番外編51 歳月の果ての初心


注*シリアスです。

――――――――――――――――――――――――――――――



 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……は…ゴホッ……コンッコンッ……ふー、ふー…。


 上がった息が中々整わない。

 全力疾走を何度も繰り返していれば当然なのだが、「早く逃げないと!」と焦ってるだけに、尚更、呼吸が整わない。

 乾いた喉がヒリついて空咳が出る。

 その音まで聞き付けられそうで、また更に焦り……。


 こういった時は……そう、落ち着くことが一番大事だと父は言っていた。


 落ち着け、落ち着け。

 誘拐魔はいかにも運動が苦手そうなひょろりとした体格だった。こんな路地裏の奥の小道までは追って来れない、ハズだ。

 周囲には自分の他に人はいない。

 …いや、水を流す音、話し声、テレビの音、布団を叩く音、ケトルの甲高い音、調子外れたソプラノレコーダーの音、といった生活音は聞こえるので、正確には周囲に人はいても、自分に気付いている人はいない、だ。


 まさか、白昼堂々と誘拐しようとするバカがいるとは思わなかった!


 単なる通行人かと思いきや、すれ違ってすぐ…油断したのを見計らったかのように「ひょいっ」と抱え上げられたのだ!

 突然過ぎて、ほんの少しだけ固まってしまったせいで、頬や頭をベタベタ触られた!気持ち悪い!

 暴れて殴って蹴って逃げて来たが、大したダメージは与えられていない。

 相手は大人、こちらは七歳になったばかりの子供なのだから。


 滅多になく「可愛い」「綺麗」と言われるような顔立ちだからと言って、何故、短絡的に誘拐しようとするのか。

 「誘拐されそうになった!」と近くの家に逃げ込むのは悪手だ。

 最初は親切に対応してくれていたのに、後で大変、面倒なことになったことがあるからだ!

 自分がこの顔なので、親も兄も妹もかなり顔がいい。

 それで、自分を保護したのを恩に着せ、執着されてしまったのである。

 弁護士を入れてゴタゴタしたが、その弁護士の助手とかいう人も気持ち悪くて担当を変えてもらい……。



 良識のある大人はもう絶滅危惧種なのではないかと、最近、疑っている。

 レッドデーターブックに本当に載っていても驚かないだろう。

 同じく「大和撫子」と呼ばれる人も載ってるかもしれない。



 それはともかく、これから、どうしよう?

 誘拐しようとした男は偶然通りがかった、ワケがない。自宅周辺は張られていることだろう。仲間もいるかもしれない。すると、親ぐるみでつき合ってる幼馴染たちの家もダメか。

 警察に保護してもらうことも考えたが、警察も不祥事のニュースが最近、多い。

 どんな組織も場所や人によっても違うのは分かっているが、悪いイメージは中々消えない。


 よし、小学校に戻ろう。

 たくさん人がいるし、張られていたとしても、子供にしか入れない逃げ場所も多く、電話もあるのだ。

 いい加減、携帯電話を学校に持ち込むことを許可して欲しいが、ルールはルール、と頭が堅いのが学校という所である。


 自分が惨殺死体で見つかって、マスコミや世間に叩かれてから、ようやく!時には柔軟な対応が必要だったと分かるのだろう。


 まぁ、携帯電話で親や警察に連絡が出来た所で、すぐ駆け付けてくれるワケではないし、通報ツールを持っていることで危機感を抱き、凶行に走る可能性も低くはないので、考えものなのだが。


 同じように、友人たちに自宅まで送ってもらう、というのも巻き込むことになってしまうので、どうしても、自分一人の行動が増えている。一人なら狭い隙間に逃げ放題だし、走るのは学年で三本の指に入る程、速いので。

 こういった逃げ回ることが多い日々が、否応なく鍛錬になってる気がするが、磨いておいて損はない。

 走り回るスポーツ、サッカークラブに入れるよう練習もしようか。

 キック力も絶対役立つ。



 学校に戻る途中、公園で水を飲んだ。

 汗だくだったので顔も洗いたいが、安全を確保出来ない状態で視界をふさぎたくはない。


 ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!…


 ほら、来た。

 押し殺したような足音だが、全然、隠せてない。子供の重さじゃないし、逆に成人した男でもない。大人にしては軽めの足音は大人かそれに近い女だろう。何か甘いコロンの香りもする。


 このぐらい、他のみんなも聞こえていると思っていたが、ウチの家族全員の耳がいいだけで、普通の人はそこまで小さい音は聞き取れないと知った時は衝撃だった。

 何かのテレビ番組でやっていたのだが……何だったか。


 伸ばして来る腕をかわし、水が出て来る所を手で押さえて水をかけてやった!


「ちょっ!何す……ぎゃっ……」


 この声はつい先日、足を挫いたと騙して強引に手を繋ぎ、頭突きをしてやるまで、中々手を離さなかった女子高生かっ!

 この遭遇も偶然であるワケがない。

 女子高生は写真を撮ろうと思ったらしく、片手に折りたたみの携帯電話を開いて持っていたので、さくっと奪ってダッシュした。

 この携帯電話には、自分か家族を追い回してる証拠が絶対に入ってるし、身元を特定出来るからだ!

 なんて運がよかった!


 走る小学一年生に、通りがかる、お店をやってる人たちは、何だか微笑ましいような感じで見ている。

 平和な世界で生きていて羨ましい。



 ******



【どこが平和な世界だったんですか?】


 キエンダンジョンマスターフロア、温泉宿風自宅のリビング。

 作ったばかりのシヴァの記憶による再現映像を見て、キエンダンジョンのコア…キーコが首を傾げてそうな感じの声で訊いた。


「おれたちの暮らしてた国は平和ボケしてたぐらい平和だった。それでも残酷な殺人や放火犯、無差別通り魔、カルト宗教の大量殺人事件もあったし、強姦魔も痴漢も暴行犯も虐待犯もストーカーもいたし、おれも被害者になった、という話」


 この記憶には続きがある。

 小学校に到着し、気が抜けたのが悪かったのだろう。

 不意打ちで殴られ、待ち構えていた複数人に人気ひとけのない教室に連れて行かれ、「本当に女じゃないのか見てやろうぜ!」とか言い、服を破られたのだ!

 クラクラしていたが、性的被害者になるのはまっぴらだったため、椅子や机を投げまくって大暴れし、その大きな音で気付いた誰かが教師を呼んで来たので助かった。


 加害者は体格がよくなる高学年の小学生たち、ではなく、在校生を脅して手引きさせた中学生の男女十数人。

 兄にフラれた、返り討ちに遭った数人と自分に執着していた大人も含めた十数人が手を組み、追いかけ回し小学校に追い込まれたのも、彼らの計画だった。

 小学校待機組は頭や目鼻に大怪我した奴もいたので、加害者側でかなり揉めたそうだが、そもそも複数人で七歳の少年を追いかけ回すこと自体もアウト!

 結果的に性被害はなく、打撲だけで骨折はしてなかったので、加害者たちを少年院送りには出来ず、更生施設送り止まりだった。


 追いかけ回した大人はストーカー規制法にひっかかる程度で、刑務所送りに出来る程の罪ではなかったが、社会的には制裁出来た。目撃者も多く、どこからか噂が流れて来るものだ。事件を知った加害者の勤める職場からクビ宣告。

 家庭持ちも多いので、危機感が半端なかったこともあったのだろう。


 完全に正当防衛なので、自分は罪には問われなかったが、ほとんど失明、手足に障害が残る加害者もいて「ここまですることはないだろう!」「悪魔か!」などと大怪我した加害者の親に罵られた。

 どっちが、という話である。

 もちろん、自分も親兄妹も方々からも反論、加害者も加害者家族もどこへ行っても噂され、とても外を歩けない、程度まで追い込まれ引っ越して行った。


 そこまで記憶を見せなかったのは、殴られてクラクラしていた辺りの記憶は当然曖昧だし、加害者たちへの対処もこちらと比べるとかなりぬるい対応なので、キーコや他のコアたちがもやもやするだろうから、である。


 あの後、加害者の少年たちはまた似たような事件を起こしたので、少年法の改正を是非ともしてもらいたい。


【どこの世界でも一部しか平和ではない、ということですね】


「そう。で、おれはどこまでだったら正当防衛が成立するのか、と法律に興味を持って、そういった仕事を職業にしたワケだな。元の世界あちらでは」


 弱者だった時期があるからこそ、弱者の助けになりたい。

 それは、異世界こちらでも基本方針である。

 無料奉仕ではなく、後払いでもきっちり取り立てるのは、労働には正当な対価を、というのと、『甘やかすと人間はとことん堕ちて行く、つけ上がる』のを体験として分かっているから、というのもあった。

 恩を仇で返されるばかりだと、むなしいものもあるのだが。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る