第7話 誰かを嫌いになる僕が嫌いだ

 僕の感覚がおかしいわけじゃなかった。

 もちろん、清水の性格が僕に似ていることもあるかもしれないけど、普通はいくら助けられたからって相手の自宅に出向いてまでお礼をしようとは思わない。


 やっぱり、僕が僕自身のことを嫌っていることの目星がついていたのか。だから、親切心でそれを克服させようとしたってところか?


 心配してくれるのはありがたいけど、余計なお世話だ。お人よしにもほどがある。


「あっ、おはようございます!矢田くん、清水さん!」


 噂をすれば、だな。扉を引く音とともに、元気のいい挨拶が教室に響く。


「おはよう。」


「あっ、えっとおはよう、三谷さん……。」


 よし。ここからは三谷さんにはできるだけ冷たい態度をとろう。はっきり口に出さない分時間はかかるだろうけど、その分自然に距離を置くことができるはずだ。

 三谷さんのような善人は、本来僕のような人間にかかわるべきじゃない。善行は積めばいずれ自分にも善行が返ってくる、なんて話があるけど、僕に対して善行をしても返ることはない。返せない人間なんだ。だから、関わるべきじゃない。だから一人でいいんだ。


「矢田くん、今日の昼休み、一緒に食事しませんか?私、お弁当作ってきたんです!」


「ごはっ!?」


 流石に三谷さんの発言に驚いた……が、噴き出したのは僕ではなく隣の清水だ。


 ……なんで?


 いや、というか、驚いて当然だ。昨日転校してきたばかりで、こんなにも早く距離を詰めてくるんだから。でも、朝食を作りに来るぐらいなんだから、これぐらいの行動力があっても不思議じゃないな。


「いや、遠慮しとくよ。学食を1人で食べている方が慣れてるし。」


 僕は、予定通り冷たい態度をとる。


「そうですか……残念です。私の頑張りが無駄になってしまいましたね……。」


 まるで子犬が耳をたたんでしょんぼりとしているかのような、そんな表情。

 さすがにこれは断りづらいな。いくら僕でもそれなりの良心はある。決めたことを貫き通せないのも僕が僕自身を嫌いな理由の一つだ。


「あっ、えっと、そうだな、やっぱり──」


 僕が発言を撤回しようとしたその時だった。


「ちょっと待ちなさい。」


 突然、清水が立ち上がり、喋りだした。

 その様子はいつもに比べれば、かなり衝動的にも見える。

 一体どうしたんだ?彼女らしくない。


「矢田が困ってるでしょ。三谷さんが矢田のことを想って弁当を作ったまではいいけど、本人の意思を蔑ろにしたら駄目よ。」


「清水さん……。」


 清水の言うことは正しい。だけど、そんなに直接的に言葉にしてしまうと、余計な軋轢を生んでしまう。何とか止めなければ。


「待て待て、二人とも。僕が三谷さんの弁当をもらえば、解決するならそれで──」


「矢田はちょっと黙ってなさい。」


「あっ、はい。」


 清水の威圧感に、僕は思わず縮こまってしまう。


 やっぱり、いつもの清水らしくない。こんな高圧的な態度は、むしろ清水の嫌うことのはずだ。


「いい?次からは弁当を作りたいなら、まず矢田本人に許可を取りなさい。その時は、私も手伝ってあげるから。」


「えっ、いいんですか?」


「もちろん。大切な……えっと……」


 清水が言葉に詰まる。ここで、僕は清水がいつもの清水に戻ったことを確信した。

 清水と僕には似たようなところがある。付き合いが長いことも相まって、言動は他のクラスメイトと比べても比較的読みやすい方だ。けど、今日に限ってはそうじゃなかった。

 頭では普通に話す自分をイメージしているのに、緊張や相手のことを考えすぎたりするせいでうまく言葉がまとまらなかったりする。そうなると、何度もどもることを繰り返すことになる。清水がそうなっている場面を、僕は何度も見た。そして、それは僕自身も同じだ。


「友達、ですよね!」


「へっ?」


 何の迷いもなく、三谷さんが清水の手を握る。


「今日からよろしくお願いしますね、清水さん!」


「あっ、うん。よろしく……?」


 まったく、うらやましい限りだ。あんな風に表裏なく話せるなら、僕も清水もこんなに苦労はしなかっただろう。


「えっと……話はまとまったか?」


「あっ、うん。待たせたわね。」


 よく見ると、清水の口元が少しにやついている。相変わらずわかりやすい。でも、確かに清水はクラスメイトとの関わりはかなり少ない方だろうし、こうして一人でも友達が増えるのなら喜ばしいことなはずだ。


「それで、結局三谷の作った弁当はどうするんだ?希望を言っていいなら、僕は昼は学食でいいんだけど。」


 いったん落ち着いたところで、話を戻す。これでようやく冷静に話ができそうだ。


「あっ、それだったら、清水さんに食べてもらいませんか。」


「えっ?私?」


「はい!矢田君が食べてくれないのは残念ですけど、友達に食べてもらうのもすごく嬉しいですから!」


 満面の笑みを今度は僕ではなく清水に向ける。


「……まぁ、そうね。三谷さんがいいのなら、もらおうかしら。」


「はい!ぜひ食べてください!」


「決まりだな。じゃあ、僕は一人で食べるから、二人で楽しんできなよ。」


 うまく話がまとまったようで何よりだ。二人とも、やっと僕から興味が薄れたみたいだな。距離をとるチャンスだ。


 早々に立ち去ろうとしたとき、ガシッと清水に手首を掴まれる。


「は?何言ってんのよ。あんたも一緒に決まってんでしょ。弁当のことは譲歩したんだから、それぐらいこっちに合わせてもいいでしょ。」


「いや、こういうのは女子同士のほうがいいだろ。」


「そんなことないです。矢田くんも一緒に食べましょう!」


 意味が分からない。こういうのは女子同士のほうが話が盛り上がるんじゃないのか?いや、まぁ女子のことなんててんで知らないんだが。

 どうしようか考えていたが、女子二人の視線が痛い。特に清水。もはや脅迫でもされるような勢いで目で何かを訴えかけてくる。


「あっ、はい。分かりました。」


 その勢いに気圧され、結局僕は女子二人と食事を共にすることになった。


「えへへ、よろしくお願いしますね、矢田くん♪」


「一緒に飯食うだけなのによろしくも何もないだろう。」


 相変わらず、何をするにしても嬉しそうに笑う人だ。


 ……あれ?そういえば、清水はともかく、三谷さんと話すとき、あまりどもることがないな。初対面の人なら大抵はうまく話せないんだけど。


 僕は二人に連れられて大人しく食堂へ向かう。


 裏表なく話す三谷さんと、それに巻き込まれるようにして話す清水。


 そんな二人を見てようやく気が付いた。


 ……ああ、なるほど。そういうことか。


 彼女は僕とは正反対なんだ。誰にでも気さくに話しかけ、行動力もあって、何より表裏なく話せる人間性。

 対して、僕にそんな強みはない。一人で黙々とできる勉強なら多少ましだけど、それでも1番なんてとったことがない。


 僕には誰かに誇れる長所はない。自分をいくら見つめなおしても、見つかるのは短所ばかりだ。

 

 だからだろう。僕と正反対の彼女が、うらやましくて、妬ましくて、見ていると僕の醜さが浮き彫りになる。


 だから、僕は三谷さんのことが嫌いなんだ。


 嫌いだからこそ遠慮なく話せる。嫌いだから緊張も何もない。



 ……まったく、あんな人まで嫌いになる僕は、やっぱり誰よりも嫌いだ。

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