番外編58 新しい風を運ぶさすらいの修理屋
わずかな風が錆びついた蝶番をギィイギィイと鳴らす。
歪んでしまった扉はもう閉められない。今にも朽ち果てそうな柵は、薪としての方が村人たちの役に立ちそうだった。
村へと続く小道は勢いを増す緑が呑み込まんばかり。
だが、照り付ける強い日差しは木陰のベールが遮り、意外な程、山は過ごし易い。
やがて、どこからともなく現れた黒い雲は、すぐに増えて空を覆い、サーッと雨が降り出す。緑がその
雨上がりの爽やかな涼風と共に、そののどかな村に現れたのは、見慣れない男だった。彼は大きな道具箱を背負い、どこか物憂げな表情をしていた。
「こんにちは。ぼくは旅をしている修理屋です。何かお困りなことがあれば、力になりますよ」
男は温かな笑みを見せる。
定期的に来る商人以外、訪れる旅人自体が珍しく、村人たちが次々と集まって来た。
修理屋だと知るなり、村人たちは、それぞれ壊れた機械や道具を持ち寄る。
男はそれらを一つ一つ丁寧に調べ、見事な手さばきで修理していく。大きな道具箱からは様々な工具や鉱物や素材が出て来た。
彼の技術は、まるで魔法のようだった。
「あの古い粉ひき器、もうダメかと思っていたよ。もう数年はまだまだ現役で使えるなぁ」
「この時計、おじいちゃんの形見だったんだ。また動くとは思わなかったよ。ありがとう!」
たった数日で修理屋は村に溶け込み、人々に慕われる存在となった。
しかし、誰も彼のことをよく知らなかった。どこから来たのか、どこへ行くのか、曖昧な笑みを浮かべ、「修理屋と呼んで下さい」と名前すら教えてくれない。
ただ、彼はいつも、何だか悲しそうだった。夕焼けの茜色の光の中、ふっとどこかに消えてしまいそうな、そんな感じがした。
寒くなって来たある日のこと。
村に異変が起きた。
巨大な機械獣がどこからともなく現れ、朽ち果てそうな柵を壊し、村へと侵入してしまったのだ!
機械獣は何かを探すかのように家や納屋、箱などを次々に壊していった。
村人たちは、恐怖に震え、逃げ惑う。
その時、修理屋が現れた。
「大丈夫、ぼくが何とかします!」
修理屋は村の守り神である古い風車を修理し始めた。
風車は彼の力で再び回り始め、大風を巻き起こした。その風は強力で機械獣を吹き飛ばし、村を救った。
戦いが終わった後、修理屋は村人たちに別れを告げた。
「ぼくはあの機械獣を追って来たのです。壊れたあの機械獣を直さないとなりません。また、どこかで会いましょう」
そう言うと、彼は夕焼けの中に消えていった。
村人たちは、彼の姿を見送りながら、心から感謝の気持ちを抱いた。
修理屋の正体は、一体何だったのだろう。
彼はどこから来て、どこへ行くのだろう。
誰も答えを知らない。
しかし、村人たちの心の中には、修理屋の温かい笑顔と、彼の残した奇跡が永遠に輝き続けていた。
――――――――――――ラクキウス村に伝わる手記より――
「ねー、おばあちゃん。きかいじゅーって何?」
ラクキウス村に伝わる手記から修理屋の話だけを子供向けにアレンジした「旅の修理屋さん」という絵本を読んでもらっていたシュレムは、祖母にそう聞き返した。
『きかいじゅー』の絵はあっても、猫に似た四つ足で真っ黒な大きな獣という絵で、よく分からなかったのだ。
「さあのぉ。ガーゴイルみたいな魔物に金属の鎧を着けたような感じじゃないか、と言われとるが、大昔は魔道具の開発も盛んだったそうじゃから、そういった人間が作った生き物のようなもの、かもしれんの」
「わかんない~。まどーぐって光って明るくなるヤツじゃないの?いきものって?」
「ほっほっほっほぉ。その魔石ランプも魔道具じゃが、魔道具というのは色んな物があるんじゃよ。水が出て来る魔石水筒も魔道具、裕福な商人が持ってる遠く離れた人と話せるのも魔道具じゃ。わしのばあちゃんの時代には、近くに魔物が来たかどうか分かる魔道具もあったそうじゃ。見張りで活躍してたそうでの」
「へぇ。それ、べんりね。何でもうないの?」
「人が作った物はいつか壊れるのが普通じゃよ。
「あ、そっかぁ。そうだね。まどーぐも同じなんだ?」
「ずっとずっと壊れない物なんてないじゃろうな。だから、手入れして、修理をして、出来るだけ長く使おうとするのじゃ」
「修理屋さんがもうかるね!」
「それはどうかのぉ。色々勉強してたくさんたくさん直さないと、直し方が分からんじゃろ?何の修理を頼まれるのかも分からんのに。……
「ふーん?そうなんだね。じゃ、風車を修理して羽が回るようになったぐらいで、何できかいじゅーを倒せたの?」
「いいや。『倒した』とは書いてなかったよ。『風車で吹き飛ばした』とだけ。呑気に見学出来るような戦いじゃなかったんじゃろうなぁ。その風車も動かなくなってから、もう何十年と経つ。この話が事実だったのなら、本当は何があったのかは、もう誰も分からんだろうの」
動かなくなって久しいとはいえ、歴史のある風車である。
風車が付いている建物の方は村共有の倉庫として使っており、ちゃんと手入れをしているが、風車の羽の部分や羽を動かす構造的な部分は下手に構えず、老朽化が目立っていた。
「そうなの?長く生きる種族だっているよ?修理屋さんだって、そうかもしれないよ」
シュレムがそう言うと、祖母は驚いたかのように皺で埋もれた目を見開き、すぐに目を細め柔らかく微笑んだ。
「…ああ、それは思いもよらなんだ。長く生きてる人なら色んな知識と技術を身に着けてて、だからこそ、何でも直せる修理屋という商売が出来たのかもなぁ」
「そうでしょ?」
えっへん、とシュレムは胸を張った。まだまだお腹は幼児特有でぽっこり丸いので、お腹の方が前に出ているが。
「案外、シュレムは賢いの」
祖母はその皺だらけの乾いた手で、ぽんぽんとシュレムの頭を撫でた。
「あんがいって何だよ~素直にほめてよ~」
「すごいすごい。すごいのぉ」
とってつけたような褒め方でも、怒られる方が多いいたずらっ子のシュレムは喜んだ。
「いつかどこかで修理屋さんに会えたら、ぼく、本当は何があったのかきいてみるね。それで、おばあちゃんにも教えてあげる」
「ほうほう、それは楽しみじゃのぉ」
祖母はシュレムが物心が付いた頃から、『おばあさん』で、文字の読み書きが少し出来るようになって来た今でも、祖母の見た目が変わったように見えず、同じ姿だったので、これからももっともっと長く生きると思っていた。
村の知恵袋で色んなことを知っていて、よく効く薬だって作っていた。伝染する病が流行った時も、祖母の薬のおかげで助かった村人がたくさんいる。
しかし、それが原因で在庫の薬だけじゃなく、祖母まで悪者に連れ去られてしまうとは思わなかった。
それは、「旅の修理屋さん」の絵本をシュレムが読んでもらってから、ほんの数ヶ月後のことだった――――。
******
夕立の後、涼風と共に、その男はエイブル国ラクキウス村を訪れた。
彼の背中には大きな道具箱。
何か、あの絵本のようだな、と村を囲う防壁の門の門番をしていたシュレムは思った。
「修理屋さん、なのか?」
思わず訊く。
「そう。この村の風車が壊れてるから直して欲しい、という依頼を受けたんで」
はい、身分証、と男は冒険者ギルドカードを見せる。
名前はシヴァ。Cランク冒険者だ。
何でも屋なのが冒険者だし、他の国でも通じる身分証としても便利なので、冒険者なのは驚かないのだが……。
「Cランクなら、ダンジョンに潜ってた方が稼げるだろ?」
シュレムはその辺が疑問だった。
「そうだけど、修理屋は趣味なんで。市場に出回らない物や古い物が色々と見れるし」
それはそうだろう。
「それにしても、風車の修理依頼は誰から?」
冒険者ギルドカードを返しながら、シュレムは訊いてみた。
風車を修理しなくても、今は粉ひきは安価な魔道具が出回っているし、粉になった小麦粉も出回っているのだ。
「サルーテさん」
「サルーテ?……ばあちゃんかっ!生きてたんだ?今はどこに?辛い目に遭ってなかったか?身体が不自由になってたりしないのか?……あ、ばあちゃん、十何年か前にさらわれたんだけど!」
「おう。もう大丈夫。お孫さんだったのか。サルーテさんは元気過ぎて、ちょっとウチの研究に夢中になっててさ。近いうちに連れて来るよ」
「ウチの研究?」
「薬の開発もしてるんだよ。おれが直せるのは道具類だけじゃなく、生き物も治せるから。で、サルーテさんの持ってる知識は、おれの知らねぇものもたくさんあって、中でも『機械獣』が出て来る『旅の修理屋さん』の話は興味深いんで、ついでに風車の修理を請け負ったワケだな」
「そうなのか。じゃ、まずは村長の所へ行って許可を取って、風車の鍵を借りて来ないとな。案内しよう」
魔物や災害の対策や備えはどんどん充実して来ているが、これといった特産品もないため、馴染みの行商人以外はほとんど来なかった。
なのに、シュレムが門番をしていたのは魔物対策である。
村長の家はそう離れていないので、短時間離れる程度は問題なかった。
何十年かぶりに風車の羽がゆっくりと回る。
ボロボロだった羽は新しい劣化し難い素材に変わったが、建物の方の歴史ある風情を壊さず、しっくり馴染むよう、上手く合わせてあった。
修理屋は美的感覚も優れているらしい。
穏やかで涼やかな風が村を巡る。
元々風通しの悪い立地ではなかったが、風車が動くことで更に涼しく感じる。
あれ?と思った村人たちが外へ出て来て、風車の羽が動いていることに驚き集まって来た。
みんな、笑顔で。
気になっていても、大きな風車だ。誰に頼めばいいのかも分からないのだから直すとなると、大金がかかるのは誰もが分かる。
「風車で魔物か何かを吹っ飛ばす、んだっけ?こんな穏やかな風じゃ無理だろ」
「ん?……ああ、『旅の修理屋さん』の話な。吹っ飛ばすのは『機械獣』だって。メタルリザードとかアーマーボアじゃないかと誰かが言ってたけど」
「アンデッドだったりして。どんな姿にもなれるような魔物もいるし」
「それより、誰が金を出して修理屋を頼んだんだ?村長?」
「領主さんじゃね?村の防衛のために、色々してくれてるし」
「だからこそ、何十年も放置されていた風車を直そう、とは思わないんじゃないか?」
「そうかもなぁ」
ふと、村人たちは何となく黙った。
村中を巡る涼やかで心地いい風。
それだけで、日々の暮らしが穏やかになるような気がした。
どうしても捨てられなかった物、もう直すのは無理だと言われても大事にしまっておいた物、朽ちてしまうのを待つばかりだった物、そういった物たちはちゃんと修理され、物によっては改良され、修理屋によって新しい息吹を吹き込まれた。
そうして、新しい修理屋の伝説が幕を開ける――――。
******
知らない方がいいことが世の中にはある。
元祖・さすらいの修理屋は、戦争やスタンピード対策で開発された機械獣を造った研究者の一人だった。
ある時、何が悪かったのか機械獣の制御が利かなくなり、逃げ出した。その辺の高ランク魔物よりも脅威となるし、国が開発したものだともバレてもマズイ。
だから、修理屋(実は研究者)は責任を取って機械獣を回収しようと、探索の旅をしていたのだ!
逃げた機械獣は一体だけじゃなく、複数体。変異した特殊個体が格段に知能が高く、手を貸して逃がしたのである。
開発しただけに機械獣の弱点も知る修理屋(実は研究者)だが、さすがに一人では手に余るため、口が堅い高ランク冒険者にも密かに依頼を出して回収を命じていた。
そして、ラクキウス村はかつての研究施設の一つがあり、その場所は風車の建物の地下。
「ここには美味しい食べ物があった」と覚えていた機械獣が久々に懐かしのねぐらに帰って来たのだが、家なんて研究者たちとその家族の数軒しかなかったのに村が出来ていて、期待していた美味しい食べ物もなく、「何だコレ!聞いてない!」とばかりに暴れることになった。
『風車の羽を回して機械獣を吹き飛ばした』と手記には書いてあったが、実際は単に修理屋(実は研究者)が前もって風車を修理しただけで、機械獣は風魔法で吹っ飛ばしただけだった。目を回した所を捕獲したのである。
ごっちゃになったのは、書き手の書き方が悪かったせいだろう。
その後、再び風車の羽が壊れても、そのまま放置だったのは、修理するには内部に潜らねばならず、そうなると研究施設も発見されてしまう。それを
税金を使って堂々と出来る研究ならば、辺鄙だった山奥に研究所を作らない……というワケだ。
そういったことに気付いてしまったのがシュレムの祖母のサルーテ。
サルーテの豊富な知識は、この研究所からこっそり持ち出した知識のものもあり、薬草や薬の知識も同じく。有用な知識もあったのに国が秘匿していたのは、人体実験でエグイことをしていたからだった。根拠も証拠も出せないのに発表出来るワケがない。
半端に終わっている研究をサルーテが完成させてよく効く良薬を作り、流行り病に使ったことで、国にバレて誘拐された、というのが真相だった。
******
十数年ぶりとなる祖母サルーテとの再会は、涙なしではいられなかった。
シュレムはすっかり青年になり、所帯も持っているので、人前で泣くのは恥ずかしい年だとは分かっていても抑えられなかった。
すごく心配していた。
祖母はよく効く薬のせいで有力者に囲われたのだろうから、とシュレムは登録出来る十二歳になったのと同時に冒険者になり、色んな街や村を巡って噂を集めていた。
しかし、有力者や貴族といった上流階級の噂は中々集まらず、また、魔物や盗賊との戦闘を強いられる冒険者は過酷な職業だった。
怪我をして療養し、治ったら再び街を巡る。
その繰り返しで妻に会い、子供が出来た時に定住出来る門番の仕事に変わった。
近くの森に見回りついでに狩りにも行くので、まだ冒険者だし、子供が大きくなったら、また再び祖母を探しに行くつもりだった。
祖母と似たような特徴の人の訃報を聞いて何度か絶望した。
焦燥感で苛立って喧嘩三昧で過ごした時期もある。
それでも、諦めなかった。
有用な薬を作れる祖母は大事にされているハズだ。忙しく過ごしているかもしれないが、大丈夫だ、大丈夫。
そう言い聞かせて。
妻に会ってからは妻に慰められて、支えられて。
本当に再び祖母に会えてよかった。
シュレムの妻も子供たちも優しくていい人たちばかりで、「おばあちゃんも一緒に暮らそう」とまで言ってくれる。
「ばあちゃん、本当に一緒に暮らそうよ。いっぱいいっぱい話そう!まだ教えてもらってないことが山程あるし、妻にも子供たちにも色々と教えて欲しいんだ」
祖母の細い目からも涙がこぼれた。
シュレムが物心ついた頃から全然変わっていない。
『おばあさん』らしい姿。『おばあさん』らしい話し方。
(十何年も経ってるんだから、もうちょっと皺を増やしなよ。そんなんじゃ誰だって気付くよ、何か魔法かマジックアイテムを使ってるって。ばあちゃん、本当は長く生きる種族なんでしょ?本当の姿はおれと変わらないぐらいかも?
オレとの血の繋がりもなさそうだけど、そんなのはどうでもいい。オレはばあちゃんの孫で、ばあちゃんはばあちゃんなんだから)
シュレムは声に出しては言わない。
長く生きていれば、それだけ心無い言葉にも傷付いて来ただろうから。
でも、それは『今は』だ。
近い未来には、祖母は本当の姿で、穏やかに楽しい毎日が送れていることだろう。
シュレムたち家族、その子孫と共にあればいいと願う。
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