第2話 後悔してしまう僕が嫌いだ

「ただいま……。」


 あの後、逃げるようにしてあの場を去った僕は、真っ直ぐに自宅に帰っていた。

 実を言うと、僕は訳あって一人暮らしをしている。だから、こんなボロボロで帰ってきても、心配してくれるような人はいない。

 もちろん、この高校生の一人暮らしなんて不便なことばかりだけど、今日みたいな日はこの生活で良かったと思う。

 こんな姿、誰かに見られたら絶対面倒なことになっていた。


 腹痛はだいぶ落ち着いたけど、顔面の腫れあがった箇所はまだズキズキと痛む。


 救急箱を持って、鏡のある洗面所までいき、怪我の状態を見ることにした。


「うわっ、ひどいなこれは……。」


 改めてみた怪我の具合は思わず声を上げてしまいそうな、ひどい見た目だった。

 左目の上の方は青くはれ上がっていて、唇も切れている。額の右側からは生々しく流血した後が残っていて、カサブタのようになっていた。


 普段なら病院に行くところだけど、あいにく今はもう夜の7時。もう閉まっているだろうし、なんとか一人でも消毒とガーゼを当てることぐらいは出来そうだ。


 目に入らないように、ティッシュに消毒液を染み込ませてゆっくりと目の上の患部を拭く。


「~~~~っ!?」


 思ったよりも痛かった。声にならない声とでもいうのか、自分でも今まで聞いたことのない情けない悲鳴を出してしまった。


「やっぱ、こんなことするんじゃなかったな……。」


 正直、チンピラが退いたのはかなり運が良かった。女の子が警察の人を連れてきたのをハッタリだとバレれば、それこそもうなすすべがなかった。


 人助けは気持ちがいい、なんて言う人もいるけど、僕はその意見には反対だな。


 僕は傷の手当てをしながら、心の中であの女の子を助けたことを後悔した。そして、人助けをしてそれが嫌になる自分を省みて、さらに自分を嫌悪するのだった。



〇●〇


 

「はぁ………。」


 私、三谷澄玲みたにすみれは夕食をとりながら、今日体験したことを思い返していた。というのも、実は人生で初めてナンパというものを経験してしまったから。


 始めは相手の人も軽く話しかけてきて、それがナンパだという事自体、気づくのが遅れてしまった。

 威圧感のある金髪に唇にはピアス。首には蛇のタトゥーまであって、見た目は完全にヤクザそのものだった。

 門限も迫っていたし、早く帰りたい気持ちもあって、それとなくその意思を伝えようとしたら急にその人の押しが強くなってきた。

 下手に動けば暴力を振るわれるような勢いで、恐怖心で足が震えて動けなかった。


 男の人が声を荒げて私を連れて行こうとするのを、周囲の人も見ていたはずなのに、誰も助けてくれない。

 

 絶望のさなか、男の人を背後を誰かが通り過ぎた気がした。

 その人も、他の人と同じように私を助けるつもりはなかったんだろう。でも、私は藁にも縋る思いで、その人に助けを求めた。


 その人は、私のことを無視することもできたはず。他の人と同じように、聞こえないフリをして。


 でも、あの人は助けようとしてくれた。

 制服を着ていたから、多分帰り道の高校生。髪も瞳も黒く、色白の肌。絡んできた人とは正反対の見た目をしている、大人しそうな男性。


 喧嘩慣れなんてしている様子は全くなく、少し頼りなさそうな見た目なのに、結果的にあの人に助けられてしまった。


 酷い怪我だったけど、大丈夫かな?


 お礼も出来ずに別れちゃったもん……。どこかでまた会えないかな……。


 ……会えるといいな。


「……澄玲?どうかしたのか?」


「あっ、ううん、何でもないよ。」


「もし何か困ったことがあったら、すぐに言うんだぞ。お父さんが絶対、なんとかしてあげるから。」


「うん、ありがとう……。」


 目の前で共に食事をするお父さんは、幼いころに病気で亡くなったお母さんに代わって、私を男手一つで育ててくれた、大切な人。

 だけど、ちょっとしたことで大げさに心配してしまう癖があって、今日の事なんか話したら絶対大事になっちゃう。気をつけないと……。


「お嬢様。」


 食事が終わった直後、お手伝いのあかねさんが声をかけてきた。

 茜さんは幼い頃から父が仕事で忙しくしている間、面倒を見てもらっている人で、私にとってはお姉さんのような存在だ。

 一緒にいる時間はお父さんよりも長い。今もきっと、私がお父さんに何か隠そうとしていることを察してくれたんだろう。


「うん、また後でね。」


 私はお父さんには気づかれないよう、小声で返事をして手早く自室に戻る。



──平静を装って自室に戻り、しばらくすると扉のノックの音が聞こえる。


「どうぞ、入って。」


「失礼いたします。」


 静かに扉が開き、メイド服を着た茜さんが部屋に入ってくる。

 私は、座っていたベッドから腰を上げて一直線に茜さんの方へ近づき……


「……こっ」

「こっ?」

「…………怖かった〜〜。」


 ヘナヘナと崩れるように緊張を解いて、抱きついた。今まで表には出さなかったけれど、あの時の恐怖がずっと頭にこびり付いて離れなかった。

 そんな私を、茜さんは優しく撫でてくれる。

 茜さんは私の身の回りで裏表なく本音を話すことのできる、数少ない人だ。


「一体何があったんです?いくら新しい町に来たばかりとはいえ、こんなに早くお嬢様が恐怖されることがあったのですか?」

「えっと、実は……」


 私は、今日体験したことを1から全て話した。

 怖い人にナンパされたこと。周りが見て見ぬふりをしたこと。無理矢理どこかに連れて行かれそうになったこと。

 そして……助けを求める声に、たった1人だけ、応えてくれた人がいたこと。


 茜さんは私のことを大切にしてくれているけれど、悩みを打ち明けてもお父さんほど過剰な反応はしない。

 だから今回も大丈夫と思っていたんだけど……


「許せませんね、その輩。お嬢様にそんな卑しい真似をするとは。」


「茜さん……?」


「今すぐにハラワタを掻っ捌いて血祭りにあげたいところですが、残念ながらこの町にはがありませんね……。今はまだ。」


 普段の落ち着いていて大人びた佇まいからは想像がつかない、ドスの利いた声。

 流石に今回の件は怒り心頭に発したみたい。


 私は何とか茜さんに深呼吸をさせて、気を落ち着かせた。


「失礼しました、あまりの愚行に、思わず取り乱してしまいました……。」

「あっあははは……。」


 茜さんにもこんな一面があったなんて…。次からは少し気をつけよう。


「それにしても、そのお嬢様を助けた男性はなかなか見どころがありますね。お名前などはお聞きになったのですか?」


 その話題になってから心なしか、少し自分の身体が火照るように熱く感じるようになった。

 けれど、その時はあまりそのことを気にせず、話を進めた。


「それが、何も言わずにその場を去ってしまったの。あんなボロボロになっていたから、心配だったのだけど。」


「ふむ……。それはまた謙虚な方ですね。」


「でも、あの人はどうして私を助けてくれたんだろう?確かに助けてって頼んだけど、始めはあの人も、他の人と同じように知らないふりをしようとしていたみたいだから。」


 そこはどうしても気になってしまった。あの人は喧嘩が強いわけでも、私のことを知っていたわけでもない。

 それになにより、怖くなかったのかな。もし立場が逆で、私も周りから見ている側になったら、怖くて動けなかったと思う。


「お人よし……には間違いありませんが、 別れ際の口ぶりからするに、そう単純なものでもないですね。ただ、少なくともその方はお嬢様を助けたいと思っていたはずですよ?」


「やっぱり、それは確かなんだよね。」


「ええ、人は自分の意思と行動が必ずしも合致するわけではありません。今回の場合だと、お嬢様を助けたいという想いが自身の意思だとして、恐怖心や自己防衛の思考の結果、何もしないという行動をしてしまう。そんなところでしょう。」


 そっか。私のことを見て見ぬフリをしていた他の人も、私を助けたいと思ってくれていたかもしれないんだ。


「自分の意思を素直に行動に移すことは案外難しいものです。その点で言えば、その方は立派な方だと思いますよ。」


「そっか……そうなんだ……。」


「ふふっ、お嬢様、その方が褒められて嬉しそうですね。」


「えっ!?」


 顔に出てた!?

 いやでも、助けてもらったんだから意識しないわけないし、ちゃんとお礼したいと思ってたし……!


「そんな心の中でまで言い訳しなくても大丈夫ですよ?」


「何で聞こえてるのよ!」


 私は顔を赤らめて茜さんにツッコミを入れるのだった。

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