結婚のからくり

 センセイは出発する直前に僕を訪ねてきた。


「少し、時間をもらえないかな」


 わざわざ王宮で執務中に声をかけてきたということはピオニィには聞かせたくない話をしたいということだ。人がほとんどいない庭園の片隅のベンチに僕たちは腰を落ち着けた。


「ピオニィを君に託したのが誰か、もう分かってる?」

「――いきなりですね」


 センセイのふわふわとした表情は感情を読み取りにくい。


「『マロウおじいさん』じゃないですか?」


 センセイは否定しない。


「そう思った理由を教えてもらえるかな」


 ずっとひっかかっていた。王妃という褒賞は僕の功績に対しては大きすぎる。陛下がピオニィを僕に嫁がせたいと思う、何か他の理由があると考えていた。


「僕の祖父が学問を通じて交流をしていたのは、学者と先の国王陛下です。マロウという名前に聞き覚えはありませんでした。それに、いくら家庭教師のあなたが一緒だからと言って、ユーフォルビア侯爵がどこの馬の骨とも分からない老人と娘を関わらせるはずがない。


 図書館通いを許していたのは、『マロウおじいさん』の正体は退位した先の国王だと知っていたから」


「それで?」


「『マロウおじいさん』はピオニィの行く先を案じて、父侯爵の手の届かないところに逃がしたかった。息子に嫁がせたが、また侯爵が手元に取り戻そうとした。また別の取り引きに使われることを回避するために、僕のところに逃がした」


「残念、不正解。でも、ほとんど正解。いいね、物事を自分で考える人間は好きだよ」


 褒められているのか嫌みなのか、声と表情からは判断がつかない。


「間違っているのはどこですか」

「『マロウおじいさん』の正体は正解。彼女の父から逃がしたかったことも正解。息子に嫁がせた理由が不正解。先の国王陛下は、最初から君にピオニィを託そうとしていた」

「僕に? なぜ⋯⋯」

「試すような真似をして悪かったね。最初から話す」


 センセイは初めて見る、真剣な顔で姿勢を正して話し始めた。


「ピオニィの母親の事は聞いている?」

「閉じ込められていた、と聞いたことがあります」


「貧しい貴族の娘だったピオニィの母親は<香力>の強さを侯爵に気に入られて、お金で買われたんだ。侯爵を受け入れられなかった彼女は、領地の片隅に幽閉されていたそうだ。ピオニィは見た目が父親に似ているからね、全く母親に受け入れてもらえなかったそうだよ。母親はそのまま心が壊れてしまい、――亡くなった」

「⋯⋯⋯⋯」

「ピオニィの一番上の兄――僕の友人だけど、彼が領地の運営を引き継ぐために居合わせて、葬儀などの一切を行ったんだ。夫である侯爵は全く見向きもしなかったそうだよ。侯爵にとっては家族ですら役に立つか、たたないか、の2種類しかないようだね」


 侯爵の酷薄な顔を思い出す。政務でも妻の父としても、必要最低限のことしか会話をしたことがない。


「それでピオニィは王都に?」

「強い<香力>を持つ娘だから手元で管理したかったんだろう。僕の友人は妹が母親と同じ運命をたどりそうな事を哀れに思って、どうにかしてやりたいと思ったんだ。でも、彼には父に歯向かう勇気はなかった。優しい男なんだけど、彼には少し弱いところがある」


 センセイは少し残念そうに笑った。仲の良い友人なのだろう。


「友人は自分に出来る精一杯の事として、私をピオニィの家庭教師につけて彼女の味方を作ろうとした。私の家は裕福ではなかったから、研究を続けるお金が欲しかった。友人の提案は簡単で割のいい仕事だと思って引き受けたんだ」

「仕事とは思えない思い入れを感じますね」


 センセイは笑った。


「ピオニィは利発で素直で本当に愛らしかったよ。その時の私はまだ母親の詳しいことは知らなかったけど、それでも侯爵家でのひどい扱いを知ると、肩入れせずにはいられなかった」


 彼女が王宮から必死で逃げ出そうとしていたことを思い出す。


「侯爵は彼女を外国との接点を持つための道具にしようとしていた」

「外国の?」

「友人からは、今以上に強い権力、国王以上の力を手に入れるため、外国の有力人物と繋がりを持ちたがっている、と聞いた。だから彼女の家庭教師として言語学専門の私を選んだり『マロウおじいさん』に外国語を習わせることを許していたんだ」

「外国に嫁がせるつもりだった、ということですか?」

「嫁がせる⋯⋯とは限らない。一夫多妻の国ばかりじゃないからね。<香力>を欲しがり、自分に利益をもたらす人物が望めば、どんな形でも差し出すつもりだろうね」

「⋯⋯吐き気がします」


 自分の血を分けた娘に、そんなことが出来る親がいるなんて。僕にはその気持ちが全く想像できない。


「『マロウおじいさん』にピオニィを引き合わせたのは私だ。私にはピオニィを助けられる力がなかったから。学者として交流があった先の国王に賭けたんだ。もし彼女を不憫に思ってくれたら、助けを期待できるんじゃないかって」

「賭けはセンセイの勝ちですね」


「いい仕事をしたと思わないか? 予想以上に『マロウおじいさん』はピオニィに肩入れして、彼女の幸せを願ってくれた」

「それが、なぜ僕に託すことにつながりますか?」


「『マロウおじいさん』には確実に信頼できる相手が、君しか思い当たらなかったからだ。国王というのは相手の本当の人となりを知る事が難しいと言っていた。みな国王の前では取り繕って良い面しか見せないから。その点、長年交流があった君のお祖父さんの人となりは良く知っていた。家風もおよそは想像ついただろう」

「でも、孫がいい人間とは限らない」


 センセイは、大仰にため息をついた。


「そこだよ! この私がわざわざ学校の後輩に頼んで学校での君の様子や人となりを調べたんだよ? 極めて面倒だったね」

「その調査に、僕は合格したということですか」

「少なくとも、君はピオニィを幽閉したり利益のために取引に使ったりしないだろう?」

「⋯⋯しませんね」

「それだけでも、侯爵の手元に置いておくよりは安全だよ」


「それが、最初の縁談につながるんですね。⋯⋯でも、侯爵には利がないのに、なぜ話が進んだんでしょう」

「ああ、侯爵は君の実家の領地を狙っているよ。そのことは、今後も気を付けるべきだね」


 さらりと嫌な事を言う。


「国境と海に面しているから?」

「うん、正解」


 バーシュ家の領土はとても豊かだ。そのうえ、国境と海に面しているので外国との繋がりを望むなら手に入れておきたい土地だろう。


「大体、君が最初から縁談を受け入れてくれていれば、国王陛下に嫁がせるなんて面倒な手間をかけなくて済んだんだよ。『マロウおじいさん』としては、君がピオニィとの結婚を断れない状態にするために息子にいったん預けたんだから」


 そのことについては、心の底から後悔している⋯⋯


 センセイは少し苛ついたように、わざとらしく大きなため息をついた。


「もう一度言うけど『マロウおじいさん』は、国王にピオニィを預けたんだ。君はこの意味が分かるか?」

「え?」

「手を出すなって釘を刺して預けたんだ。もし、息子がピオニィを気に入って王太子でも産ませてごらん? 侯爵はますますピオニィに執着して自分の思い通りに動かそうとするだろうね」


 そうすると実態は夫婦ではなかった、ということか。


「ピオニィがまだ国王陛下を慕っているんじゃないか、っていうのは無駄な心配だと思うね」

「――っ!」


 見透かされていた恥ずかしさに、顔に血が上ってしまう。


「今の侯爵は、他の娘に王太子を産ませようとしてピオニィへの関心が薄くなっている。外国の力を借りなくても、王太子を操れたら、この国を好きに動かせるからね。でも、この先はどうか分からない。君は、この先もピオニィを守る自信がある?」


 センセイは、しっかりと僕の目を見て真剣に聞いた。


「自信がないなら、――私が連れていくよ」


 センセイは本気だ。


 もし先生が本気でピオニィを連れて行こうとしたら⋯⋯僕に止められるとは思えない。


「守り切れるかどうかは分かりません」


 僕はゆっくりと自分の気持ちを正直に伝えた。


「でも全てを捨ててでも、彼女を全力で守る努力をします」


 センセイはふっと力を抜いて、いつもの感情が読み取れないふわふわした表情に戻った。


「さすが優等生、満点の解答だね。『守り切ります』なんて確実じゃない約束されたら本当に連れて行こうと思ったのにな」

「彼女に、トマの店で働くことを僕に言わせなかったのは、センセイから僕への試験でしたか?」

「うん、⋯⋯君は合格だ」


 彼女が僕の意に沿わない事をしたら僕がどういう行動に出るか。センセイは確認するために敢えて彼女に秘密にさせたのだろう。センセイが学者らしく自分の目で確認して、やっと僕は認めてもらえたということか。


「昔、彼女は家に帰ることを『お父様の家に戻る』って言ってたんだ。最近は『うちに帰る』って言う」


 センセイの声に寂しさがにじんだように感じるのは気のせいだろうか。


「あとは頼んだからね」


 センセイはそう言い残して、旅立っていった。

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