元冒険者夫婦とその娘の話


「…おまえさん、そいつぁ本気マジで言ってんのか?」


 支配人室の対面のソファーに座る男に語り掛ける。

 

「本気も本気ですよ。おいらだって、酔狂でこんなこと頼みませんや」


 男―――ヒエロの門前街で雑貨屋を営むテッジはニヤリと笑う。


「だからって…」


 俺の言葉を遮るように、テッジはテーブルの上に革袋を置く。

 袋の中身は溢れんばかりの銀貨だ。


「コイツで、どうかお願いします」


 頭を下げてくるテッジに、俺は腕組みをして「むむむ」と唸る。


「…そのヘソクリを貯めるのにどれだけ掛けたかは知らねえが、本当に本気で十年前と同じことをしようってのかい?」


「ああ。今のおいらにゃあ、どうしてもそいつが必要なんだよ」


 上げられたテッジの顔は、しっかりと覚悟を決めた風情。


「けどよ…」


 なお言い淀む俺に、テッジは熱のこもった言葉を被せてくる。


「頼むぜ、オズマの旦那。こいつはおいらの夢なんだ…!」


 分かるだろ? とこっちを見てくるテッジ。

 同じ男として、というには多少境遇も立場も違うが、気持ちは分からんでもなかった。 

 しばしの瞑目ののち。

 俺は組んでいた腕を解くと、重々しく頷いて見せる。


「分かりやした。こうなったら乗りかかった船だ。きっちりと十年前と同じ舞台を誂えて差し上げやしょう」


「ありがてえ! よろしく頼むぜ、旦那!」


 感極まった風のテッジとがっちりと手を握り合い、一週間後のちょうどこの時間との約束を交わす。

 「やべえ、そろそろ店番の時間だ」というテッジを娼館の入り口まで見送り、支配人室へと戻る道すがら。

 さあてどうしたもんだか、と頭を悩ませながら歩いていると、こっちも頭を悩ませた風のサイベージの野郎が歩いてくる。

 その珍しい顔つきに、俺はヤツに仕事を押し付けていたことを思い出した。


「おう、サイベー。なんかいい案が浮かんだか?」


「旦那、だからあたしの名前はサイベージですって! …って、どうもピンとこないんですよねぇ」


 時に、うちの店の自慢の一つは温泉である。

 となればこのヒエロって街自体に温泉脈が存在するわけで、実際にここ最近、街外れに源泉が湧いている場所が発見された。

 機に敏な商会がさっそくそこに宿を建て、温泉を宿の目玉にすることに。

 造ったのはいわゆる露天風呂で、『蒼天の湯』という看板を掲げたところ大層な評判になっているそうな。


 そいつに対抗すべく、うちの店でも何々の湯って看板を設置しようって話になった。

 なのでさっそく俺は意気揚々と『極楽の湯』という看板をこしらえたわけだが、これには店の従業員全員が首を捻っている。

 なんでも〝極楽〟の意味が分からないんだとよ。

 

 こっちの世界で何べんも体験していることなんだが、他にも〝地獄〟とか〝冥土〟とか言った単語の意味が通じなくなることがある。

 元が仏教用語だから何なのか原因は分からねえが、ファンタジーな世界の言語体系にかかずり合っていられるほど俺も暇じゃねえ。

 またぞろ頭を捻って考え出した名前が通じないのも業腹だし、そういうわけで俺はこの件をサイベージの野郎に丸投げしていた。


「色々と候補は出るんですけどね、どうにもこうにも」


 うちの店の風呂場は、内装に華美で精緻な装飾を施している立派な代物である。

 が、特徴らしい特徴と言えるのはそれだけ。だからまんま『荘厳の湯』とか『美麗の湯』とか名付けても面白みに欠けるってのがサイベージの意見だ。

 なんとなくうちの風呂場をクサされているような気がしたが、「まあ、もうちっと頭を捻ってみてくれ」と擦れ違おうとする寸前。


「あ、そういえば、肉屋の女将さんが大通りを歩いてましたね。間もなくこちらに着くと思いますよ?」


 そのサイベージの台詞に、俺は思わずヤツの頭を引っ叩ている。


「そういうことは先に言え!」


 言いおいて、俺は娼館の二階へと一目散に駆け上がる。

 息を切らして首を巡らし、確か肉屋の旦那の相手をしているのは―――ニースか。


 急いでニースの部屋をノック。

 ガチャリと鍵が開き、やや頬を紅潮させた色っぽいニースが顔を出す。部屋の奥では蕩け切った表情を浮かべる肉屋の主人のダンヒルの姿が。


「…すいやせん! 奥方が間もなくこっちへ着く案配で!」


 すると、ベッドに寝そべっていたダンヒルが文字通り飛びあがる。

 ワタワタと服を被るようにして部屋から出て来たダンヒルは、泡を喰った表情を浮かべて、


「ど、どうしましょう、オズマさん!」


「どうか落ち着いて下さい。そいじゃ、こちらへ…」


 俺が案内したのは一階の食堂ではない。

 二階の奥まった廊下の突き当り。そこの壁をそっとずらすと隠し部屋が存在し、そこには急な梯子段が現れた。

 

「暗いから足元に気を付けてくださいよ」


 俺の声に促され、ダンヒルが梯子段を降りていく。

 隠し扉を閉じて俺も追いかけた先は、これまた一階の隠し部屋。そこから廊下一本を挟んだのが風呂場になる。


「しっかりと頭から湯を被って匂いを流してくださいな」


 強く言い含め、ダンヒルを浴室へ送り出す。

 その間に俺は彼の脱いでいった衣類をピンと伸ばし、その表面に万遍なくヒュレオの実の皮を絞りつつ撫でつけた。

 一連の作業を手早く終えて食堂へと赴けば、ちょうど勢い込んだ中年女が入ってくるところ。


「うちの宿六はどこにいるんだい!?」


 まだ昼下がりの時分だ。メインの客層である冒険者たちもいない閑散とした食堂に怒鳴り声が響き渡る。


「おう、アンナじゃねえか。血相を変えてどうしたんでぇ?」


 俺がのんびりと声をかければ、返ってきたのは剣呑な目つきだ。


「ふん、オズマの旦那ったら白々しいね。こちとら馬鹿亭主が真昼間から女を抱きに来たことは知ってるんだよ!」


 二階へ通じる階段を睨みながら答えるアンナ。

   

「んん? おめえさんの旦那だったら、風呂に入りてえって来たから案内はしたけれどよ」


 内心で冷や汗を流しつつとぼける俺。


「なんだなんだ騒々しいな」


 そこにひょっこりと現れる渦中のダンヒル。

 濡れ髪にタオルを首に巻いて、いかにも風呂上りでございって格好なのは上等だ。


「あんた…!!」


「どうした? おれは風呂入りに行くって言っただろ?」


 アンナに詰め寄られ、それでもすっとぼけ続けるダンヒル。

 まさにここが正念場ってヤツで、風呂上りにも関わらずきっと背中には盛大に汗をかいていることだろう。


「はん! そんな態度で誤魔化したつもりかい!?」


 アンナは旦那の服の襟元を遠慮なく引っ張った。

 顔を近づけてしばらく鼻をスンスンと鳴らしていたが、不審そうに眉根を寄せる。

 抱いた娼婦の匂いは湯を浴びれば流せるが、衣服にしみついた香水や女の匂いまでは誤魔化せない。

 そんな予想に反し、ダンヒルの着物からは仄かな柑橘系の香りしかしないからだろう。

 それもそのはずで、俺がなすったヒュレオの実の皮は、いわば簡易的な消臭剤みたいなもんさ。

   

 襟元から手は外され、ダンヒルは解放された。

 まるで活火山のような勢いこそ削がれていたが、アンナはたっぷりと疑わし気な視線でてめえの旦那と俺を一撫で。


「アンタ、今度から風呂に入るときは『蒼天の湯』におし」


「お、おう」


 底冷えするような声。ついで、舌打ちをしそうな表情で俺を一瞥し、アンナはくるりと背を向けた。


「またのご利用をお待ちしてやす。あと、アンナもたまには風呂に入りにきてくれよな」


 返事はない。女房の替わりとばかりに、ダンヒルが声を出さず小さく身ぶり手ぶり。

 意訳すると「助かりました。ありがとう」ってところか?

 そのまま怖え女房のあとを小走りで追っていく。


 肉屋の夫婦がしっかりと食堂を出ていくのを見送ってから、俺はふーっと溜息をついた。

 

 市井の店の親父たちが娼館を利用することは珍しくない。

 ただ、大抵連中は妻帯者だ。

 加えて個人経営の店主で、娼館で遊ぶだけの時間を作れる甲斐性があるやつなんてほとんどいない。

 となりゃあさっきのダンヒルみたいに女房の目を盗んでやってくるしかないわけで、その口裏を合わせるのは娼館の主として当然のサービスというやつである。

 

 …しっかしこりゃダンヒルのヤツ、当分は羽を伸ばせねえだろうなあ。

 女房殿にしてみれば娼館に行く金があるなら家に入れろって話だし、何より女房のあたしがいるのになんで金を出して他の女を抱きに行く? ってな具合だ。

 そうは言われても若くて魅力的な女こそ抱いてみたくなるのが男のサガってヤツだし、いくら好きあって連れ添った女房でも、長年一緒にいて互いに歳を取っちまったらそりゃあ…っと。いけねえ、これ以上は言わぬが花だ。つるかめつるかめ。


 そこまで考えて眉を顰める。

 街の親父衆が俺の店に来るのは有難い話だし、連中のために便宜を図るのは店側としては当然だ。   

 女房衆には申し訳ないが、こればっかりは男の生理と思って了見して貰いたいところである。

 しかし―――。


 この時、俺の念頭にあったのは、先ほどの支配人室で会ったテッジのこと。

 ヤツも今となっちゃあ市井に落ち着いているが、昔は冒険者稼業だった。

 そいつが十年前と同じことをしてえって言うのを了解はしたが、ダンヒルとかいった親父たちにする差配と比べたら、こりゃ相当に骨が折れる話だぜ。

 



 


 

 

 冒険者として成功するには何よりも『運』が必須だと俺は考えている。

 いくら万全の装備を整えて油断していなくても、怪物の不意打ちやダンジョンの悪辣な罠で熟達した冒険者もあっさりと死ぬ。

 それこそ単純に運が悪かった、という理由だけで命を失った冒険者など数えきれないほど存在するだろう。


 だがそれの逆を言えば、運さえ良ければなんとでもなる、ということもあるわけで。


 十年以上前、テッジは冒険者として活躍していた。

 もっとも冒険者ギルドに登録できるのはこの世界の成人年齢である15歳からと決まっていたから、その頃はおそらくテッジは17かそこらで、ようやくルーキーに毛が生えそろってきたって具合だったと思う。


 依頼をこなして実績を積みギルドの利益に貢献することにより、より難度の高い依頼を受けられたり、徒党を組めるようになる。

 駆け出しのころから同じ村出身の幼馴染であるノーラと専ら組んでいたテッジだったが、そこで初めて他の冒険者とパーティを組むことに。

 そしてこれまた初めて挑んだダンジョンは、既に探索され尽くした、いわゆる〝出がらし〟と呼ばれる場所。

 テッジたちも軽い練習というか、雰囲気に慣れる感じで挑んだに違いない。

 果たして、テッジたちのほとんど初心者と言っても良い一行は、浅い階層の隠し部屋に宝箱を発見するに至る。

 ロクな開錠スキルを持たないテッジたちは、宝箱ごとギルドへ持ち帰った。

 持ち帰る最中に、他の柄の悪い冒険者連中に目を付けられなかったのも幸運だが、宝箱の内容も破格だった。

 ギルドが買い上げたため実際の中身は詳らかにされてない。しかし、テッジたち一行が手に入れた報酬は実に金貨で1000枚。

 これを揉めることなく綺麗に四等分出来たのもきっと運が良いのだろう。


 そして、後腐れなくその場で解散となった俄かパーティのそれぞれはと言うと。

 

 四人のうちの一人は、その金で贅沢三昧したあげく、賭場に入り浸った。

 彼が一文無しでウェッピン川に浮かんでいたのは、お宝を得てたった三日後だったという。


 四人のうちのもう一人は、その金で極上の装備を新調し、新たな徒党へと参加した。

 その後、その徒党と一緒に別のダンジョンに挑んで、徒党まるごと消息不明らしい。

 

 テッジは俺の店で豪遊しようとした矢先に、ノーラに首根っこを押さえられた。

 ノーラ自身は分け前で門前街で売り出されていた店舗を土地ごと購入。

 そこで、テッジと結婚して冒険者向けの雑貨屋を始めた。

 いきなりの結婚に不満たらたらのテッジだったが、幼馴染みの彼女のことは憎からず思っていたらしい。おまけに商才もあったらしく、駆け出しの冒険者たち相手に店自体もそこそこ繁盛。

 そして翌年には娘も産まれて、市井での生活も安定していた。

 冒険者をしていた人間の人生としては、とても珍しい成功例と言えるのではなかろうか。

  

「…オズマさん。オズマさん…!」


 やや舌ったらずな声が俺を回想から引き戻す。


「いや、すまねえ、ちょいとボーっとしていた…ってクレアじゃねえか」


 見下ろす先。

 気の強そうな小娘が、キツイ眼差しで俺を見上げていた。

 この娘こそ、テッジとノーラの一粒種のクレアである。

 

 俺はマジマジとクレアの全身を眺めた。

 背丈こそ伸びきってないが、肉付きは悪くない。肌艶や髪の状態も良いみたいだし、こりゃ両親からしっかりと喰わせて貰っているな。


「…なんかオズマさんの視線、やらしい」


 ボソッとクレアが言う。

 いけねえ、俺としたことがうっかり娼婦の卵を品定めするように見ていたようだ。

 こいつも職業病ってヤツだろうかね。


 ごほん、と咳払いをして俺は訊ねる。


「そんでわざわざ俺を店先に呼び出して何の用だ?」


「お父さんが手紙を持っていけって」


 そっけなく言ってクレアの差し出したのは一枚の紙片。

 受け取りつつ、俺はクレアの仏頂面に苦笑する。

 いくら店の前とはいえ、娼館なんかに来るのは嫌だという雰囲気がありありと。

 

 まあ、そいつも無理はないか。

 この世界にゃお貴族さま向けの学校はあったが、一般市民向けには存在しない。学校がなけりゃ保健体育の授業もないから、その手の知識は母親から直々に娘は教わるわけだ。

 そして12、13歳で嫁に行くケースもあるこの世界。

 性知識の伝達は驚くほど低年齢のうちから行われることになる。

 結果としてこの世界の小娘たちは大抵早熟だ。

 もっとも、人気のない裏路地で乱暴されたりする事件も起きるのだから、自衛の意味もあって正しい性知識や性の仕組みの情報は必須なのだと思う。


 てなわけで、このクレアもまだ10歳にもなっていないのに、例に漏れず相当に耳年増で生意気である。


「お父さんったら、お母さんに何か不満なわけ?」


 わざわざ娼館にお使いに出されたことに何やら不審を抱いてるらしく、クレアは唇を尖らせた。

 ダンヒルのところのアンナを例に出すまでもなく、世の女房殿の大半は娼館を目の敵にしている。

 理由は今さら語るまではないだろう。で、その思想をしっかりと自分の娘たちに教え込むのはもはや伝統に近い。

 なので、色街周辺に住んでいる子供たちは、そのほとんどが娼館を始めとした風俗店を悪所といって毛嫌いするようになるわけだ。

 もっとも、俺的にはそれはそれで一向に構わない。むしろ風俗業に対ししっかりと線引きして区別するのは、健全とさえ言えるのではないだろうか。


「ほとんど毎晩みたいにベッドで二人して怪物みたいな声を出しているクセに…」


 クレアが何気なく口にした呟きは不健全に過ぎる。


「ま、まあ、仲が良いのはいいことじゃねえかな、うん」


 面喰らい、どうにか体勢を整え直している俺に対し、クレアはキッとした眼差しを向けてきた。


「ねえ、オズマさん。娼館って、誰の役に立っているの?」


「うん? そりゃ世の男どもたちのために、滅多矢鱈に役立っていると思うぜ?」


「でもそれって、男の人たちだけにとってってことだよね? 女の人たちには、なんか役に立っているの?」


 クレアの返答に、またしても面食らう俺がいる。

 尻の青いガキのくせになに生意気言ってやがる! と切って捨てるのは簡単だったが、なかなかに考えさせられる内容だ。

 そりゃ娼館であるから、益を得るのは男に違いない。娼婦たちが抱かれた対価で益を得ているのは、女の役に立っているのか? というクレアの質問のニュアンスとは違うと思う。 

 じゃあ、男娼の存在が世の女たちの役に立っている、って抗弁するのも違うよな。だいたい、男娼を買うのは女だけじゃあないし。


 つまるところ、俺の店である娼館の、女性であるところの女房衆たちにとってのメリットは何かって話か。


 思わず深く考え込んでしまいそうになって―――いや、何も悩むことはないな。

 

 俺はテッジがよこした紙片を開き、内容が予想通りであることを確認。

 それから改めてクレアへと語り掛けた。


「明日、同じ時間に店に来な」


「え? どうして?」


 嫌悪感丸出しの娘の髪を撫でながら俺は笑う。


「おめえの父ちゃんから渡された紙にそう書かれているからさ。

 それに、うちの店がおめえの母ちゃんの役に立っているところを見られるかも知れないぜ?」










 そんで当日の俺の店の雰囲気は若干違った。

 より正確を記せば、女風呂の様子が違う。


「…本当にこれを着るの?」


 ちんまい布切れを持って訊いてきたのはクエスティン。

 彼女が持っているのは、偉く布地面積の少ない水着みたいなもんだ。


「なんか裸より恥ずかしいね」


 そう言いつつ身に着けてくれたのはアリンだ。

 その上にシースルーの薄絹を纏えば、俺のもといた世界のアラビアンナイトみたいな格好になる。


「二人とも済まねえな。駄賃は弾むからよ」


 言いつつ脱衣場を見れば、裸にタオルを巻いた格好のペリンダたちがこちらの様子を伺っていた。


「支配人さん、まだ~?」


「おっと、そっちも済まねえな。間もなく来られるはずだがら、もうちっとだけ待っててくれや」


 答えつつ、俺も浴室の最終確認へと入る。

 湯舟の中の椅子よし。料理の準備よし。酒よし。

 

 全てのチェックを終えた直後。

 折よく、脱衣所で嬌声が上がった。

 見れば、素っ裸になったテッジが、これまた裸になったうちの店の娘たちに囲まれて浴室へと入ってくるところ。

 

「おっと、テッジさん。お待ちしていやした」


 膝を揃えて頭を下げる俺。


「…オズマさん、アンタに頼んで良かったぜ…!」


 感無量の風のテッジは、娘たちによって洗い場の椅子へと据えられた。

 数人がかりで全身を洗われたあと、全裸の娘たちと一緒に湯舟の中へ。

 普通に肩までとっぷりと浸かれる湯舟の中には一脚の椅子。そこに腰を下ろすテッジはちょうど半身浴みたいな格好となる。

 

「ほら、旦那。まずは一献」


 湯舟の縁に座り色っぽい仕草でテッジに酒を薦めたのは、例のアラビアンナイト姿のクエスティン。

 テッジを挟んで隣に座るアリンは料理を薦め、彼女らの背後の湯舟の外から見習い娘たちが大きな団扇でのぼせないように風を送る。

 今日の俺の店の貸し切りの女風呂に出現した光景のコンセプトは、ずばり酒池肉林。

 給仕する娘や広い湯舟の中で戯れる娘たちの顔ぶれこそ違えど、十年前にテッジを持て成したあの日とそっくり同じさまを再現している。

 ……酒池肉林を謳った割りには少しばかり珍妙な光景かも知れないが、俺だってまだ十年前は色々と手探りな部分もあったわけだから、そこは勘弁してもらうとして。


「かー、うめえ! 最高の酒だぜ!」


 テッジが一杯目のビールに歓声を上げたのは、まんま俺の記憶通りだ。

 続いて料理を頬張り、テッジは湯舟の中の娘たちを見回す。


「ほら、おまえたちも好きなように飲んで喰いな!」

 

 娘たちも歓声で応じる。

 そうそう、そんな風に大盤振る舞いしたのも、あの日の光景そのまんまだ。

 

 だからこそ。


 そして、そろそろ。


 スパーン! と小気味の良い音は、浴室の扉が開かれた音。

 湯舟に浸かる皆の視線が集まった先。

 そこには、テッジの女房であるノーラが立っていた。


「なにやってんのよ、アンタは!?」


 浴室内に響く怒声。

 うん、これもあの日と同じだ。


「う、うるせえ! おいらが自分の金で何をしようが、おいらの自由だろ!」


 湯舟の中で震えながら言い返すテッジ。

 そんなテッジを真っすぐ見据え、つかつかとノーラは湯舟の前まで来る。

 

 唖然とするクエスティンとアリンを押しのけるようにして、文字通り掴んだのはテッジの首根っこ。

 そのまま引っこ抜くようにテッジを湯舟から持ち上げた膂力は、十年経っても変わらねえのか。


「…アンタ、これだけの女の子を侍らせて何考えてんの?」


「そ、そんなの、とっかえひっかえ全員抱くに決まってんだろ!?」


 首を掴まれたまま威勢よく返すテッジに、ノーラの目が細まる。


「はッ! あたし一人どうこう出来ないアンタが、こんなたくさんの娼婦たちをなんとか出来るわけないじゃない!」


「そんなのやってみなけりゃわからねえだろうが!」


 睨み合う二人。

 しかし間もなくノーラはくるりと踵を返す。なおテッジの首根っこを引っ掴んだまま。


「この機会に、アンタには身の程を知ってもらうわ」


「!? おい、こら、離せ!」


 ノーラに半ば引きずられるようにしてテッジの姿は脱衣所へと消える。

 このあとの二人が向かった先?

 それもきっと十年前と同じで、俺の店の二階の空き部屋だ。


「…お父さん! お母さん!」


 そんな二人を追いかけようとする小柄な肩を、俺は押さえつける。

 物陰からこっそりと浴室の様子を伺っていたクレアだ。


「っ! オズマさん、離して!」


「いいからちょいと落ち着きな」


「でも! あの二人! あんなに喧嘩するみたいな感じ、わたし初めて見たから…!」


「いやいや、ここでおめえが出て行っちゃ全てはご破算なんだってば」


「え?」


 きょとんとするクレア。

 その姿を横目に俺は声を張り上げる。


「おう、みんなご苦労さん。後片付けして撤収してくれや」


 は~い! と返事をして、娼婦とその見習いたちは次々と引き上げていく。

 ますます釈然としない風のクレアに、俺は優しく笑いかけた。


「全部がおめえの親父さん―――テッジの仕込みなんだよ」


 言われて、クレアは更に困惑を深める感じに。

 なので俺は、改めてことの経緯を説明してやったさ。


「おめえの両親がこの上なく仲が良いのは、おめえさんも言った通りさ」


 実際に、テッジとノーラは夫婦仲は良好だ。

 娘が言及した通り、それこそ毎晩同衾するくらいに。

 そんな仲良し夫婦にも深刻な悩みがあった。

 夜な夜な励んでいるのに、まったく第二子を授かる気配はない。

 二人ともまだ20代で、この世界でも十分に子をなせる年齢であるにも関わらずだ。


 夫婦は、それこそ色々と試したようだ。薬やらまじないやら。

 しかしいっかな妊娠せず、いつしか一人娘もそろそろ10歳。

 ならば最後の機会とばかりに、一縷の望みを託したのは―――。



「そ、それと今日のお父さんの乱痴気騒ぎは何の関係があるの?」


 真正面から問われ、俺は率直に答える。


「ちょうど十年前も同じような乱痴気騒ぎの果てに、その日の二人は俺の店の空き部屋へとしけこんだのさ。

 そんでその晩は、二人して偉く昂ぶったらしい」


 クレアの目がまんまるになる。

 少しだけよく分からない罪悪感を覚えながら、俺は続けた。


「そんで、その夜に種付けして産まれたのがおめえなんだよ、クレア」


 そう。どうしても二人目が欲しい二人は、最後の手段として第一子を孕んだ手順をまるっと踏襲したのである。

 この話を持ってこられた一週間前。そりゃあ俺もテッジの正気を疑ったさ。

 けれど、どうしても二人目の子供、出来れば男の子が欲しいって切々と訴えられたからには無碍には出来なかった。

 俺だって一端の親だ。既にでけえ娘は一人いたが、息子が欲しくないと言えば嘘になる。

 医療技術も発展していないこの世界で、不妊治療なんざ出来るわけもない。

 なのでテッジの験担げんかつぎに応じるため、俺なりに精一杯あの日の再現をしてみたわけだが。


「まあ、子供は天からの授かりものっていうから、こればっかりはいくらお膳立てしてもな」


 苦笑しつつ、身も蓋もない言い方をしちまう俺。

 すると、呆然とした表情のままクレアの唇だけがゆっくりと動く。

 そこから紡がれた声は、年齢不相応に、まるで20も年を取ったかのようにしわがれていた。


「……そんなわたしの誕生秘話なんて聞きたくなかったわ…」


 そのうめき声に、俺は軽く肩を竦めて見せる。


「というわけで、うちの店はおまえの母ちゃんの役に立つって証明されたと思うんだが、どうだい?」


 クレアの返答はなかった。





 そして最後に。

 テッジとノーラにとって十年前との一番大きな違いといえば、娘であるクレアの存在である。

 なので先日のテッジの手紙の内容は、きちんと段取りが出来たのかの最終確認と、二人が励んでいる間にクレアの面倒を見てくれとの頼み事だ。

 

「ってなわけで、今晩はおめえもうちに泊まっていきな。今から風呂入るかい? それとも飯にするか?」


「どっちもいらない…」


 まるで幽鬼のように歩くクレアの背中を支えながら浴室を出る俺。

 いつの間にか俺の隣にサイベージの野郎がいて、何かを納得する風に幾度も頷いていたのが妙に印象に残った。 



 






 結果から言えば、いったい何が功を奏したもんかノーラは無事妊娠した。

 そして一年後。

 テッジ夫妻の間に、待望の男の赤ん坊が生まれるに至る。

 例の酒池肉林の件で両親に対しなにやら葛藤していたクレアも、年の離れた弟に夢中だ。それこそ母親であるノーラと取り合うようにして世話を焼いているとか。

 テッジとノーラの夫婦仲も益々円満ってことで、実に目出度い決着と言えるだろうよ。











 そんで時間は遡って、ノーラの妊娠が確定したころの話である。

 娼館の俺を尋ねてきて、女房の妊娠の報告と繰り返し礼を述べたテッジが帰ったあと。


「出来ましたよ、旦那!」


 得意満面の笑みを浮かべサイベージが差し出してきたのは、例のなにがしの湯の看板である。

 正直すっかり忘れていたが、どれどれと渡されたそれを一瞥するなり、俺は看板ごと思い切りぶん投げていた。

 何やら悲鳴を上げるサイベージに向かって、心の底から呆れ声をぶつけずにはいられない。 

 








「娼館で『子宝の湯』って、アホかてめえ」




 

 

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