、長い時間がかかることだろう。
しかし、ああ見えてアイリスは負けず嫌いだ。何年かかっても【鑑定】スキルを生やすに違いない。
******
数日後。
かつてのような日常が戻って来た。
…と思ったのは早計だった。
ロミーナの遺産を巡って揉め事が起きたのである。
家族も親戚もいない、或いは近くにいない場合、何かと世話になる自宅の近所の人たちで分けることになるのだが、商業ギルドに口座を持ち、亡くなった後には誰に財産を譲る、という遺言書類を残している場合は、その通りになる。
冒険者ギルドにも口座システムがあるのだが、大半の利用者は死亡率の高い冒険者のため、一定期間依頼を受けない、ギルドと関わらなかった場合は、容赦なく没収となる。その代わり、世界中の冒険者ギルドで入金出金が可能だった。
遺族が役所で手続きをすれば、冒険者ギルドの口座から出金出来るのだが、稼いでいる冒険者なら、マジックバッグを持っているし、家族にはあらかじめある程度の財産は渡しているものだった。
ロミーナは遺言と遺品を残していたのである。
自分が亡くなった場合、遺品もお金もエアとアイリスにすべて譲る、と。
ヘタに誰かを指名すればトラブルになるが、子供なら、と思ったのだろう。
しかし、エアとアイリスを選んでも同じだった。
大した額ではないのなら問題なかったものの、ロミーナは実は他国の没落貴族の出だったらしく、店を開けそうな程のお金と、いかにも由緒がありそうなかなり大きな宝石の付いたブローチを商業ギルドに預けていたのだ。
過分な金はやはりトラブルになるので、アイリスは放棄しようと言うのだが、エアはそれもどうかと思った。貰える物は貰って置きたい気持ちもあるものの、孤児の子供たち(エアとアイリス)から奪ったのどうのと責められるのは大人だから、結局、またゴタゴタ揉めるのでは、と。
では、どうするか。
こんな時は信頼出来る大人に相談、と兄妹の意見も一致したので、目をかけてくれている冒険者ギルドの職員、ビアンキに相談してみた。
「あーまぁ、難しい所だな。ロミーナさんの気持ちが分かる大人も多いだろうし、逆に不満がある大人も多い」
ビアンキも悩む話だったので、ビアンキの上司にも相談に乗ってもらい、結局、全部換金してエアたちだけじゃなく、近所の人たちに等分に分配することになった。
この対応にも不満がある人が出るだろうが、冒険者ギルドの職員が間に入ったことにより、エアたちに手出しするようなことはないだろう。
実際、腕力面ではエアの方が強いが、毒や精神操作系スキルには太刀打ち出来ない。
子供が小金を持っていると狙う奴が絶対出るので、商業ギルドに口座を作って預けることになった。
病気や怪我で働けない時、備えがあると心強い。ロミーナもそういったことを心配して遺産を残してくれたのだろう。目減りはしても本当に有り難い。
静かにロミーナの死を
しかし、ロミーナのおかげで遺言を残す方法が分かった。
エアは近々死ぬつもりはまったくないが、それはロミーナも同じだった。
エアが危険の多い冒険者をやってる限り、常にリスクは付きもの。万が一のために遺言を残し、アイリスにお金を残しておこう。
******
「……え?」
いかにもお忍びの貴族とばかりに、まったくもって平民に見えない質も仕立てもいい貴族基準の地味な服装の女が、護衛と一緒に市場を見て回っていた。
関わると面倒そう、と平民たちが避けて隙間が出来ていたおかげで、エアにも見えた。
緩くクセがある艶かな栗色の長い髪、青灰色の瞳。
寒色の瞳なのに、誰が見ても暖かく感じるその眼差し。
顔立ちもロミーナと似ている……気がする。
「にゃ?」
知り合い?とばかりに緑目夜色子猫型の影の精霊獣ニキータが鳴く。
エアは一度瞬きをしてから、いや、と首を横に振った。
ロミーナの親族かもしれないし、他人の空似かもしれない。
ロミーナは一人でいた。連絡を取っている素振りもなかった。
ならば、もし、親族だとしてもロミーナのことを知らせる必要もない。
鑑定はしなかった。
「でも、ちょっと懐かしかったな」
久々にロミーナのことを思い出して、エアは微笑んだ。
もう笑えるようになっていることに時の流れを感じる。
『頑張ったね』
今、会えばそう言ってもらえるだろうか。
それとも、十九歳になってもあまり背が伸びなかったことを、慰めてくれるだろうか。
アイリスはちゃんと意志を貫き【鑑定】スキルを生やしたので、ロミーナは大いに褒めてくれることだろう。
エアもロミーナが好きだった。
「お姉ちゃんって呼んで」とロミーナに何度言われても「何言ってるんだか」と呼べなかったが、姉として慕っていた。
血の繋がらない姉がいた、といつか誰かに話す時があるだろうか。
まずは仲間たち…猫型精霊獣たちに話してみよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます