兄への挑戦
スプルース伯爵と会って以来、オークリー邸に行くのは気が進まなかったけれど行かない言い訳も思いつかず通い続けていた。幸い、あの後はスプルース伯爵と遭遇していない。
今日はエルダー様も久しぶりに一緒に行く。最近、仕事が忙しかったので体を動かしたいのだそうだ。
「最近の私は、お兄様が思っていらっしゃるより、ずっと強くなっているんですよ」
「いくら何でも、僕がミネオラに負けるわけないだろう」
どうやらミネオラが<香力>無しでエルダー様に勝てると宣言したらしい。負けず嫌いのエルダー様は勝負を受けて立つつもりだ。
ところがオークリー邸に着くなり、わたしたちはリンデル様にお願い事をされてしまった。今日の訓練が終わった後、アベル様と対戦をしたいそうだ。その真剣さは、いつもの練習の延長という様子ではない。
エルダー様とミネオラの対決は先送りにして、今日は3人でリンデル様の気迫がこもった練習に付き合う事にした。あまり熱心にやりすぎると、いざ対戦するときに疲れてしまうのではないかと心配したが、全く聞く耳を持たない。練習相手になっているエルダー様の方が先に音を上げた。
わたしもかなり<香力>を使い夕方になる頃には、3人とももうヘトヘトになってしまいリンデル様だけが気合に満ちている状態だった。アベル様はいつもと全く変わらず、若者たちを熱心に訓練している。
訓練に参加していた若者たちが帰り、いよいよ対決を始める事となった。
「何だ、ずいぶんリンデルは気合が入っているな」
アベル様は待ちきれないと言った様子のリンデル様に半ば呆れている。
立会人はエルダー様が務める。
「はじめ!」
リンデル様からアベル様に打ち込む。アベル様がかわして逆に打ちかかる。強い気迫のリンデル様に比べ、アベル様からは余裕を感じる。現役の騎士の闘いだけあって、動きが早すぎる。わたしには、ふたりの動きを目で追いかけるのが精いっぱいだ。
何度も何度も打ち合いを繰り返すうちに、アベル様に余裕がなくなってきていることに気が付いた。開始直後の余裕がある表情は消えて険しい顔をしている。
体術も交え、激しいぶつかり合いを繰り返す。アベル様がひときわ強く打ちかかるが剣ではじかれる。その反動のすきを狙ったリンデル様の一太刀がアベル様の腕を打ち据えた。
アベル様の手がゆるんだところを、再び強くリンデル様の剣が打ち据える。アベル様が剣を取り落とし、続いたリンデル様の剣がアベル様を鋭く突く⋯⋯寸前で止まる。
「参った」
「勝者、リンデル殿!」
エルダー様が宣言した。
「うぉ――!!!!」
リンデル様が雄たけびをあげる。頬に涙が伝わっている。
あまりの喜びぶりに、エルダー様も、ミネオラも、わたしも、負けたアベル様も呆然とした。
「ど、どうした⋯⋯?」
アベル様が立ち上がり、リンデル様の腕にそっと触れる。
「兄上は! 兄上は今、俺と本気で戦いましたよね!?」
アベル様につかみかからんばかりだ。
「お、おう! 本気だ。本気で戦った。お前は強かった。俺も初心を取り戻して精進しなければならないな」
リンデル様が号泣している。
わたしたちは、どうして良いか分からず、ただじっとリンデル様の気持ちが落ち着くのを待った。しばらくすると、リンデル様がこぶしで涙をぬぐいアベル様の前に両膝をついた。
「兄上、お願いがあります」
「な、なんだ」
アベル様が戸惑って一歩後ずさる。
「婚約者殿を、私に下さい!」
「は?!」
リンデル様は両手も地面に付き頭をたれている。アベル様は完全に固まっている。
ミネオラが、小声でエルダー様に聞いた。
「婚約者って?」
エルダー様が小声で返す。
「アベルには、幼い頃から決まった婚約者がいる。まだ正式に結婚していないが、理由は聞いていない」
しばらくの沈黙の後、アベル様がリンデル様の腕を引っ張り上げて立たせた。
「すまないが、言っている意味が理解できない。もう少し詳しく教えてくれ」
わたしたちは訓練場の端に場所を移した。簡易な椅子が並ぶ。それぞれ思い思いの場所に腰かけた。
リンデル様がぽつりぽつりと話した事はアベル様にとっては思いがけない内容だったようだ。
アベル様と婚約者のリリー様は、幼い頃から決められた仲だったが、特に気が合うわけではなく、たまに会う事があっても話しは弾まず重苦しい雰囲気になってしまっていたそうだ。ふたりで会うのも気づまりのため、間を取り持つようにリンデル様も同席してリリー様と話をすることが多かった。
夜会でも煩わしい付き合いが苦手なアベル様は、リリー様をリンデル様に任せてどこかに消えてしまう事が多く、ふたりの時間が増えるにつれて気持ちが通じ合っていったようだ。
「俺との婚約を破棄して、お前と結婚したいというのはリリーの希望でもある、ということだな」
アベル様が真剣に尋ねる。
「はい。⋯⋯私たちはお互いに家を捨てる覚悟もあります」
リンデル様がうなだれた。
訓練に必死だったのは、アベル様に勝つことで言い出す勇気を持ちたかったのだろう。それだけリリー様への気持ちが強いことが伝わってくる。
アベル様は深くため息をついた。
「それが、ふたりの望みなら、俺に異論はない。後で父上に相談して両家にとって良い方法を考えよう。今まで気が付かなくて、辛い思いをさせたな。悪かった」
リンデル様が再び号泣しはじめた。
固唾をのんで見守っていた、わたしとエルダー様とミネオラも、ほっと胸をなでおろした。
「俺は、これから妻を探さなければならないのか⋯⋯」
アベル様が天を仰いでぼやく。伯爵家の嫡男なのだから結婚しないというわけにはいかないのだろう。
「それなら、私と結婚しましょう」
言ったのはミネオラだ。アベル様が笑う。
「冗談はやめてください。本当に困っているんですから」
ミネオラは立ち上がってアベル様の前に立った。座っているアベル様の目を見て真剣に言う。
「いえ、私は本気です。アベル様、私と結婚しましょう」
アベル様は言葉を失い、目を泳がせ、助けを求めるようにエルダー様に視線を投げた。エルダー様も言葉を失い固まっている。
ミネオラがたたみかけるように続ける。
「他に想う方や、結婚したい方がいらっしゃるのですか?」
「い、いや。特には⋯⋯」
「では、私の家柄がご不満ですか?」
伯爵家の娘のミネオラの家柄が不満といえるようなこの国の貴族はそうそういない。
「そんなことはないが⋯⋯」
「では、私が嫌いですか?」
「え?! いや、嫌いでは⋯⋯」
大柄なアベル様が小さく見える。ミネオラに追い詰められている。
「では、問題無いではないですか。私はアベル様が好きですから、今までのようにお互いに気持ちが無い婚約よりは良いはずですよ」
「へ、好き?」
アベル様の顔は赤毛と同じくらい赤くなっている。
リンデル様とわたしは気配を消して成り行きを見守る。
ここでエルダー様が我にかえったようだ。
「ミネオラ! ちょっと待て、頼む、ちょっと待ってくれ」
立ち上がってミネオラの腕を引いて、アベル様を救出する。アベル様は膝にうつ伏し、頭を抱えてしまった。
「どういう事だ、さっぱり分からない。なぜ、急にこんな話になる!」
困り切ったエルダー様にミネオラは満面の笑みで応える。
「私がアベル様を好きだということです。お兄様は、私の相手としてアベル様にご不満がおありですか?」
「そんな事、考えた事もなかったから、分からない!」
「では、考えてください」
一歩も引く気配がないミネオラの様子を見て、エルダー様は何かをあきらめたかのようだった。
「すまない、アベル。ミネオラはこうなったら一歩も引かない。この話は、日を改めさせてくれ⋯⋯」
わたしたちは混乱するアベル様を置いてお暇したのだった。
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