虫愛ずる娼婦の話
――― ティーザの部屋を訪れる時には、十分に気を付けなければならない。
これは客に対する警句ではなく、彼女の部屋を訪れる娼婦仲間や見習いの共通認識である。
かく言う俺も、出来ることなら彼女の部屋へ入るのは遠慮したい。
それでもこの娼館の店主である以上、各部屋の保守点検は必須である。
部屋の不備で客に粗相があっちゃいけないからな。
一人前になった娼婦には、仕事場兼個室が与えられる。
内装の調度は娼婦個人の趣味に任せているし、客を取ってないプライベートの時間に何をしようが関知するもんじゃねえ。
それでも。
それでもなあ。
覚悟を決めた俺は、トントン、とティーザの部屋をノックする。
「はーい」
「俺だ」
「あ、支配人さんデスカ? どうぞ入ってクダサイ」
邪魔するぜとドアを開けて中に入れば、ベッドに端座するティーザがいる。
健康そうな小麦色の肌にクセの全くない黒のストレートロングヘア―。
前髪をパッツリと切り揃えたすこぶるエキゾチックな顔立ちで、やや鮮紅色がかった黒瞳もキラキラと何とも理知的に見えるのが悩ましい。
それもそのはず、ティーザは学者の家系。
西の大国ドライゼンからさらに南西にあるバラート連邦の出身である。
父親はフィールドワークを専らとする有名な生物学者だったが、学会で発表した新説を国教会に異端扱いされた。
結果として彼は所属していた学院を解雇され、学会からも追放される。研究も進められなくなり、それでも誰か理解してくれる人がいるはずと借金を重ねて頑張っていたが、破産。
一家離散の憂き目にあったティーザが、連邦から流れ流れてここヒエロの苦界へと落ちたのは、この業界では有り触れた話だ。
地頭が良いせいか、閨のマナーの覚えも早かった。
加えて元が器量良しだったので、優美な化粧を施せば立派な『姫』の出来上がりだ。
スタイルも抜群で、特にその脚線美はこの街でも一等だと思う。
言葉の節々にお国訛りが出るのは御愛嬌だが、水揚げされるなりたちまち人気の嬢になってくれた。
そんな彼女が片手に持って優し気な眼差しを注いでいるのは―――巨大なムカデみたいな虫だ。
「ヒッ」
ワサワサとティーザの腕から艶めかしい太ももの上まで這いずり回る巨大ムカデに、俺の喉から引き攣った声が漏れる。
努めて視線を逸らす俺の耳に届く、ティーザの甘い甘い声。
「んん~、ベルモントちゃんは今日も元気デスネ~♡」
ムカデに名前を付けてるのかよ、おまえはッ!
思わずそう突っ込んでしまいそうになるが、そこは個人の趣味だろう。
例えノミやシラミに名前を付けていても腐すもんじゃねえ。
「と、取り合えず、そいつを仕舞っちゃくれねえか…?」
頼む声は、恥ずかしながら震えていた。
不思議そうに見返してきたティーザは唇を尖らす。
「わたしは気にしませんケド…?」
俺が気にするんだよ! と反射的に怒鳴りそうになったのを、
「いや、うっかり手元から落ちたところを踏みつぶしたりしちゃあ可哀そうだろ?」
口から出まかせだったが、ティーザはあっさりと納得してくれた。
名残惜しげに虫かごへムカデを戻した彼女は、それを部屋の隅の観音開きのドアの中へと仕舞う。
衣装用のクローゼットのはずなのだが、今やそこは無数の虫かごで占拠されていた。
いったいどれくらいの数のどんな虫がいるものか。
「支配人さんは足がたくさんあるのと足が全然ないの、どっちが好きデス?」
戻ってきたティーザがベッドに腰かけながら訊いてくる。
足が沢山あるってのは、つまりはムカデや蜘蛛といった節足動物で、足がないのは蛇やミミズといった生き物のことだ。
人間は概してどちらかに苦手意識を持つ、と言われているが―――どっちも苦手だそんなもん。
むかし冒険者稼業をしていたころは、野宿とかも平気でしていたし蛇も捕まえて喰った。
森の中の獣道を進めば、奇怪な昆虫に出くわすことも珍しくなかった。
だからといって、そんなもんをわざわざ飼育したくなんかねえってばよ。
今はこうやって屋根がある文明的な暮らしをしているせいか、すっかり苦手になってしまった。
特に
「それよか、こいつは女房からだ」
持ってきていた小さな編み細工を差し出す。
しなやかな木材で編まれたその中には、珍妙な虫が捕らえられている。
見た目は小さなコオロギなのだが、その鳴き声は「ゲロゲロ」とカエルと同じ。
なので通称カエルムシと呼ばれるややこしい生態を持つ虫なのである。
すると、途端にパアァと顔をほころばすティーザがいる。
俺の手から引っ手繰るように受け取ると、
「ありがとう支配人さん! ミトさんにはお礼を言っておいてクダサイネ!」
視線はカエルムシに釘付けのまま。
ちなみにミトさんってのは、俺の女房の名前ミトランシェの短縮形だ。
生粋のエルフである彼女は森の生態に詳しい。
なので伝手を辿ってティーザ好みの珍虫を手に入れてやったわけだが。
「繰り返し言っておくが、決して客に見られたりするんじゃねえぞ?」
客は誰一人として彼女の趣味を知らない。
黙っていれば明眸皓歯な美女である。
そんな彼女の気を引こうと、常連は心付けを弾んだり貴金属をプレゼントすることがしばしばだ。
しかしそれらに殆ど執着しないティーザは、それを丸ごと俺に渡す代わりに貴重な虫などを所望して来る。
今日、俺が彼女の部屋を訪れた理由はこれだ。
「分かってマス。分かってマスヨ~」
ティーザの返事もおざなりだ。さっそくカエルムシとやらに夢中らしい。
もうこれ以上の忠告は俺も諦めた。
ティーザの稼ぎは店でも上位に入る。
意外とこの生業が肌に合っていたようで、本人も、
『蛇も亀も、男の人の股間にあるものも、生き物には変りないデショ?』
と妙に含蓄深いことをいいやがる。
そんな生物学の教師みたいな物言いをするティーザ目当てで来る客も『こら! そこは違うデショ、メッ!』と叱って欲しいとか、彼女のおみ足に踏んで貰いたいとかって連中が多い。
もうこの世界の性癖のレベルも、高いのか拗らせてるのかわかんねえなこりゃ。
ケッタイなーーいやいや特殊な趣味を持つティーザは、俺の店の中庭と温泉を偉く気に入っていた。
綺麗に手入れされた中庭も、探せばあちこちに虫がいるし、虫探しをして泥だらけになってもすぐに風呂に入れるのがありがたいんだとさ。
外面だけは完璧に見えるティーザには、それこそ身請け話も殺到したもんだが、彼女は即座に断っている。
仮に身請けしてもらったとして、お相手の旦那に自分の趣味は到底理解して貰えるとは思えない。
なので娼婦を引退したら、虫関連の研究家か、もしくは虫や爬虫類系のペットショップ(?)を経営するのが夢だとか。
実際に引退を迎えたら、どこぞの学院へ潜り込むための骨を折ってやるのも吝かじゃない。ペットショップの方は頼まれても協力するつもりはサラサラないけどな。
ともあれ、その人気に反し、客がティーザの趣味を知ったらドン引きすること請け合いだ。
どうか年季明けまでバレずに勤め上げてくれるのを祈るしかないか。
話は変わって今の季節は夏だ。
夏と言えば緑が生き生きと青さを増し、虫たちも活発に動き回る―――って、ティーザの趣味の話はもういい。
この時期、どこの娼館でも頭を悩ませるのは暑さ対策である。
暖房に関しては単純に火で温めればいいし、着込めば寒さも防げる。
しかし暑さばかりは、いくら服を脱いでも涼しくはならない。そしてこの世界に冷房なんてものは存在しない。
なので王侯貴族や裕福な商家などは、夏場は高原の別荘などの避暑地へ行く。
一部の王宮では、魔法使いに冷気を起こさせて凌いでいると聞いたこともあるが、そんなの例外中の例外だ。
一般市民は日陰で、あるいは水浴などして、どうにか日中をやり過ごすしかないのだ。
夜も夜で残暑が厳しければ、それは娼館にとっても悩ましい問題となる。
男女が部屋で睦みあうだけでも相当に暑い。汗を掻く。
仕方なく窓を開け放てば、そこから降ってくる嬌声は推して知るべし。
この時期、娼館の周辺では、団扇より耳栓の方が多く売れる。いずれも自分の家の子供たちの耳に詰めるため、ってなっちゃいるが、一種の風評被害だと思う。
事実、娼館の周辺の住居は関係者ばかりだし、あまりに暑いと一戦を終えるなり風呂を浴びてさっさと帰ってしまう客がほとんどだ。
必然的に店の売り上げが落ちるのも仕方のないことだが、それ以上に配慮しなければならないのは娘たちの体調管理である。
一般市民は夜の涼しい間に寝ているが、朝日が昇って今日も暑くなりそうだって頃から眠るのが娼婦の生活サイクルだ。
中には、各部屋に巨大な氷塊とたらいを設置するという剛毅な娼館もあったが、今度はそんな依頼をされた魔法使いが際限なく手間賃を値上げしたり氷を作る作業自体がパンクしたりと、供給も安定しない。
仕方なく俺の店では風通しの良い部屋を選んで寝場所に仕立てたり、がっつりとスタミナのつく料理を提供したりして凌いではいるが、この季節特有の寝苦しさばかりはどうしようもなかった。
そんな風に連日の酷暑が続く日のことだった。
その商人が色街ヒエロにやってきたのは。
商人はボヤンクルと名乗った。
「冷たくなる枕、だぁ?」
「はい。当店が開発した画期的な商品になります!」
招き入れた支配人室にて。
ボヤンクルは揉み手をしながら卓上に置いた枕を見せてくる。
枕の蓋をかぱっと開ければ、中には繰り抜かれたパイプ状の木の幹がくねくねと詰められていた。
「ここに、毎晩水を入れて頂ければ……」
蓋を閉じ、横の注ぎ口から水を入れる。
ちゃぷちゃぷ言う枕に頭を乗せれば、しっとりと冷たい。
「だからといって、そんなのすぐに温くなっちまうんじゃないか?」
「それがですね、このパイプはキャック杉で作られているんですよ」
なんでも、北方にしか分布していない針葉樹で、その幹はどんな極寒でも凍り付くことはなく、たくわえた水を一定の温度に保つのだという。
「なるほど。入れた時の水の温度を保ち続ければ冷たいままってわけか」
「おおせの通りで」
元いた世界では、そんな天然素材はあり得ない。
しかしこっちは魔法、怪物なんでもアリのファンタジー世界だ。
俺が知らないだけでそんな性質をもつ植物がいても不思議ではないのかも知れないな。
「参考までに、一ついくらだ?」
「いえ、今回は全部サービスで提供させて頂きます、はい」
「タダってことか? それじゃあ儲けはどうなる?」
「一か月ほどお試し頂いて、具合がよろしければ来年から大口で購入して頂ければと考えておりますので」
訊けば、ヒエロ一帯の娼館を訪問しており、それぞれの店に試供品を5~6個ずつ置いてきているという。
よほど商品に自信があるらしい。
一方で、新しい商品を広めるためには、こういった思い切りのよいキャンペーンを打つってことなのだろう。
「よし分かった。うちでも置かせてもらおうじゃねえか」
「ありがとうございます」
ってなわけで、この水冷枕の試供品を卸してもらったのだが、問題は誰が使うかだ。
下働きから見習いまで多くの娘が暮らしている娼館だ。全員平等にくじ引きで……ってのも考えたのだが、変に諍いの元となっても困るわけで。
俺自身が使うのは論外として、考えあぐねた果てに五人の娼婦を呼び出す。
クエスティン。サマンサ。アリン。レネット。そしてティーザ。
僅差だったがこの五人が先月の売り上げトップ5となる。
そのご褒美という形で、それぞれに枕を下げ渡す。
「ありがとう支配人さん!」
この暑さに閉口しているのはみんな同じだ。口々に感謝の言葉を伝えてくる。
「とりあえず一か月の間だけだけどな。それと使ってみた所感とかも教えてくれよ?」
さっそくその晩から使い始めた娼婦たちのいう事には、なかなか具合が良いらしい。
毎晩少し水を足すだけなので管理も手間いらずな反面、冷えの悪い日もあるという。
まあそういうもんか、と俺はその報告に耳を傾け、方々の娼館の噂でもこの新式の枕は概ね好評のようだった。
それから半月も過ぎた頃だ。街中の娼館で奇妙な窃盗事件が頻発したのは。
とある娼婦が目を覚まし、夕べ相手した客から貰った銀貨の枚数が減っていることに気づく。
自室のテーブルの上に無造作に積んでいたのは不用心過ぎたかも知れないが、いくら探しても見つからない。
もしかして昨晩閨を供にしたお客がやっぱり多すぎたと持って帰ったのかしら――。
その娼婦は半ば憮然とし半ば諦めたわけだが、同じような話が方々で聞こえ始める。
さすがにお大尽が置いていった金貨の心付けが無くなっていたとあらば、娼婦たちも血相を変えざるを得ない。
別の娼館ではやれ宝石が無くなった、やれブローチが無くなったと騒ぎはしたものの、どうにも外部から泥棒も入った気配も形跡もない。
ならば内部の犯行か、と身内同士でかなりギスギスして揉めた店もあったみたいだが、それら一切合切は間もなく収束する。
犯人である商人ボヤンクルが逮捕されたのだ。
しかしそのボヤンクルだが、盗んだ品は何一つ持っていなかった。
じゃあ、それら盗品はどこへ? そしてそもそもどうやって盗み出したというんだ?
それら諸々の手管とその種を、俺はこの街で誰よりも先んじて知ることになる。
そろそろ開店しようかという夕暮れ時。
支配人室へ見習い娘が駆け込んできた。
なんでもティーザのヤツが昼過ぎから部屋に籠ったまま出てこないという。
お付きの見習いや仲間の娼婦が声をかけても「入ってこないでクダサイ!」の一点張り。
俺の店でも硬貨や宝石が無くなるという騒動があり、誓ってうちの娘たちを犯人だとは疑ってはいなかったが、お互いに疑心暗鬼な雰囲気が広がっていた。
その空気に当てられてきっとナーバスになっているんだろうな。
ティーザの部屋に駆けつけた俺は、ドアの前でそんな風に考えている。
「おい、ティーザ! どうしたんだ!!」
ドア越しに声をかければ、中から「支配人さん?」と返事がする。
しばしの沈黙のあと、意を決したようなティーザの声が聞こえた。
「支配人さんダケなら、中に入っても構いマセン」
「…そうか。わかった俺一人で入るぞ」
「でも、静かに! 本当に静かにお願いシマス!」
こんな深刻そうなティーザの声が聞いたことがない。
柄にもなく緊張してドアノブに手を掛ける俺。
さあて、鬼が出るか蛇が出るか。
曲りなりにもそんな風に覚悟を決めてそろそろと部屋へ入れば、カーテンは閉め切られていて蒸し暑い。
灯りは部屋の真ん中に座り込んだティーザが持つ蝋燭一つ切り。
照らし出された顔色を見る限り、具合が悪いとかそういう感じではなさそうだ。
ほっと胸を撫でおろしつつ、俺は部屋の隅の暗がりに小さな光点があることに気づく。
よくよく見ればその光点の数は、十や二十じゃきかない。いったい幾つありやがる?
呆然とする俺に、ティーザの傍らにあった光点がスーッと動いた。
それは蝋燭の灯りの輪の中まで入り込み、彼女の身体にまとわりつく。
灯りに照らしだされ露わになったのは、するりと鎌首をもたげる一匹の蛇だった。
思わず悲鳴を上げそうになったのを歯を食いしばって堪える。
ざわりと背筋が総毛立ち、ようやく周囲を小さな気配で囲まれていることを知った。
おい、まさかまさか――!?
ティーザが無造作に蝋燭を掲げれば、その灯りは部屋の大半を染め上げていた。
「どうしまショウ、これ…?」
小首をかしげるティーザのベッドの上。棚の中。テーブルの下。
それこそ足の踏み場もないくらい部屋を埋め尽くす無数の蛇、蛇、蛇。
……気絶こそしなかったが、あんなあられもない悲鳴を上げたことなんざ、生まれてこのかた初めてのことだったぜ。
順を追って説明すれば、ボヤンクルが試供品と置いていったあの冷水枕が盗みのタネだ。
店主たちに披露したあの品こそ本物だったが、試供品の中に漏れなく蛇が仕込まれていたのである。
周知の通り蛇は水だけで結構生きる。娼婦たちも寝静まったころに、腹を空かした蛇は枕の隠し穴から抜け出して、卓上の硬貨や貴金属を飲み込む。
それからこっそり枕へ戻れば、まさかその盗人の上に頭を載せて寝ていたなんざ、お釈迦様でも気づくめえよ。
まったくどういう仕込みをしたもんだか。
後々の話だが、ボヤンクルに“蛇使い”って二つ名があったっていうのを聞いて納得したもんだぜ。
金目の物を飲み込んだ蛇たちは、頃合いを見たボヤンクルの合図で一斉に引き上げる。
そこでボヤンクル本人もとんずらすれば、あとに残されたのは伽藍洞の枕だけって寸法だ。
試供品を持ってきた商人が、商品を引き上げることなく姿を消す。
余所の街でも奇妙にこそ思っても、よもや蛇が仕込まれていたとは考えもしなかったらしい。
そのタネを割ったティーザに、どうして分かったのかと訊ねれば、なんでも子供の頃、蛇を枕にして寝たときとの冷たい感触と似ていたからだと。
ボヤンクルにとっての唯一の誤算があればそこだろう。普通に考えて、蛇を枕にした経験のあるヘンテコな趣味を持った売れっ子娼婦なんていてたまるかって話だ。
ともあれ、訝しく思って枕を開ければ、中にいたのは一匹の蛇だった。
これはどういうことなのだろう? ああ、それよりまずは支配人さんに知らせなきゃ……ってティーザもそう考えた(おそらく。多分な)はずだが、やせ細っていた蛇に妙に情が沸いてくる。
なので食事の残りなどを与えては、見習いたちにも知らせずにこっそり愛でていたという。
そんな風にせっせと世話をして、蛇も丸々と太り元気になったころ。
蛇は恒温動物だからして、『抱いて眠るとひんやりしてて、とても気持ちが良いのデスヨ』と午睡から目覚めたティーザはびっくり仰天。
いつの間にか信じられないほどの数の蛇が部屋に入り込んでいて、じっとこちらを見上げていたという。
悲鳴こそ上げなかったものの、こんな大量の蛇がいるところを他の人間に見られたらどんな騒ぎになるものか。
有無を言わさず処分されてしまってはさすがに可哀そう。
そう案じたティーザが、見習いも仲間も部屋から遠ざけ、俺が来るまで籠城していたってのが事の顛末だ。
気を取り直して「この蛇は枕の中に仕込まれていたのは間違いないな?」と尋ねる俺。
しっかりと頷くティーザの前で、足元にいた一匹の蛇が何かを吐き出す。
キラキラ光る指輪は見覚えがあった。クエスティンが大切にしていた指輪だ。
数日前に無くなったと大騒ぎしたのも記憶に新しく、事ここに至って俺にも筋書きが見えてくる。
なのでさっそく知り合いの衛兵へと連絡。
暢気に酒場で酒を飲んでいたボヤンクルを掴まえて厳しく締め上げれば、例の手管を全てゲロったという結末である。
ただ一点、不思議なところがあるとすれば、なんて蛇どもはボヤンクルの所ではなくティーザの元へ集まったんだろう?
それに対する彼女の答えはこうだ。
『虫だって蛇だって、ちゃんと面倒を見て心を通い合わせれば、結構いう事を聞いてくれるものなのデス』
なるほど、一寸の虫にも五分の魂――とは少し意味が違うかも知れないが、ティーザの見つけた蛇にしてみれば、腹を空かしたところに至れり尽くせり世話をしてもらったわけだ。
それを羨んだ他の蛇どもが、「おれもおれも」と彼女の元へと押しかけたのは不思議でも何でもないのかも知れない。
盗まれていた金銀硬貨や宝石は、全て残らず所有者の元へと返された。
枕の仕組みや蛇が仕込まれていたと話をしたところ、みんなして仰天していたことは言うまでもない。もちろんその仕掛けを看破したティーザの趣味のことは伏せたけどな。
その最大の功労者であるティーザは、ご褒美替わりに蛇を引き取ることを希望した。
さすがに全部は無理で大半は近郊の森へと放したが、お気に入りの何匹かは俺の店の中庭にいたりする。
「わたし以外の人前に出ないように言い含めているから大丈夫デスヨ」
ティーザはそういってくれるが、正直あまりゾッとしない話だ。もちろん他の娘たちにはこのことは内緒である。
……まあ、蛇も確かネズミを喰ったりするらしいからな。
実際に、ネズミ取りや害獣対策のため、館の天井で蛇を飼っている貴族もいるとかいないとか。
そんな風に無理やり自分を納得させる俺だったが、ふと気づいたことがある。
……そういえば、うちの店でアイツを見てねえな。
黒光りするアイツ。
空を飛び、異常な生命力と繁殖力を誇り、俺の元いた世界では通称“G”と呼ばれる当代きっての嫌われ生物は、この世界にも存在する。
しかし、ここしばらくその姿を見たことがなかった。
以前は結構な頻度で出現し、そのたびに娘たちがキャーキャーと棒切れを持って走り回っていたもんだが。
でも確かにいたのだ。
そう、ほんの数年前までは。
ティーザがウチの店で働き始めるくらいまで……は?
急に喉の渇きを意識する。
一瞬で唇もひび割れるほど乾いたような気がした。
少しだけ迷い、俺は口の中からまるで粘土を吐き出すようなひび割れた声で、ティーザへと話しかけている。
「最近、黒光りするヤツの姿がご無沙汰なんだが、おまえは何か知らないか?」と。
するとティーザの答えはこうだ。
「ちゃんと面倒を見て心を通い合わせれば、結構言う事を聞いてくれるっていいましたヨネ?」
にっこりしたまま彼女はこうも続ける。
「なんなら支配人さん、久しぶりに会ってミマス?」
……真夏だってのに、こんな凍え死にそうなほど背筋が寒くなったことはない。
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