訓練開始
ついに到着したのは立派な城だった。記憶にある父の領地の屋敷とは全然違う。
わたしの父の領地の場合は、領内の各地に屋敷を構えて家令がそれぞれを管理していた。領主である父は王都で暮らし、跡取りの兄が各地の屋敷を統括して運営していると聞いている。軍事より商業に力を入れていたので、広く拠点が散っていた方がやりやすいのだろう。
比べて、このスプルース領では拠点となる城があり、要所に多数の砦を構えているそうだ。隣国の襲撃に備えるため、軍事訓練も多く行われている。
城門をくぐり馬車を降りると、イシル様は威厳ある領主の顔になった。わたしも王妃時代の気品をめいっぱい引っ張り出し、淑女らしく振る舞う。
城の主な人々には「婚約者」と紹介された。違和感があるけれど肩書としては正しいので仕方ない。ここは使用人も多くてとても賑やかで、少し王宮の雰囲気に似ている。
挨拶もそこそこに兵士の訓練場に向かった。旅の最後の数日はイシル様が持ち込んだ書類も尽きてしまい、兵士をどうやって訓練するかが、わたしたちの専らの話題だった。
各地の砦にいる兵も合わせるとスプルース全体で2千人以上いるそうだが、この城にいるのは300人ほどだ。そのうちの50人をわたしが預かり、<香力>を使って訓練する。
リンデル様に行ったような<香力>を使った基礎力の向上は、他の兵士にも効果があるか。まずはその検証を行うことになっている。
20日後に、わたしの隊と、残り250人から選抜した50人で対戦をすることに決めた。訓練の内容についてイシル様と大筋は決めたが、細かいことは全てわたしに任せてもらえる。
対戦相手に先入観を与えないように他から見られない秘密の訓練場所も用意してくれるそうだ。
既に早馬を出して知らせてくれていたので、着いてすぐにイシル様の前に50人が揃った。
「既に聞いていると思うが、お前たちは明日から20日間、ピオニィの指示のもとで訓練に励め。20日後に別の50名と対決を行う。以上だ。」
「ハッ!」
兵士たちが勢いよく返答する。
「訓練は明日からにするか?」
イシル様がわたしに尋ねる。まだお昼を少し回った時間だ。20日しかないのだから余裕がない。
「皆様がよろしければ、今日このまま訓練に入らせて頂きたいです」
「分かった。手配する。⋯⋯グリュート!」
グリュートと呼ばれた短髪の若者が、前に進み出た。まだ子供らしさが残る顔が緊張で強張っている。
「ピオニィ、グリュートだ。何かあったらこいつに言え」
グリュートにいくつか指示を出してイシル様はその場を去った。
わたしが使用人に案内された部屋で動きやすい服に着替えてから、秘密の訓練場に到着すると、グリュートを筆頭に50人が並んで待っていた。
「あらためまして、ピオニィと申します」
見るからに鍛えている様子の兵士たちだ。アベル様のお屋敷の若者たちの、どこか穏やかな顔つきとは違う。これが、いつでも本当の戦闘に出る覚悟がある兵士というものなのだろうか。
恐らく、ひ弱な女性に何を教わることがあるか、と思っているに違いない。向けられる視線は鋭くて厳しい。緊張で体が震える。
まずは、わたしの力を信用してもらう必要がある。
「わたしは領主様から<香力>を使って、あなた方を強くするように申し受けております。ご挨拶がわりに、わたしの<香力>をお見せします」
訓練場は、屋根がある広場と、屋根がない広場に分かれている。兵士たちを、屋根がない方に並ばせた。
「もう少し間隔を開けて⋯⋯そう。そして口を閉じて歯をかみしめて。思い切りふんばってください」
兵士たちは『何ごとだ?』という顔をしながらも指示に従う。不審に思いながらも、ため息ひとつこぼすことなく従うのは、わたしに任せると言ったイシル様の事を信頼しているからだろう。
最初が肝心だ。思い切りいく。
「では、いきます!3,2,1、はい!」
『はい!』の掛け声とともに全力で上空から兵士に向けて強く風を吹き付けた。
「ぐはぁっ!!!」
全員がカエルがつぶれたような声を出して地面に這いつくばった。わたし自身は自分を風で包んでいるから平気だ。
(しまった、ちょっとやりすぎたかしら)
思ったよりも、負荷が高かったかもしれない。慌てて風を止めて兵士たちに駆け寄る。
「ごめんなさい、大丈夫ですか。けがをした人はいますか?」
兵士たちがよろよろと立ち上がる。何度か聞いてみたが、怪我をした人はいないようだ。
「向こうの隊に絶対勝ちましょうね!」
返事が弱々しい。みんな、まだ足腰がふらついている。やっぱりやりすぎたかもしれない。それでも、明らかに兵士たちがわたしに向ける視線が変わった。少しは信頼してもらえたかもしれない。
訓練は明日からにしましょうか、と提案したところグリュートが力強く言った。
「今日から、お願いします。まだ頑張れます」
それでは今日はあまり体に負担がかからないものを、ということで剣に<香力>を込めたら、どの程度の効果があるかを体験してもらうことにした。
1人ずつ並んでもらい、それぞれの木剣に順番に<香力>を込めていく。
「木剣だと侮らないでくださいね! 上手く使うと真剣よりも強いですから」
<香力>を込めた剣で打ち込みの練習をすると、打ち込んだ時の反動が大きいので、それを制御しようとして、自然と剣を自在に扱う力が向上すると、リンデル様から聞いていた。
済んだ人から2人組になってもらって打ち合いを始めてもらう。
「うわっ!」
「何だこれは!」
「っった!!」
最初は戸惑っていたが、さすがに現役の兵士は違う。アベル様のところの訓練生よりは慣れるのが早かった。
だんだんと込める<香力>を強くしていく。
剣技のことは分からないので<香力>を込めた剣の扱い方については、グリュートに指示を任せた。グリュートには<香力>を込めた剣を使う意図も伝えてある。
グリュートと他の上手そうな数人が相談しながら、他の兵士に扱い方を指示していく。みんな、楽しそうだ。元気になったようなので、最後は基礎訓練をしてもらうことにする。
グリュートを呼んで、わたしがやりたいことを伝えた。グリュートは少し考えて元気に答えた。
「お任せください!」
グリュートがみんなを並ばせ、わたしに合図を送る。
合図に合わせて、わたしは上空から地面に風を吹き付けた。さっきよりは、かなり弱い風だけど、この中で動くのはかなり大変だ。
グリュートの指示で、みんなが風に抵抗して、素振りや足踏みなどをする。アベル様のところでもやったが、こうすることで、筋力が向上して素早く動けるようになるそうだ。
しばらくしたところで、グリュートが私に合図をした。
わたしは<香力>を止める。みんな、地面に転がって肩で息をしている。
今日はもう止めようかと思ったら、グリュートが休憩したらもう一度やりたいと言った。
「そんなに無理をして、体を壊さない?」
「体を壊すほどではありません。僕たちは絶対に勝ちたいんです」
グリュートだけでなく、他の兵たちも、うなずいている。
「では、休憩後にもう一度ね」
イシル様が言っていた。ここに選抜された兵士たちは実力の下から順に選んだそうだ。比べて対戦予定の兵たちは上から順に選んでいるとのこと。
<香力>でどのくらい実力を引き上げられるか、ということが20日間で試したいことだ。
ただ対戦に勝つだけなら、わたしが最初にやったように、上空から風を吹きつけてしまえば良い。そうではなく彼らの実力を向上させて勝たせることに意味がある。
よく見ると、まだ子供のような年齢の兵士も多い。リーダーのグリュートもわたしより若くて、王都の貴族だったらまだ王立学校に行っている年齢だ。スプルースでは、領地を守るために若くから一人前の兵士として訓練を行うのだ。
絶対に勝って、彼らの喜ぶ顔が見たい。
◇
順調に訓練が進んでいる。兵士の方も、わたしの<香力>で出来ることが分かってきたようで、訓練の内容について希望を言ってくれるようになった。剣技や体の使い方については、彼らの方が知識がある。わたしはグリュートに相談しながら、兵士たちの意見を取り入れて訓練を進めた。
兵士たちは1日が終わるころには足腰がふらついている。わたしも大量の<香力>を出しっぱなしなので、同じようにフラフラしている。それでも、みんなが充実感に満ちた顔で笑っている姿を見ると、わたしのやる気も増す。
兵士たちは少しずつ訓練以外のことでも話しかけてくれるようになってきた。わたしも彼らの名前を全員覚えている。たった20日間なのに『仲間』という空気が出来ていて心地よい。
いよいよ明日が対決、という晩のこと。
毎日、食事は簡単な軽食を部屋に用意してもらい、さっさと入浴して死んだように眠っていたが、今日はさすがに神経が興奮して寝付けない。何度も寝返りを打ったあげく、眠ることをあきらめて身を起こした。
広い部屋。あまり装飾がなく、がらんとしている。部屋の奥にバルコニーへの扉が見える。部屋に戻ってきてもすぐに眠るだけだったので、その存在には全く気が付いていなかった。
寝巻の上に上着を羽織って、バルコニーに出てみた。
大きな月が出ていて明るく、夜風が気持ちよい。もう冬にさしかかったはずなのに、まだ寒いというほどではない。そういえばイシル様がスプルースの冬は王都ほど寒くないと言っていた。
城壁の向こうには、森が広がる。ずっと、ずっと続く森。
ここは王都ではないということを改めて思い出す。ずいぶん遠くまで来てしまった。
後ろで扉が開く音がした。振り返るとバルコニーは隣の部屋に続いていて、その部屋の扉が開いたところだった。
イシル様が出てきて少し驚いた顔をした後、すぐに眉をしかめた。
「あんた、また痩せたんじゃないのか。ちゃんと食べて、寝ているのか」
まだ執務中だったのか、きちんとした格好をしている。
「食べてますし、しっかり寝ています。ちょっと<香力>を使いすぎただけです」
イシル様は眉をしかめたまま、ため息をついた。
「あまり、頑張りすぎるな」
「しっかり役に立て、とおっしゃったのはイシル様じゃないですか」
「言ったが⋯⋯無理はするな」
「ありがとうございます」
バルコニーを風が通る。
「明日だな。勝てそうか?」
「ふふふ。絶対勝ってみせます。楽しみにしていてくださいね」
実は結構自信がある。
「そうか、楽しみだ」
イシル様も柔らかく笑う。
「体が冷えるから、もう戻って寝ろ。俺の部屋は隣だから、使用人に言いにくいことがあったら、直接言えばいい」
「部屋、お隣だったんですね。全然気がつきませんでした」
考えて見れば、イシル様と会うこと自体が久しぶりだ。
「婚約者と言ったから使用人が気を利かせて続きの部屋を用意したんだ。もし気になるなら、別の部屋を準備させる」
イシル様が少し困った顔をしている。城の使用人も、わたしをお嬢さんのように子供扱いしているのだろうか。
「わたし、もう大人なので慣れない所で一人になっても、寂しがったりしません。でも、お心遣いは嬉しいです。確かに、隣が知らない方よりは、イシル様の方が心強いですね」
「⋯⋯そうか」
イシル様の心配の仕方がバーノルド先生に似ているせいで、変な親しみを感じてしまっている。仕事のつもりで王都を出発したけれど、この20日間で兵士たちとも仲良くなり、彼らを強くする事はわたしの『やりたいこと』になっている。王都を出発した時点のイシル様への敵対心は完全に消えている。
そのことに、なぜか少し罪悪感を覚える。
「それでは、おやすみなさい」
月を眺めてぼんやりしているイシル様を置いて、部屋に戻った。今度はすぐに眠りにおちた。
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