第7.5話 私は矢田のことが……

 私と矢田が初めて出会ったのは確かに小学校の頃だけど、その時はただのクラスメイトという認識で、あまり気にかけたことはなかった。

 意識し始めたのは、それこそ中学校のころからだ。私は自分で言うのもなんだけど当時の担任の先生に気に入られていて、孤立している学生がいるから話しかけてほしいと言われていたのだ。


 でも、私はクラスメイトと話すことは多かったものの、実際には成績がいいからという理由でノートを見せたりするだけ、という事が多く、決して自分から話しかけることが得意だったわけじゃない。

 だから、矢田がいつも一人でいるのは知っていたけど、どう話しかけていいか分からずに、遠くからチラチラと眺めるばかりだった。


 しかし……。


「僕に何か用か?」


 突然、私ではなく、彼の方から話しかけてきた。


「えっ……?」


 私は瞬間的に頭を回転させるが、訳が分からず混乱する。


「最近、僕の方をずっと見てきてるだろ?何か言いたいことでもあったんじゃないのか?」


 気づかれてた。いや、でもいつもより少しチラチラ見ることが増えた程度だったのに、まさか気づかれるなんて。意外と周りを見てるんだ……。


「あっ、いや、特に何もないんだけど、ただいつも一人だなーって。」


「ああ、俺みたいなのは一人でいいんだよ。」


 矢田はどこか自分を貶めるような口ぶりで話す。


「ま、それならいいや。気を使わせて悪かったな。僕は大丈夫だ。心配してくれてありがとうな。」


 矢田はそう言って席に戻り、授業の予習を黙々と進めていく。


 それがきっかけだった。


 見ていると、矢田は周りの事なんて何も気にしていないように見えて、実は人一倍気を使っていることが分かった。

 例えば、花瓶の水を日直が変えるのを忘れていた時。矢田は何も言わずに、というか、誰にも見られないように変えていた。

 他にも、近くの席で誰かが消しゴムを落としたりしたら、本人が気づかないうちに拾って机の上においてあげたりもしていた。


 誰の目にも触れないところで、小さい事でも誰かの助けになろうとすることに好意を抱いた。

 

 我ながら、大したことのない理由だと思う。でも、平凡で、堅物で、取り柄のない私にとっては、それだけで十分魅力的に見えてしまったのだ。


 だけど、向こうは私のことを何とも思っていない。

 だったら、嫌でも目に入るような人になればいい。


 生徒会……はちょっとハードルが高い。風紀委員ならまだ何とか……


 というわけで、私は高校生になってようやく、風紀委員になった。私の風紀委員への立候補理由なんて、そんな不純なものだ。

 もっとも、風紀委員の仕事は人見知りの私にとってはかなりしんどいものだったけど。


 だけど、どうしても振り向いて欲しい。私のことを見て欲しい。ほんの数秒、数瞬でも、見てくれる時間が増えるだけで、私は嬉しい。


 今もそう。こうして隣にいるだけで。私は──


 そんな事を考えていた時、ガラガラと教室の扉が開く音がする。


「あっ、おはようございます!矢田くん、清水さん!」


「おはよう。」


「あっ、えっとおはよう、三谷さん……。」


 あまりに唐突で返事が遅くなる。えっ、ていうか、矢田が挨拶を返した?いつもなら軽く頭を下げるだけなのに……。


 たった1日でそんなに仲良くなるなんて、なんて羨ましい。


 ……三谷さんはもしかして、矢田に好意を抱いているのだろうか。

 考えすぎかな……?


「矢田くん、今日の昼休み、一緒に食事しませんか?私、お弁当作ってきたんです!」


「ごはっ!?」


 そんなとんでも発言に、肺の空気が全部なくなる勢いで吹き出す。


 急に何を言い出してるのこの子は!?異性に弁当を作るなんて、その人の彼女ぐらいの立ち位置じゃないとしないわよ?


「いや、遠慮しとくよ。学食を1人で食べている方が慣れてるし。」


 しかし、全く動じることなく、淡々と断る矢田。

 ちょっとホッとした。でも、ここまでストレートに断られれば、さすがにこたえるんじゃ……


「そうですか……残念です。私の頑張りが無駄になってしまいましたね……。」


 あっ。ダメだ。これは断れない。

 

 矢田は態度こそ無愛想ではあるけど、根が優しい人だ。そんなしょんぼりした姿を見せられたら、断れるはずがない。


「あっ、えっと、そうだな、やっぱり──」


「ちょっと待ちなさい。」


 私は矢田の発言を遮って突如立ち上がって声を上げる。


 正直何か考えがあったわけじゃない。だけど、何も言わずにはいられない。私が何年この片思いの恋心を抱いていると思っているんだ。

 もちろん、三谷さんに悪気がないのは分かってる。でも、こんな目の前でそんな簡単に矢田との距離を詰められて黙っていられない。


 勇気を出さなきゃ。別に矢田が私のことを好きにならなくてもいい。最終的に、三谷さんと付き合うことになっても。だけど、挑みすらせずに諦めることになるのだけは嫌だ。


「矢田が困ってるでしょ。三谷さんが矢田のことを想って弁当を作ったまではいいけど、本人の意思を蔑ろにしたら駄目よ。」


「清水さん……。」


「待て待て、二人とも。僕が三谷さんの弁当をもらえば、解決するならそれで──」


「矢田はちょっと黙ってなさい。」


「あっ、はい。」


 やっぱり、矢田が近くにいるとどうしても口調や態度がきつくなってしまう。でも今はそれでもいい。ここで引き下がったら、絶対後悔するもの。


「いい?次からは弁当を作りたいなら、まず矢田本人に許可を取りなさい。その時は、私も手伝ってあげるから。」


「えっ、いいんですか?」


 三谷さんは先ほどの気分が沈んだ様子とは違い、パーッと晴れやかな表情に変化する。分かりやすいなこの子……。


「もちろん。大切な……えっと……」


 私にしてはうまく話が進められていたのに、ここにきて勢いが死んでしまった。


 三谷さんに協力する形で、矢田に関わることはできそう。だけど、三谷さんは私にとってどういう立場なんだろう?友達は早すぎる気がするし、クラスメイトと言うとなんだか距離を置くように聞こえるかもしれない。

 なら恋敵?うん、一番近いけど一番言っちゃダメなやつだ。三谷さんは矢田と出会ってから日が浅い。行動だけ見れば、助けられて好きになった相手に猛アタックしているようにしか見えないけど、三谷さんの性格ならもしかしたら自覚していないかもしれない。藪蛇をつつくような真似は避けたほうがいい。


「友達、ですよね!」


「へっ?」


 悩んでいると、三谷さんが子供みたいな笑みで私の手を握り、はしゃぎだす。


「今日からよろしくお願いしますね、清水さん!」


「あっ、うん。よろしく……?」


 えっ、嘘。友達宣言されちゃった。普通あんなに敵対心むき出しで話されたら悪印象でしょ。


「えっと……話はまとまったか?」


「あっ、うん。待たせたわね。」


 矢田はすでに先ほどの動揺はなく、いつも通りの冷静な顔に戻っていた。今の間に落ち着きを取り戻したみたい。


「それで、結局三谷の作った弁当はどうするんだ?希望を言っていいなら、僕は昼は学食でいいんだけど。」


「あっ、それだったら、清水さんに食べてもらいませんか。」


「えっ?私?」


 なんでそうなるの?この子、矢田のためにこの弁当作ってきたんじゃないの?


「はい!矢田君が食べてくれないのは残念ですけど、友達に食べてもらうのもすごく嬉しいですから!」


 わー、すごくいい子ー。ごちゃごちゃと考えていた私がばかみたいにみえるわー。(棒読み)

 でも、実際いい機会かもしれない。三谷さんとはまだそれほど話していないし、矢田のことをどう思っているのかを聞き出すことができれば、御の字だ。


「まぁ、そうね。三谷さんがいいのなら、もらおうかしら。」


「はい!ぜひ食べてください!」


「決まりだな。じゃあ、僕は一人で食べるから、二人で楽しんできなよ。」


 矢田はもう自分には関係ないとでもいうように顔をそらす。でも、そうはさせない。せっかく距離が近づいたんだ。この機会を逃したくない。


「は?何言ってんのよ。あんたも一緒に決まってんでしょ。弁当のことは譲歩したんだから、それぐらいこっちに合わせてもいいでしょ。」


「いや、こういうのは女子同士のほうがいいだろ。」


「そんなことないです。矢田くんも一緒に食べましょう!」


 頑なに断ろうとする矢田に追い打ちをかけるように三谷さんが言う。


「あっ、はい。分かりました。」


 なぜか矢田は敬語で返事をする。


 こうして、結果的には狙い通り、矢田との接点を持つことができ、心の中でガッツポーズを決める。

 ただ、一つ気になることがある。


 ……矢田ってもしかして、かなり鈍感?

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