僕嫌いな僕と僕好きな彼女

山上卓也

第1話 僕は僕が嫌いだ

 突然だが、君は自分のことを好きだろうか。


 人生において、自分を好きになる瞬間というのはたくさんあるだろう。

 例えば、サッカーの試合でゴールを決め、その試合のヒーローになった時かもしれない。いじめっ子から誰かを助けて、感謝された時かもしれない。自分のやりたいことが思い通りにいって、自信が付いたときかもしれない。


 そう、いくらでもあるんだ。自分を好きになれる瞬間は。


 でも、その瞬間というのは、自分を嫌いになる瞬間よりも、圧倒的に少ないことが多い。


 えっ、なぜこんな話をしているのかって?それは……


「いいから来いっつてんだろうが!」

「やめてっ、離してください!」


 今まさに、自分のことをより一層、嫌いになりそうになっているからだ。


 美少女がチンピラに絡まれるという、ラブコメなんかでよくありがちな展開。それが、目の前で繰り広げられている。


 ラブコメの主人公なら、腕っぷしの強さを見せつけて颯爽と女性を助ける、というヒーローみたいな立ち回りが出来るんだろう。


 でもよく考えてみてほしい。きれいな女性がいるのはともかく、絡んでいるのは髪を金色に染め、いかつい容姿をしたチンピラ。いかにもケンカ慣れしていそうな風貌だ。

 それに対して、自分は中学の頃は陸上部だったのものの、高校生の今となってはただの帰宅部だ。


 助けだせって?無茶言うなよ、ボコボコにされるに決まってんじゃん。挙句、女の子は連れ去られて助けられないっていうのがオチだ。

 

 ならどうするか。簡単なことだ。この場における最適解は、、だ。

 助ける力がないなら出しゃばるべきじゃない。

 事実、ここは決して人通りの少ない場所じゃない。交差点の近くにあるコンビニ前。この現場を見ている人だって大勢いるはずだ。

 にもかかわらず、誰も助けない。みんなそうしてる。だったら、それに従うべきだ。


 僕はその現場を何も見なかったように素通りし、スタスタとチンピラの後ろを横切っていく。目を合わせることもなく、真っ直ぐに前を向いて。


 女の子には申し訳ないけど、僕にはどうしようもない。運が悪かったってことで、諦めてくれ……。


 ハッキリと言おう。僕は僕が嫌いだ。こんな風にこの身を挺して人を助ける勇気がない。力もない。誇れる長所なんてどこにもない。


 歩きながら、そんなことを考えていた。


「助けて……っ。」


 泣きながら、か細く聞こえた小さな声。声は震え、恐怖心がひしひしと伝わってくる。

 その助けを呼ぶ声に、僕は思わず足を止めてしまった。


 助けられるわけがない。無理だって。殴り合いの喧嘩なんて、小学校の時一度したのが最後だ。


「いい加減、来いって言ってんだろ!」


 チンピラがついにその女の子に手を挙げようと、拳を作って振りかぶる。


 僕は咄嗟に鞄を捨てて、チンピラの手首を後ろから掴んで止める。

 考えなんてあったもんじゃない。考えるよりも先に身体が動いた。動いてしまった。


「あっ?なんだてめぇ?」


 ジロリと鋭い眼光で睨みつけられる。震えも冷や汗も止まらない。


 やってしまった。どうする?今から逃げるか?この状況から?無理だ。

 ならこの人を止める?どうやって?無茶だ。


「あっ……えっと……。」


 思考が追い付かずに、僕はゆっくりと掴んだ手首から手を離す。


「流石に女の子に手を挙げるのは……その……やりすぎなんじゃないですか……?」


 恐る恐る説得を試みる。


「てめぇ、俺に説教垂れるつもりか?」


 チンピラはさっきよりもさらに顔を近づけてガンを飛ばしてくる。

 口からはタバコのにおい。どう見ても未成年なのに、やっぱやることやってる奴だこれ……。


「ほら、女の子も怖がってますし……ね?」


 はははっと冷や汗をかきながらなんとか空気を変えようと努力する。


「ごふっ……!」


 突然、腹部に衝撃が走る。

 あまりの痛みに、僕は腹を抱えて膝をつく。


 殴られた?鳩尾を?こんな急に暴力を振るわれるとは思わなかった。


 気持ち悪い、吐き気がする。っていうか、既に喉元まで上がってきてる。

 苦く、酸っぱい液体が口の奥に広がるが、どうにかそれを喉の奥に戻すことに成功する。


 チンピラはいわゆるヤンキー座りをして、僕の髪を掴んで前を向かせる。


「テメェみてーな雑魚が出しゃばってくんじゃねーよ。すっこんでろ。」


 ごもっともだ。反論なんてできるわけない。


「はい……すみませんでした……ゲホッ。」


 吐きそうなのを何とかこらえて返事をする。ほらな?こうなるから声なんてかけるべきじゃないんだ。


 チンピラは僕の髪を離すと、背を向けて再び女の子の方に向き直る。


「ひっ……!」


 怯えた子犬のような小さな悲鳴があがる。


 やめてくれよ、僕はもう十分頑張っただろ?これ以上は……


 その思いとは逆に、僕の身体は勝手に立ち上がり、チンピラの肩を後ろから掴んで止めていた。


「どういうつもりだ?カッコつけてるつもりかよテメェ……!」


 どういうつもりも何もない。身体が勝手に動いただけだ。第一、こんなみっともない姿を晒して、カッコつけてるわけないだろう。


「そこの君、早く逃げなよ。」

「あっ……は、はい!」


 女の子は僕の声かけで我に返ったのか、急いでその場から逃げ出した。


「おい、覚悟できてんだろうな。お前みたいな雑魚が俺の邪魔するなんてよぉ。」


 腹部の痛みのせいで、言っていることを理解する余裕がない。

 それでも徐に腕を上げてボクシングで言う、ブロッキングの姿勢をとる。

 とは言っても、ボクシングの経験なんてあるはずないし、聞きかじった程度の知識しかないから、正しい姿勢も知らない。


「オラァ!!」


 パンチの雨が降り、いくつかは辛うじて防いだものの、数発はガードをすり抜けて顔面に直撃する。

 

 でも、今度は倒れなかった。あの女の子がまだちゃんと逃げられたか分からない。時間を稼がないと。

 どうせ僕とあの子のどちらかが痛い目を見るなら、それは僕でいい。

 一度はあの子を見捨てようとした罰だ……。


「ホント、いいサンドバッグだなぁ、おい。あっ、そうだ。今なら特別に俺の邪魔した謝礼として、財布置いていけば許してやってもいいぜ?」


 ナンパの次はカツアゲか。やりたい放題だなコイツ……イテテッ。


 顔面は何箇所か既に腫れ上がり、目の上も腫れてるせいで目を開けるのも辛い。

 絶体絶命。まさにそんな言葉を使いたくなる状況。そんな時だった。


「急いでください!こっちです!こっちで男の人が喧嘩してて!」


 突然、どこからか女性の声が辺りに響く。

 さっきの女の子か?警察でも呼んでくれたんだろうか。


 すると、チンピラは「チッ!」と鋭い舌打ちを鳴らし、僕の方に唾を吐きかけて走り去っていった。

 流石に警察のお世話になるのはごめんみたいだな。


「ふぅ……。」


 もう気力だけで立っているようなものだった僕は、力無く尻餅をつく。

 そして、今になって顔の腫れたところがズキズキと痛み、手で押さえる。


「いって………。やっぱやるんじゃなかったな、こんなこと……。」


 こんな馬鹿みたいな真似、漫画の主人公にでもやらせとけばいいんだ。


「あの!大丈夫ですか?」


「えっ……?」


 声をかけられて顔を上げると、そこには先ほどのチンピラに絡まれていた女の子が、血相を変えて僕のことを心配していた。


 正直なところ、声をかける前は目を合わせないようにそっぽ向いてたし、逃がすときはチンピラのほうを見ていたから、ちゃんと顔は見てなかったんだけど……。


 いや、うん。今もハッキリとは見えないや。目の上にはこぶができてしまってあまり目が開かないし、無事な方の目も潤んでいるせいで視界が悪い。


「ああ、大丈夫。気にしないでいいから、ホント……」


 心配してくれるのはありがたいけど、こっちは一度知らないふりしようとしたんだ。しかもこんなみっともない姿を見せた。今更どんな顔でこの子と話せばいいんだよ。


「……ところで、警察の人は?」

「あっ……すみません、嘘です。電話しようとしたんですけど、そんなことしているうちにあなたが危ない目にあいそうだったので。全然間に合わなかったですけど……。」

「なんだ、そういうことか。」


 どおりで、辺りで警官の声がしないわけだ。


「あの、本当に大丈夫ですか?救急車呼んだ方がいいんじゃ…」

「気にしないでくれ。大丈夫だから。」


 痛がるそぶりも見せずに立ち上がり、何ともない風に手をひらひらと振ってみせる。


「それじゃあ、僕はもう行くよ。君も気をつけて帰りなよ。」

「あっ、あの、まだお礼を…」


 その女の子がそれを言い終えるよりも早く、僕はその場から走り去っていく。

 お礼?冗談じゃない。僕は感謝されるような人間じゃない。


 振り向きもせずに、殴られた箇所の痛みを堪えながら走る。


「ありがとうございました!このお礼は、いつか必ずいたします!」


 背の向こうで、女の子の大声が聞こえてきた。またさっきのチンピラに見つかったらどうするんだ、まったく……。


 僕は、その子の目が届かない場所まで、ただひたすら走り続けるのだった。

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