物見の塔

 新しい従業員が見つかったと聞いたのは、約束より少し長めの1か月が経ったころだった。このままの日がずっと続けばいいと思っていたので、とても残念だった。


 図書館に帰る道すがら、トマが珍しくまじめな顔で言う。


「ザルカディアの品物は人気があるし、この国の商品もザルカディアでは人気だ。だから、ザルカディアの担当は二人いていいと思っているんだ。ばあちゃんもピオニィがいなくなったら寂しがる。俺も、一緒にいられるのが嬉しい。だからもし今の家を出る気が⋯⋯」


 次の角を曲がったら図書館が見える。何気なくその角に目を向けて、そこに立つ人影が目に入ったとたん、周りの音が消えた。


 背が高い男性が、腕組みをして塀に背を預けて寄りかかっていた。その濃い色の髪には、傾きかけた日差しが反射して光を放っている。シンプルな白いシャツは決して目立つ服装ではないのに、人込みの中でも何故か目を惹く。


(エルダー様だ)


 急に足をとめた私を置いて進みかけて、トマが慌てて戻る。


「ごめん、急に変なこと言って。でも、ずっと考えていたことで⋯⋯ピオニィ?」


 エルダー様が壁から身を起こして、ゆっくりとこちらに向かってくる。表情は柔らかいのに、刺し貫かれるほど強いまなざしが私を捕らえて離さない。


 いつもの優しいエルダー様ではない。これは⋯⋯怒っている、と思う。しかも、かなり。


「こんなところで、何をしているのかな。僕の奥さん。図書館にいると思っていたんだけど」


 事態を察したトマの顔から一気に血の気が引いた。私の顔色も同じくらい真っ白になっているだろう。


(先生、エルダー様が怒っています! やっぱり伝えた方が良かったのでは!)


「⋯⋯エルダー様こそ、どうしてこちらに?」

「僕の質問に答えて」


どうしよう。なんだっけ、聞かれたのは何をしているか、だったかしら。何て言えば⋯⋯。


「えっと、お仕事をさせていただいて。わたし、ザルカディア語の読み書きが出来て。フィオナ様がいらっしゃって、代わりの方が見つからなくて。あ、いえ、もう見つかったんですけれど、お手紙書いたりして⋯⋯」


 自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。みるみるうちに頭に血が上って、視界がグラグラする。汗が噴き出てくる。心臓が口から飛び出てきそうだ。


「センセイはどうしたの?」

「先生は、図書館にいます」


 先生が知っている、と言ったら先生の立場が悪くなりそうで言えない。真っ赤になってうろたえる私をみて、一足先に冷静になったトマが私を庇うように一歩前に出て会話に割り込む。


「私が無理やりお願いしました。申し訳ございません」


 深々と頭を下げる。


「きみは?」


 エルダー様が不愉快そうにトマを見下ろす。


「私はコリーナ商店のトマと申します。うちのザルカディア語の交易書類を担当している店員が、急な病に倒れてしまい、困っていたところを、ピオニィさんに助けて頂いております」

「なぜ、僕の妻なのかな?」


 冷たい言い方。他人にこんな風に接するエルダー様を初めて見た。


「斡旋屋でも見つけるのに数週間かかるとのことで、つい親しくさせて頂いているピオニィさんに甘えてしまいました」

「へえ、親しく? 僕の妻と?」


 エルダー様は不機嫌さを隠そうともしない。顔が整っているだけに半端ない威圧感が醸し出される。


 エルダー様がトマを軽く押しのけてわたしの腕を取り、自分の方に引き寄せた。強くつかまれているところが少し痛い。


「失礼な言い方をして申し訳ありません。ピオニィさんとは子供の頃から図書館で一緒に勉強を教わっておりまして、そのご縁で今でも親しくお話させて頂いております」


 トマが迫力に負けず答える。トマも先生に気を遣って名前を出さない。


(さすが、大人のように働いているトマ! 役立たずなわたしでごめんなさい!)


 エルダー様が私の肩を強く抱く。そのまま身をかがめ、私の顔をのぞきこむ。


「これって、不貞を働いているって疑われても仕方ない状況だよね?」

「ふ、不貞?!」


 本当の夫婦じゃないから違和感はあるけど、客観的にはそう見えてもおかしくない。トマはわたしたちが本当の夫婦だと思っているから、なおさら何と言えばいいのか困っているようだ。


 追い詰められた私たちはコリーナ商店まで引き返し、フィオナ様に助力を請うことにした。


 お店に入ると、エルダー様は不機嫌そうな顔は崩さなかったものの、中が珍しいのか、あちこちに興味深げな視線を投げている。


「まあ、まあ!」


 執務室に3人そろって顔を出すとフィオナ様は何故か楽しそうに笑った。わたしたちに掛けるよう促し、使用人にお茶を命じる。


「エルダーと申します。妻がお世話になっております」


 さすがに不機嫌なエルダー様もフィオナ様には丁寧に挨拶をした。


「お顔を上げてください。⋯⋯お世話になっているのは、わたくしたちのほうです」


 フィオナ様は深々と頭を下げてから、私の手をそっと取る。『安心して』と柔らかく握っていただき少しだけ心が落ち着く。


 使用人がお茶を出し終えたところで、改めてフィオナ様がここに至る経緯とわたしの仕事内容を説明してくれた。


「私どもがピオニィさんの優しさに甘えて、困った立場に追い込んでしまいました。悪いのは全て私どもです。どんなお怒りでも頂戴いたしますので、どうぞピオニィさんをお叱りにならないで頂けないでしょうか」


 フィオナ様は立ち上がって深々と頭を下げ、トマもそれに倣う。


 わたしも慌てて隣に並び、フィオナ様よりもトマよりも深く頭を下げる。


「エルダー様、勝手なことを致しまして申し訳ございませんでした。

わたしが好きでさせて頂いたことです。どうか、フィオナ様とトマさんにお怒りになることは、ご容赦くださいませ。お叱りはわたしだけが頂戴いたします」


 しばらくの沈黙の後、エルダー様がため息をつく。


「叱るって⋯⋯僕は状況を知りたかっただけです。みなさん、頭を上げてください。ほら、ピオニィも」


 恐るおそる頭をあげる。


「フィオナ様、代わりの方がいらっしゃるのは来週でしたか?」

「はい、3日後には必ず」

「ピオニィ」


 エルダー様がわたしの目をまっすぐにのぞきこむ。


「君は、あと3日間つづけたい?」

「はい、最後までやりとげさせて、頂けないでしょうか」


 お願いします、祈るようにエルダー様の顔を見つめる。


 エルダー様は仕方ないな、といった様子で優しく微笑むとフィオナ様の方に向き直った。


「恐れ入りますが、あと3日間お世話になります。ただし――」


 とトマに向き直る。


「送り迎えは僕がします。着替えもご準備頂かなくて結構」


 トマは不満そうな顔をしたが素直に頭を下げた。フィオナ様は楽しそうに笑った。


「私の孫は、ずいぶんと勝ち目のない勝負に挑んだものね」



 トマの見送りを断り、エルダー様と並んで街を歩く。


「少し、寄り道をしよう」

「でも、先生が⋯⋯」


 私の戻りが遅いと心配させてしまう。


「それなら大丈夫。君に会う前に声をかけて先に帰ってもらったから」

「先生にお会いになってたんですか?」


 エルダー様が苦笑する。


「まあね。でもセンセイは君に聞けって、何も教えてくれないんだ。僕がイライラするのを、楽しんでいるみたいだったよ」

「⋯⋯申し訳ありません」


 エルダー様は迷子になるから、と私の手を取って人ごみを抜けて進む。


「どうしてエルダー様はお気づきになったのですか?」


 エルダー様は答えず進んでいく。


 王宮と図書館のちょうど中間に位置する場所に王立学校がある。貴族の男子が教育を受ける場で、敷地内には校舎や剣術の練習場、馬場などが広がっている。その外れの、古びた塔の前でエルダー様が足を止めた。


「物見の塔?」

「ここは有事の時のためのものだから、普段は使われていないんだ。鍵も――」


 エルダー様が慣れた手つきで、扉の鍵をはずす。


「かかっているように見せかけて、ただ付けているだけだ。いざという時に、カギを取りに行っている暇はないでしょ?」


 いたずらっぽく笑う。


 案内されて、階段を登る。軽く息を切らして頂上にたどりつく。


(――海!!)


 街の向こうに濃紺の水と水平線が見える。太陽が落ちはじめ、空と海が少しずつ赤く染まる。


 初めて見た海は大きくて、広くて、絵画や本の挿絵で見るものとは全然違っていた。いや、見た目は同じなのだけど、胸に迫るものが違う。


「本物の海、はじめて見ました。⋯⋯こんなに遠くまで広がっているの」

「学校に通っていたときに見つけたんだ。剣術で負けたり、試験で失敗したり、悔しいことがあったとき。ここで景色を眺めると、全て些細なことに思える。――こっちも見て」


 振り返ると、夕日に染まる街が広がる。王宮から図書館まで、みんな赤く染まって絵画のように美しい。心が震える。


「最近も執務の合間にたまに見に来ていた。君がいるかなって図書館を眺めるのも楽しいし」


 エルダー様がわたしの顔を見てくすくすと笑った。


「まさか、変装した君が出てくるとは思わなかったな」


(――なるほど)


 図書館からコリーナ商店への道がここから良く見える。とはいえ、よく注意しないと人の顔までは分からない距離だ。上手く変装したつもりだったけれど、浮いていただろうか。


 そう問うと、ますますおかしそうに笑われてしまった。


「いや、素敵な街のお嬢さんになっていたよ。よく似合うね」


 恥ずかしくなって顔が熱くなる。


 今日は裾がふわふわと広がるレモン色のドレスを着て、同色の幅が広いリボンで髪をまとめている。


 エルダー様が私の頭に手を伸ばし、リボンをほどいて髪を解く。

風で広がった髪を見て少しまぶしそうな顔をした。


「ひと月もこんな⋯⋯全然気が付かなかったな。参ったよ。センセイが許しているなら危険はないだろうとは思ったけど、このままどこかに行ってしまうんじゃないかと思って⋯⋯待っている時間がとても長く感じた」

「エルダー様に隠していて、ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした。最後まで仕事をすること、お許し頂いてありがとうございます。」


 一歩下がって、深く頭を下げる。


 夕日が沈み、辺りが薄暗くなってきた。


「滅多にない君のお願いだ。喜んできくよ」


――でも、とエルダー様が続ける。


「センセイは知っていて僕は知らなかった、というのは傷ついた。次はちゃんと僕に話してほしい。君が思うほど石頭ではないつもりだよ。閉じ込めておくつもりもないし、君が思っていることを知りたかった」


 エルダー様の草原の香り、草や花の香りが混ざった爽やかな香りを感じる。


 伝えるとしたら、どう話していただろう。バーシュ邸を出て一人で生きていく練習だと言えただろうか。まだ、この先どうしたいかの答えを言える自信もないのに。


 このままここにいたいと、うっかり口に出してしまったら?優しいエルダー様は嫌とは言えないだろう。


「申し訳ありません。どこまで伝えたらご迷惑になるか、逆に何を伝えないといけないのか、よく分からないのです」


 エルダー様は少し悲しそうな顔をした。


「僕は君の事を知りたい。何をしたくて、どう思っているか。何か、いつもと違う決断や行動をする時には、それがどうしてなのか教えてほしい」


 エルダー様がわたしの目をしっかり見て、ゆっくり伝えてくれる。


「もちろん、やりたいという事を全て『いいよ』って言ってあげられるかどうか分からない。でも、例えば僕がそれを反対したとしても、僕はちゃんと理由を君に伝える。君は僕に従うんじゃなくて、その理由に反対する気持ちがあったら言えばいいんだ。相談されることも、君の気持ちを聞くことも、迷惑じゃない」


 父の妻たちは父に何か言うとひどく叱られていた。陛下からは命令しか頂かなかった。でも、エルダー様はわたしの気持ちを伝えて良いと言う。最初にも同じことを言ってくれていた。


 先生の他に、わたしの気持ちを聞きたいと言ってくれるのはエルダー様だけだ。


「僕もセンセイみたいに頼られたいんだ」


 言葉から温かさが伝わってきて全身が包み込まれるようだ。


(どうしてこの人は、こんなにわたしに優しくしてくれるのだろう)


 普通の『家族』はこういうものなのだろう。その『家族』に入れてもらえていることが嬉しい。


「ありがとうございます。覚えておきます。」


 エルダー様はしばらくわたしを見つめた後、いたずらっ子のような顔をした。


「さあ、まだ行くところがあるよ」


 行き先は洋服店。残り3日分の衣装だ、と言って何着もとっかえひっかえ着せられる。


「これは似合うね!⋯⋯でもそっちの水色も捨てがたいな。

――あいつ1か月もこんな楽しい思いをしてたのか」


(あいつ?楽しい?)


 わからないけれど、エルダー様は洋服を買うのがお好きなようだ。たくさん買ってご機嫌そうなので、ひとつ我儘を言ってみる。


「家柄のこと、トマには秘密にして頂けないでしょうか」


 エルダー様の眉がキュッと上がる。


「身の程知らずな想いは、きっぱりさっぱり断ち切るべきだね」

「トマはそんな! わたしたちとのつながりを笠に着たりなんてしません!」

「いや⋯⋯そうじゃなくて⋯⋯」


 トマは私を下級貴族の妻くらいに思っている。さすがに侯爵家の娘、元王妃、伯爵家嫡男の妻と知ったら今まで通りの態度は望めないと思う。


「仲良くしてくれる、大切な友達なんです」


 エルダー様はしばらく渋い顔で考え込んだ後、仕方ないと言った様子でため息をついた。


「わかった」


 そして、わたしの片手を引いてやさしく言った。


「家に帰ろう」

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