エルダーの後悔

 侯爵があそこまで強気の手段を取るとは思っていなかった。完全な失敗だった。


 ピオニィが父のユーフォルビア侯爵に連れて行かれた、とバードから連絡があり急ぎ屋敷に戻った。その直前にアベルに送られてきたミネオラが戻っていて屋敷が大混乱に陥っていた。バードから状況を聞き、取り急ぎ使用人たちを落ち着かせる。エマは自身の動揺を隠せないながらも、懸命に他の使用人のなだめ役に回ってくれた。


「どういうことだ。何が起こっている」


 アベルが険しい顔で詰問してくる。もし誘拐ということであれば、騎士としても捨て置けない事だろう。ミネオラも隠し事は許さないといった顔をしている。


 客間に落ち着き、しばらく誰も入らないよう言いつけた。


「しばらく前、スプルース伯爵が僕に『奥方を譲れ』と言って来た」


 王宮で執務中の事だった。突然見知らぬ相手がとんでもない事を言い出したのだ。僕は一笑に付し、理由も聞かず相手にもしなかった。


 何度かしつこく言われ『望みの条件を言え』とまで詰め寄られたが、全く聞く耳を持たない僕に業を煮やしたのだろう、伯爵はピオニィの父侯爵と交渉を始めたようだった。


 不幸なことに侯爵と伯爵の間では交渉が整ったらしく、今度はピオニィの父がとんでもない事を言い出した。僕とピオニィの結婚には不備があり成立していない、と。


「陛下のご命令だろう、ちゃんと手続きがされていたのではないのか?」


 アベルの疑問ももっともだ。


「神殿では認められている。法的な手続きについても完了しているはずだった。それを今になって法的な手続きに不備があった、というのは考えにくい。


 侯爵が初めからこういう事態を想定して不備を作っておいたのか、今回の為にありもしない不備を作り上げたか、どちらかだと思うが分からない」


「それでも、不備くらい今から直せば済む話だ。なぜ不成立となる!」


 僕はため息をつく。


「侯爵があれこれ言い訳をして、手続きを完了させずに、あろうことか全て白紙に戻してしまった。法的には今、ピオニィは侯爵の娘で誰の妻でもない。


 陛下もさすがに口添えしてくれたが侯爵は聞き入れず、傷がついた娘ではなく、まっさらな別の娘を出すとまで言い出した」


 思い出すだけで虫唾がはしる。


「陛下の口添えも、そこまでが限界、ということか」


 宮廷内における侯爵の力は絶大だ。宰相でもある侯爵には、陛下といえど、おいそれとは強く言えない。


 僕の方も対抗手段を探りつつ、何と言われてもピオニィを返さないつもりでいた。侯爵はそれに苛立ったのだろう、思った以上に強硬な手段でピオニィを連れ戻した。


 今までの経験から、手元にさえ戻せば自分の言う事を聞くと思っているのだろう。


「分からないのは、なぜスプルース伯爵がそれほどピオニィに執着するかだ。かなりの条件を侯爵に持ち掛けたはずだ」


 顔色を失ったアベルが頭を抱えた。


「恐らく、うちの訓練場でのことがきっかけだと思う」


 ミネオラがはっとした顔をする。


 2人から訓練場で伯爵と遭遇した時の事を聞く。


「今思えば、奥方は異常に伯爵を警戒していた気がする」


 その時は誰もこんな事態を想像しなかったから、僕には特に伝えなかったのだろう。アベルは謝るが、アベルのせいではない。訓練場に行くことは当然、僕も許していたことだ。


「でも、ピオニィがおとなしく侯爵の言うことを聞くかしら」


 ミネオラの疑問ももっともだ。ピオニィのことだから<香力>を使って侯爵の屋敷を抜け出すかもしれない。


 ただし、逃げ出してもここには来ないだろう。迷惑をかけたくない、と思ってどこか⋯⋯恐らく街に出る気がする。


 コリーナ商店のトマに『ピオニィから連絡があったら、知らせてほしい』と伝える手配をする。ピオニィとの約束があるから家名が分からないよう工夫が必要だ。


 併せてセンセイにも事情を伝える手紙を送る手配をする。侯爵の嫡男でありピオニィのことを唯一気にかけてくれる兄の協力が必要かもしれない。


 アベルはオークリー伯爵から、それとなく情報を得てくれると約束して帰っていった。


 しばらく進展がないまま膠着状態が続いて焦り始めた時だった。王宮でユーフォルビア侯爵が珍しく話しかけて来た。


「色々とご迷惑をお掛けしたが、娘はスプルース伯爵と結婚することを了承した。娘自身が決めたことだ。今まで面倒を見てもらった事には感謝するが、これ以上の余計な手出しは無用だ。感謝の礼と、受け取り損ねている褒賞については、また改めて申し入れをさせて頂く」


 先ほど、婚約の手続きを済ませたとのことだった。準備をしていたのだろう、あまりに早い。


 ピオニィが好んで了承したとは思えない。どういう手を使ったのか分からないが法的に他人の僕には何も出来ない。


 自分の力のなさに打ちのめされた。それでも諦められない。もはやピオニィの為ではなく自分の為だ。ピオニィがいない人生は考えられない。


 部屋に閉じこもる僕にミネオラが扉の外から声をかけてきた。『ピオニィに会えた』と。扉を開けてミネオラを入れる。


 真っ白な顔色のミネオラから、彼女が<香力>を使えなくなっていることと僕への伝言を聞いた。


『自由になるために、戦っているから大丈夫』


 なぜ『助けて』や『待ってる』とは言ってくれない。僕を頼ってくれない。なぜ二度と会えないかのようなお別れを言う。


 それにミネオラは聞き流せない事を言った。『暴力をふるわれているかもしれない』と。父侯爵なのか、スプルース伯爵なのか。自分がこれほど人を憎めるとは知らなかった。


 絶対に許さない。何があっても、どんなことをしても、僕は彼女を取り戻す。

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