新しい仕事と、本物の妹

 エルダー様のお仕事の手伝いをさせてもらえるようになった。


 トマの家の仕事が終わり、先生が少し忙しくなって図書館に行きにくくなり、最近は庭師のブッテさんのお手伝いばかりしていた。エマとお菓子を作っても、わたしが作ると花の香りが強くついてしまい、何でも同じような味になってしまうし、刺繍やお花を活けるのは、あまり向いていなかった。


 わたしが時間を持て余し気味だと気づいたのだろう、夕食後の図書室でエルダー様から使える外国語の種類を聞かれた。


「ザルカディア語と、ルービン語、パルジ語、キシアレイ語は、読み書き、会話まで出来ます。フミト語とホンキィ語は読み書きは出来ますが、会話が少し苦手です。あとは辞書があれば、どうにか読み書きできる言葉が何個かあります」


 エルダー様が呆然とした顔で固まった。


 一番得意なザルカディア語でも、たまに辞書は必要だし、わたし自信過剰な言い方をしてしまったかもしれない。


「出来るって言っても、その国の人には全然及ばないので、えっと」


 恥ずかしくなって、顔が熱くなってきた。


「ごめん、ちょっと驚いて。⋯⋯語学が得意とは聞いてたけど、本当にすごいね」


 エルダー様は少し考えてから切り出した。


「もしよかったら僕の仕事を少し手伝ってもらえないかな」

「エルダー様のお仕事ですか?」


「うん。外国語の書面のちょっとした翻訳を手伝ってもらいたい。例えば、各国と取り決めをする場合に、条件や質問をそれぞれの国の言葉で書面にするんだけど、今はそれぞれの国の担当に翻訳してもらっている。そのために、内容を全員に理解させる必要があるんだけど、完全に同じように理解させるには時間と手間がかかる」


 きっと、文字通り翻訳するだけじゃなく、正しい意図を伝えられる言葉を選ぶ必要があるのだろう。国の文化や国民の気質まで理解しないと、誤解を招く表現も出てくるはずだ。


「翻訳せずに送って、先方の国で翻訳してもらう方法もあるけれど、正しい意図が汲み取られるか分からない」


 誤解される恐れが少しでも減らしたい、ということだ。


「トマの店での君の仕事内容について、フィオナ様にお聞きした時に正直なところ驚いた。ただ読み書きが出来ればいい、という内容ではなかったから。文化的な背景⋯⋯たとえば礼儀とか忌避されることとか、そういう細やかな点にも気配りが必要な仕事だと感じた。代わりの人が簡単には見つからないのは当然だよ。君に目をつけたトマは、良い商人になるだろうね」


 そんなに、褒めてもらえる事だったのか。確かに頑張って勉強はしてきた。


 王妃時代は実際に公務には出なかったけれど、各国の賓客をもてなせるだけの知識と語学力についてかなり学んでいた。父にも将来どの国に嫁ぐか分からないからと勉強することを求められた。だから言語学者のバーノルド先生が、わたしの家庭教師に選ばれたのだ。


「王宮の方の仕事でも、父の領地の方でも、こなしきれない物が溜まりがちなんだ。君のように何か国語も出来る人がいると本当に助かる。君の負担にならない範囲でいいから、少し手伝ってもらえると嬉しい」


 トマのお店の仕事内容を見て言って頂いているなら出来そうな気がした。初めて頼ってもらえたのも嬉しい。


「喜んで、お手伝いさせてください」



「お兄様!」


 長身の女性は屋敷に入るなりエルダー様に抱きついた。


「ミネオラ、久しぶりだね」


 エルダー様が嬉しそうに笑っている。


 ミネオラさんは続いてエマとバードにも抱きつき、こちらを見て少しためらった後、わたしのことも抱きしめてくれた。


「はじめまして、お義姉さま。ミネオラです」


 エルダー様と同じ草原の香りがする。涼やかな柑橘の香りが混ざっているところが少しだけ違う。


「はじめまして、ピオニィと申します」


 わたしは丁寧にお辞儀をした。バーシュ家の人たちは使用人もふくめて、抱きつく、手を握るなどの触れ合いが多い。最初は戸惑ったけれど最近はすっかり慣れた。


 居間に落ち着いて改めてミネオラさんを見てみる。エルダー様とそっくりだ。女性にしては背がすらりと高めで、雰囲気もキリリとして甘さがない。後ろに結い上げた髪もエルダー様と同じ紺色で、切れ長の瞳もそっくりだ。わたしと同じ年だと聞いたけれど、とても大人っぽく見える。


 ミネオラさんも、わたしのことを観察しているようだ。


「お兄様が、全然領地に連れて来てくれないから、気になって見に来ちゃった」


 じっと見つめられて恥ずかしくなってきてしまった。


「書類を持ってくるのが、役目だっただろう? 肝心なものは持ってきたのか?」


 エルダー様が呆れたように言う。


 ミネオラさんが来た目的は、わたしが翻訳するための領地の書類を持ってくることらしい。エルダー様は他の人に届けさせようとしたのだけど、ミネオラさんがどうしてもと言って役目を引き受けたそうだ。


「バードに渡しておきました! それより、ピオニィさん、私たち同じ年齢ですから、私の事は『ミネオラ』と敬称なしで呼んで下さい。私もおなじように『ピオニィ』って呼んで良いですか」


 わたしがうなずくと、ミネオラは嬉しそうに笑てわたしの手を取り立ち上がった。この屋敷には、何度か来たことがあるだけだから案内して欲しいと言って、エルダー様が止めるのも聞かず、私の手をつかんだまま屋敷中を駆け回った。


 ただ、庭に行く時だけは慎重だった。幼い頃に一度、花壇を台無しにしてブッテさんを激怒させたらしい。図書館で友達たちと遊んでいた時を思い出す。友達が出来たようで嬉しい。


「私の夢は騎士になることなの」


 ミネオラが教えてくれた。


「小さい頃から剣術が好きで鍛錬を積んだのだけど、お父様が騎士には推薦出来ないって」


 各領地の領主が推薦すると、王都で騎士の見習いを選抜する試験を受けることが出来る。その推薦が出来ないと言われたそうだ。


「女性だからではなく他の人よりも弱いから。どんなに鍛えても、どうしても力では男性に敵わない。身軽さだけでは相手を倒すことが難しいの」


 ミネオラが服をめくって見せてくれた腕は、わたしよりはずっと筋肉がついている。それでも服を戻してしまうと普通の女性と変わらない線の細さで、男性のような力強さは感じない。


「でもね、王都には<香力>を上手く使って、力を補う事が出来る騎士がいるって聞いたの」

「<香力>を?」

「そう。<香力>で力を補ったり、相手に攻撃をしたりするって」


 確かに使い方によっては可能かもしれない。でも<香力>を使うことは騎士の美意識に反しないのだろうか。


 そう尋ねると、ミネオラも首をかしげた。


「分からないの。どうやって使っているのか本当に使っているのか。ねえ、ピオニィは騎士を見たことがある?」


 隊列を組む姿や、馬上槍試合は王宮で見たことがあるけれど、<香力>を使っている気配はなかったし、儀礼以外で剣を抜く姿を見た事もない。


「訓練しているところもない?」


 王宮にも騎士が集まる場所があるとは聞いたことがあるけれど行ったことはなかった。そこで練習をしているかどうかも知らない。


「うん。⋯⋯ごめんね。こんなことなら覗いておけば良かった。ミネオラは<香力>が使えるの?」

「少しね。お兄様よりは強いのよ。ピオニィはとても強いって聞いたけど。ね、ちょっと見せて!」


 <香力>の強さを人に説明するのは難しい。庭に出て試したいところだけど、ミネオラが庭師のブッテさんを恐れるから、わたしたちはお茶で試すことにした。


「まず、私からいくから、見てて」


 ミネオラは集中すると、お茶だけをカップから浮き上がらせた。お茶はこぶしくらいの大きさで空中に浮かぶと、やがて静かにカップに戻った。草原の香りに柑橘が混ざった涼やかな香りが強く立ちのぼる。


 このくらいの強さだと風でちょっとした物は吹き飛ばせるけれど、人を持ち上げるほどには動かせないといったところだ。


 <香力>があるとは言えるけれど、このくらいの強さなら10人に1人程度いるので珍しくはない。人を浮き上がらせるくらいになると『強い』となるが街に1人いるかどうか、というくらい存在が少なくなる。


「このくらいが限界。ピオニィは?」


 どうしよう。あまりやりすぎるのも嫌みにならないだろうか。わたしの迷いを察知したのか、ミネオラがくぎを刺す。


「出し惜しみしないで、全力見せてよね」


「じゃあ、いくね」


 わたしはお茶をカップから浮き上がらせると、部屋のなかをぐるぐる回らせた。細かい粒にして散らせて、また集めてカップに戻す。繊細な制御はかなりの力がないと出来ないことだ。部屋の中が花の香りでいっぱいになった。


「すごい! 私と比べものにならないじゃない! 王都にはこんなに<香力>が強い人がたくさんいるの?」


 図書館に来ていた、貴族に嫁入り出来るほど<香力>が強い女の子たちでも、わたしよりはずっと力が弱かった。わたしの場合は『特別に強い』と言われていて、陛下に嫁ぐ時に言われたのは『知る限り王都で一番強い』だった。


「そんなにいないかも。わたし<香力>だけが取り柄で王家に嫁入りしたくらいだから強い方だと思う」

「そしたら、私くらいの強さでも、剣術に使えると思う?」

「ごめん、全然分からない⋯⋯」


 ミネオラが試したところ、剣に力を込めた時と込めていない時で比べて見ても、切れ味の違いがあまり分からなかったらしい。戦いながら<香力>を出すのは集中できなくて難しかったとのこと。実際に<香力>を使って戦うところを見てみるしかない、そう思って王都に来たそうだ。


「ピオニィに会いたかったって言ったのは本当よ。あの女性に見向きもしなかったお兄様が、選んだ人ですもの」


 エルダー様は選んでない。ミネオラがどこまで事情を知っているのか分からないから、あいまいにほほ笑んで話題をもとに戻した。


「それで、戦うところをどうやって見るの?」

「王都が長いピオニィなら知ってるかと思ったけど、ピオニィも見た事が無いなら難しそうね」


 ふたりで戦いを見る方法を考えてみたけど良い知恵が浮かばない。平和なこの街で、本当に戦っているところなんか見れない。騎士が訓練している場所も分からない。


「そうだ、王立学校はどう? お兄様も、学校では剣術の訓練をしてたって聞いたことがある」

「エルダー様に聞いてみましょう!」

「あ、それはダメ。お兄様は、私が騎士になるのは反対なの、危ないって。何度話をしても反対するの、過保護なのよ。実力で判断してくれるお父様の方が、まだ理解があるわ」


 でも、わたしたちは王立学校に入れない。他の方法を考えようとしたら、ミネオラがにやりと笑った。


「良いこと思いついちゃった」


嫌な予感がする。

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