王都の騎士への挑戦状

 いよいよ訓練を再開することになった。再開までの2日間、フランカはほとんど、わたしから離れなかった。どうやら勉強も全部投げ出したらしく、イシル様が何度叱っても聞く耳を持たなかったらしい。それでもイシル様はフランカには甘く、結局は自由にさせていた。


「やだ、やだ、やだ。私も行くの! 邪魔しないから!」


 朝から一緒に訓練に行くと言ってきかない。イシル様が困り果てている。


「いい、って言ってくれないなら、一人で森に行っちゃうんだから。きっと塀なんて飛び越えられるわ!」


 イシル様はフランカと、ちゃんと話をしたらしい。フランカもイシル様に<香力>を使えることを話した。


「ピオニィは悪い手本かもしれない」


 イシル様が大きくため息をついた。塀を飛び越えることは教えていないのに。


「邪魔はしない、危ないことはしない、と約束するなら連れて行ってやる」


 やっぱりイシル様はフランカに甘い。


 訓練場では兵士たちが既に訓練を開始していた。<香力>を使わない今まで通りの訓練だ。


イシル様が、グリュートと2人の兵士を呼んだ。隊全体の隊長と副隊長らしい。隊長と副隊長は先日の対決でわたしの隊に負けている。自分たちも訓練を受けて強くなるのだと期待に満ちた眼差しでわたしを見る。


 5人で訓練の方法を考えた。わたしは、フランカと遊んでいて気がついたことを伝えた。


「<香力>は他の人の力と合わせることが出来るみたいです。例えば、グリュート、あなたは<香力>で桶の水を持ち上げることが出来ますか?」


 近くの桶を指すと、グリュートが首を横に振った。


 グリュートに桶の前に立ってもらい、わたしはグリュートの背に手を当てた。グリュートに<香力>を注ぎ込む。


「う、わ!」

「桶の水を持ち上げられるか、試してみてください。みけんに集中して⋯⋯」


 グリュートは、最初はなかなか<香力>を制御できなかったが、ほどなくして水を持ち上げられるようになった。


「できました!!!」


 グリュートが興奮している。


 次はグリュートが隊長の背中に手を当て、わたし、グリュート、隊長、と<香力>を経由させた。これも、見事に水が持ち上がった。


「<香力>が弱い人でも、数人の力を合わせると、大きくなります。力を持っている人を振り分けた組をつくったら、わたしがいない時でも<香力>を使った訓練が出来ると思います」


 わたしがやると、負荷をかける訓練の場合に全体に同じことしか出来ない。人によって、細かく調整ができると良いのではないかと思った。


 それに、実際に訓練を受けないわたしには、グリュートなどの兵士が細かく指示を出さないと加減が分からない。兵士が自分たちで負荷をかけられた方が効率良い。


 イシル様も隊長たちも納得したので、さっそく<香力>がある兵たちを集めて練習を始めた。これにはフランカも活躍した。兵士に<香力>を注ぎ使い方を教えている。


 わたしが休んでいる数日間に兵士たちの方でも、訓練方法を色々考えたようで一緒にそれを試した。


「砦にいる兵たちも、定期的にこちらと入れ換えて領内全体で同じような訓練を出来るようにするつもりだ」


 上手くいけば領内の兵士全体の力が上がるだろう、とイシル様は嬉しそうに言った。



 季節が変わるころには、兵士同士で<香力>を使った訓練が出来るようになった。イシル様や隊長たちと相談して森の奥と海に訓練場も作った。


 王都と違い寒さが厳しくないスプルースでは、冬でも屋外で訓練が出来る。


 隣国からの襲撃を想定する場合、森と海辺での戦闘が想定される。今までも、森や海で訓練はしていたが、訓練専用の場所というものは作っていなかった。最初の対戦で、足場の悪いところでの訓練が兵士たちの戦力を大幅に上げるということが分かっている。もし隣国が森や海辺での戦闘に慣れていた場合、平地でばかり訓練していたら圧倒的に不利になってしまう。


 訓練場を作ることには、わたしの<香力>が役立った。大きな穴を掘るのも大きな石を動かすのもお手のものだ。


 特に砂浜の地形を変えるのは、人の手では難しいけど、わたしなら簡単に出来る。背の高い樹に登って地形を確認するのも、わたしの得意な事だ。


 けれど上が見えないくらい高い樹に登った時にはイシル様に本気で怒られた。落ちないのに。本当にバーノルド先生のようだ。


 砂浜で隊長が熱心に兵士たちに指示を出している。数人ずつ組になって風で負荷をかけたり、巻き上げた砂を防ぐ訓練をしたりしている。


「私たちは王都の騎士のように、美しい戦いにこだわっていた気がします」


 隊長が以前、言っていたことを思い出す。


「<香力>を使うような戦い方は邪道だと正当な訓練にこだわりすぎていました。隣国が本当に戦いを挑んできた時に、美しいかどうかなんて関係ない。兵士は守るべきものを守り切って、生き残れば勝ちです」


 隣国の襲撃で祖父を亡くしているという隊長の言葉は、わたしの心に重く響いた。


「そろそろ、話を進めようと思う」


 イシル様がわたしに切り出した。イシル様は王宮や騎士たちに、国境の領地の覚悟を知らしめたいという。


「最初にオークリー様のお屋敷でお会いした時のことですが、お隣のルービンの危険さを王都に伝えようとされていたのですか?」

「騎士や兵士の一部をここに預けてもらえないか、頼みに行った」

「断られたのですね」

「実際に侵略が始まったら、すぐに手を打つから心配ないと言われた」


 『役にたつ物』として、わたしを見つけた、あの時のイシル様を思い出す。


「――今なら、イシル様があんな手段を取ってでも、わたしの<香力>を必要とした理由が分かる気がします」

「どうしてだと思った」


 正解かどうか聞いてやろう、試すような視線をわたしに向ける。


「ルービンが本気で兵を進めてくる場合、国力から考えて数万という単位で挑んでくるでしょう。スプルース領の兵士は全部で2千。土地勘や補給の点で有利ではありますが、もって10日ほどでしょうか。


 王都が侵略の知らせを受け取ってから、速やかに派兵を決めたとしても数万に対抗できる兵が到着するのは10日以上かかりそうです。国としては、一時的にスプルース領を占領されても後で取り返せば良いと考えているでしょう。


 でも、領民の命や暮らしを守る領主として、一時的にでも他国に蹂躙されることは受け入れられない。何としても、兵力を上げたい。そのために強い<香力>が必要だった。――正解ですか?」


 イシル様は否定しなかった。


「王都から兵が来るのは10日では無理だろう。中途半端な兵力を送り込むより、しっかりと体制を作ってから進軍するだろう。


 その頃には、こいつらは全員生きていないだろうな」


 グリュートも、隊長も、訓練しているみんな、全て。


 イシル様は<香力>で力をつけたスプルース領の兵士たちの力を、王都の騎士たちに見せつけたいと考えている。わたしが最初に試したように<香力>による訓練の成果を見せることで、王都の兵士にも同じ訓練を受けたいと思わせ、定期的に国中の兵士がスプルース領で訓練する仕組みを作ろうとしている。


 雪が積もる王都と違い、ここなら季節を問わず訓練を続けることもできる。


 成功したら、いつでも一定数の兵士がスプルース領にいることになり侵略に備えやすくなる。加えて、兵の育成に力を入れている、という隣国への牽制にもなる。


「王都の騎士が、対戦相手になってくれるでしょうか」


 スプルースの隊長たちが王都に行って、領地の守りを手薄にするわけにはいかない。騎士たちに、ここまで来てもらわなければならない。


「オークリー伯爵に手紙を送った。<香力>での兵力強化に興味を持つとしたら、あんたの力を知っている息子たちだろう。父親の近衛隊長を動かしてくれることを期待している」


 うまく行くだろうか。不安そうなわたしを見て、イシル様は少し意地悪そうな顔をした。


「俺はすぐに上手く行かなくても、気長に進めればいいと思っている。少しずつ兵の力は上がっているし、砦の兵まで広がる頃には、他の領地にも噂が広がるだろう。王都の騎士ほどの効果が無いとしても、少しずつ兵士は増えるはずだ。その間、あんたは、ずっと王都に帰れないけどな」


 わたしには王都に帰れないことよりも心配なことがある。わたしが思った反応をしなかったからだろう、イシル様が怪訝な顔をする。


「わたしは怖いんです」

「怖い?」


 両手を握りしめる。


「もし、わたしが本気で戦おうと思ったら⋯⋯ここにいる兵士を、あっという間に全て殺すことができます。それは、お気づきでしょう」


 イシル様が黙り込む。


「例えば、砂の密度を濃くして巻き上げれば、呼吸を止めることが出来ます。砂地じゃなくても、風で覆って中の空気を抜くこともできます。水や炎で覆うことも出来ます」


 当然、イシル様も思いついているはずだ。無表情で黙り込んだままだ。


「これは、人としての一線を越えてしまうことだと思っています。以前のわたしなら、どんなに強いられても、やらなかったと思います。⋯⋯でも」


 一度、深呼吸をする。口に出してはいけないことを言う覚悟をきめる。心臓が早鐘をうつ。


「今のわたしなら、命令されなくても、やってしまうかもしれない」


 イシル様が驚いたように、わたしを見る。


「もし、グリュート達が命を落としそうで、フランカやイシル様や、お城の方たちや、領民の方たちに命の危険が迫っていて⋯⋯。それを目の前にしたら、わたしは助けるために<香力>を使う」


 イシル様が険しい顔でうつむく。わたしを連れてきた理由の一つに、こうさせようという思惑が入っているはずだ。


「正直に言うと、最初はそのつもりだった。兵の実力が上がるかどうか確信が持てなかった。ここに置いておいて、いざという時に直接戦わせた方が役にたつと思っていた」


 当然だと思う。


「でも今はあんたに、そんなことをさせたくないと思っている。恐らくあんたは、一線を越えて平気ではいられないだろう。俺はあんたが苦しむ姿を見たくない」


 イシル様が、わたしの目をしっかりと見て言った。本気で言ってくれていることが伝わってくる。


「わたしは、オークリー様が対戦を受けてくれることを、願っています」

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