エマのなれそめ

 今日は先生が忙しいので図書館もお仕事もお休みだ。先生も自分の仕事があるので、毎日わたしに付き合うわけにはいかない。


 先生はもう学者として高名なので仕事も多い。先日まで外国に行っていたのも、国からの調査を請け負ってのことだ。父はもう家庭教師を頼んでいないし、もちろんエルダー様も頼んでいない。先生がわたしに教えたり構ってくれるのは、お仕事ではなく完全に厚意でのこと。


 いつまでも先生離れできなくて申し訳ないとは思うけれど、わたしからは離れられない。絶対嫌だ。


 庭で花を眺めていたらエマが『一緒にお菓子を作りませんか?』と誘ってくれた。厨房ではエマの旦那さんのハントが、食材の確認をしている。


 わたしは料理には向かない。


 父の屋敷にいた頃も王宮でも厨房に入ったことすら全く無かったので今まで気が付かないまま過ごして来たけど、わたしが作る料理には致命的な問題が発生する。


 全てに<香力>の花の香りが移ってしまうのだ。料理に<香力>を使っていないのに、なぜか香りが移ってしまう。


 ここに来て間もない頃、ハントがスープを作る手伝いをさせてくれた。スープに花の香りは合わなかった⋯⋯。


「料理人の中には<香力>を上手く使って、美味しい皿を作るのもいるんですけどねえ」


 きっと、美味しい香りがする人なのだろう。何とかハントが工夫してスープを食べられる状態にしてくれたが、もう料理には触らないことにした。そういえばハントからは、ほとんど<香力>の香りを感じない。


 焼き菓子なら、種類によっては花の香りが気にならない。そういうものを選んで、エマはお菓子作りの手伝いをさせてくれる。ハントはわたしたちが作る様子を、たまに静かに確認するだけだ。


 お菓子が焼き上がり、他の使用人も休憩がてら厨房に集まってくる。誰かがお茶を入れて、厨房のテーブルでお茶会が始まる。ここに集まるのは、甘いお菓子が好きな女性の使用人が多い。ハントは、気をきかせるように買い出しに出かけてしまう。


「エマさんとハントさんは、このお屋敷で知り合って結婚したんですか?」


 若い使用人が目を輝かせて聞く。彼女はいま買い出し先の店員に夢中になっていて、先輩の意見が聞きたいのだそうだ。


「違いますよう。私がここに住み込みで働いていたから、あの人もこのお屋敷で働く事に決めてくれたんです」


 エマは、恥ずかしそうに言った。


「えー! じゃあ、どこで知り合ったんですか?」


 みんな興味深々だ。


「もう昔の事ですから、覚えちゃいませんよ」


 何とかみんなで聞き出したところによると、二人は幼馴染だったけれど、エマが奉公に出たことで疎遠になっていたそうだ。ハントが街の食堂で働いているところに偶然エマが立ち寄って再会し、二人は恋に落ちた。


「幼馴染だったのに、急に恋するって不思議です」


 一番若い使用人が首をひねる。


「大人になった姿を見て一目ぼれしたってことですか? 何で友情じゃなくて恋だって分かったんですか?」

「そうねえ⋯⋯一目ぼれではないわねえ」


 エマが上空に視線を漂わせて、記憶を探っている。


「再会してから何度目かに会った時、あの人が料理を作ってくれたの。『美味しい』って思ってあの人の顔をみたら、私の反応を緊張して見守っているのが分かって⋯⋯。その顔を見て『ああ、この人が好きだな』って思ったのが恋の始まりでしょうかね」

「えー! 良くわかりません! 何で好きだって思ったのかが知りたいんです」


 彼女のように『分からない』という反応と『なるほどね』という反応に分かれた。残念ながら、わたしは『分からない』だった。


「好きな人が出来たら、分かりますよ」


 エマは若い使用人にもう一つお菓子を渡した。彼女は『えー、いま知りたいです』などと言いながら、お菓子をほおばる。


わたしも、いつか『ああ、この人が好きだな』が分かるだろうか。

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