カラスと土くれ人形の話


 大聖皇国が首都、皇都ロノキアの内門を潜れば、ぐっと家並みが豪華になります。

 いわゆるお貴族樣や大商家が屋敷を構える上級居住区という場所ですね。

 中心の王城から近いほど地価も上がるとのことですが、ここいらに一軒家を建てるとしたら、いったいどれくらいかかるもんでしょ? きっと金貨数千枚でも足りないでしょうね、こりゃ。


 色とりどりの屋根を眺めながら歩けば、先を行く旦那が足を止めました。

 追いついて、肩を並べたあたしの見上げる先には、のっそりと佇む大きなお屋敷。


「ほえ~。あの方は、本当にお大尽だったんですねぇ」


 しみじみ言うあたしの耳に、旦那の歌うような呟きが。 


「まったく、死んで花実が咲くものか……ってか」


 よく意味の分からない独り言ですね。

 これは旦那のクセみたいなものでして、あたしも「どういう意味です?」と尋ねることがしばしばなのですが、今の旦那は少々感傷的なご様子。

 今日のところは大人しく口を噤んでおくことにしましょう。

 

 チラリとあたしを一瞥したあと、旦那は開け放たれた門を進みます。

 大きな扉の前まで立つと重そうな鉄製のノッカーをゴンゴンと叩きますが、返事はありません。

 当然のように鍵のかかってない様子に溜息をつく旦那に続いて、あたしも館の中へと足を踏み入れようとしまして――。



 おっと自己紹介が遅れてしまいました。

 

 あたしの名前はサイベージ。

 色街ヒエロで一番の娼館を止まり木に、羽を休めさせて頂いているチンケなカラスでございます。






 


 今回のお話の始まりは、一人の常連さんがお店で客死したことから始まります。

 

 いつも白い仕立ての良いお召し物でお店に見えられるザナックさん。

 オヒゲも総髪も真っ白で、キチンとお手入れされているのですが、口をへの字に曲げた三白眼は一見して気難しそうなお顔付きの老紳士です。

 しかしながらお酒が入れば至って剽軽ひょうきんな御方でした。

 非常に博識で、お喋りも分かり易く洒脱だったこともあり、たちまち店主である旦那と意気投合。

 かく言うあたしも、何度もお酒の席でご相伴させて頂いたものです。


 そのままお酒だけを嗜んで帰られることもありましたが、娼婦をお買い上げして泊まられることも珍しくありませんでした。

 その時に指名するのは大抵ネイブさんで、ザナックさんはその痩身を折りたたむように彼女の豊満な胸に抱かれ、「ヨシヨシ」と頭を撫でられながら眠ることが専らだったようで……と、お客様の趣味嗜好をバラすのはよろしくありませんね。


 ともあれ、この方は、旦那の娼館でだいぶツケで遊ばれていました。

 亡くなられた今、その借金を少しでも回収すべく、こうやって尋ね歩いてザナックさんのお屋敷までやってきたわけですが。



「なんだこりゃァ?」


 旦那の素っ頓狂な声はキッチンから。

 駆けつければ、見事なまでに空っぽの食器棚があたしを出迎えます。

 引き出しの中も漁りますが、銀のカトラリー1本すら残っちゃいません。


 続いて向かったのは書斎。

 こちらも綺麗さっぱりとしたものです。

 部屋の四方に設えられた本棚は、特にホコリも見当たらず。

 替わりに、おそらく本が存在した部分の棚板に退色が見られました。

 備え付けの重厚そうなデスクもそのままですが、こちらもテーブルの上には塵一つありません。


「……ザナックさん、他にも借金をこさえてらっしゃったんですかねえ」


「かもな。あとは弟子どもが持っていたんだろ」


 ザナックさんにご家族はいらっしゃらなかったようです。

 同時、魔法学院の魔導具研究科の教授だったと伺っています。

 

 家財道具の大半は、おそらくあたしたちに先んじた借金取りの皆さんが。

 書斎にあった本などは学院のお弟子さんたちが回収していったのでしょう。

 土地や自宅も遺言状で処分済みで(もっともこれは後になって知ったことですが)多少なりとも金目の物を期待していた旦那のぼやきはさもありなん、というやつですね。


「どうします? 引き上げましょうか?」


「いや。確か地下に研究室があるとかって話だ」


 旦那がピン! と指で何かを弾きます。

 空中でクルクルと回転するのは、金貨より一回りは大きいコイン。

 それを受け止めて、旦那が足を向けたのは地下へと通じるドアの前。

 ドアが開いているところからして、余り期待できなさそうですね。


 降りていった先の研究室は、予想以上にがらんとしたものでした。

 物々しい実験器具といったものは影も形もなく、当然のように書物の一冊も残されていません。

 部屋の隅に、実験材料と思しきレンガや土の山といった資材が放置してあるのが余計にわびしく見えます。

 それを横目に、あたしは四方の壁に耳を当てて、叩いたり表面を撫でたりと念入りに調べました。


「どうだ?」


「どうやら、隠し部屋とかもなさそうですね」


 あたしが首を振ると、旦那はまたしてもコインを指で弾きます。

 落ちてきたところを二本の指で掴み、かざすようにして目を細める旦那。


「やれやれ。俺の人の見る目も鈍っちまったか」


「そのコインはどうしたんですか?」


 尋ねるあたしに旦那は苦笑しました。


「“教授”から借金のカタにと預かっていたのさ。

『オズマさんよ、あんたにはワシの最高傑作をくれてやる!』とか言っていたんだが……」


 教授とは、言葉遣いや所作がいかにも学者染みていたザナックさんの仇名です。

 仇名どころか正真正銘の教授さんだったわけですが、基本的にうちのお店は、お客様の氏素性を追及するのはご法度。

 ゆえに借金の回収も後手に回ってしまったのは、ザナックさんが自分の身の上を打ち明ける間もなく急死されたことも理由になるでしょう。

 死因は腹上死でした。

 ザナックさん自身も高齢ということで、普段はあまり頑張れなくなっていたようですが、その日はたまたま回春されたらしく、久々に娼婦さんの身体の上で張り切ったその最中に亡くなったというわけです。

 

 男性の死に方として本懐かも知れませんけれど、しっかりとした社会的身分がある方にとっては不名誉なことですよね。

 なので旦那は『ことの最中』ではなく『風呂に入っていたところ』という風に死に場所を誤魔化し、死体を改めにきた役人にも銀貨を掴ませて鼻薬を嗅がせたりと苦心されたようです。


 そんな色々と骨を折った旦那ですが、借金が回収出来なくなったことを悔やむというよりは、ザナックさんにだまされたと思う気持ちが残念で、きっと寂しいのでしょう。


「やっぱりツケじゃなくて前払い制を徹底したらどうでしょうかね?」


 多少なりとも旦那を慰めようとあたしもそう言ってみたのですが、


「だったらてめえを雇っている筋合いはなくなるわけだが?」


 ジロリと睨まれて思わず首を竦めるあたし。

 ツケ払いを返せず、その借金の精算のために旦那の店で働いている身としては、とんだ藪蛇でしたね。


「ま、ない物をねだっても仕方ねえな。とんだ無駄足だったが、土産でも買って帰るとするか」


 すっぱりと踵を返す旦那。

 その後に続こうとして、ふと部屋の隅の土の塊が気になります。

 ただ無造作に小山のように積まれている感じの土。

 しかし、その山頂部あたりに、何やら丸いくぼみがあるじゃありませんか。


「ちょ、ちょいと旦那!」


「なんだどうした? やっぱ隠し部屋でもあったか?」


「すみませんが、そのザナックさんのコインを貸してもらえませんかね?」


 怪訝そうな顔で、それでも旦那はコインを放ってきました。

 受け止めて、あたしも別に確信があったわけじゃありません。


 そっと土の山のてっぺんのくぼみにコインを載せると、ぴったりです。

 次の瞬間、するりとコインは土の中に呑み込まれ―――。


 旦那とあたしは揃ってあんぐりと口を開けました。


 なぜなら、土の山をかき分けて、中から小さな子供くらいの人形が出てきたのですから。

 

 

   

 



 子供くらいの背丈といっても、その顔に目も鼻も口もありません。

 人形といっても、きっちりとした五本の指などがあるわけでなく、ゴツゴツとした突起のようなものが生えているだけです。

 なによりその全身は、紛れもない土くれそのものでした。


「ひょっとして…」


「ゴーレムか、こいつぁ!?」


 あたしと旦那の見解は一致していました。

 ゴーレムとは、魔法で土くれが仮初めの命を与えられ、使役されるようになった人形のようなもの。


 しかしながらあたしも旦那もこの手の魔法は行使できません。

 それに加えて現在の魔術師界隈を見渡しても、まず使い手がいない高等魔法だとか聞いたことがあります。


「ってなると、さっきの教授のコインの仕業か…?」


 あのコインにどんな仕組みがあったかは分かりませんが、こちらのゴーレムさんを起動する鍵になったことは間違いないみたいです。


「おいおい、やったぜ。こんな魔導具なんざ見たことねえ。好事家にでも売っぱらえば、いったいどれくらいの値がつくもんか……!」

 

 旦那の声も興奮に弾みます。

 すると、くだんのゴーレムは、ぶるると身を震わせたかと思うと、残っていた土の山の中へと逆戻りしました。

 こんもりとした土山の前で目を丸くする旦那とあたし。 


「……おい。どうしたんだ?」


「たぶん、旦那が売り払うなんて言ったからじゃないですかね?」


「んなわきゃあるか。そもそもゴーレムに自意識なんざ……!」


 言いかけて旦那は固まります。

 土山のてっぺんあたりがぼこっと盛り上がり、小刻みに左右に震えていました。

 パラパラと土がこぼれていく様子を眺めつつ、まるで小動物のような動作に、旦那の声は驚きに掠れています。


「まさか自律式のゴーレムだってのかよ……?」


 あたしは魔法や魔導具関連にさっぱり明るくないですが、それでも世紀の大発明なことは理解できました。

 例えば、古代迷宮の宝物の番人などでゴーレムが配されているのが見つかることもありますが、連中は『宝物を奪う輩を排除せよ』という予め組み込まれた命令を実行しているだけに過ぎません。

 またはゴーレムを作り出した魔法使いが直接操れば、まるで意思を持ったような動きは可能かも知れませんが、それは自律とは言えないでしょう。


 唖然とする旦那を横に、あたしは土の山の中のゴーレムへと話しかけます。


「大丈夫ですよ。売り払ったりなんてしませんから、そこから出て来て下さいな」


 正直、言葉が通じているなんて自信はありません。それでも片手を差し伸べる風にすると、土山のてっぺんからまた頭がぽこん! と飛び出してきました。


「生憎、ご主人のザナックさんは亡くなられたんですよ。あなたもずっとそんなところにいても仕方ないでしょ?」


 すると、小首を傾げるような動作をしたあと、おそるおそるという風にゴーレムはまた土の山の中から全身を現します。


 なんとも複雑そうな顔をした旦那に、あたしは提案してみました。


「取り合えず、連れ帰ってみてはどうでしょうね?」







 吹き抜ける風は冷たく頬を刺します。

 暦の上でも間もなく春を迎えるはずですが、今年はことのほか冬の精霊様の御機嫌が悪いようですね。

 それでも太陽はキラキラと輝き、川辺では子供たちの歓声が。 

 ヒエロの街を貫くウェッピン川ですが、今はその川底を晒していました。

 なんでもアルペン橋の保守点検作業だとかで、川上で水を堰き止めて流れを制限しているとのこと。

 浅く水が流れるだけの川は入っても流される心配もなく、石をひっくり返せば魚がいたり、中には鉱石の原石が転がっていることもあるとか。

 それを目当てに子供たちが群れ遊んでいるのです。


 そんな牧歌的な光景に反し、今のあたしは額どころか全身に汗を滲ませている真っ最中。

 キリキリと痛む両腕をとっかえひっかえしながら運んでいるのは大きな大きなズタ袋。

 袋いっぱいに入っているのは土の塊、もといゴーレムさんです。

 いくら自分で歩けるからといって、引き連れて歩いたりしたらどれほどの注目を集めることか。

 なので、はるばる皇都ロノキアから、あたしが背負ったり抱えたりしながら、ようやくここヒエロまで戻ってきた次第でした。


「…旦那も運ぶのを手伝ってくださいな」


 元はザナックさんから旦那が頂いたものでしょう? と道々であたしはそうお願いするのですが、


「拾ったなら、拾ったやつが最後まで面倒を見る。常識だろ?」 


 数多の孤児を拾っては娼婦さんとして独り立ちさせるという離れ業を実践している旦那からそう言われては、返す言葉もありません。


「つーか、いちいち持って運ばんでも、大八車なり馬なりを借りて運べばいいじゃねえか」


 あきれ声で旦那がそう言ってきたのは、懐かしき我らが娼館も見えてきたころ。


「だったらもっと早くそう言ってくださいな……!」


 恨み節をぶつけるあたしでしたが、旦那は涼しい顔で鼻歌を唄いながら店の中へ。

 支配人室へと向かう旦那と別れ、あたしが向かったのは中庭です。

 そこでようやくズタ袋から土の塊をこんもりと出せば、中からゴーレムさんが姿を現します。

 その顔は、相変わらず目も鼻も口もない無表情なはずなのですが、なんとなく怯えているような気がしました。


「大丈夫ですよ。ここならまず人目に付きませんから」


 安心させるように語りかけながら、シャベルで適当に庭の隅に穴を堀ります。


「取り合えず、ここを寝床にしてくださいな」


 旦那から、こちらのゴーレムさんを中庭で飼う(?)ことの了承を頂いています。

 もっともこうやって連れてきたあたし自身、これから何をどうすればいいのやらさっぱりですが。

 まあ、それも追々に……と考えていた矢先、翌朝には下働きのお嬢さん方にバレました。


「ねーねー、サイベージさん! この子、だあれ?」


 そう訊いてきたのはロッテちゃん。

 彼女たちの朝一の仕事は中庭でマグダリアの花をむしることでして、さっそく出向いたところポツンと立っていたゴーレムさんに出くわして驚いたそうです。


「一緒にマグダリアの花をむしってもらったんだけど、ヘタクソなんだよー?」


 無邪気に笑うネネちゃんに、今度はあたしの方が驚きを隠せません。

 しかし考えてみれば、この娼館は実に様々な人種で溢れています。


 六腕巨人族ヘカトンケイルのゲンシュリオンさん。

 ドワーフのボグボロさん。

 草原族ハーフリングのメンメさん。

 ハイエルフで旦那の奥さんのミトランシェさん。

 かつては獣人族のラナちゃんもいっらっしゃいました。  

   

 今さら、ゴーレムが一人増えたくらいで特に驚くに値しないのかも知れませんね。

 そもそも下働きの子たちなんて、ゴーレムや魔法にも詳しくないでしょうし。


 だからでしょうか。屈託なくゴーレムさんに接する娘さんたちの姿が何だか微笑ましくて仕方ありません。


「ところでこの子の名前はなんていうの?」


 クルルちゃんが訊ねて来て、一瞬虚を突かれた感じになるあたし。


「名前。……そうそう、名前ですね。えーと、この子の名前は……」













「いつの間にかあのゴーレムの野郎を皆にお披露目したらしいな?」


 呼び出された支配人室にて。

 ジロリとこちらを見てくる旦那に、あたしは早口で言い訳を開始。


「いやあ、さっそく下働きの子にバレちゃいましたからね。だったら下手に隠すよりその方が…」


 元々異種族を雇い入れている旦那の娼館です。下働きの娘さんたちのような下地は浸透仕切っていたので、見習いの皆さんも、娼婦の皆さんも、あのゴーレムさんの存在を素直に受け入れてくれました。


「それと、ミトランシェさんが骨を折って下さったことも承知してますし、感謝しております。はい」


 支配人室のソファーで少し眠そうにしているミトランシェさんを横目でチラリ。

 その反対側の壁には黒々と輝く鎧と巨大な両手剣が飾られています。どちらも超古代に作られたとされる、とびっきりの魔導具だそうです。

 なので、例のゴーレムさんも、ミトランシェさん関係ということで、娼婦さんたちも納得されているみたいでして。


「でも、あれは精霊魔法と似ている部分もあるけど、だいぶ違う」


 そのミトランシェさんはこう仰っていました。

 


 ちなみに世には3種類の魔法が存在するとされています。

 

 魔術師により体系立てて研究されている、一般的に『魔法』と称されるもの。


 アルメニア神などの僧侶が信仰を積み重ね習得する、癒しを主体とした『神聖魔法』。


 そして精霊の力に由来し、もっぱら妖精族が行使するとされるのが『精霊魔法』。



 実は、かつて本物のゴーレムに接したことがあるミトランシェさんに診てもらったのですが、ザナックさんが造られたこちらのゴーレムさんは、いわゆる一般的な作製方法から逸脱されているようで、込められている魔法術式も異なるとのこと。

 すなわち、それが先ほどの彼女のコメントにつながるわけですね。 


「一緒に室内の掃除をさせたら、身体から土がボロボロとこぼれ落ちて逆に汚れたってのは笑い話にはなるが……」


 旦那が苦笑した通り、いつの間にか下働きの娘さんと一緒に仕事をしていて、余計に手間を増やしてしまったそうです。

 なので、今度は中庭に面した窓を外から拭かせたところ、こちらも窓が泥だらけになってしまったのもご愛敬ということで。


「取り合えずは、いいさ。マスコットみたいに可愛がってもらっているようだしな」


「そうですね。皆さんも喜んで下さっているみたいですし」


 結果として、旦那の娼館に銅貨一枚分も寄与していませんけどね。ですが、こういう旦那の鷹揚なところはあたしは大好きですよ?


「しっかし、ゴーレムだから“レム”って名前は、少しばかし安直過ぎねえか?」


 本来、ゴーレムに性別なんて存在しません。ですが娘さんたちに囲まれているせいか、ゴーレムさんの所作もなかなか女性じみたものに思えてくるのは不思議なものですね。

 なのでそう名付けたのは、旦那の仰る通りあたしなのですが。


「――妹の名前なんですよ」


 そう答えると、旦那は黙り込んでしまいました。

 これは、あたしと旦那の間にしか存在しない確執の話です。

 なにぶん古い話でして、かといってただ懐かしいと笑い飛ばせるものではございません。

 お互いが弁えているだけで、口に出す必要のないこともあるのです。

 言葉は便利ですが、時には見たくないものや見えなくてもいいものまで曝け出しにしてしまうこともありますから。

 はっきりと言葉にしない、言葉に出来ない関係ってのも、これでなかなか乙なもんですよ。


「ともあれ、そのレムだが。出来るだけ客の前に姿を見せないようにしろよ?」


 どこかバツの悪いような苦い表情を浮かべる旦那に、


「はいはい、承知いたしました」


 あたしはことさら明るく答えるのでした。







 さて、ゴーレム改めレムさんのことです。

 早朝、顔を洗って目を覚まそうと中庭の井戸の所に行けば、ぴょこぴょこと近づいてくる影があります。


「ああ、レムさん、おはようございます」


 井戸の水をタライに汲み替えながらいうと、レムさんはプルプルと怯えたように木の陰に。

 先日、中庭の池の中に落っこちちゃいましたからね。

 さすが全身が土で出来ているだけあって、お水の中だと身体が溶けて出してしまいちょっとした騒ぎになりました。

 そんな溺れるレムさんを助けてから、ますます懐かれてしまったように感じる今日この頃。


「……あれ? 少し身体が大きくなっていませんかね?」


 小さな子供くらいの背丈が一回り大きくなっているような。

 いや、気のせいじゃありませんね。

 つまりは、水に溶けてしまった分を補充したということでしょうか?


 それはともかく、あたしの今日の朝の仕事は窓の掃除です。

 一階の窓はそのまま拭けば済みますが、二階となると梯子が必要となります。

 おまけにこの時分は娼婦さんたちはまだお休み中ですので、静かに作業をしなければいけません。

 

 え? だったら、皆さんが目を覚ましたお昼過ぎからすればいいですって?

 そんな、カーテンの隙間から寝入っている皆さんの艶姿を覗けるチャンスを無駄にするなんてもったいない真似、あたしにはとてもとても。


 ですのでさっそくウキウキと梯子を持ってきて、こう、掛けるのにもコツがあるんです。

 先端を窓の縁を撫でるように、音を立てないようそっと置いて…。


「…はい?」


 ツンツンと足を突かれます。

 見ればレムさんが不格好な指の先端であたしの注意を引こうとしているようで。


「はいはい、どうしました?」


 腰を屈めて尋ねると、ゴツくて厚い掌のようなものを向けてきます。


「……ひょっとして、これに足を載せろってことですかね?」


 では失礼して、とおそるおそる足を載せた途端でした。

 ずずずい! と垂直に伸びるレムさんの腕。

 その先端にいたあたしの目の前には、ちょうど窓が来る具合です。


「おおっと、これは素晴らしいですね!」

 

 いやはや驚きました。どうやらレムさんは、土くれの四肢をある程度操作出来るよう。

 梯子に登った時とはまた違う開けた視界で、狭い足場は素人さんには少々バランスを取るのは難しいでしょうが、そこはあたしの得意とするところ。 

 

「いいですね、いいですね!」


 これならいちいち梯子を立て掛けたり移動する手間が入りません。

 レムさんに指示しつつ、クルクルと中庭を動き回り、あっという間に窓ふきは終了です。

 あ、娼婦の皆さんの寝姿を覗くのを忘れてました。


 ともあれ、これは素晴らしい発見です。

 なにせ、レムさんがお店の役に立ちそうことが分かったのですから。


 なのでさっそく旦那へとご報告。


「なるほど。梯子いらずってか」


「はい!」


「うーむ、確かに役に立つかも知れんが……中庭限定だろ?」


 言われて初めて気づきました。

 本来的に、建物の外に面した窓の方が数が多く、より綺麗にしておかなければなりません。

 ですが、外装をする場合、レムさんも店の外へ出て貰わなければならないわけで。

 あんなゴーレムとしての活躍を見せたら間違いなく噂になり、魔法院の学者さんや魔導具屋さんがやってくること請け合いです。


「……そのうち、天井の修繕とかで屋根に上る時にでも力を貸してもらうさ」


 ウキウキ気分で来たあたしですが、逆に旦那に慰められる格好になってしまいました。

 少しだけ凹んでしまいましたけれど、レムさんと更に仲が深まった気がしたので良しとしましょう。






 夜も更けてくると、あたしは寝床を求めてお店の中をそぞろ歩きます。

 一応の従業員を称してはおりますが、あたしはコック長のゲンさんや給仕長のメンメさんと違い、街中から通える家は持っておりません。

 建前も娼館の利用代金を返済中の元冒険者ってやつですから、お店の中の従業員用の部室を貰えるはずもなく。

 そりゃあ寝ようと思えば食堂の隅のソファーでも、何なら屋根裏でも不自由なく眠ることが出来ます。

 ですがここは娼館で、たくさんの娼婦さんのそれぞれに大きなベッドが。


「さあて、今晩お暇なのは……っと」


 基本的に娼婦さんは2時間区切りで買い上げられます。

 更にお金を積まれて丸々一晩買い上げられる方もいます。

 そんな娼婦さんは、相手のお客と朝までしっぽり、というやつなのですが、当然、毎日全員が一晩買い上げられるわけじゃあございません。

 泊りのお客さん以外が帰った夜半過ぎ。

 一人で寂しく眠る娼婦さんの部屋を訪うのが、あたしのささやかな日課の締めというやつですね。

 

 トントン、とドアをノックします。

 すると姿を現したのはニースさん。


「あれ? 先生、どうしたの?」

 

「先生は止めてくださいってば」 

 

 あたしは苦笑を一つ。

 彼女たちに乞われ、日々歌の稽古をつけてあげているのですが、そんな大層な呼ばれ方をする人間じゃありませんから。


「それよか、今晩泊めて頂けたら嬉しいかな、と」


 するとニースさんはにっこりとして、


「もちろん! さあどうぞ入って!」


 腕を抱かれるようにお部屋の中へ引っ張り込まれました。


「先生、何か飲みます?」 

 

 ベッドに座るあたしにニースさんが訊いてきます。


「ありがたい申し出ですが、お酒はたくさん頂いて来てるんですよ。だから――」


 ニースさんのほっそりとした腕を取って引っ張れば、「きゃッ」と嬉しそうな悲鳴を上げてニースさんはベッドにうつ伏せに。

 そこに覆いかぶさるようにあたしが指をワキワキさせれば、たちまち上がるニースさんの嬌声。


「そ、そこそこッ! んん゙、気持ち良いぃ〜!」

  

 ま、色っぽいといったら色っぽい状況ですけど、あたし自慢の全身マッサージが炸裂してるだけなんですけどね。


「ちょいと背筋が曲がり過ぎてますね。ニースさん、まだ若いのに猫背になりますよ?」


「んんんんぎぃいいいッ、うふぇぇ、最高~~!!」


 ……なんか乙女にあるまじき声がしているようですが、きっと気のせいでしょう。

 一通りの処置を済ませ、「はふう」と頬を染めて脱力するニースさんに並ぶように、あたしも横になります。

 

「さ、そろそろ寝ましょうか」


「……は~い」


 肩を抱き寄せると、ニースさんもしっとりと抱き着いてきました。

 腕の中を見下ろせば、軽く小首を傾げる風に見上げてくるニースさんはとても素敵です。

 しかしながら、あたしの股間のものはピクリともしません。

 こちらのお店の娼婦さんはあたしより大分若く、彼女たちの煽情的な格好や艶姿は確かに眼福で興奮出来きても、実際に肌を触れ合うと、もうしおしお。

 これが熟れに熟れた年上の女性の方、例えば市井の未亡人とか相手だと元気いっぱいで大活躍してくれるのですが。

 なのに同衾して熟睡できるのは若い娘さんの方なあたり、やはりあたしはどこか病んでいるのかも知れませんね。  


 幸いにもニースさんが変なイタズラしてくることもなく、あたしも彼女の艶やかな髪を撫でながら眠りに落ちました。


 どれくらい眠りを貪ったでしょうか。

 コンコン、と窓を叩く音に目を覚まします。


「先生……っ」


 同じく目を覚ましたニースさんが震えています。

 夜も明けてないようで、カーテンの隙間から太陽の光は漏れてきておりません。

 つまりはまだ真夜中で、そんな時分に窓を叩くなんていったい誰が? しかもこの部屋は二階ですよ? 


 ニースさんの顔が見る見る青ざめたのは、きっと旦那から聞かされた怪談話を思い出していたのでしょう。

 そんな怪談話より怖い経験を数えきれないほどしてきたあたしですが、それでも緊張で喉が渇きます。

 意を決し、えいや! とカーテンを開ければ、果たしてそこにはコソ泥も幽霊も存在しませんでした。


 しかし、ある意味、怪談話より驚いた光景がそこにあります。


 窓の向こうにのっそりと浮かぶ顔のような輪郭。

 影になって表情が見えないのではなく、そこには鼻も目も唇もなくて―――。


「って、レムさん!?」


 急いで窓を開くあたしに、レムさんは嬉しそうに額を窓枠にコツンコツン。

 そのたびに室内に土くれが飛び散るのはともかく、何だってこんな真似を?


 窓から乗り出して見下ろせば、レムさんの両足はニョキっと長く伸びていました。

 窓拭きをしたとき、あたしを掌に載せて伸ばしたのと同じ要領ですね。


 ついで左右を見回せば、他の部屋の窓も開いていて、下着姿や半裸の娼婦さんたちが唖然としてこちらを見ています。

 この光景に、一気にあたしは血の気が下がりました。

 どうやらレムさんは、あたしの泊っている部屋を探して、手当たり次第に二階の窓を叩いた様子。


 あたしは慌ててレムさんに飛びつくと、その身体の表面を滑り落ちるようにして土だらけになりながら中庭にへと着地。

 釣られるようにレムさんの両足も短くなり――あれれ? また少し背丈が大きくなっていません?


 見上げた二階の窓では、なんだなんだと騒ぐ泊り客を宥める娼婦の皆さんたち。

 急いであたしはレムさんを引き連れて庭の暗がりへと消えるのでした。










 翌朝。

 昨晩の騒動はがっつりと旦那の耳に入っておりまして、さっそくお叱りを受けました。


「おめえは、本当に変な連中ばっかに好かれるなあ」


 説教の締めにそんなことを言われましたけれど、別段、あたしには変人の知り合いなんておりませんよ?

 それを言うなら、旦那の方がよほど変人で……なんて反論するほどあたしも愚かではありません。

 神妙に、それじゃあどうしましょう? と逆にご相談。

 レムさんがあたしを恋しがるたびに二階の窓を叩かれちゃあ、安眠妨害と商売の邪魔です。

 

「だったらしっかりと言い聞かせろや」との旦那の言。


「それでもダメなら、おまえが中庭に寝泊まりするんだな」


「さすがにそれはご無体な。まだ春にはなり切ってないから、朝晩は本当に冷え込むんですよ?」


 あたしはそう訴えますが、旦那からそっけなくあしらわれてしまいました。

 

 まあ、旦那にしてみれば、ここいらが最大限の譲歩なんでしょう。

 だからといって、レムさんに言って聞かせて分かってもらえるでしょうか? なにせ聞く耳自体がついてないみたいですし。


 …仕方ありませんね。

 まあ、あたしも、毛布一枚だけで雪の降る中でも眠る術を心得てますので、中庭で寝ても風邪を引かない自信はあります。

 人肌で温められたベッドが惜しくないと言えば嘘になりますけれど、ゴーレムとは言えレムさんにそこまで懐かれていると思うと満更でもありません。

 何となく子供の頃を思い出すんですよね。まだ妹も元気だった頃の。 

 もっともこのことは、旦那を始め誰にも説明しようとは思いませんけれど。 



 寝床が格下げになったとはいえ、あたしの仕事は変わりません。

 朝も早くから起きてお店の掃除、お風呂の掃除、それからちょっと昼寝したり。

 その合間に娼婦の皆さんの歌の稽古を見たり、旦那の言いつけで用足しをしたりと、なかなかに忙しいのです。

 お店が開店してからも、あたしは娼館の中を忙しく走り回ります。


「えーと、すみません。もうお時間なんですがね?」


 ノックしているのはサマンサさんのお部屋の扉。

 しばらくして、不機嫌そうに服を羽織りながらお客さんが出てきます。


 あー、これは粘りに粘り、最後のもう一発ってところで無慈悲に時間切れを喰らった顔ですね。

 追加料金を払って頂ければ話は別ですが、ここはすっぱりと切り上げて頂かなければなりません。


「ご利用ありがとうございました。ささ、お帰りは足元にお気を付けを」


 睨みつけてくるお客さんの前に立ち、なるべく刺激しないように先導するあたしでしたが、階段に来たところで、不意に背中を蹴飛ばされます。

 このまま受け身を取ったり、それこそ宙で回転して着地をすることなんて雑作もないことですが、あたしは敢えて派手に階段を転げ落ちて見せました。


 悲鳴を上げたのはお見送りについてきていたサマンサさん。

 食堂にいた他の娼婦さんや見習い娘さんたちも口々に悲鳴を上げています。

  

「だ、大丈夫ですか、サイベージさん!!」


 真っ先に駆け付けてくれたのは一番近くにいた娼婦のサヤさんです。

 

「ええ。ありがとうございます」


 手をかして頂いて立ち上がり、わざとふらつきます。

 本当は自分で加減していたので、それほど身体に痛むところはありません。

 でも、軽く額が切れて血が滲んでいるのは、我ながら上等ですね。


 サマンサさんも階段を降りて駆けつけてくれました。

 それから、


「ひどい…」


 と、あたしの額の血を拭ってから、蹴飛ばしたお客を睨みつけています。

 中々に剣呑な雰囲気なわけですが、あたしはにっこりと笑顔を浮かべ、ヘラヘラとこういうのです。


「いやあ、すみませんねえ。ちょっと酒が入っていたせいで階段を踏み外してしまいましたよ」

 

 むぐ、と黙り込むお客にも、あくまで笑顔を絶やしません。


「みなさん、お騒がせしました。これに懲りず、どうぞ今後ともご贔屓に」 

  

 周囲に向かって丁寧に頭を下げると、例のお客は決まりが悪そうな顔付きで行ってしまいました。

 

 ふう、やれやれ。これで次からは少しは遠慮して利用するようになるでしょう。

 不機嫌になるのは先方の勝手ですが、その矛先がお相手の娼婦さんに向かうのだけは避けなければいけませんしね。

 そういうわけで、あたしの演じた役回りは、娼婦さんの安全に繋がっているはず。

 傍目には損な役割に見えるかも知れませんが、


「大丈夫? ありがとうね、サイベージさん」


 当店でも売れっ子の綺麗な娼婦さんに、至れり尽くせりで介抱して頂けるのです。

 こんな役得のためなら、拳や蹴りの一つや二つ。

 あ、でも刃物はダメですよ?

 さすがのあたしも刺されると死にますので。



 このお店に居着いてから、こんなことが日常です。

 それ自体は別にあたしも文句はありませんよ、もちろん。


 ですが、その日の晩、やれやれ今日も仕事が終わったと毛布を抱えて中庭に向かうあたしですが、レムさんの気配がありません。


 はて? どこに行ったのでしょう? 中庭から出るはずはないのですが。

 不安を覚えていると、のっそりとレムさんが暗がりから現れました。

 

 ああ、いたんですね、良かった良かったと安堵しようとして、あたしの鼻先は凍り付きます。

 酷く懐かしい臭いがしたのです。

 最近はとんとご無沙汰で、かつては嗅ぎなれた鉄錆のような臭い。

 

「レムさん……?」


 その土くれの背丈は、今やあたしより少し低い程度まで大きくなっています。

 ずんぐりとしたシルエットこそ変わりませんし、岩の塊のようなゴツイ手もそのままです。

 ですが、その拳は湿り気を帯び、臭いはそこから漂ってきていました。

 間違いなく血臭でした。


 どうしたんですか? と尋ねたところでレムさんは答えられるはずもなく。

 毛布を被ってまんじりもせず朝を迎えて、泊り客をお見送りし、それから間もなくのことでした。渋面を浮かべた旦那に呼び出されたのは。


「夕べ、うちの店を利用した客が襲われた」


 被害者は、あたしの背中を蹴飛ばした例のお客さん。

 聞けば、店を出てしばらく歩いたところを背後から襲われたとのこと。

 不意打ちで相手の姿は見ておらず、裏路地だったせいか目撃者もいないこと。

 お客人は重傷だが、命には別条はないこと――。


「……どこからか恨みでも買ってらしたんですかね?」


 盗られたものはないということだったので、あたしはそう答えていました。

 我ながら白々しいことを口にしている自覚があります。それに、あまり良くない予感がします。

 いえ、おそらくこの予感は間違いなく的中しているでしょう。


「ぶっ倒れた客人の傷口には、土が付着していたって話だ」


「……」


 そして、裏路地にもこぼれた土が点々と。

 事件を担当した衛兵さんたちは首を捻ったかも知れませんが、旦那とあたしにとっては犯人は明白に過ぎました。


「……限界だな」


 旦那の口調には、はっきりとした諦観が。


「で、ですけど旦那! レムさんはきっとあたしのことを慮って……!」

 

 あのお客が襲われた理由。

 おそらくレムさんは、あたしが階段から蹴り落とされたのをどこからか見ていたのでしょう。

 ですから、その仕返しとばかりに、例のお客を……。


「もう洒落にならねえって話なんだよ!」


 ダン! と旦那がテーブルを叩きます。


「おめえが可愛がって、みんなから可愛がられているうちは置いておくのも吝かじゃねえさ。

 けれど、事の良し悪しすら理解できず勝手に動き回るってんなら、それは怪物とどんな違いがあるってんだ?」


 旦那の苦しそうな台詞は、暗にレムさんの身体が成長してきていることも示唆しています。 

 仮に、もっと身体が大きくなっていたら、例のお客さんは殴り殺されていたかも知れない可能性があったのですから。


「いくら変わり種とはいえ、土台がゴーレムなんだ。そして俺たちは魔法の専門家なんかじゃねえんだ……」


 淡々とした旦那の声が、鋭くあたしの全身に突き刺さります。

 製作者であるザナックさんは既に亡く、どういう原理で動いているのかすら定かではないレムさん。

 知能はあるにしても、きっと情緒は子供並みで、おそらく善悪の区別すらついていません。

 自身に、人を殺めるくらいの力があることにもきっと無自覚でしょう。

 あたしを慕ってくれるのは嬉しいですが、そんな加減も知らない無邪気な暴力の矛先が、利用するお客さんたちだけではなく、働いている娼婦の皆さんにも向けられたとしたら―――。


 もしかして。もしかして。もしかして。

 全て、もしかしたらのお話です。

 だから、それらの仮定を全てひっくるめて『限界』という言葉を口にした旦那の心情を考えれば、あたしも言葉に詰まるしかありませんでした。


「……レムのことは、魔導具屋へ引き取ってもらうか、魔法院に連れていくか。おめえが差配しろ」


 静かにそう告げたあと、旦那はこうも付け加えます。


「レムのことが片付くまでは、おめえは店に構わなくていい」

 

 





 ヒエロの街に出て、ウェッピン川沿いを歩きます。

 川辺には、淡い黄色の花弁の小さな花がぽつぽつと咲いていました。

 これはアニクスと呼ばれる花で、通称「春告花はるつげばな」と呼ばれるものです。

 

 あたしは足を止めて、ぼんやりとその光景を眺めます。

 すると、背後で、頭からフードをかぶった人物も足を止めました。

 これは実はレムさんで、こうやって裾を引きずるくらい全身をすっぽりと覆ってやれば、人目も気にすることなく連れ歩くことが出来ます。


「……いい天気ですねぇ」


 笑いかけるあたしたちのすぐそばを、子供たちが歓声を上げて駆け抜けていきます。


「ああ、そう言えば今日でしたか」


 未だ川底を晒すウェッピン川に、あたしは他人事のように呟きました。 

 アルペン橋の点検作業も終わり、上流で堰き止めていた水が解放される日です。

 それを見物するために、川沿いにたくさんの人たちが集まってきていました。

 そんな見物客を横目に、あたしの足取りは重いことこの上ありません。


「さて。魔導具屋か、魔法院か、どちらにしましょうかねえ」


 口にしておいて、気が進まないこと甚だしいです。

 単純に近場であれば、ヒエロに『水晶の深淵亭』というビッテンハイブ氏さんの経営する魔導具屋があります。

 魔法院は皇都ロノキアにあるので、だいぶ歩かなければなりません。

 そして、そのどちらでも、レムさんはいったいどんな扱いを受けることか。

 研究のために解体なんてのはゾッとしない話です。


「……なんか色々と面倒に思えてきましたよ。いっそ、二人でどっか遠くへ行っちゃいましょうか?」


 振り返り、返事なんて期待せずレムさんへと語りかけます。

 すると、何気なく口に出したその案は、とても名案のように思えてきました。


 なにせ元々のあたしの生業なりわいは傭兵稼業です。

 依頼に応じて素性と身形を変え、定住先を決めず流離う暮らしを送っていました。

 それが、ここヒエロに居着くことになったのには、旦那との例の確執があったわけですが――。


「もう、色々と潮時ですかね」


 いざ口にしてみると、驚くほどすっきりと肩の荷が降りた感じがしました。

 あまりにも居心地が良くて、皆さんも親切なもので、つい長居してしまったのですが、しょせんあたしはカラスです。世の中のはみ出し者なのです。

 一か所に留まらず、闇夜に紛れ、陽が差してきたら「カア」と一声鳴いて姿を消すのが本来の在り方で。

 そもそもカラスなんて忌み嫌われてナンボの存在ですからね。

 

「うんうん、本当にいいアイデアに思えてきましたよ」


 あたしが一人喰っていくことなんて雑作もない話です。

 そしてレムさんは食事なども必要としません。

 

 ゴーレムを相棒に、大陸を股にかける傭兵稼業。

 ときどき冒険者のようなことや、用心棒のような仕事を請け負いつつ、各地を回る。


 いいですね。

 いいじゃないですか。

 芝居の演目になりそうなくらい、すこぶる魅力的に思えてきましたよ。


 ならば、思い立ったが吉日です。

 いっそこのまま街を発ってしまいましょうか。


 旦那には申し訳ありませんが――いえ、旦那のことですから、「レムのことが片付くまで」との台詞には、あたしがこんな風に考えるであろうことも織り込み済みなのかも知れません。


 ならば、お世話になりましたと改めて挨拶に行くこと自体が野暮ってもんですね。


「それじゃあ、レムさん――」


 晴れやかな気分で、あたしがもう一度そう振り返ろうとした時でした。


 川沿いの見物客の群れ。

 押し合い圧し合いする中から、一人の女の子が弾き出され、土手を転がり落ちて川底へ。

 その姿形が、幼い頃に死んだ妹にとてもよく似ていて。


「水が流れてきたぞー!」と、解放を騒ぎ立てる声。

 鳴り響く半鐘。

 不穏にどよめく気配の先には、川上から尋常でない勢いで流れてくる水。


 全てが一瞬で展開された光景で、理解するより早くあたしの身体が動いていました。


 勢いよく流れてくる大量の水が迫る中、川底へと駆け込んだあたしはしっかりと女の子を抱きかかえ。      

 ほぼ同時に全身が冷たい水に呑み込まれ、押し流され。


「ぷはッ!」


 必死で川から顔を出そうとするのですが、水の勢いが強すぎてロクに息も出来ません。

 足もつかないので踏ん張ることも出来ず、このままじゃヤバイです。あたしはともかくこの子は息が続かない!

 そんな思考すら出来なくなるくらい水流の中で揉みくちゃにされ――突然、あたしの身体は何かにぶつかり止まりました。

 なお凄い勢いの水を全身に受けましたが、背中を支えられる格好でどうにか顔を上げ、女の子も水面へと引っ張り上げます。それから背後を仰ぎ見れば、


「レムさん!?」


 濡れた髪の隙間から見えたのは、川の真ん中であたしたちを支えるように踏ん張るレムさんの姿でした。

 そんな。

 土で出来たゴーレムが水の中にその身を浸したら。

 見ているうちにも、その全身が激流に削られているではありませんか。


 のんびりと眺めている余裕なんてありません。

 むしろ、レムさんの献身を無駄にしてはならない。

 レムさんの身体を支えに腕を伸ばし、助けに追いついてきた人たちに女の子を渡します。

 それからあたし自身も腕をつかんで引っ張り上げてもらって、川辺へと脱出。

 息をするのももどかしく激流を振り返れば―――。


「……ッッ!!!」


 そこには言葉も何もなく。

 もはや人型をとどめないくらいボロボロになったレムさんは、呆気ないほど簡単に激流に吞み込まれて消えて行ったのです。





 川上で堰き止めていた水を解放する際、何らかの手違いや不備が生じ想定以上の大量の水が一気に流れてしまったことに対し、責任者が謝罪を発表しました。

 助けた女の子の両親から感謝されました。よくよく見れば女の子は全く妹には似ていませんでした。


 遥か下流で、一塊の土くれを見つけました。

 おそらく、レムさんであったはずの土くれは、ピクリとも動きませんでした。 


 レムさんだったものを抱えて、どこをどう彷徨ったのか良く覚えていません。

 気づいたとき、あたしは娼館の中庭にいました。

 いつの間にか旦那が隣にいて、無言であたしの肩を叩くと、腕の中の土の塊を中庭の一番日当たりの良い場所へと埋めてくれました。

 





 戻ってきたのはいつもの日常。

 飛び立とうとしたカラスは果たせず、結局止まり木へと逆戻り。

 今日も今日とて、道化じみた振る舞いと半築者としての暮らしが幕を開けます。

 

 そして、そんなあたしを、当然のように受け入れてくれている皆さん。

 どうしてこうも優しい人ばかり集まるのでしょう、この娼館には。




 そんな気まぐれカラスには勿体ない陽だまりのような場所に、一つだけ変化が加わりました。 

 

 中庭のレムさんを埋めた場所。

 そこには、冬の終わりになると、必ず一本の春告花が咲き、春の来訪を教えてくれるようになったのです。


 

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