番外編55 いつか巡る未来

注*シヴァ(英樹ひでき)が異世界転移しなかった場合のパラレルワールドな未来。本編とは無関係。

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 ちっちゃい生き物は何でも可愛い。


 産んだのは自分なのだが、我が子の実感はまだあまりない。

 髪はぽわぽわ生えている。胎毛たいもうというヤツだ。

 顔立ちも髪色も目の色もまだよく分からず、他の赤子と大差ないので、混ざってしまったら一色のジグゾーパズルより難易度が高いかもしれない。

 たびたび手首のネームバンドやホクロの位置を確認していたが、茜だけじゃなく、他の母親も同じくだった。


 数日経った今、は「ひゃーひゃー」と泣いている。顔を真っ赤にして。

 「赤子」とはよく言ったものだ。


「この世に産まれてまだたった五日。なぎさにとっては毎日がアドベンチャーだよな。武器も防具も冒険の書もなく、サイズが合わないだぶだぶの服だけで、巨大な生き物に何かよく分からない飲み物を飲まされ、熱い湯にも浸けられ、そして、今日はどこかに連れて行かれる」


 茜の産後の経過がよく、お盆休みで人手が足りなくなることもあり、早めの退院となり、愛娘と共に自宅マンションへと車で帰る時のことだった。

 英樹旦那も渚が泣いていても別に心配せず、運転しながらそんなことを考えていたらしい。


 おむつもお腹も気温の変化も大丈夫なので、グズッてるだけだが、新米親としては慌てるべきではないだろうか、と茜は少し思ったりする。

 色々と子育てスキルを磨いているものの、実子は初めてなのに。


「確かにね。『何だこのちっこい生き物は』とこっちも思ってるんでお互い様かも。新生児って何十人か見たけど、何か独特だよね」


「ああ。環境に適応しようとぜーぜーと言ってる時期だしな。でも、目の色はおれ似っぽい」


「どう見ても真っ黒だよねぇ。川瀬家の色素の薄さと姉夫婦の子君の目からしてグリーンアイズもあるかも?と思ってたけど、義理兄夫婦の子ちゃんっぽくなるのかな?女の子だし」


「髪はまだ胎毛だから、今はぽやぽやしてても髪色も髪質もどうなるか分からねぇな。葵ちゃんだってそうだったし」


「だね。…お、ファーストダンジョンが見えて参りました」


「いや、自宅をダンジョンに見立てるのはやめろって~。せめて宿屋に」


「それも何か違うじゃん~。回復とセーブポイントなのはいいけど、見る物聞く物何もかも初めての場所で探険するようになると、中には危険なものだってあるんだからさ」


 そういった意味でダンジョンかな、と茜は思うワケだ。


「でも、ダンジョンに住んでるのって変じゃね?住んでるのか行動範囲なだけなのかは分からねぇけど、現れるモンスターはボスクラスじゃなく雑魚ざこだし」


「適当に見立ててるだけなのに、マジメに考える英樹君の方が変」


「そんな今更も今更な」


「開き直ってるし~」


 こういったジャレ合いの会話も楽しいワケだ。

 新生児から使えるチャイルドシートは、外してコットとしても使えるし、ベビーカーの脚部分と合体させてベビーカーにもなるので、荷物が多い今日、ベビーカーにしてみた。

 色々試して練習していたが、赤ん坊を入れて使うのは初使いである。

 コットのポジションの調整が出来るし、他のベビーカーより位置を高く設定出来るため、灼熱のアスファルトから離し、親との距離は近い。


「家族が増えました。女の子、渚です。今後ともよろしくお願いします」


 常勤の管理人にちょっとしたお菓子の内祝いと共にそう挨拶してエレベーターに乗り込む。管理人は交替で三人いるので後の二人は勤務時間に再び挨拶だ。


 部屋は英樹がクーラーを入れて置いてくれたので、昼下がりの暑い時間帯でも快適室温だった。新生児は自分で体温調整が出来ないので、暑さ寒さに気を付ける必要があるが、真夏日のクーラーは直で風が当たらないように、程度でいい。


 寝てばかりの新生児だが、世話する方は家事もしないとならないし、寝てる間に息抜きもしないとならないので、リビングの片隅に畳マットを敷いたベビースペースを作った。

 夫婦のベッドだけじゃなく、渚のベッドもある寝室の扉を開けて置けば、何かあればすぐ分かるが、見える所にいた方がこちらとしても安心だし、おむつ替えにも便利なので。


 4階の自宅に到着すると、渚はまずコットごとリビングのベビースペースに下ろした。

 渚は少し汗ばんでいたので茜がガーゼで拭ってあげる。


 そして、茜は荷物を片付けるのは後回しにし、まずはそそくさとバルコニー菜園へと行く。出産入院で久々の自宅だが、桃とスモモがもう少しで食べられそう、と英樹に聞いていたからだ。

 『桃李もの言わざれども、下自ずからみちをなす』ということわざ通りに、食べ頃になると甘いいい香りが漂う。


「もう二日ぐらいかな。よしよし♪」


「渚も来年には食べられるよな。生まれ年の記念樹ってことで何か植える?」


 英樹が渚を抱っこしてバルコニーに出て来た。

 赤ちゃんの視力はまだかなり近眼だが、香りは分かるので「え、これ何?」みたいに泣きやんだ。日除けの布も張ってあるので、日差しも問題ない。まぁ、室内よりは暑いが。


「ううん。これ以上はキャパオーバーでしょ。果汁以外で渚が一番最初に食べられる家庭菜園フルーツはいちごだね。アレルギーがなければ」


「食べられねぇのは可哀想だから、アレルギーがないといいな」


「こればっかりはね~」


 さて、ご飯ご飯と室内に戻り、渚はベビースペースのお昼寝布団に寝かし、茜たちは少し遅くなったお昼ご飯にする。

 今日のお昼は迎えに来る前に英樹が作ってくれており、ちらし寿司、鯛のお吸い物(潮汁)、鶏肉と根菜の煮物、茶碗蒸しと豪華だ。

 Y病院産婦人科の食事は結構美味しいのだが、冷やしうどんは出てもさすがに寿司までは出ない。


 しみじみと料理上手な旦那を持って幸せだなぁ♪と茜は美味しく戴いた。

 渚は「ひゃーひゃー」とまた泣き出しているが、おむつもお腹も温度もいいハズなので放って置く。

 同じように「ぴゃーぴゃー」と泣く生き物…新生児たちと離され、見知らぬ所へ連れて来られた環境変化のせいもあるのだろう。


「あ、お隣と上下の部屋の人に菓子折持って挨拶に行った方がいいんじゃない?完全防音でもバルコニーには出るし」


「おう、おふくろに言われて菓子折の用意はしてあるって。でも、お盆だから帰省か旅行で不在だってさ」


「あーそっか。今ってお盆なんだよね。じゃ、帰って来たら挨拶に行きましょ」


「だな。…あ、で、茜、調子よかったら、でいいんだけど、パウンドケーキとドーナツ、混ぜるのだけやって」


「その程度なら全然大丈夫だって。材料を測ってくれるのなら、アイスボックスクッキーの生地も作っとくよ」


 好きな時に切って焼くだけだ。


「よろしく~。どうしても味が違うんだよなぁ。フォンダンショコラで使うチョコも買ってあるから…」


「はいはい。夜にでも作るよ」


 フォンダンショコラは中に入れるガナッシュを固める時間がある。

 母乳と混合なのでまだカフェインがマズイが、茜も食べたいし、多少なら大丈夫だろう。

 茜がこだわってチョコをブレンドしているが、英樹も大好きなので食べたい時は自分で買って来る。甥姪たちにはガナッシュなしの小さいマフィンも作ろう。


 そんな話をしてると、いつの間にか静かになり渚は泣き疲れたらしく眠っていた。鼻水が詰まるとヤバイので、英樹が鼻を拭いに行く。新生児はさらさらした鼻水なので簡単だ。


 これからどんどん子育てスキルが高い旦那持ちの有り難さを、改めて実感することだろう。

 渚が産まれた直後に「後は任せろ」と英樹も言っていたので、茜は存分に甘えさせてもらおう。



 ******



 季節は巡り、もうすぐ初冬に入る季節の夕食後。

 りんごをたくさん頂いたので定番のアップルパイだけじゃなく、他にも何か作ろうかと、アカネがタブレットでレシピを検索していると、バラのアップルパイがひっかかった。これはキレイで可愛い!


 りんごをスライスして小さく切って砂糖と煮てコンポートにし、長細く切ったパイシートの上に並べ、くるくる巻いてバラにし、焼く。色付けにいちごのジャムか飴を塗るレシピもある。

 これはゼリーにも応用出来るんじゃ、と調べてみた所、バラのゼリーもいくつかあった。


 では、一口ケーキを作ろう。

 下半分はスポンジ、上がりんごのバラが入ったゼリーで。


 ・カップケーキのカップに作る。

 ・ロールケーキのように天板でスポンジを四角に焼いて型で抜くか切り、カップに移して個別にゼリーを注ぐ。

 ・スポンジを四角に焼いた後、そのままりんごのバラを敷き詰めてゼリーを注ぎ、固まったら一口サイズにカット。


 そんな三種類の方法があるが、茜は一気に作れる三番目を選んだ。四角の一口ケーキである。スポンジの周囲には、適当なプラスチックや発泡スチロールで型を作り、ゼリーが流れないようにする。

 パイ生地は切るとバラッバラになるので、食べ易いようアップルパイはミニサイズで。


「アーモンドスライスが入ったチョコパイとクリームチーズパイも作って♪」


 パイも好きな英樹がリクエストするが、あいにくとクリームチーズは切らしているし、冷凍パイシートもアップルパイまでぐらいしかない。

 茜がそう言うと、英樹は出かける支度をし出した。


「じゃ、買って来まーす」


「って、渚も連れてくの?結構寒いよ?」


 もう数日で十一月なのだから当たり前だが、朝夕は冷える。行くなら最寄り駅側のスーパーだろう。徒歩十分ぐらいとはいえ、ベビーカーは風よけがあるワケじゃない。


「スリングに入れてくから大丈夫だって。渚を連れて行った方が茜も中断せず作れるだろ」


 スリングなら双方体温で温かい。


「それは確かに。じゃ、よろしく。…渚、とうさまとおでかけ、いいね~」


 行ってらっしゃい、と手を振って見送ってから、茜はふと気づいた。

 前にが言ってたことがよく分かった。ベビーカー、案外出番がない、と。義理兄夫婦たちにしても、ほとんど使ってないから新品同様の状態だったので譲ってくれたワケで。

 旦那がちゃんと育児をしてることも関係あるのだろう。ベビーカーでかさばるより、最低限の荷物で行動したい男の人は多い。

 今、英樹もおむつ替えセットしか持って行ってない。渚の腹具合は先程、授乳したばかりで大丈夫だった。




 幸せだな、と茜はいつも思う。

 英樹が目立つせいでトラブルに巻き込まれるのは頻繁だし、茜が怪我させられたことも何度かある。後ろ暗い商売の人間を雇って本当に命を狙われたことすらあるが、何とかなってるし、本当に幸せなのだ。


 婚約は高校卒業した春休み。

 よく分からない縁起物を飾ってちゃんと結納した。


 結婚はその半年後の夏。

 英樹が十九歳、茜が誕生日前で十八歳の時。

 理解出来ない理由で茜が怪我させられたことで、結婚は大学卒業後、などと悠長なことを言っていられなくなったからだが、結果オーライだったと思う。


 結婚八年目、英樹が開業二年目、二十五歳で計画して子宝にも割とすぐに恵まれた。

 妊娠中、切迫早産で入院したこともあったが、早産にはならず、翌年、渚を出産。

 渚は大した病気はせず、すくすく育ち、マイホーム計画も進んでいる。


 すべて順調。

 今更、茜から離れようなんて、英樹も思わない。それぐらい執着するよう甘やかしてるし、『胃袋ゲット』もしている。


 渚もどんどん大きくなるし、笑顔も増える。

 幸せとしか言いようがない。


 その反面、少し怖い。

 幸せと不幸せのバランスはどこで、どの時点で取れるのだろうか。

 そうした緊張感は、いつでも必要だと思う。

 人生、何が起こるのか分からないのだから。


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