娼館の親仁が昔語りをする話


 季節は冬。

 ベルファスト大陸の中央に位置するここ色街ヒエロにも雪が降った。

 

「ったく、珍しく積もったもんだなあ」


 灰色の空から未だ小雪がチラつくお昼過ぎ。

 夜通し営業する娼館にとっちゃ朝に相当するこの時分、俺は厚手の外套を羽織り、シャベル片手に独り言ちる。

 例年であれば泡雪が精々なのに、ここまで積もったのは本当に久しぶりだ。


「旦那、なんであたしたちがこんなことを……?」


 寒さに歯の根をガチガチ言わせながらサイベージが愚痴る。

 この白一色の雪の中、いつも黒い格好のヤツは目立つはずなのだが、ふと目を離した隙に周囲に溶け込んでしまいそうな印象を受けるのは不思議である。


「四の五の言ってんじゃねえよ。雪が降ったら雪掻きをするのは男衆の仕事だろうが」


 俺が叱りつけた通り、大通りのあちこちで雪の片づけに勤しむ男たちの姿を見ることが出来る。

 この世界には除雪車なんてないから全て人力でこなすしかない。実際、家の出入口が埋もれちゃ死活問題となる。

 北国の方じゃ雪に閉じ込められたまま死んで、春まで発見されないなんてこともザラにあるそうだ。

 

 そして親父衆や俺たち以外にも、元気に雪を掃いている小さな姿があちこちに見受けられた。

 うちの店の丁稚の小僧に、下働きの娘たちだ。

 

 皆を指示して雪を運ぶのは娼館の裏手の空き地。

 この場所は失火や地震など、いざとなったときの避難場所を想定して俺の店で確保しているものだ。一時的な荷物置き場や、娼館にやってきた馬車の停留所としても使用していたりする。

 

 せっせと集めてきた雪を空き地の中心にひたすらうず高く積み上げる。

 そうやって出来た雪山にいい感じに傾斜を付けたら、その表面をシャベルの背でトントンと叩いて固めて行く。

 そんな一連の作業をこっそりと物陰から伺っているのは近所に住む、いわゆるカタギの家の子供たち。


「よし、出来たぞ!」


 俺の宣言に、子供たちが一斉に駆け寄ってくる。

 それぞれの手に抱えられているのは木製のそりで、普段は川辺の土手で滑っている代物だ。

 雪山に登った子供たちは、その橇を使って我先にと滑り降りて行く。

 見事にふもとまで滑り切るヤツもいれば途中でひっくり返って雪塗れになるヤツもいるわけで、笑い声や歓声が絶えない。

 

 ―――こっちの世界でも雪が降りゃあ子供は元気なもんだ。

 

 ってな感じで見守っていると、俺の横でなにやらうちの子供たちもウズウズしている気配。

 笑って頷けば、連中も歓声を上げて雪山へ群がり始める。


「いいか。風邪引かねえようにして遊ぶんだぞ! それと、夕暮れ前には必ず戻って風呂へ入れよ!」


 入念に言い含めて店へと戻る道すがら。


「なるほど、橇遊びをさせるための雪山だったんですね」


 髪についた雪を払いながら納得した風のサイベージ。


「まあ、地域サービスの一環ってヤツよ」


 それもこれも、ここいらの子供たちのため―――と胸を張るのは少々口幅ったい。

 娼館なんて、ただでさえ一般家庭では悪所と敬遠される場所だ。

 そんな世間的にもあまり風評が良くないこの生業に、多少なりとも風当りを弱くさせようってのが正直な狙いである。

 もう一つ付け加えれば、うちで働いているガキどもも、こんな機会でなきゃ街の子供たちと一緒に遊ぶ経験も出来ないだろうしな。


「……つくづく旦那は優しいというかなんというか」


「なんか言ったか?」


「いえ、別に」


「けッ」


 店の自慢の大浴場へ直行し、汗まみれの衣服を脱ぐ。

 ついで浴室の引き戸を開けて全身に湯気を浴びれば、中は既に多くの利用客でにぎわっていた。

 いずれも雪かきの一仕事を済ませ、汗を流しに来た近所の男衆たちである。

 

「ようこそいらっしゃいやした」


 如才なく挨拶しつつ、俺も一緒になって湯を浴びて汗を流す。

 そっからデカい浴槽に浸かれば、まさに裸の付き合いってヤツだな。

 湯の中をそぞろ歩き、馴染みの屋台売りの親父の一人に近づく。


「どうです? このあと、もし良かったら店の方へも―――?」


「いや。悪いが、この後はカカアから呼びつけられててよ……」 


 分かっちゃいたけれど親父衆の反応は総じて悪い。

 それもそのはずで、この世界は雪が積もれば家に籠るのが基本だ。

 屋台や露天売りなんかは店を開けても客が殆どこない。そもそもの物流が滞るから、売るものがない。

 そんな稼ぎもない中で、雪掻きの汗は流せても、娼館で別の意味で汗を流すような時間も金も作れるはずもないか。


 じゃあ他の客を、と見回しても、やっぱり今日は利用している冒険者はいなかった。

 うちのメイン客層である冒険者も、冬場はかなり稼ぎが渋くなる。採取や討伐の依頼は激減するし、隊商の護衛といった依頼も滞りがちだ。

 加えてここ数日ほど降雪が続いたので、さらに依頼が減っていることは間違いない。

 となれば僅かな蓄えを食い潰しつつ、宿で大人しくしてるか、ギルドの片隅で仲間内で酒を飲むくらいしかないのが現実である。

 当然娼館に行く余裕なんてあるわけがない。


 かといって懐に余裕がありそうな道楽好きの金持ちやご隠居といったお大尽も、雪で足場の悪い中をわざわざ馬車を仕立ててまで来るはずもなく。

 

「まあ、ある程度の損失は織り込み済みだけどよ……」


 ざぶざぶと湯で顔を洗いながら呟く。

 娼館にとって冬場が閑散期に当たるのは常識だ。

 そこに雪が積もれば完全に閑古鳥が鳴いてしまうわけだが、こればっかりはどうしようもない。

 

 せめてもの救いは、うちは温泉のおかげで各段に冬を過ごしやすいってことか。

 俺の店は建物全体に魔法銀のパイプを張り巡らせているので、そこに源泉の熱を伝えることにより冬場でも暖房要らずだ。

 よその店では暖炉だ火鉢だと燃料の確保に四苦八苦しているらしいが、うちはその分の経費が浮く。

 それに、寒くなれば寒くなったで温泉に浸かりたいって連中も増える。

 風呂に入りにくる客だけでも、積もり積もれば馬鹿に出来ない稼ぎになるからなあ。


 そんな風に経営収支に思いを馳せていると、不意に肩を叩かれた。

 

「お、オズマさん、あれ……!」


 近所の細工師の青年が指さす先。

 湯船にいる親父衆の視線が集中する先。


「ん~? なんですかい……?」


 目を凝らせば、どこからか吹き付けてきた風が白い湯気を揺らす。

 すると、そのモヤの中に先端の尖った耳が現れた。

 続いて姿を見せたのは白皙の美貌と細い首筋。

 湯面から滑らかな肩を覗かせて、ほんのりと頬を赤く染めて長い睫毛を伏せる横顔は、美しいとしか形容しようがない。


 驚きのあまりに浴槽から立ち上がった親父衆だったが、次々と前のめりになって再度湯の中に浸かっている。

 そりゃあ唐突に男風呂の真ん中に美女が出現したみたいなもんだ。さもありなん。


 そして突如姿を現した美女の方はと言えば、周囲の視線に気づいたらしくにっこりと笑う。

 それからザババッと無造作に浴槽内で立ち上がったもんだから、親父衆たちは年甲斐もなく顔を赤くして―――たちまち馬鹿みたいにポカーンと目と口を丸くしていた。


 なぜなら、美女と思しきその人物の胸は至って平坦だ。

 そして何より股の間には、自分たちもさんざん見慣れたものがぶら下がっていたのだから。


 そんな親父衆たちの反応に、またもや絶世の美女、いやさ美男子はにっこりと微笑むと、たちまちその姿は湯気のように立ち消えてしまう。


 唖然としたまま親父衆の一人が呟いた。


「まさか、幽霊……!?」


 その声に触発されたのか、皆して青い顔をして次々と浴槽から飛び出していく。


「いやいや皆さん、ありゃあそういうんじゃなくて……!!」


 俺の声も届かない。

 たちまち広い浴室の中も、俺一人を残してすっからかんだ。


「旦那。今のはひょっとしてエルフの方じゃ……?」


 いや、一人だけいたな。痩身の図太そうな野郎が、じっと湯気の中へ視線を注いでいる。


 敢えてサイベージの問いに答えず、俺も浴槽から出る。

 脱衣所に向かえば、そこに既に親父衆の姿はなかった。

 かなり慌てて出ていったらしく床は盛大に濡れていて、俺は溜息を一つ。

 それから思い切り首を捻らざるを得ない。

 

 ―――この世界にゃドラゴンやゴブリンどころか死霊やゾンビも闊歩しているってえのに、それでも幽霊ってのはおっかないもんなのかね?


 脱衣所の床を丁寧に拭って後片付けをしてると、一緒に床を拭くサイベージと目が合う。

 「旦那、」とまだ何か言いたそうな様子に、


「うるせえ。今さら幽霊の一人や二人でオロオロすんじゃねえ」


 半ば無理やり話題を切り上げ、俺は娼館へと足を向けるのだった。








 食堂ホールから見回せば、こちらも長閑な空気が漂っていた。

 いつもなら、夜の営業へ向けて入念に化粧を施したりと召かし込む昼下がりのこの時分。

 さすがにこの天候じゃ客も来ないと弁えた娼婦たちは、部屋を出て思い思いの場所で時間を過ごしている。


「よし出来た。他にもほつれたものがあったら持ってきて」


 クエスティンはここぞとばかりにせっせと繕い物に精を出し、一緒に裁縫に勤しむ娘たちに囲まれていた。


「はい。ここをこうしてね? こう結い上げてからリボンを編み込んで……」


 見習い娘たちの髪を梳きながら、髪型に対し色々と講釈しているのはペリンダだ。


 レネットとアリンはテーブル席で何やら宝石談義に花を咲かせ、窓際で外の縁に並べた雪だるまにじいっと見入っているのは、ありゃマニたちか?

 

 なんなら床に座り込んでそのまま寝入っている娘たちまでいた。

 温泉熱を使った暖房のおかげで、外は極寒でも店の中は春日和である。ウトウトしてしまうのも理解できる話だ。

 

 娼婦たちのこの奔放な光景に、いちいち目くじらを立てるつもりはない。

 こんな風に店全体でお茶を挽くなんて事態は滅多にないことだからな。

 不本意だが、突然の休暇だとでも思うしかないだろう。

 

 そんな弛緩した雰囲気の中を、しかし敢えて俺は気配を消して支配人室へと向かった。

 なぜなら―――。


「あ、支配人さん!」


 目敏く気づいたマニに声を上げられた。

 あちゃあ、と天を仰ぐ俺に、そこら中にいた連中の視線が一斉に集まってくる。

 パタパタと駆け寄ってきたのは、マニを先頭に比較的年少の娼婦と見習い娘たち。


「ね! ね! 支配人さんも暇でしょ!? 男の人を悩殺できる新しい技、教えてちょーだい!」

「新しい踊り方を教えて頂けませんか?」

「い、一緒に絵本を読んでくださいッ!」


 

 口々に言いながら群がってくる娘たちに、



「バカヤロ。そんな新技があれば俺が知りてえわ」

「いいか? 新しいのを学ぶ前に今まで教えたのを反復練習するのが大切なんだよ」

「おいおい、もう本棚の本は全部読んだのか?」



 いちいち律儀に応じる俺も大概だ。


 とかく娯楽の少ないこの世界。

 飲む打つ買うの三大娯楽で、一番の娯楽を提供しているうちの店。

 そこで働く娘たちにしてみれば、この雪で思い切り暇を持て余してしまう。

 それは理解できるんだが、こうも一挙に押し寄せられては辟易するしかない。

  

「そ、そうだ! サイベージに歌の稽古でも見てもらってだな……!」


 と見回せば、サイベージのやつ、待合客用のソファーにひっくり返って高鼾をかいてやがる。

 あの野郎、とギリギリと歯噛みをしている間も、娘たちはとことん容赦がない。


「ねーねー支配人さーん!」

 

 四方八方から服を掴まれ前後左右に揺すられる。

 俺は半ば降参するように諸手を上げていた。


「わ、分かった分かった。もうすぐ日が暮れるから、今日は少し早めに夕食を食べてだな……!」


 そう答えると、揃って歓声を上げやがる。


「やったー! また支配人さんのお話が聞けるよ!」


 マニとルーを始め、娘たちが手を取り合って喜んでいる姿に苦笑するしかない。

 どうやら始めから本命はこっちだったらしいな。


 この世界でも芝居は上演されるし、色々な物語が記された本や絵本も存在する。

 だけど決してその演目や内容は多彩とは言い難い。

 巷にはもちろん吟遊詩人もいたが、あれは文字通りの専売特許だ。

 なので、俺が適当に日本の昔話や四方山話を脚色して語ったところ、これが娘たちに大受けしたのである。

 

 独演会の開催の決定に、遠目にもクエスティンやペリンダといったベテラン連中もはしゃいでいる。

 しかしやおらクエスティンが笑顔を引っ込めると釘を刺してきた。


「けれど支配人さん。この間みたいな怖い話は駄目だからね!」 

  

 すると、面白いくらいに顔色を失う周囲の娘たち。


「それも分かってるさ。今日のところはしねえよ」

 

 せいぜい真面目腐った表情で応じる俺。

 いわゆる便所から手が出てくる怪談話を披露したわけだが、あんときは夜中にゾロゾロと、上から下へと行列になってトイレに行く娘たちに爆笑したもんだぜ。 


 ともあれ、冬の日が落ちるのは早い。

 にわかに風呂の方が騒がしくなったと思えば、雪遊びを終えた子供たちが戻ってきたようだ。

 

 風呂から上がった子供たちで、近隣から通う丁稚小僧たちは家に帰したあと。

 住み込みの下働きの娘たちも交えて一斉に食堂で夕食を摂る。

 こうやって全員が顔を揃えて夕食を摂ることなんて滅多にない。

 

 それというのも、下働きの娘の仕事は基本的に娼館の掃除や洗濯といった雑用だ。

 早朝から起き出して、日が暮れると同時に夕食を食べたあと、有無を言わさずベッドへと放りこまれる。

 下働きのうちは、栄養と睡眠をたっぷり摂らせるのがうちの店の方針だからな。


 娼婦見習いになると、それぞれの現役娼婦の下に専属として配置される。

 彼女らの仕事は先輩娼婦の身の回りの世話から部屋の掃除、後片付けなどの多岐に渡り、娼婦としての立ち振る舞いや働き方を肌に触れて学んでいく。

 先輩が客を取っている間こそ、それを覗き見て実地で学ぶ機会であるから、これが中々に忙しい。

 時間がないので、あまり行儀は良くないが、客の残り物を頬張ったり、冷めた飯をかっ込むことがしばしばだ。


 そして肝心かなめの娼婦と言えば、これまた食事する時間もマチマチである。

 せっかく準備してもらっても気の早い来客の指名で飯を食べあぐねたり、場合によっては客を街で出迎えて、その足でデートがてら外食をすることもあるからな。

 

 おまけというか、丁稚として働く小僧たちは、主に浴室の掃除といった力仕事に、風呂の中で三助みたいに客の垢擦りをさせたり、泊り客の装備を預かって簡単な手入れをさせるために雇い入れている。

 皆、近隣に住む風俗業従事者の子供たちだ。

 修行と称してよその国の娼館のせがれを預かったこともあるが、それはまた別の話として。 

 


 珍しい全員での夕食が済むと、早々に寝巻に着替え終えた下働きの娘たちに、急いで風呂を使い終えてきたらしい娼婦とその見習いたちが合流。

 みんなしてあとは寝るばっかりの格好で集まったのは、食堂の隣の大部屋だ。

 この場所は一時的に物を収納したり、踊り子たちの待機部屋にしたり、酔っぱらって前後不覚になった客を転がしたりしている多目的用。 

 ここにも暖房が行き届いているので、皆が手にしているのは座布団やクッションといった類の敷物だけ。


「よし、これで全員集まったか―?」


 と室内を見回し、俺は壁際に珍しいやつを見つけて目を丸くする。


「なんだよ、ゲンシュリオン。お前も聞くんか?」


 うちの食堂のコック長である六腕巨人族ヘカトンケイルの男はのっそりと答える。


「ああ。この雪で足元もおぼつかないからな。今夜は泊まらせてもらおう」


「まあ、それは構わねえけどよ……」


 他に食堂で一緒に働く通いの給仕娘たちの姿もチラホラと。

 しかし、やっぱり給仕長であるメンメのやつはいないな。

 以前に怪談話をした際に、クエスティンたち以上に震えあがったハーフリング娘は、この雪の中でもさっさと家に帰っちまったらしい。 

 

「さてはて。どんな話をしようかねぇ……」


 俺はどっかと床に腰を下ろす。

 娘たちのワクワクといった視線を受けつつ、しばしの思案顔。


 昔話と言えば、おおよそ教訓話、人情話、笑い話ってのが定番だ。

 このパターンはこちらの世界でも一緒で、実際に元の日本と似たような昔話も存在する。『トラップじいさん』とか『燃えたドラゴン』とか。

 ただ、まあ、こういっちゃなんだが、話の内容としては薄くて単調なんだよな、これが。

 

 識字率が高くないこの世界。文字を読めなきゃ本を読めない。本を読めないと語彙も知識も増えない。

 知識がなきゃ考える力がつかないのは当たり前だ。

 気の利いた娼館では娼婦たちに文字を読めるように仕込むのが一般化しているが、俺の店では更に共有の本棚を置いて誰でも読めるようにしている。

 それもこれも、いずれ店からも巣立って行くであろう娘たちのためだ。

 文字を読める読めないだけで仕事の幅が広がるし、知識があればあるほど生きるための武器になる。


 俺の四方山話も、娘たちの生きる力に、知恵に繋がるなら聞かせるのは吝かじゃない。

 考える力を養うって意味では、意外と昔話や民話ってのは有効だったりする。

 例えば――。


 以前、浦島太郎の話を聞かせたとき。

 娘たちは玉手箱を開けた太郎がどうして爺さんになったのか、なんで乙姫さまがそんな玉手箱を土産に持たせたのか、と延々と議論していたからなあ。

 正直、この話の結末の解釈の仕方は様々だ。俺にも正解なんて分からない。


 ……実際は、助けた亀こそが実は乙姫さまで、浦島太郎が乙姫さまにぞっこんで竜宮城まで押し掛けて酒池肉林で散々ヤりまくった挙句、『飽きたんで、おれ、もう帰るね』とヤリ捨て同然で帰った太郎に対する乙姫さまの意趣返しが例の玉手箱――って原典の方が、はるかにすっきりと分かりやすいんだが、まあそれはそれとして。


「……そうだなぁ」


 視線を巡らせば、部屋の隅に純白の花。

 四季に関わらず花弁を咲かせ続けるそれはマグダリアと呼ばれる花。


 そいじゃあ、いっちょその花に関わる話でもしようかい。


 ニヤリと笑い、俺は唄うように語り出す。





 とおい昔のものがたり

 

 一人の男が娼館に行った


 男の名前はムスタフで 街一番の道楽息子


 相手の娼婦の名前はマリア 道楽息子は一目惚れ


 どうかお嫁に来てくださいと 道楽息子は通い詰め


 頭を下げるムスタフに マリアは優しく首を振る


 私の妹も娼婦です 彼女は病に倒れています

 

 妹をおいて私はお嫁にいけません


 でも


 妹の病が癒えれば その時は――




 ここまではいわば掴みだ。

 見れば、娘たちは身を乗り出すように聞き入っている。

 内容は取りも直さず娼館の話。自分たちの今の環境を重ねて、聞く方も身が入るってもんだ。


 俺は唇を舐め湿らせ、一転して口調を変える。

 


「そこでムスタフは奮起した。つまりはマリアの妹が治れば一緒になれるってことだからな。

 道楽息子だから金はある。

 さっそく大金を使って娼館に医者を呼びつけ、妹を診てもらったんだが、医者は見事に匙を投げた。

 『これは見たこともない性の病いです。私には治せません』ってな」


 娘たちが怪訝そうな顔付きになるのが分かる。

 この世界にも幾つか性病は存在するし、かつては致命的なものもあった。

 しかし今は大概の性病に治療法が存在するからな。

 なんなら市井の薬師の作る薬でもある程度の効果を望めるくらいだ。

 

 俺はそんな娘たちの疑問を先取りするように笑って見せた。


「だから昔の話だっていってるじゃねえか。

 ともあれ、ムスタフは金に飽かせて色々試してみたが埒が開かねえ。

 じゃあ、諦めたか? 

 いんや、ムスタフは諦めなかった。

 なんとその日から医学の猛勉強よ。他にも魔術や錬金術も研究したっていうぜ?

 おかげでムスタフは当代一の性病の権威となったそうだ。

 ようやく治療の目途が立ったムスタフは、意気揚々と娼館に向かった。

 勉強の甲斐もあってか、見事マリアの妹の病も完治。

 それじゃあと、約束通りマリアと一緒になろうとしたんだが――」


 そこで俺は一旦言葉を切る。

 興味津々で身を乗り出してくる娘たちを焦らしに焦らして、


「ところが、その勉強と研究に没頭し過ぎて、気づかないうちに世間では50年もの時間が経っていた。

 あわれ想い人のマリアは皺くちゃの婆さんさ。

 迂闊にも時を経つのも忘れていたムスタフ。

 頑張って女を抱こうにも、肝心の股間のモノも役に立たなくなっていたって話よ」


 このオチに、クエスティンを始めとした娼婦たちはドッと笑ったが、まだ初心な見習い娘や下働きの娘たちは揃って戸惑っている様子。


「まあ、この話の教訓というのもなんだが、つまりは時間ってのは限られているんだ。

 おまえらもウカウカしていると、あっという間に婆さんになっちまうぞ」


 嫌そうな顔をするクエスティンたちは、『婆さん』という単語に反応しただけとは思いたくない。

 俺が言うのもなんだが、自分の人生は出来るだけ自分の思う通りに生きて貰いたいものだ。

 もっともこの世界で、それは途轍もなく難しいことなのだが。


「さあて話はお終いだ。あとはお前らも部屋に戻って――」


 風邪引かねえように気をつけて寝るんだぞ、と続けようとする寸前、すくっと立ち上がっている娘が一人。

 胸に大事そうに人形を抱えたひっつめ髪の娘は、娼婦見習いのロサだ。


「し、支配人さん! それで、そのあと、マリアさんとムスタフさんはどうなったんですか……?」


「あ?」


「お二人は、あ、愛し合っていたんですよね? それなのに幸せになれないなんて、なんかイヤで、わたし……」


 周囲の娘たちからは、同調するような視線と、何を言っているの話はこれでお終いでしょ? って感じの視線が半々。

 もともとこういう昔話はオチを付けたところでお終いだ。

 『とっぴんぱらりのぷう』のあとに更に続けるのは野暮ってもんだろ?


 けれど俺はロサが自分でそう思って訴えてきたことが何より嬉しかったりする。

 自分の頭で考えて自分の口から意見を言えるようにしろ。

 常日頃俺が店の娘たちに口を酸っぱくして言い聞かせていることだ。

 

「――なら、ロサに免じて、少しだけ気持ちの良いサゲをつけようかい」


 そういうとロサは目を輝かせた。同時にたちまち顔を真っ赤にして座り直す様子は実に可愛げがある。もともと引っ込み思案の娘なのに、良く勇気を出したと褒めてやりたいくらいだ。

 

 俺はゆっくりと部屋の隅に視線を向ける。

 釣られるように、みんなの視線もそこに集まる。

 

 籠に摘まれた大量の白い花。

 四季を問わずに咲き誇るその花は、元から自然界に存在するものじゃない。

 その花弁を水に浸し、その水に触れれば、性病にかかっていると色が変わるという不思議な花。

 とある錬金術師が造ったとされる、性病探知のための魔法の花。


「なんでその花がマグダリアって呼ばれているか、みんな知っているか?」


 突然のこの質問に、娘たちは困惑した表情を浮かべている。

 うちの店の中庭は言うに及ばず、殆どの娼館の軒先に植えられている花だ。

 今や色街を象徴するといっても過言ではないその白花の花弁を摘んでむしるのは、この業界で働く娘たちが覚える仕事のイロハのイである。

 逆に余りにも身近過ぎて、または見慣れ過ぎて、花が何でその名で呼ばれているかなんて疑問にも思わないのだろう。


 そんな娘たちに向けて、俺は笑顔を向けて言ってやったさ。 


「もともとマグダリアってのは古代語で、意味は――『マリアにこの愛を捧ぐ』ってことらしいぜ?」


 一瞬、娘たち全員が呆気に取られたようにポカーンと口を開けてくれた。

 しかし、じわじわと、まるで紙に水が染み入るようにその意味を理解したのだろう。

 理解した順に娘たちの表情が変わっていく光景は、まるで百面相の博覧会だ。

 俺は更に言葉の爆弾を放り込んでやる。


「そんでこの店のこの場所は、そのムスタフから譲り受けたって言ったら、おまえらは信じるかい?」


 言いおいて、俺はすくっと立ち上がる。

 身を翻し大部屋を出ていこうとすれば、背後で娘たちが「え? どういうこと? どういうこと?」「きっと二人は幸せになったんだよね!?」「でも、これってもともと支配人さんの作り話じゃ……?」と喧々諤々の大騒ぎだ。

 うん、これで良い。

 こんな風に自分で考えを巡らしたり意見を言い合う機会ってのは、最高の勉強になるだろう?


 さて寝るべ寝るべ、と支配人室へ戻れば、俺の後に続くようにスルリと入ってくる二つの影が。


「旦那。お休みになるには早いでしょう?」


 これは例によってのサイベージ。

 普段から飲み相手をさせてる野郎のことなんざ今さらどうでもいい。

 問題はもう一人の方だ。


「サイベージさんの言う通りよ、支配人さん。まだ宵の口じゃない」


 寝巻の上に自作らしい分厚いカーディガンを羽織ったクエスティンだ。

 

 やや表現は悪いが、彼女が下っ端娼婦だったら有無を言わさず叩きだしたところ。

 しかし今やクエスティンはうちの店の看板だ。

 毎日のように指名を受ける傍ら、結構な数の身請け話を受けるも、彼女は袖にし続けている。

 馴染みの上客から貰った心付けやら貴金属やらで、疾うに自分を身請けする程度の金はたまっているはず。

 なのに未だに稼ぎ続けてくれるのは店に取って有難い話に違いない。

 つまるところ、ここまで立派な稼ぎ頭のぎょくになった以上、俺も無碍に扱うわけには行かないってことだ。


 まあいいか、と二人にソファーを勧めた。

 酒棚からコップと幾つかの酒瓶を取り出し、ソファー前のテーブルに並べてやる。

 その中の一本、蜂蜜酒ミードを手に取った俺は、敢えて支配人用の机の前に持って行った。

 机の上には小さなコースターみたいなものがあって、それに真鍮製のコップに蜂蜜酒を注いだものを置く。

 一見、木製のコースターみたいに見えるこれにも、魔法銀を伝ってきた源泉の熱が蓄えられている。たちまちコップの中の酒から湯気と甘い香りが立ち昇り始めた。

 そしてそのタイミングで支配人室の続き部屋――俺の私室もとい寝室のドアが開く。

 現れたのはまるで青虫みたいなシルエット。

 しかしよくよく見れば、それはエルフにして俺の女房でもあるミトランシェだ。

 しっかりと布団に包まれた格好で、まるで海苔巻きの具のように顔だけ出して、モコモコと俺に近づいてくる。


「おう。どうだ、飲むか?」


 湯気の立てるコップをかざして見せると彼女は首を振る。


「そうかい」


 俺がソファーへ座れば、モコモコと隣に来たミトランシェは、ごろりと俺の膝の上に頭を乗せるように横になった。

 いやはや、エルフって種族が気候の変化に敏感かどうかなんてのは寡聞にして聞いたことはないが、女房殿がこんなに寒さに弱いとは想像もしていなかったぜ。

 布団から覗くピンと伸びた長い耳の先端に触ると、冷たい。

 温めるように指先でつまんで愛撫しながら、ほどよい温度に冷めた蜂蜜酒を口に運ぶ。


「で? 何の用があって押しかけて来たんだ?」


 尋ねると、好き勝手に自分のコップに酒を注いでいた二人が弾かれたようにこちらを向いた。


「もちろんそれはさっきの話の続きを聞きたいからよ!」


 たちまち犬っころみたいに喰いついてくるクエスティン。


「おいおい、昔話だぜ? 半分以上作り話みてえなもんさ」


 実際に浦島太郎はいたかも知れないが、その他のほとんどは後世の付足しだと思う。

 そんな与太話が積もりに積もって淘汰、あるいは洗練され、今に言う昔話という形に落ち着いたってのが俺の持論だ。


「でも、半分くらいは本当ってことでしょ?」


 両手に果実酒が入ったコップを捧げ持つようにしてクエスティンはにっこりする。

 艶やかで物腰も柔らかな仕草なのに、有無を言わせない迫力を感じた。

 ……やべえな、ここまで貫禄がついてきたのかコイツ。

 

 気圧されたように視線を落とせば、俺の膝の上のミトランシェのトロンとした瞳と目が合う。

 実はここしばらく女房殿は風邪気味で、先ほどの温めた蜂蜜酒も彼女のために作ったもの。

 熱を持った赤い頬が、俺の手の甲に甘えるようにこすり付けられる。

 なるほど、おまえも御伽噺をご所望ってかい。


 苦笑ついでに俺は唇についた蜂蜜酒を舌先でペロリと舐める。

 それから、酒杯片手に身を乗り出してくる二人に向けて、おどけるように両手を上げて見せた。


「しょうがねえなあ。話半分で良ければ聞かせてやらあ」










 

「そもそものムスタフって野郎は、とある商家の息子でな。

 かといって商才を期待されいるわけでもなく、金だけを与えられて日がなブラブラしていたらしい。

 そんな道楽息子には取り巻きが出来る。金持ちのおこぼれに預かろうってこすい連中だ。

 そんな中の一人に唆されたのかどうかは定かじゃないが、ある日娼館へと足を向けてみたムスタフが、マリアという娼婦に一目ぼれしたのは本当で、彼女に妹がいて病気にかかっていたのも本当だ。

 マリアにぞっこんになったムスタフが身請けを迫り、妹の病気を治す条件を引き出したのも、その通りだ。

 その条件に奮起したムスタフが、当時から貴族様しか通えない学院へ潜り込んで猛勉強した挙句、それだけじゃあ病気を治せないと錬金術師に師事したことも間違いない。

 その期間は実に50年に及んだのも事実で、それから赴いた娼館でマリアの妹を治したのも事実、当のマリアが皺くちゃの婆さんになっていたのも本当さ……」


 そうまとめると、クエスティンは露骨な不満顔で俺を見てくる。


「それってさっき支配人さんが話した内容と全然変わらないじゃない!」


 一方のサイベージはどこか腑に落ちない表情を浮かべてた。

 相変わらず勘のいい野郎だと横目で眺めながら、俺はそっけないほどの口調で新しい情報を開示する。


「ああ、言い忘れていた。ムスタフのやつはハーフエルフなんだよ」 

  

「ッ!?!?」


 あからさまに混乱している二人を前にニヤニヤしていると、クエスティンがソファーから腰を浮かして訴えてくる。


「だ、だったらムスタフさんのアレ、じゃなくて、えーと……自分のが役に立たなくなっているはずないじゃない!」


 エルフと只人の間に生まれるハーフエルフ。その寿命はエルフに準じるので相当に長生きである。

 なのでクエスティンの言っていることは正鵠だ。


「クエスティンさんの仰ることも最もです。

 しかし旦那、ハーフエルフが商家の息子で、学院に入れる秀才で、錬金術の権威って、ちょいと盛りすぎじゃないですかね?」


 サイベージの言うことも分からなくはない。そんな漫画の主人公みたいなハーフエルフはいてたまるかってことだろう。


「とは言っても、事実だからなあ」


 ハーフエルフが好奇心旺盛なことは俺もたびたび言及している。

 だが、それを言い換えれば、全方位的に驚異的な興味を示すということでもある。

 

「別に彼が天才だったとまでは言わねえよ」


 ハーフエルフにとっての50年は、連中の長い人生に於いては居眠りみたいなものだ。

 けれど、人間にしてみればほぼ一生に近い時間となる。

 人間だって何ごとも一生をかけて打ち込めば、それなりに物になるってもんだろ?

 学院で秀才だなんだと持て囃されたかは知らないが、結果としてマグダリアの花を開発しただけでも、ムスタフの功績は歴史に残るって話だ。


 俺がそう説明すると、サイベージは納得したように引き下がる。

 対照的に突出してきたのはまたしてもクエスティン。


「じゃあ、マリアさんとはどうなったの?」


 さっきのロサの質問と同じだ。

 だが、その意味は大きく変わっている。

 あの引っ込み思案の見習い娘が尋ねたのは、あくまで『人間』のマリアとムスタフの話。


 少しだけ考えこんでから、俺はこう答える。


「ああ。二人は無事結婚したよ」


 クエスティンが目を見張る。


「もちろん只人とハーフエルフは寿命が違う。

 それでも一生を添い遂げよう。たとえ姿形は変わっても、君がマリアであることに変わりはないのだから――」


 蜂蜜酒を口に運んで一旦喉を湿らせる。

 食い入るように耳をそばだてているクエスティン。そしてその隣のサイベージ。


「――惚れに惚れ込まれたマリアは幸せ者さ。

 さして長くない、いや、あっという間の結婚生活を終えてマリアが息を引き取った時。

 それを看取ったムスタフは『マリア、マリア』と遺体に取りすがって、人目もはばからずいつまでも泣いていたというぜ」

 

 静かに俺がそう結ぶと、クエスティンの見開いた瞳から涙が溢れ出した。

 隣のサイベージも神妙な顔つきで俯いている。


 俺は膝上のミトランシェへと視線を落とす。

 いつの間にか寝入ってしまった女房殿は生粋のハイエルフだ。

 当然、只人である俺とは寿命が違う。

 なので、今の話は、まんま俺たちの将来に当て嵌まる話でもある。


 その時、こいつはどうするんだろうな――。


 蜂蜜酒の甘い後味が急にほろ苦く感じられた。

 感傷的な気分のまま窓に視線を転じれば、未だしんしんと雪が降り続けている。

 


 クエスティンの嗚咽だけが響く支配人室の中。

 冬の娼館の夜は静かに更けていく。











 そして翌朝。

 俺はまたしてもサイベージと一緒に雪掻きに精を出していた。


 こいつは今日も閑古鳥かなあと、雪掻きを終え娼館に戻れば、既に多くの娼婦たちが食堂に居座っていた。

 普段であれば朝まで営業し昼頃まで眠っているもんだが、先日は客もいなくて早寝したぶん早起きしてきたってことだろう。


「よし。じゃあ、皆して朝飯にするか」


 これまた普段であれば昼過ぎに朝食を摂るのがうちの店の流儀だが、今朝は正真正銘の朝食だ。

 昨晩はコック長のゲンシュリオンも泊まったので、飯を作るのにも問題ないしな。


「……おはよ」


 ボソっと声がして振り向けば、厚ぼったい瞼のクエスティンが佇んでいる。


「おう、おはようさん。夕べはしっかり眠れたかい?」


 そう挨拶を返すと、クエスティンは風船みたいに頬を膨らませる。


「あんな話を聞かせられて熟睡できるわけないじゃない! 色々と考えちゃって、結局朝までまんじりとしなくて……」


「おっと、そいつは悪かったな。けれど元を糺せば、聞きたいって言ってきたのはおめえだろ?」


「それはそうだけど……!!」


 クエスティンが地団太を踏んだその時、サイベージが食堂ホールに駆け込んでくる。


「旦那! ちょいと妙なお客人が……!」


 やつの報告を追い越すように、ズカズカと上がり込んでくる旅装姿の人影が。

 俺の前まで来たその人物は、厚い帽子を脱ぐ。

 こぼれた雪はたちまち床の温気に溶けていったが、その帽子の中からピンと飛び出た長い耳に、食堂の誰もが驚いたに違いない。

 

 その人は、懐かしそうな眼差しで俺を見てにっこりとする。


「久しぶりだね、レンタローくん」


「こちらこそご無沙汰しておりやす、マリアさん」


 え? と声にならない騒めきが食堂を満たす。

 驚いている娘たちだが、実は俺だって驚いていた。

 昨晩話をしたばっかりで、なんてぇタイミングだよ、こりゃ。


 そして渦中のマリアと言えば、仁王立ちで食堂ホールの真ん中から周辺を見回すと、


「うん、この雪で暇そうだけど、みんな健康で明るそうで結構だ!」


「おそれいりやす」


「ところで―――」


 慇懃に頭を下げる俺に対し、マリアはやおら声を潜めて、


「―――あたしの亭主をここいらで見かけたって話を聞いたんだけど、本当かな?」


「ええ。夕べ、うちの店の風呂を利用されていましたぜ」


「なんてこった、入れ違いか!」


 マリアは天を仰ぐ。

 しかし素早く帽子をかぶると、


「いや。昨日の今日ってんなら、まだきっとこの近くにいるね。

 ありがとうね、レンタローくん。また来るよ」


 颯爽と踵を返すと、たちまち食堂を飛び出していった。

 誰もが呆然とする中で、一人いけしゃあしゃあとしているのはサイベージ。


「なるほど。やっぱり先日風呂場に現れたエルフの男性の正体はムスタフさんでしたか」


 その推測は全く正しい。

 ことのほか俺の店の風呂がお気に入りだったからな、あの男は。

 それでも自身の美貌を自覚している彼は、周囲に慮って精霊魔法か何かで自身を見えないようにして入浴していたようだ。その効果が切れたのは、あまりに湯が気持ち良かったからかどうかは知らんが。


「それに、マリアさんの妹の病気を治したってところも引っかかってました。普通の人間だったら、50年も病気を抱えたまま生きてられませんよ」


 こちらも悔しいがサイベージのいう通り。

 種を明かしちまえば、マリアはハーフエルフの娼婦でその妹もハーフエルフってこと。

 加えて50年も経った頃には、店のオーナーだった人間と代替わりして、マリア自身が娼館の主に収まっていた。

 そんで、かつてその娼館が建っていた場所こそが、いま俺の店が建っているここなのである。

 格安で土地の権利書を譲ってもらった俺としては、かつてのオーナー夫妻に礼を尽くすのは当たり前ってもんだ。


 じゃあ、店を畳んだ二人はどうしたって?

 何度も繰り返すが、ハーフエルフってのは好奇心旺盛だ。

 長年の娼館経営に見切りをつけ、身軽になったムスタフは、生来の好奇心を取り戻して興味の向くまま大陸中を歩き回っている。

 そんで女房のマリアと言えば、彼女はハーフエルフにしては少しばかり旦那に対する執着が強いらしい。

 旅立った旦那の後を追いかけて、こちらも大陸中を飛び回っているとか。


 つまりこの話の教訓は、ハーフエルフ同士の結婚生活はその寿命に反しあまり長続きしないってことかな、うん。


 ちなみにマリアの妹は、俺の娘の営む高級娼館『幻翆苑』で未だ看板を張っている。

 その実年齢は……っと言わぬが花かな。マグダリアの話だけに。



 くいくい、と服の袖を引かれる。

 振り返れば、恨めしそうな目線を向けてくるクエスティン。


「支配人さん、あたしの涙を返してよ……!」


「だから話半分って言ったじゃねえか」


「けれど、こんなのほとんど出鱈目みたいなもんじゃないの!」


 憤慨するクエスティンに、あくまで俺は穏やかに言い返す。


「だから半分の半分で四半分くらいは本当だぜ? 何か問題あるかい?」


 この返事に呆れ果てたのか、クエスティンからの追撃はなかった。

 替わりとばかりに俺を待っていたのは、食堂にいた娘たちからの怒濤の質問攻めだ。

 

 「あの人誰!?」「マリアさんってどういうこと!?」「昨日の話はどこまでが本当なの!?」


 全員の質問に答えてちゃ日が暮れちまう。

 なので俺はその日の夜に説明会というか、ついで侘びを含めて新たな別の昔話なんぞを披露する羽目に陥った。

 こっちの世界風にアレンジして『耳なし芳一』と『番町皿屋敷』を披露したら、三日くらい娘たちは誰も口を聞いてくれなくなった。



 ……そろそろ話のネタも尽きるし、商売も上がったりだし、こっちの世界の雪ももうこりごりってやつだぜ。 


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