領主の娘

 目が覚めて身動きすると、見慣れない使用人がわたしの顔をのぞきこんでから、急いで部屋の外に駆け出していった。


 のどが渇いた。起き上がろうとしても体がだるくて動けない。気力を振り絞って起き上がろうとしていると、すぐにイシル様がやってきた。


 わたしの顔を見て額に手を当てる。


「よかった。熱も下がっている」


 調子が悪いのは熱があったからなのか。


「あんた2日間も眠ってたんだ。熱が出ているのに医者は原因が分からないという。今はどうだ、どこか具合が悪いか?」


 真剣に心配してくれているのが分かる。もぞもぞと体を動かしてみた。


「少しだるいだけで、他は何ともなさそうです。多分<香力>を使いすぎたんだと思います」


 遅れて医者がやってきて、わたしの様子を確認した。


「異常はなさそうです。ご本人がおっしゃるように<香力>の使い過ぎで体がお疲れなのかもしれません。しばらく体を休めたら恐らく回復されるでしょう」


 馬車の旅も思っていたより体力を奪っていたのかもしれない。水を飲ませてもらうと、また眠くなってきた。


「体力が戻るまで、ゆっくり休んでいろ。訓練の続きはその後だ」


 イシル様はもう一度わたしの額に手をあててから部屋を出ていった。


 わたしは、すぐにまた眠りにおちた。



「奥さま、焼きあがりましたよ」


 エマが声をかけてくれてふたりで厨房に向かう。作業台の上に、まだ湯気がたつ焼き菓子が並んでいた。


 他の使用人たちも次々に集まってきた。


 エマが作ったものと、わたしが作ったもの、2種類を並べてある。わたしはエマが作った方を手に取って口にする。


 ふんわりやわらかく、バターの香りが口の中に広がった。


「おいしい!」


 若い使用人が、わたしの作った方を口にして笑顔になる。


「奥さまのお花の香りがしますね。私はこちらが好きです」


 エマがみんなのためにお茶を入れて、わたしたちは立ったままでお茶を飲んでお菓子を食べる。街であったこと、新しいお店のこと、他愛もない話をして、たくさん笑う。


「エルダー様にも、取っておきましょう」


 エマが何個か包んでいる。わたしたちだけが楽しんだ話を聞くと、ひどく残念がるのだ。


 庭で鍛錬していたミネオラがやってきた。


「ここにいたのね! あ、私の分はある?」


 わたしの隣にくっついて、パクパクと焼き菓子をほおばる。


「お腹すいたわ!」


 エマが苦笑している。


「少し早いですけど昼食の準備をいたしますね」


 使用人たちが仕事に戻り、わたしとミネオラは昼食が出来るまで、おしゃべりをしようと庭に出る。


 ブッテさんが丹精込めて育てた花が、美しく咲いている。



 どれくらい眠っただろう。檸檬のような甘酸っぱい香りに包まれて目を覚ました。窓から見える空は少し赤くなっている。恐らく夕方だ。


 薄紫の瞳がわたしをのぞきこんでいた。漆黒の長い髪がわたしの顔にかかる。


 まだ幼い女の子。檸檬の香りはこの子の香りのようだ。


「なぜ泣いているの?」


 心配そうに尋ねられた。


(泣いている?)


 ほほを触ると、しっとり濡れていた。ベッドから身を起こして拭くものを探そうとしたら女の子がハンカチを差し出してくれた。


「ありがとう」

「どこか、痛いの?」


 心配そうに私を見つめる。


「いえ、どこも痛くありません。夢を見たのかもしれませんね」


 答えると女の子は安心したようににっこり笑った。笑った顔がイシル様に似ている。


 体を少し動かしてみると、もうだるさも抜けていて立ち上がることもできそうだ。


「ちょっと待ってて、起きたらお父様を呼ぶように言われていたの」


 女の子が部屋を出ていく。やっぱりイシル様のお嬢さんだ。仲良くすると約束していたのに、対戦の準備にかかりきりですっかり忘れていた。


 すぐにイシル様が部屋に入ってきた。わたしの顔をみて、ほっと安心した顔をして、またおでこに手をあてられる。


「顔色が良くなっている。熱も上がっていないな。具合はどうだ?」

「ありがとうございます。もうすっかり治りました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」


 女の子がイシル様の後ろから、こちらを覗いている。わたしの視線に気が付いて、イシル様が紹介してくれた。


「フランカだ。俺が領地を空けている間は、この子の母親の実家で預かってもらっていたが、昨日戻ってきた。ほら、フランカ。挨拶を」

「フランカです」


 恥ずかしそうに、ドレスのすそをつまんで挨拶してくれた。


「ピオニィです。はじめまして。ごめんなさい、こんな格好で」


 フランカが薄紫色の瞳で、わたしのことをじっと見つめた。


「お母さまになって頂けるって本当? みんなが言っていたの」


 お母さま。婚約者という立場を考えると、そう思うのが自然だと思う。でも、わたしは役目を終えたら王都に帰ってしまう。助けを求めてイシル様を見上げると、イシル様も困った顔をしていた。


「フランカ、それは決まっていない」


 フランカはそれ以上は食い下がらず『そう』と言ってうつむいてしまった。


「ピオニィ、訓練は3日後から再開する。それまでしっかり体を休めておけ。フランカ、ピオニィが無理をしないよう、しっかり見張っててくれるか?」


 フランカは恥ずかしそうに顔を赤くして、イシル様の後ろに隠れてしまった。ちらちら覗かせる表情を見る限り『承知した』ということなのだろう。

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