先生からの葉書

 その晩、部屋の扉が控えめにノックされた。そこには予想通り、イシル様が立っていた。わたしは身振りでフランカが眠ってしまっていることを伝える。静かに扉を開けイシル様を中に通した。


 イシル様は、優しい顔でフランカの寝顔をしばらく眺めた。すうすうを寝息をたてて、天使のように愛らしい顔で眠っている。そして、フランカを起こさないよう、そっとバルコニーに抜ける。


「勝ちましたね」


 何度思い出しても嬉しい。


「ああ、勝ったな」


 イシル様も嬉しそうだ。


「圧勝でしたね」

「結果だけでない。戦い自体も危なげなく圧勝だった。さすがに、オークリーには2回とも勝てなかったが」


 アベル様は、2度とも隊長と戦って勝ったらしい。最初はアベル様が圧勝したが、次は隊長が粘ってかなり追い詰めたそうだ。勝てなかったが、アベル様を追い詰めたということで隊長は面目を保ったようだ。


「これで、こちらに訓練に来たいという騎士や兵士が増えると良いのですが」

「オークリーが、あんたが勧めてくれた森や浜辺の訓練場に興味を示していた。明日、案内する予定だ」


 アベル様なら、負けた悔しさで目が曇ったりせず良いものは良いと評価してくれるような気がする。


「イシル様の理想に、少し近づきましたか?」

「少しどころではない。かなり、近づいた」


 こちらを向いて、真剣な顔で言う。


「あんたのおかげだ。ありがとう」

「そうおっしゃって頂けると嬉しいです」


 春の暖かい風が通っていく。


 そういえば、とイシル様がふところを探る。


「預かっていた葉書だ」


 フランカの事で慌ただしかったので忘れていた。お礼を言って受け取り文面を読む。


「差出人は確認しないのだな」


 イシル様が不思議そうだ。


「わたしに葉書を送ってくれるのは先生しかいませんから」

「先生とは、前に言っていた家庭教師のことか」

「はい、バーノルド先生は言語学者なのですが、今は世界のあちこちを旅しながら研究をされているのです。旅先から、わたしに葉書を送ってくださいます」


 宛先を見ると、エルダー様のお屋敷になっている。


「先生は、いまわたしがどこにいるか、ご存知無いようですね。わたしの方から連絡する手段がないものですから」


 文面は簡単だった。


『ザルカディア語の勉強は進んでいるか? 怠けていると、あっという間にトマに追い抜かされるよ』


(先生⋯⋯)


「ご覧になりましたか?」


 イシル様が眉をしかめる。


「他人宛ての私信を読んだりしない」

「ふふふ。そうですよね。⋯⋯すみません。オークリー様が葉書をイシル様にお渡しする時に、警戒されていたのを思い出してしまって」


 わたしが受け取れずイシル様にお願いした時、アベル様は驚いた顔をしてイシル様に渡すことを躊躇していた。わたしには先生からの葉書ということも、あの先生が誰が見るか分からない葉書に重要なことを書くはずがないことも分かっていたけれど、アベル様は気遣ってくれたのだろう。


「オークリーは、俺があんたを閉じ込めて会わせないようにしているとでも思っていたんだろう。あんたを見つけた時に、止める間もなくすごい剣幕で駆けて行った」

「父が、わたしをバーシュ様のお屋敷から連れ出した状況を考えたら当然ですね。オークリー様がこちらにお着きになった時に、ちゃんと挨拶するべきでした」


 無用な心配をかけてしまった。


 アベル様と会ったことで、どうしてもミネオラやエルダー様のことを思い出してしまう。訓練は成功した。イシル様は理想にかなり近づいた、と言ってくれた。でも「満足しましたか?」とは聞けない。

 聞いたら、ここに残るかどうか、答えを出さなければならない。フランカの顔が頭をよぎる。


 先生からの葉書を、もう一度読んだ。


『ザルカディア語の勉強は進んでいるか? 怠けていると、あっという間にトマに追い抜かされるよ』


「今日は疲れたので、もう休みます」


 イシル様に挨拶して部屋に戻った。

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