騎士との遭遇

「ねえ、帰りましょう。エルダー様に知られたら、絶対に叱られる!」


 ミネオラが、止めるわたしの手を引っ張ってずんずん歩く。


「大丈夫よ! お兄様は今、王宮でお仕事でしょう? 見つかるわけないじゃない」


 ミネオラが思いついた『良い事』は、王立学校に剣術の練習をこっそり覗きに行くことだった。建物の中で練習しているかもしれない、と言ってみたけど『とりあえず行ってみましょ』の一言で、屋敷から引っぱり出された。エマに『ふたりでお昼寝するから、部屋には入らないように』と言いつけて、誰にも言わず供もつけず、こっそり抜け出したのだ。


 エルダー様に隠し事をした前科があるわたしは気が気ではない。普段と違う事をする時には相談すると約束している。これは、明らかに普段と違う事だと思う。


「そんなにお兄様が怖いなら、私ひとりで行くから帰っていいわよ」


 わたしがあまりに止めるので、呆れたミネオラはひとりで行こうとする。でも、ひとりで行かせるのは心配だ。


 王立学校には塔があり街のどこからでも良く見える。街に詳しくないミネオラでも、案内無しで道に迷う事なく歩いて行けてしまう。仕方がないので、後をついていく。


 王立学校の周りは、ぐるりと塀で囲われていて中が全く見えない。一周してみたが練習場は外にはなさそうだ。


「見えないから帰りましょう、ね?」


 ミネオラはわたしの声が聞こえないフリをして未練がましく周りを見回している。


「この辺りから、何か聞こえる気がしない?」


 言われてみれば掛け声や硬いものを叩きつけるような音が聞こえる。


「きっと、剣術の練習をしてるのよ! えっと⋯⋯あれ! あの木に登りましょう!」


 塀の近くに数本の木が生えているが、ひょろひょろとしていて心もとない。見回すと、もう少し離れたところに建物3階分はありそうな立派な大木がある。葉もみっしりと生い茂り、目隠しになりそうだ。


「登るなら、こっちの木の方がいいかも」


 わたしが指した木が気に入ったらしい。ミネオラが駆け寄ってしがみついた。そのまま登るつもりらしい。落ちたら危ないしドレスが破けてしまう。


「ちょっと待って!」


 <香力>で登った方が安全だ。ミネオラにぴったりくっつき、ふたりまとめて風で包む。


「わ、わ!」

「危ないから、動かないで」


 図書館で遊んでいた子たちとは違い、ミネオラはこの登り方に慣れていない。わたしはできるだけそっと、ふたりの体を持ち上げた。


 幹に沿って高く持ち上げて、体が安定しそうな枝に降ろす。そのまま枝に腰かけてもらう。落ちそうなので風で体を包んだままにしておく。


「ほんっとにすごいのね」


 ミネオラがしきりに感心している。学校の方を見下ろすと塀の向こうでは剣術の練習をしていると思われる生徒たちが見えた。わたしには、剣を振ったり組み合ったりしている姿は見えるけど<香力>を使っているのかどうかは分からない。


 どうやらミネオラにも分からないようで邪魔な枝葉をかき分けようと身を乗り出す。


「危ないから、あまり前に出ないで!」


 ふたりで、もぞもぞしていると


「そこで何をしているか!」


 下から厳しい誰何の声が飛んだ。枝葉の隙間から見下ろすと木の根元あたりに馬に乗る男と徒歩の男、2人の人影がある。

腰に剣を下げているようだ。衛兵だろうか。


 ふたりで顔を見合わせたが、どうして良いか分からず固まった。


「ちょっと静かにしてましょ」


 ミネオラがささやく。静かにしていたら気のせいだと思って立ち去ってくれるかもしれない。


「降りて来い!」


 徒歩の男が、大声で叫ぶ。ふたりでじっと身をひそめる。


「降りないと、矢を射かける!」


 それはまずい。


「射られる前に降りましょう」


 わたしの言葉にミネオラがうなずいてから叫び返した。


「いま、降ります」

「女?!」


 驚く声が聞こえる。姿までは見えていなかったようだ。すぐに降りたいとは思うけれど問題がある。


「あのね、ちょっと困ったことがあるの。登るときは、体を包んだ風に<香力>を集中して持ち上げたのね」


 何でもないような口調に聞こえるように気を付ける。ミネオラがうなずく。


「降りる時は、地面から上空に強い風を吹き上げて、そこに飛び降りることになるの」


 ミネオラの顔が不安そうになった。


「もちろん、落ちる速度は緩められるから危なくはないんだけど、下に人がいると巻き込んでしまうかもしれない」


 王宮から脱出しようとしたときに、エルダー様を吹き飛ばしてしまったことを思い出す。


「だから<香力>を出来るだけ弱くしないといけなくて。ちょっと快適に降りるのは難しいかもしれない。でも、怪我はさせないから安心して!」


 安心できないよね、と思ったけれどミネオラはにっこり笑った。


「分かった。任せる!」


 よかった、度胸がある。


 わたしの体にしっかり捕まってもらい、腰かけていた枝からお辞儀をするようにくるりと体を投げ出す。体を風で包んでいるので、ドレスの裾がめくれたりはしない。下の人たちにはしたない姿を見られる心配はない。


 そのまま、木から少し離れたところに降りれるように少しだけ位置をずらしながら落下させた。下から最低限の風を起こそうとしたところで⋯⋯


「危ないっ!」


 馬上にいた男が馬から降りてわたしたちの真下に駆け寄ってきた。わたしたちが落ちたから助けようと思ったのか。来る方が危ないのに。


「来ないで!」


 声をかけるが、間に合わない。しかたなく吹き飛ばす覚悟で、ミネオラとわたしを受け止める風を起こした。


 わたしたちは、ふわりと地面に降り立った。


 男性を見ると意外にも、しっかり立って風をこらえていた。片腕を顔の前に上げて目を守り、反対の手でもう一人の男の腕をつかんで吹き飛ばないように支えて、足を踏みしめている。


「申し訳ありません、大丈夫ですか?」

「<香力>か⋯⋯」


 風をこらえた男性は顔の前から腕を下ろし、こちらをまじまじと見た。大柄で長めの赤毛を後ろで束ねている。馬に乗っていたことや服装からみて騎士のように見える。


 吹き飛びかけた男性は赤毛の男性の従者だろうか。まだ心が平常にもどらないようで、ぽかんと口を開けてわたしたちを見ている。


「お前たち、何者だ」


 厳しい声で質される。ミネオラが、すっと姿勢を正してはっきりした声で答えた。


「私はバーシュ伯爵家の娘、ミネオラです。そして、こちらは伯爵家嫡男の妻、ピオニィです」


 わたしたちは、ドレスの裾をつまんで貴族の令嬢らしい礼をした。


 赤毛の男性は、鋭い眼差しでわたしたちを見分している。


「とても伯爵家のご令嬢と奥方の振る舞いとは思えませんが」


 ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。


「最近、賊が増えていて押し入る前には周到に下見をしていると聞きます。女を使って、油断させる⋯⋯ということもあるでしょうね」


 わたしの手をギュッと握るミネオラの手は冷たくなっている。


「衛兵に引き渡して、しっかり取り調べをしてもらいますか」


 どうしよう。衛兵に捕まったら絶対にエルダー様に知られてしまう。<香力>で思い切り、この人たちを吹き飛ばしたら逃げられるかもしれない。でも、もう名乗ってしまったから手遅れだろうか。


「――でも、あなたはお兄様によく似てますね」


 赤毛の騎士は急に優しい口調になり、ミネオラの顔を見てふっと笑った。そして、わたしに向かって続けた。


「<香力>はやめてください。あなたの力が相手では、手加減するのが難しいですから。怪我をさせてエルダーに恨まれるのは、勘弁願いたい」

「兄をご存じなのですか?」


 ミネオラが少し震える声で赤毛の騎士に尋ねた。


「私とエルダーは、学校の同窓で友人です」


 アベル・オークリー、とその騎士は名乗って優雅な礼をした。


「ご事情がおありのようですが、もうすぐ日が暮れるので物騒です。私がおふたりを屋敷までお送り致します」


 アベル様は従者に何かを指示し、自分の馬を預けた。そして、わたしたちを促して、屋敷へ向かって歩き出す。


「エルダーはこの事を知らない、ということですね?」


 アベル様はミネオラから少しずつ事情を聞き出す。


「お兄様に言いつけますか?」

「はい、当然ですね」


 アベル様は容赦ない。


「私の妻と妹だったら、しっかり叱って、しばらく外出禁止にするでしょうね」


「平気よ! 私はお兄様に叱られなれているもの! ピオニィの分まで怒られてあげるから、大丈夫!」


 しかし、ミネオラが強がっていられたのはアベル様の従者からの連絡を受けてすぐに屋敷に帰ってきたエルダー様の鬼のような形相を見るまでだった。


「ふたりだけで出掛けて?! 木に登った?! しかも<香力>で?! それで学校の練習場を覗いていた?!」


 エルダー様の額に青筋が浮いている。かなり怒っている⋯⋯。


 私とミネオラはぴったりくっついて客間の隅に立つ。エルダー様が怖くて少しずつ後ずさった結果、壁まであと数歩しかない。


 アベル様は面白そうな顔をして見物していたが、顔面蒼白のわたしたちを気の毒に思ってくれたのか助け船を出してくれた。


「エルダー、その辺にしてやったらどうだ? ふたりとも反省してるんじゃないか?」

「いや、ぜっっったいに反省してないね。僕には分かるよ。ふたりとも見つかった事は失敗したと思ってるけど、やった事自体を悪いとは思ってないよ?!」


(すごい、何で分かるの?!)


「ほら、ピオニィ! 顔にしっかり書いてある」


 ミネオラに腕でドンと小突かれた。


 ついにアベル様は腹をかかえて笑い出した。


「悪かった、アベル。妻と妹が大変な迷惑をかけて申し訳なかった」


 エルダー様は、深いため息をつく。


「見つけてくれたのが君じゃなかったら、面倒なことになっていたかもしれない。本当に助かった」


 エルダー様がアベル様に頭を下げる。わたしとミネオラも、無言で深く頭を下げた。


 アベル様は笑いすぎて目ににじんだ涙をぬぐう。


「まさか、あんなところにいるのが女性だとは思わなかったから、声を聞いた時には本当に驚いたよ。しかも、それが君の奥方と妹君とは。でも、安心した」


 アベル様が、姿勢を正してエルダー様に向き直る。


「最近の君とは話す機会がなかったから、新婚生活が順調なのか気になってたんだ。いや、楽しそうで何よりだ」


 エルダー様は苦い顔をしている。


「なぜ、練習を見学したかったの?」


 アベル様がミネオラに尋ねる。


「王都の剣士は<香力>を使って戦うと聞きました。私は鍛錬しても男性に力では勝てないので<香力>を上手く使ったら強くなれる気がしています。だから練習を見てみたかったんです」

「エルダーに相談しなかったの?」


 ミネオラはちらりと兄を見て言った。


「兄は、わたしが騎士を目指していることが気に入らないんです」


 エルダー様は否定しない。


「あの、アベル様は騎士ですか?」


 ミネオラが身を乗り出して聞いた。


「うん、そうだよ」

「<香力>を使って戦いますか?」

「俺は使わない」


 アベル様は記憶を探るように視線を泳がせた。


「だいぶ前に一度だけ戦いの最中に<香力>を使う剣士を見た事はある。かなり強かったけど、この国の剣士じゃない。俺が知る限り、この国の剣士でそういう戦いをするやつはいない。外国では<香力>を使いこなす剣士がいると聞いた事があるけど、詳しいことは知らない。


 剣に集中しているときに<香力>を意識して出すのは難しい。大抵の人は、どちらかに気を取られてしまうんだ。だから、王宮でも学校でも<香力>を使った訓練はしていない。


 そもそも、剣士は自分の技で戦うことを潔しとするから、<香力>を邪道だと考える者が大半だろう」


 ミネオラがしょんぼりした。


「私も色々試してみたんです。でも、おっしゃる通り、両方に集中するのは難しくて。私、強くなって騎士になりたい」


 アベル様は少し迷うようにエルダー様を見た。


「うちの屋敷で、剣士を目指す若者に剣術を教えている。俺が休みの時だけだから頻繁には教えられないけど、良かったら一度来て訓練を受けてみる?」


 ミネオラが目を輝かせてエルダー様を見ると、苦々しい顔のまま軽く頷いてくれた。


「ぜひ、お願いします!」


 嬉しそうなミネオラを見て、アベル様はにっこり笑うと、わたしにも言った。


「奥方も見に来る? 気になるでしょう」


(気になる!)


 エルダー様はやっぱり苦々しい顔のまま、わたしにも軽く頷いた。


「わたしもお願いします!」

「止めてあきらめるような君たちじゃないだろう。それなら、目の届くところにいてくれた方が安心できるよ」


エルダー様は疲れたように、大きなため息をついた。

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