エルダーへの報告
スプルース領から王都に戻った足でエルダーの屋敷に向かった。今日戻る事は伝えてあったから、すぐに部屋に通され、そこにはエルダーとミネオラが待ち構えていた。
「アベル様、ピオニィに会えましたか?」
ミネオラが開口一番に尋ねてくる。
スプルースからの帰り路、ふたりにどう話すかをずっと悩んでいた。俺は無言のまま座ると、慎重に言葉を選んで口を開いた。
「ピオニィ嬢に会う事ができた。元気そうだった」
ミネオラは、ほっとした様子を見せたがエルダーの顔は厳しいままだ。視線で先を促される。
「行動を制限されている様子もなかったし、笑顔に不自然さはなかった。<香力>を使った訓練を行えるくらいだから、<香力>も問題なく復活したのだろう」
ミネオラから、ピオニィ嬢が薬を盛られているらしいと聞いた時には心配したが、スプルースで見た時には影響なさそうだった。
「うちの騎士たちは、彼女が訓練した兵士たちに叩きのめされたよ。彼女は兵士たちの信用も得ているようだったし、彼女の訓練は大成功と言える」
このふたりが騎士の訓練には興味が無いことは承知の上だが、彼らが本当に望む答えを言ってやれない以上、あった事実を伝えていくしかない。
「本当の所、かなり参った。リンデルの例があったから、スプルースの兵士たちはそこそこ戦えるだろうとは思っていたんだ。しかし、あそこまでとは思わなかった。想像をはるかに超えていた。スプルース領での騎士の訓練を、本格的に検討すべきだと父上に話すつもりだ。交渉のきっかけのつもりだったが、大した収穫だった」
そう、本当の目的は交渉だ。エルダーの顔に緊張が走る。
「スプルース伯爵は、君の計画に乗ってくれたよ。説得する必要もなく、あっさりね」
エルダーはピオニィ嬢がスプルース領に連れて行かれてからずっと、取り戻す手段を探していた。彼女の家庭教師だった学者や、兄であるユーフォルビア侯爵の嫡男、どう動かしたのか国王陛下も巻き込み、あらゆることを試し、やっと道筋が見えてきた。しかし、最後の決め手がどうしても手に入らなくて、計画が難航していた。
その決め手をスプルース伯爵が握っているらしいという事を近衛隊長である父から聞き、俺がエルダーの代わりに交渉することを買って出た。スプルース伯爵からの対戦の誘いが気になったのも事実だが、交渉の方が本命だ。
負けず嫌いのエルダーのことだから、スプルース伯爵の手を借りるという決断がどれだけ悔しい事かは想像できる。でもそれ以上に彼女を取り戻したい気持ちが強いのだろう。
エルダーは優しい男だ。興味を持ったきっかけは、学生時代の武芸の授業だ。騎馬や弓、人型相手には優れた結果を出す癖に、いつも対戦で負けている。不思議に思って観察していると、どうやら相手を痛めるのを躊躇うのが原因のようだった。そのくせ、負けると非常に悔しがっている。面白い男だと思った。
優しいが必要以上に他人に懐に入らせない。人と深く付き合う姿はあまり見ない。女性に人気があるのに全く見向きもしない。長い付き合いになるが、考えがよく分からないことも多い。
エルダーが、褒賞として王妃を下賜されることになったらしい、という噂を聞いた時には驚いた。優秀だったから褒賞を受ける事には何の不思議もない。自分のただ一人と思う人を探したい、と言っていたエルダーの皮肉な運命に驚いて気の毒に思ったのだ。
だが、婚姻披露の夜会で見たエルダーは予想に反して、とても嬉しそうだった。姿を見たものはほとんどいないと言われていた『幻の王妃』は、その後しばらく噂になるほど美しい令嬢だった。
心配して普段は出ない夜会にまで出席したのに、予想に反した幸せそうな姿を見て、結局のところ美人なら誰でもいいんじゃないかとエルダーに対して勝手にがっかりしていた。
それが間違いだと知ったのは、それからしばらくしてのことだった。ピオニィ嬢とミネオラに出会った時の衝撃は忘れられない。自由で、好奇心いっぱいで、飾ろうとしない素直さ。屋敷での様子をみて、エルダーは『ただ一人』を見つけたのだ、とあの時は納得して安心した。
それが、まさかこんな事になるとは。
伯爵から預かった書面をエルダーに渡す。エルダーは素早く書面に目を走らせた。
「これで、どうにかなりそうか?」
「恐らく。⋯⋯助かった。交渉が上手く行かないことを心配していたが、安心した。ありがとう」
言葉とは裏腹にエルダーの顔は険しいままだ。
「それで、アベル。⋯⋯何が問題だ」
答えが難しくて、俺は黙り込んでしまう。
「問題があるんだろう。言ってくれ」
深く息を吸い、覚悟を決めて口を開いた。
「君の計画が成功したとしても、彼女はここに、⋯⋯王都に戻ってこないかもしれない。伯爵も自信があるから、君に手を貸すことにしたのかもしれない」
エルダーとミネオラの顔が曇る。何となくだが、ふたりはピオニィ嬢が『戻りたい』『会いたい』と言う事を期待していたと思う。もちろん、不幸に過ごすことを望んでいない事は知っている。でも、幸せに過ごしているという情報も望んでいないと思う。
「幸せそうだった、ということか」
エルダーがぽつりと言う。
「想定外だったのは、子供だな」
彼女に懐き慕っていたフランカといったあの少女。エルダーの思惑が成功したとして、ピオニィ嬢はあの少女を置いて戻れるのか。視線を上げるとエルダーとミネオラが顔色を失っていた。すぐに自分の失言に気が付いて慌てて訂正する。
「違う、悪い! 彼女の子供じゃない。言い方が悪かった! もっと大きな女の子だ」
「お、女の子?」
ミネオラが聞く。
「スプルース伯爵には、亡くなった先妻の娘がいる。まだ幼い子供なんだが、その子がピオニィに懐いていた。片時も離れない勢いで彼女にしがみついていた。俺は敵だと思われて、かなり嫌われたよ」
「その子のために、ピオニィは自分を犠牲にして残るかもしれない、ということなの?」
ミネオラの言葉に首を横に振った。
「犠牲ではないかもしれない。伯爵と彼女の間には、信頼関係のようなものが見えた。伯爵は、彼女を大切にしているようだったよ」
後半はエルダーの目を見て言った。伯爵はうちの屋敷で見た時とは様子がまるで違った。穏やかで自信に満ちていて⋯⋯彼女を尊重して大切にしているようだった。彼女の方も、最初の異常に警戒していた様子からは想像できないくらい、伯爵を信頼している様子だった。
「センセイからの葉書は、彼女の手に渡っただろうか」
「恐らく」
「直接手渡せなかったのか?」
答えにくい。しかし正直に言っておいた方が良いだろう。
「彼女の希望で、伯爵に渡した。伯爵のお嬢さんが邪魔をして渡せなかったんだ。ただ、伯爵が私信を制限する様子はなかったから、渡してもらえたと思う」
私信を、しかも文面が確実に見えてしまう葉書を、ためらいもなく渡せるほどの信頼関係。エルダーにとって気持ちが良い話ではないだろう。
俺はまっすぐにエルダーを見る。このまま進むのか、あきらめるのか。エルダーの企ては困難であり、失敗すると家ごと巻き込む大きな危険がある。自領の両親とは話をつけているようだが、その覚悟に見合う結果になるとは限らない。
俺の無言の問いが分かったのだろう。エルダーははっきりと言った。
「彼女が、どういう選択をするとしても僕は続ける。彼女にも絶対にここに戻ってきてもらう」
諦めが悪いエルダーらしい回答だ。この男の唯一の欠点であり、長所かもしれないところだ。このしつこい親友と、愛する婚約者のために、俺に出来る手助けをする。
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