第2話「勇者の黒前世」


「へ? ここ、どこ?」


「な、何で……クルミンが……」


 そこで勇者イツカズ、いや心は既に転生前の逸加いつか かなうに戻っていた彼は忌まわしき黒歴史、否、黒前世の記憶を思い出していた。あれは仕事終わりの夜だった。




「寒っ……」


 どこから見ても普通な黒髪の青年、それが逸加 和、当時二十歳である。現在の勇者イツカズのような深い藍色の髪も翡翠色の瞳でも無く顔面偏差値も平均で本当に普通の青年だった。


 唯一普通と違うのは両手の紙袋に三枝さえぐさクルミのグッズが満載な様子で分かるように俗に言うを過剰にしているくらいだろう。


「後はCDか……」


 その日は雪でも降りそうなくらい寒い日で彼は地獄の十四連勤を終えフラフラだった。全ては彼が三年前から始めた推し活のためで当時の彼には、それしか無かった。


「これ予約券……数は間違ってないから……300枚で、はい」


「あっ、ありがとうございました~」


 もちろん推しているのは先ほど目の前に現れたクルミだ。当時の彼はアイドルのクルミに依存していた。それは彼の生まれに関係しているのだが今は割愛しよう。


「これでクルミンを今度こそ一位に」


 今日までの労働も全て彼女のためと既に精神状態は危険な領域に足を踏み込んでいた。それだけ三枝クルミというアイドルに魅せられていたのだ。


 そこには恋愛感情もあって、有り体に言えば厄介で害悪なガチ恋勢と呼ばれるファンでもあった。だが、その幻想は間も無く打ち砕かれることになる。


 目的の物を手に入れると彼のやるべきことは一つ。CDから特典のシリアルナンバーを抜き取りスマホで投票する作業が待っている。もちろん要らないCDは平然と路地裏に捨てていた。


 家に帰る途中でも歩きスマホしているが絶対によい子はマネしてはいけない。でも当時の害悪ファンの彼は他人の迷惑など省みず平然としていた。転生後は人格者だが転生前はマナーの悪いクズだったのだ。


 さらに推しや周囲の人間の行動をSNSで監視するという一般人ならば確実にストーカー扱いされる行為もしていた。そして偶然にも推しの目撃情報を見つけてしまい更に車で行ける距離と発覚すると彼の行動は決まった。


「クルミンに会える!?」


 握手会はもちろんライブにも皆勤賞に近い彼だが会えるなら会いたいのがファン心理で彼は車を走らせた。そして車で目撃情報付近を探索すること三十分、ついに彼女を見つけた……夜のホテル街で。


 SNSでなぜ目撃情報が有ったのかすら確認せず動いた彼は車を路肩に勝手に駐車し、数分後に中年のオッサンと推しが喫茶店で二人でいるのを目撃してしまった。


 何とも悲しい光景だがマナーの悪い厄介ガチ恋勢のファンの目を覚ますには良い薬だ。しかも二人は向かい合って座っていて場所はホテル街……どう見ても完全にアウトだろう。


「あっ、ああああああああああ!?」


「えっ!? なんで――――」


 そして挙動不審な変質者ファンが大声を上げて逃げ出すという無残な結果だけが残った。ここまで絶望に落とされた彼の背に声がかけられたのだが正気を失った彼を止めることは出来なかった。


「クルミンが……クルミンが……俺の」


 悲劇か喜劇かと言われれば今の時点ではまだ喜劇だ。本人からしたら大事件だが無関係の人間からしたら笑い話や酒の肴になる程度の話だろう。


 しかし今回は悲劇に傾いた。彼は仕事の疲れも相まって顔は真っ青なまま車に乗り込み、その場を離れようとした。しかし何とクルミ本人が後ろから追って来たのだ。


「待って、ちょっと待ちなさい!!」


「う、うわああああああああああああ!?」


 完全にパニックに陥った彼は車を急発進させ逃げ出した。最後に後ろを振り返りクルミの顔を見たと同時に脇見わきみ運転で大型トラックに突っ込んで帰らぬ人となった。




 転生前の光景が走馬灯のように蘇り脳内で悪夢として再生される。それからかなうが次に目を覚ましたのは神様の目の前で尋ねられた。


「てか、オタクくんさぁ……さすがに人生ベリハっしょ、何で?」


「神様がそれ言いますか?」


「いや、え~とカズ君? きみヤバ過ぎっしょ……あんま可哀想だから二つコース用意したわ、生き返るコースと転生コースどっちがいい感じ?」


「生き返っても地獄ですし次は幸せな家庭に生まれて……後は人の迷惑にならず役に立ちたいです……」


 トラックの運ちゃんに悪い事したなという最後の良心と今までの自分の悲惨な家庭環境を思い出し二つリクエストすると彼は転生を選んだ。


 その結果、彼は異世界転生で子爵家の男児として生まれ変わり七歳で覚醒し勇者の道を歩んだ。人々のために戦う宿命を決定付けられたのだ。


 だが彼は満足していた。なぜなら彼の願いは叶えられたからだ。かなうという名前で何一つ上手くいかなかった前世と違い今生は転生し叶ったのだ。


(って……俺はやっと生まれ変わって前世なんて忘れてたのに)


「あっ、あの……ここは? 私を知ってるの?」


「いやっ……お、俺は……」


 思わず生前の”俺”なんて一人称まで出てしまったと焦っていると勇者イツカズの後ろから衛兵たちが次々に飛び出し叫んだ。


「怪しげな装束に勇者様を怯えさせる貴様……そうか貴様は魔女だな!!」


「そうだ魔女め!! 勇者様から離れろ!!」


「えええええええ!?」


 焦ってる間に目の前で元推しが魔女認定されていた。どうする勇者!?

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