フランカの<香力>

 朝食を済ませた後にフランカが城を案内してくれることになった。このお城は軍事拠点になっているだけあって、実用的な建物が多くて全体的に装飾が少ない。樹木はあるものの、花壇などはない。風情は無いけれど、機能的な美しさがある城だと思う。


 図書室には戦記などが少しあるだけで、子供が読みそうな本は無かった。フランカに普段はどう過ごしているか聞くと、勉強、ダンス、礼儀作法、刺繍、などを教師に就いて学習することで1日が終わってしまうそうだ。


「先生はみんな厳しいから大嫌い。誰も話を聞いてくれないもの。だから、私も話してあげないの」


 乳母も口を開くと小言ばかりで、話したくないのだそうだ。


「お父様は?」

「お父様は私の話を聞いてくれるけど、お忙しいから、ずっと一緒にはいられないの」


 フランカは口をとがらせた。


(フランカにとってのイシル様は、わたしにとってのバーノルド先生みたいなものね)


 でも、先生と違って領主として多忙なイシル様は、そう多くの時間をフランカに割くことができないのだろう。


「でも、ピオニィが来てくれて、おしゃべりしてくれるから嬉しい。ピオニィがいる間は、刺繍もダンスもやらなくていいんですって」


 嬉しそうに話す姿がかわいくて抱きしめたくなる。けれど、この家の人たちにはバーシュ家の人たちのように、ぎゅっとする習慣が無さそうなので我慢する。


 いつのまにか、わたしにも人を抱きしめる習慣がついてしまったようだ。


「では、フランカ。思い切り遊びましょう! 何をしたい?」


 フランカは少し考えてから言った。


「<香力>を見せて欲しい! ピオニィの<香力>はとても強いって使用人が話しているのを聞いたの」

「そうねえ。この辺りに、噴水か池か小川はある?」


 子供が喜ぶといえば虹。今日は日差しが強いから綺麗に作れるはずだ。


「噴水があるわ!」


 フランカの案内で城の端にある噴水に向かった。噴水といっても、王宮や王都の図書館のように美しい彫刻がある立派なものではなく、地下から水が湧き出ている水場といった様子だ。


 でも虹を作るには十分。


「見ててね。⋯⋯ほら!」

「わああーー! きれい!!!」


 フランカが虹に飛びつこうと跳ね回る。


「もっと、もっとーーー!」


 期待に応えて、もっと大きい虹を作る。どんどん大きくするうちに城よりも大きい虹が出来た。


「もっと!」

「フランカ、もうだめ。これ以上は大きくできない!」


 まだ本調子ではないので、これが限界だ。大きな噴水ではないので水も足りない。これ以上、水を薄く広げるのは難しい。不満そうなフランカには申し訳ないが虹は終了させてもらった。


 少しくたびれたので、草の上に座った。


「ピオニィ、そんなところに腰かけてドレスが汚れたら叱られるわ」


そういえばイシル様が、わたしよりフランカの方が淑女らしいと言っていた。


「いいのよ、わたしは大人だから、もう叱られないもの」

「ずるーい!」


 フランカが真っ赤な顔でくやしがる。かわいい。


「フランカも座ってしまいなさいよ。草の上だから、そんなに汚れないわ。もし叱られたら、わたしに汚されたって言えばいいじゃない」


 フランカは素直に隣に腰かけた。ふたりで顔を見合わせて、くすくす笑う。


「ねえ、ピオニィ。私にも<香力>の使い方を教えてもらえない?」

「使えそうなの?」


 産まれた時に<香力>を持っているかどうかで、使えるかどうかが決まる。持っているなら使い方を教えることはできる。


「たぶん、使えると思う。試してみたいの」

「そうねえ。そうしたら、あの水を揺らしてみましょう」


 立ち上がって、噴水に近寄る。最初は直接触れていた方がやりやすい。フランカの手を水面に触れさせた。


「いい? 額のあたりに意識を集中して。何かふわふわしたものが集まる感じがしない?」

「する、する!」

「それを、ゆっくり腕まで移動させて⋯⋯手のひらまで来たら、思い切り体から押し出すの」


 ごぼっという音がして、水が大きく波打った。辺りに檸檬の甘い香りが広がる。


(驚いた!)


 かなり強い力だ。使い慣れない状態で、これだけ動かせるなら、わたしと同じくらい強いかもしれない。


「できた! これ、私の<香力>で動かしたのよね!」


 フランカが喜んで、何度もゴボゴボと試している。しばらく試したところで止めさせた。


「慣れない時に使いすぎると、体力が失われてしまうから気を付けてね」


 イシル様はフランカのこれだけ強い<香力>のことをご存じなのだろうか。使い方を全く教えていない事が気になった。


「今まで<香力>の使い方を習わなかったの?」


 わたしも最初は屋敷で教師に教わった。すぐに教師よりも使いこなせるようになったので、わずかな期間ではあったけれど。


「おじい様とおばあ様が<香力>を使ってはいけないって。特にお父様には隠しておきなさいって」

「イシル様には秘密なの?」


 フランカが言いにくそうに口ごもった。


「お母さまが不幸になったのも、亡くなったのも、<香力>のせいだって。<香力>のせいで、お父様が連れて行ってしまって、お母さまが不幸になったって。だから、私の<香力>も隠しておかないと、誰かに連れて行かれるからって」


 心臓がぎゅっと掴まれたように痛くなった。フランカの祖父母が言っていることは完全に間違いとはいえない。わたしは身をもって知っている。


「でも、私はお母さまは可哀そうじゃなかったと思うの。私の事を大好きな宝物って呼んでくれて、いつも笑っていたの」


 その時、遠目に人が歩いてくる姿が見えた。


「お父様!」


 フランカが慌てて立ち上がってドレスのすそをはたく。汚れていないか確認している。わたしも立ち上がって、フランカのドレスについた葉っぱを取ってやる。


「あの虹は、あんたの仕業だろう。突然あんなものが現れたから城の者たちが騒いでいた」


言われてみれば、城中から見えてもおかしくない大きさかもしれない。


「お父様もご覧になった?」


 フランカがイシル様に駆け寄ってしがみつくと、イシル様は一瞬怪訝な顔をしてわたしの方を見た。香りだ。フランカの檸檬の甘い香りがいつもより強いことに気が付いたのだろう。わたしは、その視線に気づかないふりをした。


「すごく綺麗に出来たと思いませんか?体調が完璧だったら、もっと大きいのが作れるんですけど」


 イシル様は追及しないことにしたのか話題に乗ってくれた。


「あれだけ綺麗な虹は、なかなか出ない。良いものを見せてもらった」


 イシル様はフランカを抱き上げてドレスの裾にまだ残っていた葉っぱをつまんだ。


「フランカ、ピオニィの真似をしていると淑女にはなれないぞ」

「私、淑女なんてなりたくないもん!」


 フランカが、わたしを見て『ねー!』という。


「おふたりともひどいです。わたしだって、その気になれば淑女らしく振る舞えるんですよ」


 フランカはくすくす笑ってイシル様に抱き着いていた。



 夜、休もうとしたところで部屋の扉を叩く音が聞こえた。上着を羽織って扉を開けると、そこにはイシル様が申し訳なさそうな顔をして立っていた。


「こんな時間にすまないが、少し話せるか?」


 たぶん、フランカのことだろう。わたしは部屋に通した。けれど、私の部屋には落ち着いて話しが出来る場所がないので、そのままバルコニーに出る。


「バルコニーからお声がけくださったらいいのに」


 わたしが言うと、呆れたような顔をされた。


「女性の部屋に、バルコニーから入るわけにはいかないだろう」

「⋯⋯そういう気遣いをされるとは、思いませんでした」


 とても意外だ。


「俺のことを、マナーも知らない田舎者とでも思っているのか」


 イシル様が珍しく軽口をたたくのは気が重い話があるからだろう。ベンチに腰掛け、わたしはイシル様が話を切り出すのを待つ。


 しばらくして、隣に座ったイシル様がぽつりと言った。


「フランカは⋯⋯<香力>を使えるのか?」


 フランカは内緒だと言っていた。わたしの口から言うわけにはいかない。イシル様はわたしが肯定も否定もしないのを見て、続けた。


「俺には秘密だと言ったか?」


 わたしは答えない。


「フランカの、母親の話を聞いたか?」

「⋯⋯少しだけ、聞きました」

「なんと、言っていた」


 イシル様は何だか辛そうだ。


「フランカのことを『大好きな宝物』と呼んで、いつも笑っていたと言っていました」

「そうか。⋯⋯それ以外も聞いたんだろう?」


 わたしの無言を肯定と受け取ってイシル様は大きくため息をついた。


「フランカの母親は<香力>が強かった。父が亡くなる前に決めた婚約だったから、詳しい経緯は知らない。婚約の経緯は聞きそびれたまま、父が亡くなって領主を引き継いで結婚した。


 でも、フランカの祖父母には遺恨が残ったんだろうな。フランカには<香力>を隠すよう、言い含めているらしい」


 <香力>が強い娘は、良かれ悪しかれ欲しがる人が大勢いる。珍しい話ではない。


「あんたなら、フランカの母親の気持ちが分かるんだろうな」


 イシル様は森よりも、もっとずっと遠くを眺めながらつぶやく。


「わたしの話をしてもいいですか?」

「ああ」


 わたしは、深呼吸して口を開く。わたしにとって未だに気持ちが消化できていない話だ。でも、フランカのために伝えたい。


「わたしの母は、かなり<香力>が強かったそうです。その力を見初められて父に買われるように、むりやり嫁がされたと聞いています。細かい経緯は分かりませんが、父は母を屋敷の一室に幽閉しました。10年以上も。


⋯⋯今まで気づきませんでしたが、母も<香力>を使えないよう、薬を盛られていたのかもしれません。母にわたしと同じくらいの<香力>があったとしたら、逃げ出すのは難しくないはずですから。


 幽閉中にわたしが産まれましたが、母はいつも、わたしを見ると半狂乱になって、罵って追い出しました。わたしの姿が、父に似ていたから。父はそれが気に障るようで、定期的にわたしを母の部屋に入れるよう、使用人に言いつけていました。そのたびに、母は憎い男に似ているわたしを見ることになったのです。


 母は心が壊れて亡くなったそうです。間違いなく母は不幸でした。


 フランカのお母さまは、フランカのことを『かわいい宝物』と言っていたそうです。フランカとイシル様はよく似ています。髪の色も、瞳の色も顔だちも。


 もしフランカのお母さまが、あなたを嫌っていたなら、きっとそんなことは言えないと思います。笑顔で過ごすことなんて事はできません。だから想像ですけど、幸せだったんじゃないかと思います」


 イシル様の目から涙がこぼれおちた。


「そうであってほしい、⋯⋯と思う」


 イシル様も奥さまを愛していたのだろう。愛する人が幸せじゃなかった、と言われ続けるのは、どんなに苦しいだろうか。


 わたしはハンカチを差し出した。


「すまない」

「謝るのはおかしいですよ。誰だって泣くものです」


 イシル様がいつもよりも小さく見える。スプルースの領主ではなくて小さな男の子のようだ。


「1つ、秘密を教えましょう。わたし、国王陛下が泣くところを見たことがあるんですよ」

「国王が?」

「そうです、3番目のお妃様がとても強い方で、お妃たちが集められた食事会でご自分の席が気に入らなくて陛下を罵ったんです。陛下、静かに泣いていらっしゃいました」

「はっ! そんなことで泣くのか」


 イシル様が笑った。


「それはもう、ひどい罵り方でしたもの。傷ついたのでしょう」

「国王陛下が泣くなら、俺が泣いてもおかしくないな」

「そうですよ、わが国で一番偉くて強い人だって泣くんですもの」


 イシル様がわたしから受け取ったハンカチで涙をぬぐった。


「でも他の人に言わないでくださいね。わたし、王宮を出るときに余計な事は話さないって約束させられてるんですから」


 イシル様が立ち上がって、わたしの前にたった。


「抱きしめても、かまわないだろうか」


 必死に、何かにすがるような顔をしている。


「構いませんよ」


 わたしは立ち上がった。イシル様がわたしを抱きしめた。大きな体で、わたしにしがみつくように。樹木の香りを強く感じる。


 わたしは腕をせいいっぱい伸ばしてイシル様の大きな背をなでた。小さな子供をあやすように、ゆっくり、ゆっくり、優しく。


 イシル様は「ありがとう」とつぶやいた。

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