第9話 過去を克服できない僕が嫌いだ

「矢田くん、今日の放課後、少し時間はありますか?」


 次の日の昼休み、突然、三谷さんが僕に話しかけてきた。今日も今日とて明るい表情は変わらない。


「……少しなら。」


「よかったです。清水さんも大丈夫ですか?」


「ええ、今日は特に予定もないけど……」


 何やら、清水の様子が昨日よりも内気な感じがする。それに対して、三谷さんはどこかスッキリした様子だ。2人で何か話したのか?


「では、南校舎3階の実験室に来てください。話したいことがあるんです!」


 子供のように目をキラキラさせている。どうせまたロクでもないことを思いついたんだろう。適当に何か用事があるとか言って断ればよかったか。


「分かったわ。矢田も、すっぽかすんじゃないわよ?」


 清水が強めに念を押す。


「分かってるよ。」


 当たり前のことかもしれないが、僕が清水の言動を読みやすいように、清水も僕の言動を読みやすいはずだ。きっと、この質問も僕が三谷さんの誘いを断ることを予測したからなんだろう。

 厄介だ。清水はなぜか三谷さんに協力的だし、断ろうにも断れない。


「それでは、また放課後に!」


 そう言って大げさに手を振ると、食堂へ向かっていった。


「そういえば三谷さん、今日は弁当を持ってこなかったのね。」


 三谷さんが言った後、今度は清水が僕に話しかけてくる。


「……言われてみればそうだな。あの性格からして、また作ってきそうなものだけど。」


「あんた、ちゃんと謝っときなさいよ?三谷さん、ああ見えて結構気にしてるかもしれないんだから。」


「……そうだな。また、あとで謝っておくよ。」


 そう答えると、清水は妙に驚いたような顔をしていた。


「どうかしたか?」


「いや、あんたのことだから、もっと捻くれた言い訳とかしてくると思ったんだけど……。」


「別にそう不思議がることじゃない。僕だって毎回そんな対応してるわけじゃないだろ?」


「してるわよ?」


 さも当然のように即答される。


 もう少し考えてくれてもいいのに、と思ってしまうが、実際のところ学校ではそういったことをしてしまっていることが多い。


「少しは素直になったじゃない。何か変わった?」


「……諦めがついただけだよ。」


 そう、決して心を許したわけじゃない。この2人と僕の間の心理的な壁は、まだ固く閉ざしたままだ。

 今はただしつこいから適当に返事をしているだけ……


「その割には、ちょっと嬉しそうじゃない。」


 ニヤニヤとこちらを見る清水に、少し嫌気がさす。


「何か勘違いしてるみたいだから、この際ハッキリ言うぞ。今こうやって2人にかまわれてる状況は、僕にとってはいい迷惑だ。」


「……そこまで言われると流石に少し傷つくわね。」


 少し罪悪感を覚えるが、致し方無い。これは、僕はもちろんだが2人のためでもある。


「大体、なんでそんなに僕にこだわるんだよ。お前らしくないじゃないか。」


「……答えてもいいけど、その代わりあんたも私の質問に答えなさいよ?」


「質問?」


「あんた、なんでそんなに自分のことが嫌いなの?私から見れば、そんな悪いやつには思えないんだけど?」


「……答えられるわけがないだろ、そんなこと。」


 僕はそれ以降、何も話すことなく席を立ち、いつも通り食堂へ向かう。


 なぜ自分が嫌いなのか。


 その質問が、頭から離れない。


 その答えは明確だ。明確だからこそ、答えられない。

 あの時のことを思い出しただけで吐き気がするほどに気分が悪くなり、死にたくなる。


 そう、あの時のことを克服しない限り、僕は僕を好きになる時は訪れない。


 そして、もう一度言うが、僕はそのことを誰かに話すつもりはない。だから、三谷さんや清水がいくら協力してくれたところで、意味はない。


 そうだ。僕は1人でいるべき人間だから。


「いつにも増して死にそうな顔をしているな、矢田。」


「白石先生……。」


 食堂に向かう途中、担任の白石先生に声をかけられる。いつも通りのスーツ姿だ。


「少し時間はあるか?」


「何を急に……」


「お昼、まだなんだろう?奢ってあげてもいいんだぞ?」


「……少しだけですよ。」


 実を言うと、僕は何度かこの人にこういうことをしてもらったことがある。一人暮らししている僕としては、お金を節約できるのはとてもありがたい話だ。


 だから、奢ったりされると弱い。

 そして、この人はそれを分かった上で言ってくるからタチが悪い。



〇●〇



 それからは、職員室近くの応接室で、僕は先生と二人で弁当を食べていた。普通に考えれば、こんな美人の先生と二人きりで食事なんて、夢見心地の気分だろう。

 ただ、僕からすれば、この人は油断ならない。気を使ってくれているのはいいのだが、どこか見透かされてるような気がしてならないのだ。


「……で、話って何です?」


 弁当を食べ終えた僕は、早速話を切り出した。


「おや、随分とぶっきらぼうな態度だな?」


「そりゃ、転校生に勝手に生徒の住所を教えるような人を、信頼なんてできませんよ。職権乱用みたいなものでしょ。」


 少し機嫌が悪かったのもあって、つい攻撃的な言動をしてしまう。


「ああ、その節はすまなかったな。実を言うとあの子は私の従妹でな。どうしてもというから教えてあげたんだ。」


「……は?従妹?三谷さんが?」


 僕は思わず、目を丸くして驚く。


「おや、聞いてなかったのか。確かにあの子は行動力はあっても、少し言葉足らずなところがあるからな。君みたいに。」


「僕はそんなことないでしょう?」


「おや?本気でそう思っているのか?」


「……少しはそうかもしれませんね。」


 僕がすぐに訂正したのを見て、先生は少し驚いたような表情を見せる。


「なんだ、いつの間にそんな素直になったんだ、君は?」


「……先生もそんなこと言うんですか。」


「他にも言われたのか?」


「……まぁ、クラスメイトに。」


 思い出すとまた嫌な気分になってきた。いい加減話題を変えよう。


「それで?話って何なんです?」


「ああ、すまんすまん。今日話したかったのは他でもない、三谷についてだ。」


 急に先生が真剣な顔になる。こういうときは大抵……


「……また何か厄介ごと押し付ける気ですか?」


「……」


 無言。肯定だな、まったく。


「……とりあえず話ぐらいは聞きますよ。先生には世話になってますし。」


「さっすが矢田だ!君のそういうところ、嫌いじゃないぞ!」


「教師が冗談でもそんなこと言わないでくださいよ。」


 軽くため息をつく。


 僕からすると、この人は先生としてはあまりいい印象はない。けど、他の男子生徒からは顔の良さもあってかなり人気のある人だ。こんな発言を誰かに聞かれでもしたら絶対厄介なことになる。


「さて、結論から言うと、君にあの子の様子を少し注意深く見ておいてほしい。特別にあの子に何かしろとまでは言わない。」


「……まるで意味が分かりませんが。」


「そうだな、ここはやはり順を追って説明しよう。さっき私は澄玲の従妹だということは言ったとおりだ。そのこともあって、私はあの子のことをよく知っている。」


 たしかに、従妹なら一緒に過ごす時間もあっただろう。先生は気を許した相手にはかなり穏やかな態度を取る人だから、身内の人には好かれやすいのだろう。


「私が懸念しているのはあの子の過剰な行動力だ。」


「……それは知ってます。」


 行動力か。確かに三谷さんは普通よりも考えたことを行動に移すのが早いのだろう。それも、異常と言えるほどに。


「行動力が高いことは決して悪いとは言えないが、それでも先日不良に絡まれたのもそれが原因の一つではある。」


「……どうせ、引っ越したばかりで街のことを見て回りたい、とでも言ったんでしょう。」


 三谷さんの行動力と子供っぽさ、素直さを考えれば、簡単に予想がつく。

 大方、時間的にも考えてあの時は家に帰るところだったのか。


「なるほど、つまり、危ないことをしないようにできるだけ気にかけてほしいと?」


「そういうことだ。」


「いいですよ、それくらい。」


 あっさりと僕が答えると、先生はまたしても少し驚いたような表情を見せた。


「なんで驚いてるんですか。」


「いや、君のことだからてっきり断られるものかと。」


「僕は別に、三谷さんのことを嫌っているわけじゃありません。ただ、ああして感謝ばかりされると罪悪感が募るから距離を取りたいだけです。」


 これは別に虚言ではない。ありがとう、と言われて嬉しくないわけがない。気にかけることと距離を置くことは別にイコールじゃないし、両立することもそう難しい話でもない。となれば、ここで断る意味もない。


「……やはり、君に話して正解だったな。では、そうだな……。何でも一つ、君のお願いを聞いてあげよう。もちろん、可能な範囲でだが。」


「別に無いですよ、お願いすることなんて。」


「まぁでも、一応覚えておいてくれ。」


 先生はすぐに立ち上がり、部屋の扉を開ける。


「じゃあ、あの子のことを頼んだよ?」


 昼休み終了5分前のチャイムが鳴る。僕もすぐに立ち上がり、先生に見送られて教室まで戻った。


 そしてこの時、ついさっきまで抱いていた死にたくなるほどの自分への嫌悪は、いつの間にかなくなっていた。


 それは、先生が意図的に僕に意識を違うことに向けさせたからに他ならなかった。

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