番外編 バーノルドがくれたもの

「起きて、起きてよ!」


 眼を開けると、優しい水色の瞳が僕の目をのぞきこんでいた。ふわふわの金色の髪が窓から入り込む風にゆれている。スモーキーな紅茶の香りが漂う。


「なんだよ、まだ眠いんだよ」


 時計を見ると、まだ起きるはずの時間よりも30分も早い。今日は授業の前に片付ける用事もなかったはずだ。


「さっき食堂を覗いたらね、今朝のパンは『木の実のパン』だったよ!早く起きて行かないと、この前みたいに足りなくなって普通のパンになっちゃうよ」

「え、そうなの? 木の実のパンなの?」


 寮生活をしている僕たちは食堂で朝食を取る。高等部までみんな同じ食堂で食事をするので、混んでいる時間は僕たちみたいな初等部のちびっこは、追いやられてしまって遅い時間になってしまう。


 僕は急いで寝床を抜けて、着替え始めた。


「早く、早く!」


 バーノルドが僕を急かす。木の実のパンやチーズのパンは人気で、上級生たちがお代わりしてしまうと、最後の方は普通のパンになってしまうのだ。なるべく早く食堂に行かなければならない。


 制服のネクタイが曲がったまま、バーノルドにひっぱられて食堂に向かう。


 まだ混雑する前だったので、僕たちは無事に席と木の実のパンを確保できた。暖かいスープの湯気の向こうに、パンをほおばるバーノルドの最高の笑顔が見える。


「美味しいね」

「うん、美味しい。起こしてくれてありがとう」


 自分だけ先に食べればいいのに、バーノルドはそういうことを絶対にしない。楽しい事や嬉しい事は僕と共有しようとしてくれる。初等部に入学して2年、寮の同室になった最初の頃は、バーノルドのそういう親切さに戸惑い、僕の侯爵家という家柄におもねっているいるのかとさえ思った。でも、彼にとっては家族や友達とは、そういう風に関わるのが自然だという事が、だんだん分かって来た。


「ねえ、お代わりしちゃう?」

「うんうん。もう1個食べたいよね」


 僕たちは顔を見合わせてくすくす笑うと、お皿を持ってパンの列に並んだ。


 馬車のガタンとしたゆれで目を覚ました。起伏の無い道が続いていたので、いつのまにか眠っていたようだ。


 目の前では、年若い妹が熱心に鏡をのぞきこんで、目を見開いたり口角を上げたりしている。さきほど尋ねた時には『可愛く見える角度』なるものを研究していると言っていた。


 王都から領地までは馬車で2日かかる。今回の滞在は少し長かったので、溜まっているだろう仕事を考えると憂鬱になる。


(それでも、領地を召し上げられなかったのだから、忙しい事を幸せに思うべきだな)


 エルダー・バーシュから父の排除について持ち掛けられた時には、魂が抜けそうなほど驚いた。父が憎い気持ちはあるが、逆らうなんて空恐ろしい事は考えたくもなかった。


 しかし、何度もしつこく訴えかけられ『領地と身分を保証する』という国王陛下の誓約まで取り付けてきた以上、協力するしかなかった。


 父と先代国王が腹違いの兄弟だと知っている者は多くない。生きている中では恐らく、父本人と、先代国王と現国王、私の4人とそれぞれの腹心の側近くらいだろうか。祖母がどういう経緯で父を身ごもったのかを私は知らされていない。しかし、このことは極秘の事柄とされてきている。


 先代国王よりも父の方が年上だ。状況が違えば、自分が国王になっていたという思いがあったのか、父は国王以上の力を切望していた。先代国王の方にも負い目があったのだろう。父の横暴はしばしば目こぼしされていた。


 しかし父は、老いの足音を感じ、自分の理想には及んでいない事に焦りが出たところを、イシル・スプルースに付け込まれて反逆の証拠となる書面を残してしまった。あそこまで意向を無視されると他の臣下に示しがつかない、という陛下の腹立ちも追い風となり、厳しい処分が下されることになった。


 今回のことは父自らが招いた事とはいえ、気の毒だという思いもある。


 思えば、父自身が一番自分のことを嫌い、呪っていたのかもしれない。異常なまでに子を増やし続けることも、自分の呪われた血を広げることで、運命に復讐しようとしているのかもしれない。


(投獄までされれば、再起を果たすことは諦めただろう。いや、あの人のことだから、あるいは⋯⋯)


 私が父を恨みながらも、家や兄弟たちを守ろうと思えるのはバーノルドのおかげだと思う。


 父が心底恐ろしかった私は、王立学校時代に寮で暮らすことを望んだ。そこで同室だったのがバーノルドだ。彼は学者が多い家系の出で、貧しい下級貴族だった。しかし彼から聞く家庭や家族の話は温かく、私はそれに憧れてやまなかった。


『君の家と僕の家は、ずいぶん違うね』


 バーノルドから、何度この言葉を聞いただろう。だから、あの妹⋯⋯ピオニィの家庭教師にバーノルドを選んだ。兄弟姉妹の中で誰よりも過酷な道を歩きそうな妹にも、家族の温かさを教えてあげたかった。


 ピオニィは私が見る限り、一番父に似ている。あの決して折れない強い魂は父そのものだ。彼女の母が亡くなった時、彼女は涙ひとつ見せず強い意志をこめた眼差しをして立っていた。たった5歳なのに。何にも負けないという強い、強い気持ちがあふれ出ていた。


 彼女がバーノルドの心を動かし、先代国王を動かし、エルダー・バーシュやイシル・スプルースまで動かした事にも不思議はない。


 特にエルダー・バーシュの彼女への想いの強さには心底驚かされた。


(彼女がイシル・スプルースを選んでいたら、やっかいな事になっていたな)


 彼女がバーシュ邸に戻らないと言った時には、内心ひやりとしたが結果的に上手く収まったようで安心している。


「お兄様、領土に戻ったらすぐ仕立て屋を呼んでくださいませ」


 この妹はピオニィの代わりに王宮に入る予定だったが、父の事件のことで縁談は白紙に戻った。裕福な貴族に嫁いで、悠々自適に暮らしたいのだそうだ。おしゃれに目がない、年頃の令嬢らしい妹だ。


 正直に言うと、あれだけ多い兄弟姉妹、父の妻たちの全員の名前を言えない。半分正解できたら上出来だろう。


 それでも、私はバーノルドが言っていたような温かい家族を諦めていない。私は宰相には向かない。ユーフォルビアの領土と領民、兄弟姉妹たちを守れればそれで満足だ。

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