第16話 過去の自分が嫌いだ

 結局、僕は割といい気分から最悪の気分になった状態で、三谷さんの家へ向かう事になった。

 パニック症状は落ち着いている。とはいえ、本当なら誘いを断って真っ直ぐ家に帰るところだ。


 ただ、この機会に三谷さんの家の人に話しておきたいことがある。


 そう考え、三谷さんの家に訪れたわけだが……


「……でかいな。」


「……でかいわね。」


 僕と清水は口をそろえて言う。


 三谷さんの家が金持ちなのは佇まいから見てもすぐに分かった。けど、ここまでとは思わなかった。


 まず門がでかい。高さは軽く2メートル以上、幅は車が入るほどの大きさだ。

 そして敷地が広い。庭はもはや公園と呼べるほどの広さがある。芝生が広がり、端々に美しい花が咲いている。状態も見る限りは良好で、手入れが行き届いているのが分かる。

 何より、屋敷がでかい。典型的な洋風の白い豪邸。だけどそれは、テレビとかで見たことしかない。だから、いざ自分がその建物に入るとなると、もう足を踏み入れることすら悪い気がしてくる。


「ここが私の家です。どうぞ入ってください!」


「あっ、ああ、分かった。」


 動揺をなんとか押しとどめ、三谷さんについていく。


 門から玄関までの少し長めの道を辺りを見回しながら歩いていく。

 当然ながら、三谷さんはいつも通りスタスタと歩いていき、玄関の扉を開ける。


「茜さん、今帰りました!お友達を入れても大丈夫ですか?」


「お帰りなさいませ、お嬢様。もちろん、ご友人もお連れしていただいて問題ありません。お食事の用意も出来ておりますよ。」


 お嬢様という、なかなか現実では聞かないその呼び方に驚き、僕も清水も玄関の方に向き直る。

 そして、扉の向こうではメイド服を着た大人の女性が僕たちを迎え入れるために頭を下げていた。

 見たところ、身長は三谷さんと同じくらい。僕よりも少し低いくらいだが、姿勢がいいせいか、僕よりも背が高いように見えてしまう。

 髪は後ろで団子にしてまとめていて、いかにも仕事熱心そうな印象だ。


「初めまして、お客人の皆様。私は九条茜。この家でお手伝いとして働かせていただいております。いつもお嬢様がお世話になっているようで、深く感謝いたします。」


「あっ、えっと、清水です。こちらこそ、三谷さんにはお世話になっています。」


 清水がガチガチに固まりながら挨拶をする。

 ただ、僕の方は緊張している清水を見たおかげで逆に落ち着くことが出来た。


「初めまして、矢田栄一郎です。この度は急な訪問にもかかわらず、対応していただいてありがとうございます。」


 自分の思いつく限りの丁寧な口調で挨拶をする。


「二人とも、そんな緊張なさらないでください。皆さんお疲れのようですから、今日はどうかごゆっくりしていってください。」


「あっ、はい……ありがとうございます。」


 思いのほか歓迎されているようだ。とはいえ、やはりここまで丁寧な対応をされるとなんだか落ち着かない。


「ところで矢田様。実は二人で話したいことがあるのですが、少々お時間をよろしいでしょうか。」


「えっ、僕ですか?」


 何か失礼をしてしまったのかと心配になったが、メイドの九条さんは表情を一つも変えないせいで、心境が全く分からない。


「大丈夫だよ、矢田くん。九条さんは信頼できる人だから。」


 僕を気遣ってくれたのか、三谷さんが声をかけてくれた。この家のお手伝いさんなら、三谷さんが信用しているのも当たり前か。


「分かった。なら、三谷さんたちは先に行って待ってて。僕も九条さんと話し終えたら、すぐ行くから。」



 そうして、三谷さんたちは居間に、僕は九条さんに応接室のような場所に連れてこられた。


 僕と九条さんは二人とも向かい合って席に着く。


「それで、話ってなんですか?初対面なのに、話すことなんてほとんどないと思いますけど?」


 僕は少し警戒気味に尋ねる。


「いえ、そんなことはありません。矢田様には感謝してもし足りません。」


 九条さんは僕の前で深く頭を下げる。


「本当に、お嬢様を助けていただいて、ありがとうございました。」


 そして気づいた。この人は、僕が三谷さんと初めて会った時のこと、つまり、チンピラに絡まれていたところを僕が助けたことに対して感謝しているのだと。


「三谷さんから聞いていると思いますが、僕に感謝するのは筋違いです。僕は一度彼女を見捨てようとしました。それが当然とさえ思ったんですよ?」


「それは分かっています。しかし、助けていただいたのは事実。感謝しない方があり得ません。何かお礼をしたいところですが、あいにくご主人にはその話を黙っておくように言われておりまして……」


「黙っておく?それはどうしてです?」


「澄玲様の御父上は……まぁ、俗にいう親バカでして……澄玲様自身に何かあればどうなるか分からないとのことなので……」


「あぁ……なるほど。」


 それについてはなぜか簡単に想像できた。いや、三谷さんの性格を考えれば、大切に育てられてきたことはすぐに分かる。無意識のうちに、僕の中で三谷さんの親がどんな人か考えていたのかもしれない。


「分かりました。なら、そのお礼として一つだけ、僕の頼みを聞いてくれませんか。」


「ええ、私に出来る事であれば。」


「……三谷さんに、あなたから僕にあまり関わらないように言ってほしいんです。」


 これが僕がこの家に来た理由。いくら三谷さんでも、家の人から注意されたのでは、なかなかそれに背くことは難しいはずだ。

 そして九条さんからしても、感謝こそしてくれたが、内心では三谷さんに僕のような素性も知らない男と仲良くしてほしくはないはず。


 断られることはない。そう思っていた。

 しかし、それに対する回答は予想とは逆のものだった。


「残念ながら、それはできません。」


 さも当然のようにキッパリと言い放つ。


「なぜです。」


「私にはお嬢様の意思に反対することはできません。私は、お嬢様に救われた身ですから。」


 九条さんは少し目をつむり、胸に手を当てると、急に穏やかな笑顔になる。


 それだけで分かってしまった。この人の言う事は嘘ではない。本当に三谷さんに救われて感謝し、三谷さんのためになりたいと思っているのだと。


 これでは、三谷さんの動向を変えるなんてできるはずもない。


「分かりました。なら今は特に望むことはありません。話が以上ならもう失礼しますが。」


「いえ、実はもう一つ。矢田様にお聞きしたいことがございます。」


「答えられる範囲でなら答えますよ。」


「それでは。あなたがご自分を嫌いなのは、5年前のあの事故が原因ですか?」


 一瞬、驚きのあまり声が出なかった。まさかこの人の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。

 僕は反射的に立ち上がり、声を荒げる。


「なんで知ってる、いや、!?」


「落ち着いてください。私が知っているのは、あくまでも公になっていることだけです。あなたがあの事故にどのように関わったかまだは知りません。」


「あっ……」


 しまった。早とちりだったか。今の反応で、質問の答えが知られてしまった。


 僕はそっと椅子に座り直す。


「その様子だと、私の勘は当たっていたようですね。」


「……そうですよ。だったら何ですか。」


「いえ。ただ、それならもう少しだけ、お嬢様と一緒にいていただけませんか?あなたは昔の私によく似ています。悪いようにはならないと思いますよ。」


 適当に言っているわけじゃない。自分と似ているという言葉。何か確信があるような言い方だ。


「一応、覚えておきますよ。」


 そっけなく返すが、九条さんは満足そうに微笑んでいた。


 そうして、話を終えた僕は九条さんに連れられて三谷さんたちのいる食堂に向かった。

 その時、九条さんの言った言葉がずっと頭に響いていた。

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