王都からの返答

「オークリーから対戦を引き受けるという連絡が来た」


 イシル様が少し緊張した面持ちで、わたしと隊長、副隊長、グリュートに伝えたのは、その日の訓練が終わる頃だった。


「いつでしょうか」


 隊長は興奮で顔が真っ赤になっている。王都の騎士といえば、国中の剣士の憧れだ。


「1か月後だ」


 人数や対戦方法などについて、隊長たちが次々に質問する。細かい事はこれから決めるそうだが、アベル様が20人程度を率いてこちらに来るらしい。近衛隊長のオークリー伯爵は、この話に乗り気ではないようで、あくまでアベル様の個人的な訪問という形を取るそうだ。


 リンデル様の上達ぶりを実感しているアベル様は、兵士に本格的な<香力>を使った訓練を行ったらどうなるか気になっているのかもしれない。


 乱戦ではなく20人がそれぞれ1対1で戦い、その勝ち数を競う対戦方法だ。イシル様はその20人を選抜しないという。特別な20人ではなく、ここにいる300人のうち誰が選ばれても良いように準備するそうだ。強い自信がうかがえる。


 わたしたちは改めて訓練の内容を見直して改善を加えていった。兵士たちも騎士と戦えるかもしれないという興奮から、より訓練に力が入る。


 アベル様は戦いに直接<香力>を使わない、という条件を出してきている。訓練場のエルダー様とアベル様の対戦で、わたしが<香力>で助力した事を思い出した。エルダー様の勝って嬉しそうだった笑顔が忘れられない。


 『この人が好きだな』が訪れたあの時。恋かもしれない、と思ったあの気持ちは、しっかり心の奥底にしまい込んである。エルダー様のこと思い出しそうになってしまい、すぐに頭から追い出す。それでも少し胸が痛くなった。


 対戦の日が近づき、イシル様もわたしも訓練に時間をかけるようになったせいか、フランカの我が儘が増えてきた。特にわたしにピッタリくっついて離れなくなってしまった。


「今すぐ帰って、ピオニィと遊ぶの!」


 森での訓練に付いてきたフランカの、あまりの我が儘ぶりに、さすがのイシル様も強く叱る。


「大事な訓練をしているんだ。みんなが王都の騎士と戦うのを楽しみにしているのは知っているだろう。いいかげん、我が儘はよさないか」


 フランカは、わっと泣いて森の奥に走って行ってしまった。イシル様に目で合図して、わたしが後を追う。


 少し離れたところで、しゃがみこんで泣いているフランカを見つけた。近づき、優しく声をかけた。

「フランカ」

「ピオニィ!」


 フランカが抱き着いてきたが勢いが良すぎて、ふたりで転んでしまう。どうせ服が汚れたのだから、とそのままふたりで地面に座ることにした。


 わたしは何も言わず静かに隣に座っていた。フランカが手をつないできた。そっと握り返してあげる。動かないわたしたちを心配したのか、イシル様がやってきて、少し離れた倒木に腰掛ける。フランカが、それをちらりと横目で見た。静かに時間が過ぎていく。


 どれくらい、そうしていただろうか、フランカが小さな声を出した。


「⋯⋯嫌なの」


 もう少し大きな声で言う。


「騎士が来るのが、嫌なの」


 そして、わたしの顔を見てはっきりという。


「騎士に来てほしくないの!」

「みんなが、騎士に夢中になってフランカと遊べなくなったから?」

「違う、違う!」


 フランカが膝立ちになって、わたしにぎゅっとしがみついた。


「騎士は王都から来るんでしょう? ピオニィのお友達だから、連れて帰っちゃうんじゃないかってグリュートが心配してた」


 そんな事を思っていたのか。わたしはフランカをぎゅっと抱きしめた。


「その話は間違いよ。確かに、ここに来てくれる騎士の中にはわたしの知り合いがいるけれど、迎えに来るわけじゃない。わたしは騎士と一緒に王都に帰ったりしない」


「絶対に?」

「約束する。絶対に騎士と一緒に王都に帰らない」

「じゃあ、一緒に眠ってくれる?」


 フランカが抱き着いたまま、恥ずかしそうに言う。


「なあに、急に」

「眠る時、侍女じゃなくてピオニィにいてほしいの。ピオニィのお部屋に行って、一緒に眠っていい?」

「フランカ、甘えすぎだ」


 イシル様が立ち上がってこちらに来た。フランカを抱き上げる。フランカがわたしにしがみついたまま離れようとしない。


「分かったから、離して! わたしの部屋で、一緒に寝ましょう」


 イシル様が困ったような顔をする。


「すまない」


 フランカがわたしから離れてイシル様にしがみつく。


「でも、フランカ。わたし寝相が悪くて、寝ている間にあなたのこと、ぺしっと叩いてしまうかもしれないわよ」

「きゃー、フランカなんて、よくベッドから落っこちてるって侍女に言われるもん。ピオニィのこと、蹴とばしちゃうかも」

「それは嫌ねえ。やっぱり、一緒に眠るのやめようかしら」

「だめ! もう約束したもの! ねえ、お父様も一緒に眠る?」


 イシル様がぎょっとしたような顔をする。


「俺は、蹴とばされるのも、叩かれるのもごめんだ」


 3人で訓練所の方にゆっくり戻る。フランカのご機嫌はすっかり良くなったようだった。


(あのお願いは、取り消さないといけない)


 父の目を欺くため、わたしを死んだ事にして欲しいというお願い。フランカの気持ちを考えていなかった。


 わたしが役目を終えて王都に帰ると言ったらフランカはどう思うだろうか。


(それとも、ここにずっといる⋯⋯?)



『お腹すいているでしょう』


 焼き菓子の包みを手のひらに乗せてもらう。


 わたしは焼き菓子が大好きだ。でも、この焼き菓子は特別なもの。嬉しさで心が震えるような特別な贈り物。


 バルコニーで誰かとお茶を飲む。夜会の音楽が聞こえてくる。


 爽やかな草原の香りがする。


 何でこんなに泣きたくなるのだろう。胸が痛い、痛い。

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